37.輝く巨人
ラクタリオンがミカヅチと話している間に、何とかクロウを解放しようと一輝は必死に努力した。しかしクロウを縛る粘液は酷く柔軟かつ強靭で、まるで針金を束ねたワイヤーのようだ。一輝が何度試しても、手で引きちぎるのは不可能だった。
ラクタリオンにねっとりとした目つきで睨まれて、一輝はクロウを縛る粘液から手を離し、身構えた。
「私個人の目当ては巨神の子より、むしろ君の方でしてね。君の体でドマを再度転生させたいと思っていたところなのです」
「はぁ? ふざけた事言ってんなよ、おっさん!」
吐き捨てた時、突然足首に生暖かいものが絡みついた。視線を下した時、既に床を這って伸びていた粘液が、一輝の足首を飲み込んでいた。
「うわ!」
粘液の縄は驚く一輝を無視して瞬く間に一輝の全身をはい回る。一輝の首から下を包みこむと、粘液は七十キロ近い一輝の体をたやすく持ち上げ、ラクタリオンの前に運んだ。
必死にもがくが、粘液はびくともしない。ラクタリオンはその様を見て、不気味な笑い声を上げた。
「無駄、無駄。ドマの器とは言え、今の貴様は所詮生身の人間。我らに勝てるとお思いかね?」
「くそ!」
思わず歯噛みする。ラクタリオンの言う通り、先ほどのクロウを縛る粘液と同様に一輝の体を包む粘液も、体中を動かしてもびくともしない。
悔しかった。小学生の頃から空手を始め、喧嘩なら負けた事はなかった。幸太郎をはじめとした友達に何かがあれば、率先して突っ走って守ってきた。それなのに今は超人同士の戦いにほとんど手を出す事もできず、ミカヅチとクロウがやられようとしているのに何もできないでいる。
ラクタリオンが懐に手を入れた。取り出したものを見て、一輝の顔色は青ざめた。ラージャルの仮面を模した白い仮面。忘れもしない、昨日一輝がつけられたものと同じものだ。
「これには陛下の手で呪力が込められている。普通の者には仮面をつけてもすぐ転生させるのは難しいのだが、一度ドマをその身に降ろした君だ。すぐにでもドマが君をかぎつけ、転生することだろう」
「ふざけんな! 俺があの野郎にまた体を貸すと思ってんのかよ!」
「借りるのではない、奪うのだ。優れた肉を優れた魂が使う、これが陛下の理想の世界。私はそのために力を尽くすのみ」
病的なまでに細い指に摘ままれた仮面が、一輝の顔に向かってくる。このままドマに体を奪われる、それだけは許せなかった。幸太郎を助けに来たのだ。だというのにこのままでは何もできず、悪党どもに利用されるだけで終わってしまう。
屈辱と無力感が一輝の心を絶望に駆り立てようとしていた。
「その体を奪われ、冥府の底で己の弱さを嘆くといい。あの軟弱者と寄り添いながらな」
「軟弱……者だと……!?」
一輝の心の奥底から、怒りが声となって出た。自分の口から出たと思えない程、重く激情に満ちた声だった。
「ふざけたこと……言うな……!」
怒りが絶望を吹き飛ばす。両腕が、両足が、体中が今まで感じた事のない力に突き動かされる。
仮面を持つ手が止まり、ラクタリオンの目が驚きに見開かれた。粘液を引きちぎろうともがく一輝の手によって、粘液の壁が今にも弾け飛びそうに膨れ上がっていく。
「馬鹿な。どうなっている……?」
「俺だけじゃねえ、俺の友達を、心まで馬鹿にしておいて……。俺は絶対に、お前らを、許さねえ!」
ラクタリオンが困惑している内に、いつの間にか青白い光が一輝の体を包んでいた。体の奥底に潜み、硬い殻で覆われていた強大な力が、殻を砕いて出て行こうとしている。解き放つ事に対する恐怖と、それによる期待感がないまぜになって、一輝の脳を刺激する。
心臓が脈打つ度にその殻がひび割れて、漏れ出た力が背骨をしびれさせながら全身をめぐっていく。
止めないでいい。恐れないでいい。そのままぶっ壊せ!
「く、くそ!」
焦るラクタリオンが、一輝の顔へ仮面を押し付けた。
瞬間、仮面からどす黒い何かがしみ込んで来た。昨日味わった、邪悪な何かが心と体を支配しようと迫る。強烈で何もかも飲み込みそうな勢いに、並みの人間はなすすべなく主導権を奪われるだろう。
だが今の一輝を突き動かす怒りは、古代の将軍だろうと止められない。
「出ていきやがれ、このクソ野郎!」
気付かぬうちに、一輝は叫んでいた。奥底にある殻が粉々に砕け、力が吐き出される。体中に満ちた白い力が、入り込んだ黒いものを仮面ごとくだいていく。
一輝の全身を縛る粘液が、一輝の体から放たれた青白い光に耐えきれず、弾けて消し飛んだ。飛び散る粘液と衝撃に、ラクタリオンがたたらを踏む。
「貴様は……一体……?」
ラクタリオンが茫然とした顔で、一輝を見た。
青白い光が実体を持ち、一輝を中心に三~四メートル程の大きさの巨人の形をとっていた。
奇妙な感覚だった。粘度の高い液体の中にいるような浮遊感を覚えながら、この光が硬く強靭な力を持っている事も一輝は感じ取っていた。
ただ一つ言える事は、最高の気分だという事だ。
「なんか何が起きてるのかよくわかんねーが、コウを馬鹿にしたてめーはぶっ飛ばす!」
全身を突き動かす感情に逆らわず、一輝は光り輝く両足を踏みしめた。
─────
目の前の光景に、ミカヅチは目を白黒させるばかりだった。ミカヅチを襲っていた人形達も、状況についていけないかの如く、動きが鈍っている。
ラクタリオンの手によって一輝に仮面がつけられたと思った瞬間、一輝の叫びによって光が一輝を包み、気付いた時には光の巨人となって粘液を吹き飛ばしていた。
光の巨人は空手の構えを取った。青白い光は実体を持ち、床を強く踏みしめる。巨人の中に、一輝らしき人影がいるのが時折見えた。
その体型に、ミカヅチはドマの姿を思い出していた。
一輝は一度ドマに転生され、ミカヅチの手によってドマの魂を追い出している。もしもその際に、ドマの力の一部が一輝の体に宿っていたとしたら。それが再度の仮面をきっかけとして、一輝は力を自分のものとして取り込み、全く別種の新しい超人として生まれ変わったのではないか。
ミカヅチの考えが果たして正しいのかどうか、それは分からない。だが目の前で起きているこれは、誰も想像していなかった逆転の一手だった。
「おらァ!」
気合と共に、巨人が走った。体型からは想像できない俊敏さで瞬く間にラクタリオンとの距離を詰めようとする。
「くっ!」
ラクタリオンが舌打ちし、指を鳴らした。床に飛び散っていた粘液が集まり、迫る一輝の前に一輝と同サイズの人形を創り出す。
二体の巨人は互いに振りかぶり、同時に拳を放った。
「せいッ!」
音は一つしかしなかった。一輝の光輝く拳は人形の拳を砕き、そのまま腕を引き裂いて上半身を吹き飛ばした。
とてつもないパワーだった。下手をすれば巨神の加護を受けたミカヅチ以上、ドマにも匹敵するだろう。
「ヒッ、この、なんなんだよお前は!」
先ほどまでの余裕も一切なくなった顔で、ラクタリオンは引きつった声を出しながら続けて人形を生み出していく。人形は四方八方から飛び掛かるようにして一輝に向かって襲い掛かった。
「邪魔、すんなァ!」
一輝が吼えた。腕を振り回すだけで当たった人形が弾ける。拳が、蹴りが、巨体を巧みに使った技の数々が人形を次々と吹き飛ばしていく。
腕を刃に変えた人形が一輝の胴体目掛けて刃を突き刺したが、硬い音を立てるだけで光に阻まれた。再度突き刺そうとする人形は、一輝の肘打ちで上半身を吹き飛び倒れた。
「ラクタリオン!」
邪魔者をなぎ倒しながら、一輝が突撃する。ラクタリオンは触手の鞭で迎え撃つが、一輝を包む光の鎧に傷をつけるどころか、勢いを殺す事すらできない。
その様は光り輝く戦車のようだった。ただ目の前の敵を蹂躙し破壊するのみ。あとには何も残らない。
「くたばれ、クソ野郎!」
罵声と共に放たれた巨大な光の拳が、ラクタリオンの顔面に叩き込まれた。
爆発的なパワーがラクタリオンの仮面を砕く。宙を舞ったラクタリオンは十メートルは飛んだ後、転がり倒れた。
二度三度と痙攣し、仮面がなくなって見えた口から、かすれた息が漏れる。
「こんな、こんなゴミ共に、こんな、ふざけたことが……。あって、いいのか……?」
それだけを漏らすと、ラクタリオンの両目がぐるりと白目を剥き、動きを止めた。それと同時に、周囲にいた人形が形を失って溶けていく。ミカヅチとクロウを鎖のように拘束していた粘液も力を失くし、水のように床に落ちて消えていった。
ラクタリオンの顔から、青白い光が飛び散っていく。衣も元々着ていたらしいくたびれたスーツ姿へと変わり、光が消えた顔は傷一つない、やせぎすの中年男性へと変わっていった。
ラクタリオンの魂は完全に離れたようで、ミカヅチは安堵の息をつき、一輝に目をやった。ミカヅチとクロウの前で光の鎧は次第に色を失い、中にいた一輝が床に着地する。一輝も自分に起きた事を判断しかねているような顔で、自分の体をまじまじと眺めていた。
「……どうなってんのさ、これ。すごいじゃん」
クロウが感嘆の声を上げた。




