35.白い怪物
「二人は外周通路を着た二向かっている。こちらは東側から後を追う」
「了解。こちらは西側に向かう。挟み撃ちにしよう」
無線から他の警備員の声が聞こえる。どれも苛立っているのが感じ取れた。二人組はひどくすばしっこく、競技場内の通路を縦横無尽に逃げ回っていた。
葦原市競技場は二階建ての観客席がグラウンドを楕円状に囲う作りで、その観客席の外周に通路がぐるりと通っている。出入り口は東西の二か所のみで、窓もほとんどない作りだ。最初はすぐに捕まると思っていた警備員達も現状に業を煮やして、担当を増員して取り押さえようとしていた。
二人を追いかけて走りながら、ふと頭に浮かんだ疑問を、大は口にした。
「なあ、なんであいつら、こんなに逃げ回ってるんだ?
合流して大の隣を走っていた一輝と凛が、同時に大を見た。凛が質問に答える。
「そりゃ、日高さんの力を使う前に変に騒ぎを起こしたくないからじゃない?」
「それにしたって、近くに来た警備員を叩きのめしてから、姿を隠した方が見つかりにくいだろ」
大や凛が相手なら大変だろうが、警備員の多くは生身の人間だ。ラージャルなら始末するのに片手でも十秒とかかるまい。相手の実力を見抜けないラージャルとも思えないが、今の動きはまるでわざと人目について動いているようだ。
答えが閃きそうになった直前に、無線から音声が入った。
「二人組は一階西ロビーに移動中」
「了解。こちらも一階に降りる」
無線を聞きながら、大は会場の地図を思い浮かべた。競技場の西にある出入り口から、いったん外に出ようとしたのかもしれない。このままいけばそこに辿り着く前に挟み撃ちになるだろう。
「俺達も急ごうぜ。本当にラージャルなら、何が起きるか分からねー」
せかす一輝にうなずいて、大は連絡のあった場所に向けて速度を上げた。
階段を降り、通路を曲がり、大達が連絡のあった場所に辿り着いた。逃げ回っていた二人組は警備員達に追い詰められて、部屋の隅で寄りそうようにして固まっていた。
ちょうどライブが始まる前には、グッズ等を販売していたフロアだ。広く天井の高い部屋の正面には大達と町田、そしてもう三人の警備員。左側の通路からは警備員が三人。大達の背後から、時折ライブ会場の歓声が届いてくる。右側にはコンクリートの壁に大きな窓が並べられて、外の街灯が室内の照明に負けながらも光を注いでいた。
男はサマージャケットを羽織って野球帽を被り、女はデニムのジーンズに白いTシャツ。背格好や服装は確かに、ホテルにいた時の幸太郎と那々美のものだ。しかし二人とも大きなサングラスをかけていて、顔は分からなかった。
「そのまま止まれ。左手を頭の上にあげて、右手でサングラスをゆっくり外すんだ。ゆっくりだぞ」
町田が指示する。二人とも大人しく、従うように動いた。左手を頭より上に掲げ、右手をゆっくりとサングラスに伸ばしていく。
それを見ながら大は奇妙な違和感を覚えていた。確かに彼らの外見は人間そのものなのだが、妙に動きがぎこちない。まるでマネキンか何かが動いているような硬さがあった。
不意に光が目に入り、大は顔をしかめた。窓の方に目を向けると、どうやら遠くを走っていた車のヘッドライトだったらしく、光はすぐに去っていく。視線を戻そうとして、天井を蜘蛛の巣のように縦横に走る黒い粘液に、大の目はくぎ付けになった。
「逃げろ!」
叫びながら背後の一輝と凛をつかんで跳ぶ。刹那、天から高速で振ってきた粘液が無数の槍となり、警備員達を貫いた。
「ギャッ!」
「ヒィッ!」
槍が突き刺さった警備員達が、思い思いに悲鳴を上げる。肩を貫かれた一人が粘液を引き抜こうとして、逆に粘液にからみつかれた。知性を持っているように短髪の警備員の体に巻き付き、そこから高速で体を持ちあげる。その先にあった壁に叩きつけられ、短髪は動かなくなった。
いかつい顔をした警備員が立ち上がろうとしたところに、足元の粘液が膨れ上がった。自身の頭よりも大きな粘液の塊が高速で突き出て、顎を砕く。
「くうっ!」
倒れた町田が立ち上がろうともがくが、全身に絡みついた粘液はそれを許さない。町田の四肢と首に絡みついた粘液はその量を増していき、数秒とかからず町田の全身を包んであっさりと無力化してしまった。
「町田さん!」
凛の声に反応したように、粘液が大達に襲い掛かる。一輝達を押し倒した体勢を立て直そうとしていた大は膝立ちの状態で、神の名を呼んだ。
「巨神!」
閃光が大の体を包む。意に介さず大達に襲い掛かる粘液が、光から飛び出た銀のきらめきに叩かれて弾け飛んだ。
紅の戦装束に身を包んだミカヅチが、凛と一輝を守るように白銀の棍を構えつつ、立ち上がった。
「どわっ! なんだこれ!」
背後で一輝が悲鳴を上げる。見ると一輝と凛の胸元に飛び散った指先程の粘液がもがきながら、無線機に絡みついていた。
バキバキと音を立てながら無線機を破壊する粘液を、一輝と凛は無線機ごと放り投げた。別の破壊音がして足元を見ると、別の無線機も転がっていて、うごめく小さな粘液が怪物的な締め付けでそれを割り砕いていた。大がつけていたものだ。
(まずい)
周囲に助けを呼ぶ手段がなくなった。手持ちのスマートフォンは詰所にまとめて置いたままだ。
目の前にいた男女の体が突然どろりと溶けた。蝋細工のように溶けて色を失い、ぬらぬらとてかる黒い粘液へと変わり、周囲の粘液とまじりあっていく。
今この状況で、こんなものを使う超人は一人しか思いつかない。
「ラクタリオン……!」
「おやおや、まさか本当に巨神の子が現れるとは」
声に振り向くと、フロアの真ん中に白い衣を着たラクタリオンがいた。ミカヅチの姿に、余裕のにやけた顔を見せる。
「ここを突き止める手段などなかったと思うのですが、どうやってここを察知したので?」
「ラクタリオン……!」
ミカヅチが棍を構えた。凛もその場でレディ・クロウへと変身した。
「お前がここにいるって事は、ラージャルもここにいるのか」
「ええ。警備の者が想定よりも多いので邪魔者は減らしておこうと思ったのですが、まさか巨神の子まで紛れているとは思いませんでした。だがちょうどいい。陛下が求めていた体、私が捕え陛下に捧げるといたしましょう」
「なめないでよね。 こっちは二人がかりだよ? いや、三人か」
クロウがミカヅチの隣で浮きながら、両手を突き出す。掌には淡い光が輝き、戦闘準備は万全だ。一輝も空手の構えを取り、小さくとも戦おうとする意志を見せる。
「コウを返してもらうぜ」
「コウ? ああ、陛下の器の事かね。貴様は勘違いをしている。彼の体はこの世で最も優れた魂を持った方に、使われるにふさわしいと認められたのだ。恨むべきは己の魂の弱さだよ。そして、君達が三人で来ようと大した問題ではない」
ラクタリオンが大きな袖を揺らしながら右手を掲げる。それに呼応して、床に飛び散っていた粘液が動き出した。近くの粘液が集まり、つながり、盛り上がって人の形を作っていく。
全身の表面は油を塗ったように艶のある黒色で、つるりとした表面の人形だ。それが各々、自我を持つように手足の一部を武器のように変え、構えを取る。
ものの数秒で生み出された、黒いのっぺらぼうの兵隊の群れが、ミカヅチ達の周囲を取り囲んだ。
「ドマのような猪と一緒にしないでもらおう。あの巨神の娘ならいざ知らず、貴様ら小僧相手なら私一人で十分!」
「やってみろ!」
ミカヅチは叫んだ。相手はラクタリオンの作った人形だ。なら全力で戦える。




