31.過去
夜空の中を、風が不気味に唸っていた。天気予報によると、連日の曇り空はようやく終わりを見せ、明日から明後日には太陽をのぞかせるらしい。
(そうであってもらいたいものだ)
灰堂武流は病院の二階の廊下から、窓の外を眺めながら思った。これ以上気が重くなる要因は増えないでほしい。
数時間前、通報を受けた警官達がホテルに向かい、そこで倒れた人々と傷ついた大達を発見した。
警察は現場検証と被害者からの事情聴取から、超人がかかわった大規模なテロであると推測し、アイに連絡を取った。同じく凛からも連絡があり、灰堂は他の管理官数名と共に現場に向かう事となった。
ホテルの客と従業員合わせて百名以上が行方不明となり、五十人近くが重軽傷を負っていた。被害者の証言をまとめると、ホテル内の人々が突然興奮状態になり、暴れ出したのだという。その後人々の顔に白い仮面のようなものが浮かび上がり、異形の怪物へと姿を変えたのだそうだ。そしてそれを指揮するように、奇妙な仮面をつけた男女に率いられて、全員が姿を消した。
(ラージャルだ)
灰堂にはすぐ察しがついた。恐らくラージャルは広範囲かつ大勢の人間を対象に、自分の配下を一度に転生させる方法を手に入れたのだろう。そしてそれをこのホテルで試したのだ。
この場に残った人間は転生にふさわしい体でなかったか、転生前に大怪我を負いすぎたかのどちらかと推測された。実際、ホテルに残っていた者は老人が大半を占めていた。
これからどうなるか、それを考えると灰堂は恐ろしかった。綾は敵に捕まり、大は怪我を負った。巨神の加護を受けた者と同等以上力を秘めた者が、今も身を隠している。その配下を着実に増やしつつ、行動を起こすタイミングを待っている。
十年前なら綾を助ける為に、灰堂一人ででも飛び出していたかもしれない。今それをしないのは、一つは綾を助ける為の情報が欲しかった為。もう一つは、自分より早く飛び出して行きそうな連中を止める為だ。
「灰堂さん……っスよね」
背後から声をかけられて、灰堂は振り向いた。情報源になりうる男、一輝が顔をしかめながら立っていた。シャツの胸元から、体に巻かれた包帯が見える。
「藤沢君か。体は大丈夫か?」
「なんとか。痛み止めも効いてるし、ドマとの相性が良かったせいか、コウがジャグー・バンに取り付かれた時みたいな傷とか影響とか、あんま受けてないみたいで。それより、さっさと話す事を話しとかないといけないでしょ。ティターニアが捕まってるんスから」
ラージャルの配下に取り付かれ、かつ元の姿に戻った貴重な人物として、一輝にいくつか話を聞きたいと、治療を受けてもらう前に話していたのだ。
「ありがとう。助かる」
「いや、別に。当然の事っす」
礼を言われ、一輝は照れくさそうに頭をかいた。
「少し待ってくれ。大と凛を呼ぶ」
灰堂は懐からスマートフォンを取り出し、大の番号に発信した。凛と共に、病院のどこかにいるはずだ。ここに来るまで三分とかからないだろう。
連絡を追えて通信を切ると、一輝が口を開いた。
「大の奴、まだ治療中じゃないんスか?」
「巨神の加護のおかげで怪我の治りは早いからな。さっと見てもらってお終いさ。今はティターニアが放つ巨神の力の波動を探ると言って、屋上に出ている」
さらりと流したが、大が病院についた時の騒動は、一言で片づけられる程小さくはなかった。
大はホテルの被害者達と共に、怪我人として病院に連れて来られた。強敵との戦いで受けた傷は決して浅いものではない。だというのに、大は治療もそこそこに出て行こうとして、医者に看護婦に灰堂にと、慌てて総出で止める事になった。灰堂が説得し、何とかティターニアを探す為の情報を得られるまで待て、と言いふくめておいたのだ。
灰堂の言葉に、一輝が困惑の表情を作った。
「力の波動って、あいつ、そんな事できるんスか?」
「本人はできると言っている。まあ体調や、相手のいる場所次第で増減するらしいがな。それに、向こうにそれを防ぐ手段があってもおかしくはないな。何せ前世では巨神の子と戦争をしてた連中だ」
はあ……と、一輝が感心したような声を出した。
「正直言って、君がいてくれてよかった。君から情報が聞き出せないとしたら、大の奴は一人でティターニアを探して走り回ってただろうからね」
「そんな。俺は別に」
少し一輝ははにかんで、ふと何かに気付いたように、口を開いた。
「あの……ちょっと、こういうの聞いていいか分かんないんスけど」
一輝の言葉に、灰堂が軽く首をかしげる。
「なんだ?」
「大って、ティターニアをスゲー慕ってるっていうか、もう執着してるっつーか、思い入れスゲーじゃないですか。何でそうなったんです?」
どう答えるべきか、灰堂は少し迷った。大と綾の関係はかなり複雑だし、あまり周囲に吹聴していいかは考えどころだ。とはいえ、一輝の疑問も分からないでもない。
少し考えて、灰堂は答えた。
「少しだけだ。触りだけ話す。もっと詳しい事が聞きたいなら、大に直接聞いてくれ。それと、この話は他言無用だ」
「了解っス」
「うん。大がティターニアと初めて会ったのは、大が小学生に上がったばかりの頃だ。当時は超人の増加が社会現象になる直前の時期で、俺達が超人として活動し始めた頃だ。その頃に人類は、異次元世界からの侵略を受けた」
「知ってます。シュラン=ラガですよね。異世界の帝国で、ジャスティス・アイとの戦いがよくテレビに出てました」
ジャスティス・アイ。灰堂達が若い頃に名乗っていたチームの名前だ。現在の超人管理機関、『アイ』の前身である。
「ああ。大はシュラン=ラガの関与が初めて表沙汰になったテロ事件に遭遇し、その際に両親を失った」
一輝が唖然とした表情になった。まさかいきなり重い話が来るとは思ってなかったのだろう。
「当時シュラン=ラガは地球人を拉致して、何らかの改造実験を行っていたようだが、ちょうど事件に巻き込まれた俺達が解決に関わった。その時ティターニアが大を助けてな。それ以来大はティターニアに絶対の信頼を置くようになった」
今にして思えば、とんでもない無茶をしたものだった、と灰堂はよく考える。自分達のまさに超人的な力に怯え、力の存在する意味を求めた。そして、せめてこの力を世の為に使おうと仲間と誓った。灰堂と綾は仲間と共に、時には命がけの大事件に巻き込まれ、首を突っ込んだ。
「当時俺達は高校生だった。自分達の周囲で起きる超人の事件を追っている時に、大の叔父にも協力してもらっていた。そこでも偶然、大とのつながりができた。大は特に、留学生だった綾に惹かれてな。ティターニアの正体については知らなかったが、弟のようにべったりだった」
「あいつ、現役時代のジャスティス・アイのメンバーと知り合いだったんスか?」
「当時の大は知らなかったがな。ともかく、それ以来大は綾とティターニアに認められる為に行動していた。ティターニアに、自分を助けてくれた人間に恥じない人間になりたい。そう言っていた事もあったよ。大の人生は、良くも悪くも綾とティターニアに大きく影響されてるんだ。綾を失わない為なら、大は下手したら、自分の命くらいあっさり捨てるかもな」
そうさせない為に、自分達『アイ』がいるのだ。少なくとも灰堂はそう思っている。綾だけでなく、灰堂も大とは十年以上の付き合いなのだ。弟のように大事に思っているし、危険には置きたくないが、大の気持ちも尊重してやりたい。だからこそできる限り助けてやりたかった。
一輝が神妙な顔で押し黙った。その時、通路の奥にある階段から、転がり落ちてくるような速さで靴音が鳴った。
階段を駆け下りてきた大は灰堂達の姿を確認すると、小走りに駆け寄った。
「灰堂さん」
「大。成果はどうだ?」
「駄目でした。何か術でもかけられてるのか分かんないけど、変な膜で覆われてるみたいに反応が鈍くて」
「膜ね。ずいぶん感覚的な答えだがまあいい。とりあえず藤沢君の話を聞こう」
「そうだ、一輝。お前何か情報が……」
大が話しかけようとして、一輝の顔を見て硬直した。灰堂も大の視線を追う。そこには熱い眼差しで大を見つめる、一輝の真剣な表情があった。
「ぜったい、絶対、俺達で天城さんを助け出そうぜ。な」
「ああ、うん……? うん……」
状況が掴めていない大が、灰堂に視線を向ける。
「いい友達を持ったな」
微笑む灰堂に、大は更に困惑顔を作った。




