30.ラージャルの脅威
「クロウ、一輝が無事か見てやってくれ。俺は先にティターニアのところに行く」
クロウが答えるのを聞かずに、ミカヅチは走り出した。
「あ、こら待て! 置いてかないでよ!」
クロウの声を背後に聞くが、それを待っていられない。まさかティターニアに限って。そう思うが、ミカヅチも自信を持って否定しきれなかった。
ティターニアの実力はよく知っている。だがラージャルの底知れない実力も、ラージャルが勝つと断言したキリクの強さも、ミカヅチは身を持って理解していた。
遠くから何かがぶつかり合うような音と、破壊音が続けざまに聞こえた。先ほどラージャル達がいた、ラウンジの方角だ。
ミカヅチはそちらに向かって走った。ドマとの戦いで離れたとはいえ、ミカヅチの脚力ならすぐにラウンジに辿り着ける。
だしぬけに何かが爆発するような音がした。同時に建物全体が震える。その衝撃の正体に気付いて、ミカヅチの背筋が冷たくなった。
(巨神の一撃だ)
巨神の加護を受けた者が使う必殺技を、ティターニアが使った。そしてそれ以降、遠くから聞こえていた戦いの音が消えた。
歯噛みして、ミカヅチは走る速度を上げた。戦いによって壁や床が破壊された廊下を、飛ぶように駆けて行く。
ものの十秒としない内に、ミカヅチはラウンジに到着した。そこにあったのは、ラージャルに首をつかまれ、力なくなすがままになっているティターニアの姿だった。
「ティターニア!」
思わずミカヅチは叫んでいた。だがその声にもティターニアは反応を見せず、気を失ったままだらりと手足を垂らしていた。
ラウンジは酷い有様だった。ソファーや机に観葉植物、近くにあったあらゆるものが砕け、吹き飛んでいる。床には所々えぐれたような跡があり、部屋の中を等間隔で立っていた柱がいくつも砕けていて、最早柱としての用をなしていなかった。
ティターニアの体を包んでいた戦装束は所々が破けていた。巨神の加護を受けた肉体にも、アザや切り傷の痕がいくつも残っている。それは先ほどのドマやキリクとの戦いより、何倍もの激しさを連想させた。
ミカヅチは階段を駆け下り、ティターニアを助けようと走る。だが階段を下りたところで、ラージャルの周囲に集まった兵達がミカヅチに殺気を向けて陣を組んだ。
立ち止まるミカヅチに向けて、ラージャルは軽く目を向けた。
「ほう、巨神の子。ここに来たという事はドマを破ったという事か?」
ラージャルは掴んでいたティターニアを、アイオーナに預けるように手を伸ばす。アイオーナはうやうやしく頭を下げてティターニアを受け取ると、右腕から枝を生やした。複数に分かれたて伸びる枝は、ティターニアの手足と首に絡みつき、瘤状に膨らんでいく。
ついにはティターニアの手足を埋め込んだ巨大な樹木のオブジェとなったところで、アイオーナは枝を手から切り離した。
アイオーナの仕事に満足したように頷いて、ラージャルはミカヅチのほうを向いた。ティターニアと激しい戦いを見せたのはラージャル本人だろう。ティターニアだけでなく、ラージャルが身にまとった戦装束にも傷跡がいくつか見られた。しかしその立ち居振る舞いには、いささかの疲れも見られなかった。
「ドマもほぼ完璧な転生を行えていたはずなのだがな。とは言えあの巨神の娘の弟子というのであれば、その実力も頷けるというもの。キリクはどうした? 恐らくドマが倒れた後に来て、それ以上の仕事を拒否したのだろうがな。そうでなければお前がここに来れるとは思えん」
「褒めてんだか馬鹿にしてるんだか知らないけど、そんな事はどうでもいい! ティターニアを放せ! 転生だとかふざけた事言わないで、みんなを解放しろ!」
「それはできんな。冥府より蘇りし我らが、おいそれと体を手放せるものか」
ラージャルが笑いながら、動けなくなったティターニアに手を伸ばした。
「己の肉体がどれ程貴重なものか、死ぬ前に理解できるものは少ない。我らのように死を経験し、その価値を真に理解する者が、価値ある肉体を有効に利用すべきだ。そうは思わんか?」
指先を首筋から顎のラインに沿って動かし、また胸元まで下ろしていく。その動きは酷く醜悪に、ミカヅチには感じられた。ティターニアを汚されている気分だった。
「特にこの女は素晴らしい。天与の才能とたゆまぬ鍛錬が生み出した、まさに生命の美の結晶。偉大なる巨神が寵愛するのも頷けるというもの。これに相応しい魂を下ろさねばならぬ」
「やめろ。ティターニアに触れるな! そんな事絶対にさせないぞ」
怒気がこもった声でミカヅチはラージャルに言った。奥歯を噛み締める。
ラージャルは肩をすくめ、ティターニアから手を離した。腕を組み、ミカヅチに向き合う。
「お前も意地を張らず、余に従ってはどうだ。お前のその実力と巨神の加護を使う才能、余は高く評価している。余の配下となれば無限に転生を繰り返し、永遠に尽きぬ若さと生の喜びを提供してやるぞ」
「お前がティターニアに手を出そうとする限り、俺はお前の敵だ! お前が何回生まれ変わっても、何度でもお前を冥府の底まで叩き落してやる!」
「残念だ。余の言っていることがどれ程にすばらしいか分からんのか?」
ラージャルが軽く鼻を鳴らした。ミカヅチの気迫のこもった敵意も、彼はそよ風程にも感じていない。構えを解くどころか、腕を組んだ余裕の姿勢のままだ。
己の力に対する、絶対的な自信がそこに現れていた。
これからどうすればいいのか。ラージャル達と対面したまま、ミカヅチは自問した。
目の前には無数の転生し人外の力を得た超人兵達、アイオーナとラクタリオン、そしてティターニアを下したラージャル。全てを相手にするのは絶望的だ。ラージャルが今ミカヅチに攻撃をしかけようとしないのは、ミカヅチを興味のある有望な若者としか見ていないからにすぎない。
どう遊ぶべきかを考える子供のように、ラージャルは首をかしげて思案する。隣からラクタリオンがラージャルに向かって頭を下げた。
「畏れながら、陛下。もう時間がございません。兵が来る前に引き上げるべきかと」
「うむ。……そうだ、巨神の子よ。お前が余に仕えるなら、代わりにお前が望む者を与えてやるぞ。どうだ?」
言葉の意図がつかめず、ミカヅチは眉を寄せた。
「どういう意味だ」
「言葉の通りの意味だ。日高那々美程ではないが、余にも人の魂のつながりは見える。お前には死に別れた両親がいるだろう。その二人を生き返らせてやる」
目の前が一瞬真っ暗になった気がした。想定していなかった言葉に、頭を強く揺さぶられたような感覚を覚える。それでもミカヅチは何とか言葉を口にした。
「……ふざけるな。そんな話聞きたくない」
「安心しろ、難しいことではない。近くをを歩いている手頃なつがいを一組、お前の手でくびり殺せ。そうしたならばその体を使い、余がお前の両親を転生させてやる。親子三人、永遠の人生を用意してやるぞ」
頭の中で何かがはじけた。人生でほとんど味わった事のない怒りが噴出し、ミカヅチはラージャルに突っ込んでいった。
雷光の如き動きに周囲の兵もアイオーナ達も反応が遅れる。その間にミカヅチはラージャルの目の前まで来ていた。
怒りに任せた右拳を放つ。腕組みを解いたラージャルの左掌が拳を防いだ瞬間、放たれた巨神の力の奔流が拳から流れ込む。
力はラージャルの掌から放たれた別の力とぶつかった。巨大な力が行き場を求め、周囲に衝撃波となって飛び散った。
「うげっ!」
「ぐあっ!」
衝撃を受けて兵達が声を上げて吹き飛び、アイオーナとラクタリオンも衝撃に耐える。その間にもミカヅチは動いたそのまま腰を回転させて左拳を打ち込む。拳がラージャルの側頭部を貫こうとした瞬間、胸に爆発の様な衝撃を受けてミカヅチは吹き飛んだ。
先ほどのミカヅチの突進よりも速いかと錯覚する速度で地面と水平に飛び、その先にあったソファやテーブルの残骸をいくつもなぎ倒し、跳ねて転がる。
ソファにぶつかってやっと勢いが止まり、ミカヅチは腕をついて体を起こした。
右のつきを放った体勢のまま、ラージャルがからかうように、伸ばした右拳をゆっくりと戻した。ミカヅチの左拳と同時に放ったラージャルの右拳がカウンターとなり、巨神の一撃と同様に放たれたエネルギーの塊がミカヅチの胸を打ったのだ。
立ち上がろうとして遅れてやってきた激痛に、ミカヅチは声もなく悶えた。ラージャルの動きは前回戦った時よりも速く、強い。そして傷も負っていない。自らの力を十全に発揮できる完璧な肉体に、彼は転生を完了したのだ。
「残念だ。お前も巨神の娘と同様に、世の理を守り、他者の為に怒ることのできる人間なのだな。余にしたがってはくれんか」
「くそ……!」
なんとか立ち上がる。息が荒かった。腹部に生暖かい湿った感触があった。ドマにつけられた傷が開き、ラージャルを援護するように真っ赤な血を吐き出していた。
「捕えよ。殺すなよ」
ラージャルがミカヅチを指さすと同時に、背後の兵が一斉に動き出した。
これまで経験した事のない、最悪の状況だった。最後まで抗おうと構えを取るが、膝がふらつく。これは出血で力が抜けているのか、武者震いなのか、それとも目の前の相手に恐怖しているからか。
「Beware My Order!」
呪文が張り詰めていた空気を引き裂いた。
突如としてミカヅチ達のいるフロア全体に霧が立ち込める。照明の光がわずかにかすみ、伸ばした腕の先も見えない程の白く濃い霧に、その場にいた者全員が驚きにどよめいた。
「これは……」
「ほら、こっち! 速く!」
届いた声と同時に、両肩を掴まれてミカヅチの体は浮き上がった。声の主はそのままミカヅチを持ちあげ、空へと離れていく。
「おいクロウ! よせ! やめろ! ティターニアが捕まってるんだぞ!」
「無茶言うなってば! いったん退避!」
吹き抜けを上がり、二階の通路に着地する。階下は完全に白一色となり、誰がどこにいるのか見当もつかなかった。
「魔術師が来たか。残念だ。これ以上時間をかけるのは危険か」
霧の奥からラージャルの声がよく届いた。
「次に会う時の心変わりを期待するぞ、巨神の子。巨神の娘が余の下に降れば、お前も考え直すかもしれんな!」
「野郎……!」
「待てってばァ!」
飛び出そうとするミカヅチを、クロウが必死に抑える。
やがて霧が薄れて視界が広がっていき、その時には既にティターニアとラージャル達の姿はどこにもなかった。




