03.国津大と支倉凛は大学生である
H県葦原市の北部に位置する比良坂大学は、周辺の県の中では有数の規模を誇る大学である。工学、理学、文学、法学。多様な学部と豊富な施設を揃えた学舎で、日夜様々な人々が学び、暮らし、働いている。
そしてその中にいるのは、ただの人間だけではなかった。
先天的、後天的要因によって肉体が突然変異した者。非日常的な遭遇や事件により、または訓練によって神秘的な力を得た者。今の時代には様々な力を得た超人が、様々な形で世間に溶け込んでいる。理学部一年生の国津大と支倉凛も、その中の二人だった。
比良坂大学の学生食堂は大学の丁度中央に位置する。食事時には座る場所がなくなる程に混雑する室内も、午後二時を過ぎた今では人はまばらだ。
部屋の上部に据え付けられたテレビにはニュース番組が放送されており、今日のトピックスが流れていた。
『――次のニュースです。現在、世界中で増加傾向にある、人間以上の力を持つ者による犯罪、いわゆる超人犯罪問題について、日本政府はここ十年間での日本の超人犯罪数は、わずかに減少傾向にあると発表いたしました。超人管理機関「アイ」の活動とヒーローの自警行為の影響が――』
『――去年九月より開始された、軌道エレベーターの開発工事の定期報告が昨日行われました。開発クルーの一人である三雲隼人さんは、日本で最も有名なヒーローの一人、ブルーフレイムとして知られています。彼と同様に、超人的な力を持ったクルーが世界各国から集結した事により──』
『――およそ十年前に消息を絶ったヒーロー、ティターニアが先月、突然表舞台に姿を現した事について、各方面で大きな話題となっています。日本の超人管理機関「アイ」と、ティターニアの生まれ故郷であるタイタナス国政府は共に、彼女の正体と空白の十年間の活動について、ノーコメントを貫いています』
食堂の片隅で、国津大はテーブルに座り、手持ちのノートに参考書の問題を写していた。
百八十センチ前後の長身に見合った鍛えられた肉体を、清潔でくたびれたところのないTシャツとチノパンに身を包んでおり、その外見はひ弱さや、だらけたところを感じさせない。だがその穏やかな表情と、緩くカールがかかった黒髪も併せると、どこか気弱で押しの弱そうな印象を見る者に与えた。
前方から妙な声が聞こえて、大は顔を上げた。テーブルの向かいで、支倉凛はノートと参考書を前に唸り声をあげていた。
「ん~……じゅ、ね、ぺぱ、えと……ねえ、ここの分詞ってpar? de? どっちだっけ?」
凛は参考書を大の前に突き出しながら、一文を指さした。
「どれ? ……ああ、deだよ。習慣や状態を表すのはde」
さんきゅ、と短く返し、凛は再度ノートに目を落としたが、数分と経たない内に再度唸り声を上げ始め、ついには顔を上げて泣きを入れた。
「もー無理。文法ややこしすぎ、発音難しすぎ。フランス語なんて一体誰が考えたのさァ」
「そりゃお前、フランス人だろ。いいから続けろって。第二外国語の試験勉強に付き合ってくれ、って言ったのは凛の方だろ」
「そりゃそうだけどさァ……」
凛がぶつぶつと抗議するのを、大は苦笑いしながら眺めた。
凛は地毛らしい赤みがかったショートヘアを指先でいじりながら、頬杖をついて問題を眺めている。目の前の難問に仏頂面で悩む隙だらけな姿は、世間で話題となっているヒーロー、レディ・クロウと同一人物だと言っても、信じる者はいないだろう。
大学で大が凛と知り合って以来、二人はヒーロー活動だけでなく、大学の講義で互いに苦手な分野を協力して乗り切っている。そうしてきた事で分かったが、凛の語学力はかなりの低さだった。
「お前、魔法使いだろ。外国語できなかったら、昔の書物が読めないとか色々大変じゃないのか?」
「お師匠様にもその辺は言われてるんだけどね。なんか切羽詰まらないと身が入らないっていうか、身に着くまで時間がかかるんだよ、こーゆーの。コツがつかめたら飲み込み早いんだけどね、ボク」
そう言いながらノートをめくっていた凛は、ついにボールペンを手から放し、大きく伸びをした。ギブアップの意思表示だ。
「休憩しよ。なんかジュース買ってくる。大もなんかいる? 付き合ってくれてるお礼におごるよ」
「オレンジジュースで」
了解、と立ち上がり、自販機に向かう凛を眺めながら、大も軽く伸びをした。視線の先にあったテレビに映るニュース番組が目に入る。番組ではちょうどキャスターが、新しいニュースを読み上げるところだった。
『昨晩未明、複数の女性に対して暴行を働いたとして、葦原市警察は大学生の男三人を逮捕しました。被害者の証言によると、容疑者に襲われて逃げていた所を、二人組のヒーローによって助けられたとのことです。警察は余罪があるとみて容疑者を――』
「お、昨日のじゃん」
いつの間にか戻ってきていた凛が、大に缶ジュースを手渡して席についた。ニュースの詳細を確認しながら、自分用のサイダーをちびちびと飲んでいく。大もオレンジジュースの蓋を開けながら、ニュースを見てつぶやいた。
「俺達がやった事がニュースに挙げられてるって、なんか変な気分だな」
「でも悪くないでしょ? そりゃ暴力だ行き過ぎだ、って色々言う人はいるだろうけど、少なくとも今回はちゃんと人助けをした結果だもんね」
大は頷いた。大が人智を超えた力を得てミカヅチを名乗ってから、一か月が経とうとしていた。
一か月前、大はある事件に巻き込まれた。そこで自分が最も慕う女性が幼い頃に自分を助けてくれたヒーロー、ティターニアだったと知った。そしてティターニアと同じ力を、大は手に入れたのだ。
なぜそんな事になったのか、正確な事は大にもティターニアにも分からない。だがそれ以来、大はミカヅチを名乗ると同時にティターニアを師匠と仰ぎ、魔術師レディ・クロウを名乗る凛と共に、ヒーローとして活動している。
とは言っても昨日のような事件がそうそう起きるわけでもなく、普段はボランティアや周囲の見回り程度だ。目と手が届く範囲で、世の中の為に奉仕しようと心がけるのがせいぜいだ。だがたまには昨晩のように、危機に陥っている誰かを助ける事もあった。
「昨日の人、大丈夫かな。トラウマとかなってなけりゃいいけど」
「助けた後のフォローまでは、ボクらじゃ手に負えない事もあるのが辛いとこだよね。で、それはそれとして、さ」
凛が身を乗り出し、周囲に聞こえにくいように声を潜めた。
「ちょっと気になる事があるんだ。昨日会ったあの三流魔法使い」
「パイロマンサーズだっけ?」
「そう。あの連中、なーんか前に会った時と比べて、妙に魔術が強くなってたんだよね。まあそれでもボクの足元にも及ばないんだけどさ」
「前に会った時から鍛えなおしたんじゃないの?」
「うーん、あいつらはなんていうか、そこそこ才能はあるのに努力ができなくて腐っていくタイプなんだよ。まあ才能だってボクの方がずっと上なんだけど」
「凛の実力と才能は分かったよ。要するに、奴らの実力が急に上がった事について、その原因が何なのか興味があるって事か」
自慢話を切り上げさせて、大は凛の話の内容について考えた。
大は昨日の三人組の事はよく知らないし、凛の自画自賛はいつもの事ではある。だが、凛のレディ・クロウとしての魔術の実力は本物だ。その凛が言うからには、おそらく本当に何か特別な事があったのだろう。
昨日男達が言っていた妙なことが、大の頭に浮かんだ。
「確か、守護霊がどうとか言ってたな。なんか新興宗教にでも嵌まって、新しい力を手に入れたとか?」
「魔術師の端くれの癖して、守護霊だなんだ言いだすってねェ……。正直どうかと思うねェ、ボクは」
凛が鼻で笑った。
「死者の霊を呼び出す魔術だ超能力だなんて、テレビのつまんないバラエティなんかでよく見るネタだけど、ああいうのって実際にやろうとしたらすごいデリケートで奥深い学問なんだよ?」
「まあ、今の時代でも死人が生き返った話は、そう聞かないな。当たり前だけど」
「少なくともボクの知る限りじゃ、大昔から大勢の魔術師が色んな方法論を試してきたけど、実際の成功例なんて数える程。それもほとんど全部が伝説レベル。当然テレビでやってるようなのは全部嘘っぱちだし、あいつらにできるとも思えないね」
「ふーん……」
霊についてもう少し話を聞こうとして、大は近づいてくる男の影に気付いた。大は凛に目くばせして会話を打ち切ると、ちょうど影は二人の前で止まった。
「よっ。国津、支倉。ちょっといいか」
声をかけられて、二人は顔を向けた。同じく理学部一年の藤沢一輝が、爽やかな笑顔を見せながら軽く手を挙げて挨拶した。
身長は大程高くはないが、百七十五はあるだろうか。幼い頃から空手をやっているという体は贅肉はなく整っている。日に焼けた顔に人懐っこい表情を浮かべ、誰とでも友人になれる要領の良さを感じさせた。
「一輝? なんか用? ボクら今試験勉強中なんだけど」
「ああ、第二外国語? あとで俺も教えてくれよ。フランス語なんてややこしい言葉、一体誰が考えたんだろうな」
「やだもー、しょーもない事言わないでよ。フランス人に決まってるじゃん」
先ほど似たようなやり取りをした事を思い出す大を尻目に、一輝は大の隣に座った。
「なんだ? 一輝もフランス語やりたいのか?」
「いや、それはそれでやりたいんだけどさ。ちょっと支倉に頼みがあってな」
そういうと、一輝はいつになく神妙な顔になった。言うべきか言わざるべきか迷っているのを見て、大は確認の為に声をかけた。
「俺は離れてた方がいいか?」
「いや、別に気にしないでくれ。俺にはどうしようもない問題だし、国津に解決案があればそれでもいいんだ。その……」
数秒迷った後、一輝は重い口を開いた。
「支倉はさ、みんなが支倉の事、魔法使いだって言ってるんだけど。それって本当か?」
「うん、そうだよ」
凛があっさりと答えた。超人が認知され、組織の下で保護、管理されている現代社会において、これはそこまで奇異な事ではない。
凛はクロウとしての活動は当然隠しているものの、入学当初から周囲には自分は魔法使いだと宣言しているし、大学のオカルトサークルにも加入している。友人から頼まれたら、占いによる落とし物探しや相性判断に運勢判断、その程度の事は喜んでやっていた。
だから凛に占いを頼みに来たのであれば、そう珍しくもない光景なのだが、今回の一輝はそういった目的というわけでもなさそうだった。
「だったらさ、他の奴が魔法だとか、超能力だとか。そういうもんを使った場合にも、それがイカサマか本物かとか、分かるもんなのか?」
「ものの内容とか規模にもよるけど、大体は。ねェ、話が見えないんだけど、一体なんなの?」
焦れた凛が問いただす。一輝は嫌そうに顔を歪ませながら、目的を口にした。
「俺の友達がさ、怪しい新興宗教みたいなのにはまっててさ。知ってるだろ、コウ。秋山幸太郎」
大は脳内で名前と顔を検索した。秋山幸太郎、大達と同学年で一輝と幼馴染だという話だ。大も凛も一輝を経由して顔を合わせて何度か話した程度で、そこまで親しい間柄ではない。
「なんか、自分の体に新しい守護霊を降ろす事で、より幸せな人生を送れるとか言ってんだよ。ワケわかんねーだろ?」
「守護霊ィ?」
「守護霊……?」
二人の口から出た言葉を、一輝は共感と捉えたらしい。うなずいてそのまま話を続けていく。
「そうなんだよ。俺も怪しいって散々言ってんだけど、あいつすごいハマってて、俺の話なんか全然聞かなくてさ。体験してみろ、人生変わるから、って俺にも勧めてきててさ。だから支倉に見てもらって、ただのイカサマだって証明してもらいたいんだよ」
大と凛は顔を見合わせた。守護霊を降ろすと人生が変わる。これ自体は怪しいオカルトサークルやカルト宗教で出てくるような、そこまで珍しくないキャッチフレーズだ。だが今の二人には、ひどく気になる内容だった。
もしこの守護霊というものが、昨日のアキラが言っていた守護霊と同じものだとしたら。
凛は大を見た。
「ちょっと気になるよね。行ってみる?」
尋ねはしたものの、尋ねるまでもなく、凛も大もその気になっていた。
「何も変な事が起きないなら、それはそれでいいし、調べてみよう」
「いいか? ありがと! 悪いな!」
肩の荷が下りたといった感じで、一輝は顔をほころばせた。
「それで、いつ行くんだ? 悪いけど俺、今日は無理だから」
大の言葉に、凛が少し驚きの顔を見せた。
「なんで? 今日の講義ってあと一つでしょ? なんか用事でもあるの?」
「ああ、うん、ちょっとな」
言うべきか言わざるべきか少し悩んだが、結局大は一言口にした。
「今日、ちょっと人と出かける用事があってさ」