29.剣聖
照明だけがやけに華やかな会場を、キリクはミカヅチ達に向かって黙々と近づいていく。
「キリク……!」
不意に声をかけられ、キリクは立ち止まった。軽く視線を降ろすとその先に、ドマの姿があった。片手で仮面の傷を抑え、光がこぼれるのを防ぎながら、必死に立ち上がろうとしていた。
「邪魔をするな、キリク……! そいつは、俺が、やる。あとから横取りなど、させん……」
「誰の獲物かなどどうでもいい。私は陛下の命により、お前を手伝えと言われただけだ。お前が動けるならやればいいが、その有様では戦うなどできまい」
「ぬう……!」
「それ以上動くと魂が弾き飛ばされるぞ。また冥府に戻り、陛下の慈悲にすがりたくないなら、そこでじっとしているのだな」
目から火を噴かんばかりに、ドマはキリクを睨みつける。怒りと屈辱に顔を歪ませるドマを無視して、キリクは構えた。左手を柄の中ほどに、右手を柄の根本に添えて、日本の剣道でいう八双の構えを思わせるような構えをとる。
ミカヅチも双棍を重ねて一本の長棍に変えて、キリクに向けて構えた。どれほどの実力者でも、クロウと二対一でやればなんとか勝てるだろうか、と考えを巡らせる。ティターニアも危ないこの状況、卑怯だとかどうこうは言わせない。
「クロウ、離れて援護してくれ!」
「オッケー!」
クロウが飛ぶと同時に、キリクが仕掛けた。上体はほとんど動かず、それなのにまるで瞬間移動でもしたような速度でミカヅチと距離を詰める。
「シャッ!」
神速の袈裟切りを、ミカヅチは後退してかわした。空を切り裂く勢いのままキリクの刃が跳ね返り、ミカヅチの右脇腹を薙ぐ。ミカヅチが棍を回して剣を防ぐと、剣は更に軌道を変えた。
跳ね返り、弧を描いて肩を狙う。弾かれると肘を切断しようと迫り、また腹を真っ二つに引き裂こうと横に薙ぐ。
変則的で多彩な動きを見せるキリクの剣撃を、ミカヅチは息つく事もままならずに、防戦一方で受け続ける。棍と剣がぶつかるたびに、鋭い金属音が室内に鳴り響いた。
更に放たれた袈裟懸けの剣を受けて、ミカヅチはその勢いのまま横に跳んだ。距離を取ったミカヅチをキリクが追いかけようとした瞬間、キリクの背後に跳んだクロウが術を完成させる。
「Beware My Order!」
クロウが指先をキリクに向けた瞬間、指先にまばゆい雷光が膨れ上がり、太い雷が一直線にキリクに向けて放たれる。
「ぬん!」
気合一閃、キリクが振り向くと同時に雷光に向けて剣を振り抜いた。雷と剣が交差した瞬間、雷は剣から逃げるように軌道を変えて、床に向かって落下した。
破壊音が轟いた。カーペットを焦がしながら床を砕いた雷は、そのまま生まれた時と同じく高速で霧消する。それを見て、クロウが非難の顔を見せた。
「やっぱり! ずるいよそんなの! なんで剣で雷を防げるのさァ!」
抗議の悲鳴に応える事なく、キリクはミカヅチとクロウ二人の動きを構えと視線で牽制していた。
剣で雷を斬る。あまりに空想的な行いであり、多少科学の知識がある者ならば失笑する類の話である。恐らくはキリクが持つ剣に何らかの呪術的な仕掛けがあるのだろう。しかし、仮にキリクがそんなものなしに剣で雷を斬れると言われても、ミカヅチは信じた事だろう。歴史に名をの越した英雄として、それだけの強さと風格が、キリクにはあった。
不意に感じた痛みにミカヅチが視線を降ろすと、体中にいくつも切り裂かれた痕があった。巨神の加護を受けた衣がたやすく斬られ、露出した肌に赤い線が走り、血がにじんでいた。
先ほどの剣撃の数々を、完全に防げていなかったのか、それとも剣撃の衝撃が触れずに体を切り裂いたのか。すぐに癒えるような軽い切り傷ではある。しかし仮に、キリクが同時に二人を相手にしておらず、一対一だったならば、今頃ミカヅチは全身を切り刻まれて、まともに動く事もできなくなっていたのではないか。
痛みすら忘れそうな寒気がミカヅチの体に走った。
「どうだ、まだ続けるか、巨神の子」
キリクが変わらぬ調子で問いかけた。
「お前は殺すなと陛下から言われている。大人しく我らの軍門に下るがいい。巨神の娘と共に」
「……あんたは伝説の男だ。ティターニアから何度も聞いたよ、あんたの逸話を」
ミカヅチの言葉に、キリクの動きが止まった。
「仁、力、勇、すべてを兼ね備えた英雄だ。ラージャルも英雄だけど、あんたがいなかったらもっと早くに死んでいただろうって。人格者で、人々から慕われ、己の力を他者の為に使う仁義の人だった」
「伝説は美化されるものだ」
「伝説はいつだって、事実と真実から作られるものだろ。今のは偉人の受け売りだけどさ。ラージャルはこの世に混乱を起こそうとしているだけだ。なのになんで、あんたは奴に従うんだ?」
「……」
キリクの口元が歪んだ。仮面に覆われていない部分だけでも、その顔が苦痛に満ちているのは見てとれた。
「俺達は皆、陛下の手によりこの世に転生された。それ故に陛下の命には逆らえん。そういう契約がなされているのだ」
「なら、俺達がラージャルを倒す。それに協力してくれ」
訳の分からないものを見たように、キリクが目を見開いた。
「正気か? 俺は陛下の命に逆らえんという話を聞いていなかったのか?」
「なら命令に逆らわない範囲でいい。何かできる事をしてくれよ。あんただってこれが正しいと思ってないんだろ?」
困惑するキリクにお構いなしに、ミカヅチは話を続けていく。無茶を言っているとはミカヅチ自身も感じている。だが言わずにはいられなかった。
「あんたは英雄だ。ヒーローは世の中の為に、自分の力を捧げられる人の事を言うんだ。これが正しいと思ってないなら、変えなきゃ駄目だ。あんたは死んでも英雄だって信じさせてくれよ」
数秒の沈黙の後、キリクは口許を軽く緩め、笑った。
「無理だ、巨神の子。俺にはできんことだ」
「キリク!」
「どちらにせよ、陛下は巫女を手に入れた。明日にはこの地で陛下は数万の兵を得る事だろう。誰にも止めることはできん。諦めるのだな、俺もお前も」
なおも頼もうとしたミカヅチの前で、キリクが再び構えた。全身から猛烈な殺気があふれ出し、ミカヅチを圧倒する。
「くそ……!」
「お前は私に勝てない。それで陛下に勝てると思うな」
ミカヅチも構えた。全身が総毛立ち、骨まで痺れるようだった。クロウと二対一で果たしてどこまでいけるだろうか。勝つ手段も思いつかない。だがやらないわけにはいかない。
二人の間の空気が殺気によって行き場をなくし、流体から固体に変わっていくようだった。不用意に動けばこの空気がガラスのように割れ砕け、動いた者を襲うのではないか。
唾を飲む。どうせならこの伝説の男とは、こんな殺す殺さない以外の話をしたかった。
張り詰めた気配が限界に達しようとしていた。二人が動き出そうとしたまさにその瞬間、
「ぬがあぁーッ!!」
部屋中に響く咆哮と共に、ドマが弾かれたように立ち上がり、ミカヅチに襲いかかった。キリクを前に反応が遅れたミカヅチの脇を掴み、持ち上げる。
「許さんぞ、キリク! こいつは俺の獲物だ! 俺に屈辱を味合わせたこの怒り! この恨み! こいつを潰さずに消えることなどできるか!」
仮面の裂け目から青白い光がこぼれるのをそのままに、ドマの両手がミカヅチの肋骨を締め付ける。鋭い爪が食い込み、脇腹の肉をえぐっていく。断末魔、ドマはこの世から消える直前の最後の力を振り絞り、ミカヅチにぶつけていた。
「ミカヅチから離れろ! Beware My Order!」
クロウの呪文と共に光弾がクロウの周囲に生まれ、ドマに向かって放たれる。光弾はドマにぶつかると鉄球が衝突したような音を立ててドマの体を揺らした。しかしそれでも、ドマの腕から力が抜けることはなかった。
激痛にわめきたくなる体と頭を心で必死に押さえ、ミカヅチは両手に持った双根の先端を、ドマの顔面にたたきつけた。
「があぁっ!」
裂け目からこぼれる光の量が一輝に増える。激痛に吼えながら、しかしドマの腕は力を緩めない。
ミカヅチは痛みを力に変えて、何度も棍を仮面に叩きつける。叩き、吼え、叩き、吼える。
「だあぁっ!」
ミカヅチも吼えて、更に一撃を加える。その時、ついに仮面は真っ二つに裂けて、音を立てて床に転がった。
「うぉ! ぬ、が……タ、巨神の子ォ……!」
ドマの手から急激に力が失われていく。ドマはミカヅチの体から手を放し、代わりに自分の顔を抑えた。激痛を必死にこらえるように食いしばり、身震いして悶える。
「俺の名前は、ミカヅチだ。消える前に覚えとけ」
ドマの素顔を睨み据えながら、ミカヅチは言い放った。
やがてドマの全身から、光が弾けて消えた。後には元に戻った一輝の体だけがあった。
力が抜けてその場に倒れようとする一輝を、ミカヅチは抱きとめるようにして支えた。
「一輝! 大丈夫か……!」
声を出すだけで傷が痛み、顔が引きつった。ドマのつけた爪痕は深い。巨神の加護により傷の治りも早く、巨神の戦装束は傷をふさいでくれるとは言え、すぐに痛みを感じなくなるというわけにはいかない。
はっとして、ミカヅチはキリクに目を向けた。今襲われれば何もできずに殺される。だがキリクは目して語らず、ミカヅチの姿をただ見ていた。
片膝立ちで一輝を床に下ろし、右手で棍をキリクに向けて牽制する。ドマのせいで闘いに邪魔が入りはしたが、キリクとの闘いは終わっていない。
ミカヅチは注意してゆっくりと立ち上がり、一輝の前に出た。クロウも地に降り、キリクを牽制する。傷と倒れた一輝の分、状況は更に悪化している。キリクは果たしてどう動くのか、緊張で首筋を汗が流れた。
やがてキリクは動き、ゆっくりと構えを解いた。
「……?」
予想外の反応に、二人の顔に疑問符が浮かぶ。キリクは相変わらず感情を表に出さずに口を開いた。
「私の受けた命は、ドマを手助けすることだ。ドマが敗れた今、これ以上お前達と戦う意味もない」
「キリク……」
「お前達がどう動こうが、私の知ったことではないし、どちらにしてもお前達は陛下には勝てん。あの巨神の娘もな」
そのままキリクは身を翻し、部屋を後にした。後に残ったミカヅチ達の脳裏に、キリクの言葉が呪いのように残っていた。
「ティターニア……」
闘いで昂揚した気持ちが収まっていくと共に、不安がまたこみ上げてくる。今まで考える暇のなかった事実がミカヅチの心を締め付ける。
今最も危険なのは彼女だ。




