28.ミカヅチ対ドマ
「砕けろ!」
ドマの拳が唸りをあげてミカヅチに襲い掛かる。
ミカヅチは棍を揃えて防ぐが、成人男性の頭ほどもある拳の衝撃を殺しきれず、後方に足踏みする。
「うわ」
「死ね!」
ドマが追撃にかかった。左の貫手が鉄槌の重量とカミソリの鋭さで、ミカヅチの体を引き裂こうと迫る。
体をひねってかわす。貫手に引っかかったジャケットが引き裂かれて、切れ端がちぎれ飛ぶ。一撃でもあたれば終わりだ。爪の威力は以前よりも更に強くなっていた。ドマの言ったとおり、一輝の肉体がドマの魂に高く適合したという事なのだろうか。鉄まで引き裂きかねない。
部屋は今日は使う予定がなかったのか、特に何も置かれておらずがらんとしている。ミカヅチとしてはありがたかった。邪魔なものがないし、何より備品を壊してどうこう言われる事がない。もっとも、この部屋自体がどこまで壊れるかは分からないが。
ミカヅチはドマと距離を取り、棍を重ねて一本の長い棍へと形を変える。あの巨体に対抗する為には、せめて射程の長い武器を持って有利を取らないと厳しい。
ドマは狼のように唸り声をあげてミカヅチを威嚇した。
「先日の屈辱、今こそ晴らさせてもらうぞ小僧」
「日時と場所を打ち合わせしてから来てくれよ」
ぼやいてはみるものの、ミカヅチの脳内は状況をどう打開するか、高速で働いていた。ドマを倒すにはあの仮面を破壊しなくてはならない。傷をつけても一輝の体には影響はないか、そもそも一輝は戻れるのか、ティターニアは無事だろうか……。
ミカヅチの気持ちを無視して、ドマは突進する。ミカヅチは足を止めたまま待ち構えた。高速で突っ込む四トントラックの前に立ちふさがるような覚悟が必要だった。
タイミングを計り、完全な間合いで振り上げられたミカヅチの棍は、ドマの顎に向かって真っすぐ叩き込まれる。
「フン!」
直撃するかと思われた棍の先端は、ドマの太い腕に阻まれた。止まらずにミカヅチは連撃を放つ。止まればこちらの負けだ。
右脇腹へ横薙ぎ、左肩への袈裟切り、神速の二撃をどちらも太い腕に弾かれ、鈍い衝撃が手を痺れとなって襲う。
「くそ!」
更に脳天に向かって振り下ろす。常人なら反応もできない一撃が当たる直前に、ドマは巨体に似合わぬ俊敏さで前に出る。
予想と違う音がした。棍が頭に当たるより先に、ドマの手が棍の根本を掴み、受け止めていた。棒を振り回したなら、当然先端よりも支点に近い方が遅く、威力も弱い。
「動きはいい。だが俺の相手をするには非力!」
まずい、と思った瞬間、ミカヅチは吹き飛ばされていた。ドマの丸太のような蹴りがミカヅチの腹にめり込み、肺から息が無理矢理吐きだされる。
「ぐぇっ!」
上等なカーペットの上を数メートルは転がった。咳き込みながら必死に立ち上がろうと体に命令する。体中が痺れてふらつくが、言い訳していたら死ぬだけだ。
「ハッ!」
ドマは手に持った棍を捨て、ミカヅチに向かって走った。中腰になっているミカヅチの頭を目掛けたサッカーボールキックを、ミカヅチは顔の前で腕を構えて防ぐ。
構わずドマは蹴った。腕で衝撃を殺しきれず、頭に足がぶつかる。またしてもボールのように転がりながらも手を伸ばし、勢いを利用して回転し、なんとか両足で立った。
刃物が突き刺さるような痛みに、ミカヅチは頭を押さえる。それを見るドマの仮面の隙間から、壮年の男の怒りと、それを吐き出す愉悦が見えた。
「どうだ。これが俺の真の力だ。この鎧の如き肌と剣の如き爪。冥府より蘇り、新たな力を得た俺に敵はおらん!」
「人間やめて、化け物になって蘇ってまで、やりたい事が力自慢なのかよ、この野郎!」
ミカヅチは吼えた。体中に怒りが沸き上がる。
「秋山の体も、一輝も。お前達は他人の人生を自分の為に無理矢理奪おうとして、それが当然だと思ってる。自分の夢の為、欲の為、野心の為にだ! 頭にきたぜ、偉大なる巨神の名に懸けて、必ず、お前たちを全員正してやる!」
「ほざけ!」
再度突進するドマに対し、ミカヅチは前方に右手を突き出した。何かの術かと気にすることもなく、ドマは走る。
そのドマの背後から高速で飛来した物体が、ドマを追い越してミカヅチの手に収まった。
「!」
ミカヅチは引きつけられた棍を掴む。放たれたドマの必殺の右貫手を、ミカヅチは左に回転しながら跳んでかわした。
引きつけた棍はミカヅチの手中で巨大な鉄槌と変え、回転の勢いを利用してドマの側頭部に打ち込んだ。
「ガッ!」
金属を打ち付ける音がして、ドマの姿勢が大きく揺らいだ。無敵の鱗が鎧となって全身を覆い、肌が鉄の硬さを持っていたとしても、重量物の衝撃を吸収するには限界がある。
「一輝の体から! 出ていけ! この野郎!」
語気も荒く、ミカヅチは一メートル以上の柄を持った巨大なハンマーを振り回す。ドマの頭はハンマーよりも硬い音がした。
狙うのは仮面、それを砕けばジャグー・バンの時のように、一輝の体からドマを引き離せるはずだ。あとは一輝の体に被害が少ないのを願うしかない。
「があぁっ!」
ドマが吼えた。ミカヅチの打撃を受けながらもその攻めは止まらず、ミカヅチに向けて拳を放つ。体を捻ってかわして、ハンマーを空いた脇腹に打ち込む。さすがにこたえたか、ドマがたたらを踏んで後退した。
隙を見逃さず、ミカヅチはハンマーを戻す勢いを利用して回転し、全力を込めてドマの仮面にハンマーを撃ち抜いた。
直撃の衝撃が手に伝わり、骨まで痺れさせる。爆発的な破壊力に流石のドマも片膝をついた。
「たい、タンの子ォ……!」
ドマの気迫のこもった声に、ミカヅチはまだ終わっていないことを悟った。ハンマーがドマの顔面を叩く直前、柄の軌道上にドマの腕が間に入り込むことで、その破壊力を完璧に伝えることができなかった。
ドマが凄絶な笑みを浮かべながら、両腕でハンマーを掴む。普通ならば武器を掴まれた場合、取り戻そうと力を込める。相手に効果的とわかっているならなおさらだ。
しかしミカヅチはドマがハンマーを引っ張ろうと力を込めるのに逆らわず、逆に力を抜いて手を放した。
「!?」
ハンマーを投げ捨てたドマ自身が、驚きの顔を見せる。ドマが武器を奪おうとして生まれた隙に、ミカヅチはドマの膝を踏み台にして顔面を蹴り飛ばした。
「ガッ!」
ドマの顎に小気味いい程に決まり、ドマの上体が大きく仰け反る。その隙にミカヅチは着地し、両足を開いて弓を引くように右拳を大きく引き絞る。
「せいぃっ!」
今度はドマも防ぎきれなかった。
ミカヅチが放った拳が弾丸のようにドマの顔面に打ち込まれる。拳から放たれた巨神の力の奔流が閃光となり、ドマを貫いた。
「ごっ……ごぉ……!」
吐き出される断末魔の喘ぎと共に、ドマの巨体は力を失い、仰向けに倒れた。震動が室内を揺らした後、ドマが動かなくなったのを見て、ミカヅチはようやく大きく息を吐いた。
体中の筋肉が震えていた。いくら巨神の加護があるといえども、ドマの無茶苦茶な怪力に真っ向から立ち向かう為に酷使した体は、かなりの疲労を訴えてくる。
ミカヅチは距離を保ちつつ、ドマの顔を見下ろした。赤黒い仮面は縦に大きく裂けて、そこから青白い光が、傷口から流れる血のようにこぼれ、大気中に溶けて消えていく。今はラージャルもいない。この間のアイオーナのように仮面は戻す事はないだろう。このまま置いておけば仮面は砕け、その体も一輝に戻ってくれるはずだ。
(戻る前にきっちり、仮面を割っとくべきか)
捨てられたハンマーを棍に変えながら手元に引き寄せる。ドマの顔に向かって下ろそうとしたところで、部屋の外から切羽詰った声が耳に届いた。
「……ばい……ばいやばいやばいヤバいィ!」
先ほどドマが破壊した扉の奥から、黒い影が矢のように真っ直ぐ飛来して中に入ってきた。影はそのまま飛ぶように駆けて、部屋の中央にいたミカヅチを見つけると泣きそうな顔でミカヅチの背後に着地する。
「クロウ? 何してるんだよお前」
「いいから前見て前!」
刹那、全身の神経が警報を鳴らした。ミカヅチは瞬時に棍を盾に変える。
次の瞬間、クロウの後を追ってきたらしき新たな影が、ミカヅチに向かって迫った。
「ぬん!」
気合一閃、影が放つ刃を、ミカヅチは何とか盾で防ぐ。鋭い金属音が耳をつんざき、盾ごと潰されるかと思う程の強力がミカヅチを襲う。
「ヒュッ!」
鋭い呼気と共に刃が引き抜かれる。ほとんど勘で盾の向きを変えると、瞬きする間もなく刃が横薙ぎに振るわれた。
刃と盾がぶつかり、火花が散る。巨神の加護を受けた武具ですら、この斬撃の前には真っ二つにされそうだ。
このままではまずい。
「クロウ! 右だ!」
叫ぶと共にミカヅチは右に跳んだ。反応してクロウもミカヅチにあわせて跳び、二人で距離をとる。
「Beware my order!」
呪文と共に、巨大な氷壁が影の周囲に生えていく。このまま放置すれば永久氷壁に閉ざされた古代生物のごとく、動きを永遠に止めることになるだろう。
「ぬん!」
だが次の瞬間、影が動くと同時に光の筋が無数に瞬き、氷壁はあっさりと切り裂かれて無数の氷塊となって崩れ落ちた。床に転げ落ちた氷は生まれたときと同じく高速で霧消していく。
その中心で、影──キリクは悠然と構えていた。
猫科の猛獣のようなしなやかな筋肉をまとった体から、異様な気配が発せられていた。不用意に近づいたものを有無を言わさず砕き壊す、巨大な瀑布のようだ。
ミカヅチは唾を飲んだ。先ほどの斬撃、もし数瞬ミカヅチの反応が遅れたら、盾を構えた位置が少しずれていたら、ミカヅチの体はクロウと一緒に、いくつかのパーツに分割されていたかもしれなかった。
「……生前に会った巨神の子ならば、今ので手足を二本は切断できていたのだがな」
ぼそり、とキリクが言った。
「あれを防げるとは、巨神の加護が強いのか、お前の技量が高いのか。両方かな」
「……伝説のキリクに褒めてもらえるとは光栄だね」
声が少し上ずっているのを、ミカヅチは感じていた。クロウもいつもの元気がなく、困惑気味の声を出した。
「この人本当やばいんだよ。ボクが火出したり雷落としても、かき消したり捻じ曲げたりするんだよ? 雷を剣で曲げるってそんなんあり?」
「この人がやれても俺は驚かないよ。あの剣聖キリクだ。タイタナスの歴史上でも最強と謳われる戦術家で武術の達人だ」
双棍を構え、ミカヅチは相手を見据えた。キリクは特に動きを見せない。銀の仮面に隠れた顔からは、表情や心の動きは全く読み取る事ができなかった。




