27.絶体絶命
ラージャルの長い指が、那々美の首筋をからかうように愛撫する。力を使い果たしたのか、那々美の体からは既に光が消えていた。
那々美が目を覚ましたら、今のこの状況をどう思うだろう。己の力を利用され、世に混乱を撒き散らす手助けをさせられる。
(ふざけるな)
ミカヅチの心が怒りに燃え上がる。それを感じ取ったかのように、白い仮面の軍団が、ラージャル達を守るように陣形を取って構えた。
その中から、一人の青年がふらりと前に出た。青年も仮面をつけてはいるが、体はどこも変異を見せていない。夢遊病患者のように、その足元はふらついていた。
顔は見えないが、その服装と体格に、ミカヅチは見覚えがあった。
「一輝?」
やはり、一輝もラージャル達に捕まり支配を受けていた。怒りが更に膨れ上がる。そんなミカヅチの前で、一輝は体を何度か左右に揺らすと、やっと自由を取り戻したかのように、大きく体を震わせた。
「どうだ、ドマよ。新しい体を得た気分は」
ラージャルの声に、一輝の体が反応した。
「はい、陛下。俺にあった完璧なる肉体。まさに生まれ変わった気分にございます」
一輝から発せられた声は金属のように重く低い声で、まさに別人だった。博物館で聞いた、あの魔人と同じ声だった。
「ぐはぁ……!」
一輝が、否、ドマが吐いた呼気と共に、一輝の肉体が変わっていく。腕が、足が、全身が筋肉に膨らんでいく。肌を鋼のように硬い鱗が覆っていく。服は溶けて消え、肉の内側から胴鎧と足甲が生え、形を成していく。
そして白い仮面は泥のように滑らかに崩れ、悪鬼の如き凶悪な面頬の形を取った。一輝の百七十センチそこそこの巨体が、ものの数秒で二メートルを超える巨漢へと生まれ変わっていた。
ドマが全身の筋肉に力を込め、吐き出すように地面を踏みつける。すさまじい破壊音と共に、コンクリートの床が数メートルにわたって、巨大な亀裂を作った。
「我が肉! 我が力! 今こそ完全に復活せり!」
瞬間、弾かれたようにドマが雄叫びをあげて突進する。階段を駆け上がり、瞬く間にミカヅチに向かって体当たりを仕掛ける。
「!」
まるで巨大な砲弾のような一撃にミカヅチはなんとか反応する。両腕をあげてガードした次の瞬間に、衝撃が全身を襲った。
「ぐっ!」
全身が爆発したかと思うような一撃に耐えきれず、ミカヅチの体が吹き飛ばされた。
廊下と水平に飛ばされ、数メートル後方で着地する。姿勢を整えると、既にドマは目の前まで来ていた。
「ハァッ!」
鉄のように硬いドマの鉄拳が迫る。左の手甲弾くが、それでも腕が痺れる。
このまま手を出さないと押し込まれるだけだ。ドマが左のアッパーを放つのに合わせて、ミカヅチはサイドステップで拳をかわした。ドマが腕を戻すより早く踏み込み、右手の棍でドマの側頭部を打つ。
鉄を叩く音がした。以前に戦った時の事を考え、常人なら骨が砕けるだけの力を込めた一撃だった。しかし今のドマには、それでも全くダメージを与えられていない。
「ぬるい!」
吐き捨てながら放つドマの爪を、左手の手甲で防ぐ。更に連撃を加えるのかと思ったミカヅチだったが、その途端に体が引っ張られた。突然で巨大な力によって、ミカヅチの体が一気に振り回される。
「うわあっ!」
爪で突くのではなく、腕を握って力任せに振り回しているだけだというのに、八十キロを超えるミカヅチの体がタオルか何かのように軽々と回される。安全装置なしに絶叫マシンに乗っている気分だ。
そのまま勢いをつけて、ミカヅチの巨体が放り投げられた。
ぐるぐると回転する視界で、飛ぶ先にあるものをなんとか認識して衝突に備える。
衝突の瞬間、ぶつかったドアは蝶番がちぎれた。ミカヅチはドアと共に室内に放り込まれ、何度も転がった。
先ほど降霊会を行った会場と似た作りの多目的ホールだった。床に這いつくばったミカヅチは、何とか立ち上がろうと四つん這いになる。
何度かむせた。回転と衝撃で目眩がする。ドマの体を包む鱗の硬さ、腕力、スピード、どれも桁違いだ。間違いなく、以前会った時よりもドマの力は強くなっている。
「どうした、巨神の子。本気の俺にはついてこれんか!」
ドアのなくなった入口を潜りながら、ドマが嘲笑する。
「くそっ!」
立ち上がりながら、ミカヅチは大きく息を吐く。那々美も一輝も敵の手に渡ったこの状況、打開するのは非常に骨の折れる仕事だ。
それでもやるしかない。
─────
ミカヅチを吹き飛ばしていくドマを、ティターニアは追いかける事ができなかった。
気持ちでは今すぐにでも追いかけたかったが、目の前に集まった軍勢がそうはさせてくれない。 ミカヅチを追おうと一歩でも動けば、その隙を見て攻め込まれるだろう。
ラージャルは廊下の奥に消えていくミカヅチ達を見て、苦々しげに舌打ちした。
「ドマの奴め、興奮しすぎだ。あれでは暴れ牛と変わらんな。巨神の子を殺すなという余の命を忘れたか?」
ラージャルは隣に不動のまま立っていたキリクを見やった。
「キリク。ドマを手伝ってこい。やりすぎて巨神を殺さんようにな。奴の体の相性も試してみたい」
「は」
キリクは短く答え、ティターニア達がいる階段とは別方向に走り、跳躍する。敷居をまたぐような気楽さでキリクは吹き抜けの二階の手すりを飛び越え、別の通路の陰に消えていった。
(いけない)
ティターニアは舌打ちした。先ほどのドマの力強い動きを一見しただけでもその力は分かる。おそらくミカヅチと互角以上。それに加えて剣聖と名高いキリクが加勢すれば、ミカヅチに勝ち目はない。
ティターニアは隣のクロウに軽く視線を移した。
「クロウ、お願い。ミカヅチの援護に行って」
「え? でも、それじゃこっちは?」
「なんとか時間を稼ぐ。あの子を助けてあげて」
言葉の重さから危機を感じとったか、クロウはそれ以上何も言わずに頷き、踵を返して駆けだした。
「ほう、巨神の子の援護に行かせたか。しかしそれで良いのか? 貴様とて我らの狙いの一つなのだぞ、巨神の娘」
ラージャルが嘲るように笑う。ティターニアは応えず、腰の双棍を抜いて構えた。
数が多すぎる。アイと警察に連絡はしたが、ここに辿り着くまでに何分かかるだろうか。今のティターニアにできるのは、たった一人でラージャルとその配下を全て相手にして、ミカヅチ達が戻ってくるか、警察と他のヒーローが到着するのを待つだけだ。
絶望的と言わざるを得ない状況。だがそれでもティターニアの闘志が萎える事はなかった。自分を信じる弟子と共に戦う中で、無様な姿は見せられない。
ラージャルもその闘志に反応したらしく、抱えていた那々美を近くの兵に預けた。
「なるほど、分かりやすく、いい返答だ」
「陛下、どうぞあの女の相手はこのラクタリオンに。先日相手をした際に仕留められなかった不覚、今こそ雪ぎたく」
「いえ、陛下。ここは私が。あのような跳ねっ返りの女を屈服させる術は知っております故」
ラクタリオンとアイオーナ、ティターニアに敵意を向ける二人を、ラージャルは両手を広げて制した。
「よい。ここは余が相手をする。お前達はあの女が逃げられんように周囲を固めろ」
「……ずいぶんな自信ね。現世に蘇った喜びで、危険を顧みなくなった?」
強気の姿勢を崩さないように心がけながら、ティターニアは言った。ラージャルも挑発にのらず、余裕の姿勢を崩さない。
「言うではないか、巨神の娘よ。だが余は相手を見誤りはせん。貴様の実力、恐らく歴代の巨神の子の中でも一級品。だが軍神アルザルと契約を結んだ余には及ばん」
ラージャルは両の拳を握ると、全身の筋肉を緊張させる。それと同時に、ラージャルの服に変化が起きた。先ほどの一輝からドマへの変身と同様に、高級そうなスーツが解けるように姿を変えていく。
首から下を黒い光沢のある衣がぴったりと覆っていき、その上から鎧を思わせる程にラインの入った黒に赤のラインが入ったコート、暗赤色の手甲と足甲が生まれていく。先日遭遇した時と同じ、ラージャルの戦装束だ。
「さあ、余を落胆させるなよ、巨神の娘」
ラージャルの戦意が一気に膨れ上がる。これまでの戦いで、死を覚悟した相手は何人かいた。それに勝るとも劣らない殺気と実力の気配を、ティターニアは感じていた。
落ち着いて、とティターニアは自分に言い聞かせる。心の動揺に飲まれてはならない。頭は冷静に、心は熱く、目の前の敵と戦う事だけを考える。
「偉大なる巨神の名に懸けて、外道は正す!」
「そうだ、そうこなくては」
今まで何人もの悪党を震え上がらせた気迫の言葉を、ラージャルは楽しそうに受け止めた。




