19.妖樹の魔女
影──ラージャルが手を上げて制止させると、声はぴたりと止んだ。
「それで、アイオーナ。どうやらこの場に、相応しくない者が現れたようだ」
「はい、陛下」
アイオーナは短く応えると、周囲をゆっくりと見回し始めた。
ミカヅチの体が硬直する。ミカヅチ達の体は見えていないはずなのに、アイオーナは殺意をあらわにして険しい表情を造る。ウェーブのかかった赤髪が重力に逆らい、大輪の華のように広がってチリチリと静電気の音を立てる。
直感で分かった。このままだとまずい。
「そこか!」
アイオーナが突き出した手から、無数の枝のような触手が生えた。それよりも一瞬早く、ミカヅチはクロウと一輝を掴み、抱えたまま跳躍した。
「おわぁ!」
一輝が叫ぶ。叫びはミカヅチによる突然の跳躍か、それとも妖女から放たれた一撃か。触手はまっすぐ伸びながら巨大な塊に膨れ上がって、先ほどまでミカヅチ達がいた場所に激突した。
樹木の塊が通路の柵だけでなく、通路と壁を巻き込んで破壊する。ミカヅチは輪を作っていた四駆車のうちの一台の、屋根の上に着地した。先ほどまで自分達がいた場所を見上げる。直径二メートルはある枝の塊によって、通路を構成していた鉄骨や鉄板はぐしゃぐしゃにつぶれ、壁には穴が開いていた。
ミカヅチは安堵の息をついた。反応が遅ければ皆、あのスクラップの仲間入りだった。
「ちょっと、離してよォ」
「化けモンだ、あれ……」
思いのままに口にするクロウと一輝から手を放し、ミカヅチは腰の双棍を引き抜いた。
闘技場となっていた円にいた仮面の男達が、敵意を露にして身構える。円の中心にアイオーナが、アイオーナを中心にしてミカヅチから対極の位置に剣の男が位置する形だ。そしてその奥に、声の男が立っていた。
背は剣の男と同程度、百九十センチ近くはあるだろう。身に付けているネイビーブルーのスーツはおそらくフルオーダーで、きっちりとしたたたずまいはまるで鎧を身に着けているようだ。ダークブラウンの髪をオールバックにし、わずかに前髪をたらしている。そしてその顔に当てられているのは、先日ミカヅチが目にした、あの黄金の仮面そのものだった。
「ラージャル……! 本物の、ラージャル……?」
ミカヅチがうめくように言った。ラージャルはミカヅチを頭から足まで見やると、楽しそうに声をかけた。
「その格好、その身にまとう気配。はるか昔に見覚えがある。そうか、ドマとラクタリオンが言っていた巨神の子とはお前のことか」
「そうだ。俺の名はミカヅチ。偉大なる巨神の子」
「ほう」
ラージャルは愉快そうに声のトーンを上げた。
「面白いものだな。このような極東の地で、余が転生したと同時期に巨神の子が生まれるとは。これも運命というものか?」
「転生、転生って。生まれ変わったっていいたいのか? お前は本当に、あのラージャルなのか?」
「いかにも、軍神アルザルと契約を結び、冥府の底より帰還せしもの、我こそラージャル一世である」
ラージャルの言葉には一片の躊躇いもなかった。少なくともこのラージャルを名乗る男は、自分が過去の英雄と同一人物であることを完全に信じている。
「そういえば、先日たわむれにジャグーを転生させたが、騒ぎも起きずにすぐに冥府に舞い戻っていたな。あれも貴様の手によるものかな?」
落ち着きを取り戻した一輝が、その言葉を聞いて顔を険しくする。
「お前が……コウを!」
「ドマとラクタリオンの邪魔をし、ジャグーを退治し、そして今は我らの居場所をどうにかしてかぎつけた。偶然か?それとも貴様の信奉する巨神の導きによるものか?」
「どちらでもかまいませぬ。邪魔者は消すまで」
声と共にアイオーナの両手がざわめいた。いかなる魔術か、白魚のように美しかった指は無数の触手に変わり、脈動してうごめいている。
「やれるか、アイオーナ。若いがドマとやりあえる程の手練れだぞ」
「ハッ、あのような猪とは違います」
あざ笑うアイオーナにラージャルは頷く。そして隣の剣の男に顔を向けた。
「お前はどうだ、キリク。やってみるか」
(キリク!?)
ミカヅチの脳裏に衝撃が走った。ラージャルの時代、当代最強と謳われた将軍の名だ。武術にも優れてその実力から剣聖とまで呼ばれており、ラージャルと同様様々なフィクションの題材にも選ばれている。逸話が正しければ、一対一ならばラージャルよりも危険な男だろう。
キリクは不動のまま動かず、ぼそりと声を出した。
「アイオーナがやるというのであれば十分でしょう。私は不要と思いますが」
「つまらん奴だ。せっかく蘇ったのだ、もっと楽しんではどうだ? まあいい。やれ、アイオーナ」
「はっ!」
応じると共に、アイオーナの姿が変わった。スーツが体に溶けるように消えていき、代わりにダークブルーのスケイルメイルが体を包む。無数の小片が首から下を隈なく包み、両腕の枝は更に凶悪にねじくれていく。
刃物ののように鋭い笑みを浮かべたアイオーナに従うように、白い仮面の男達が各自構えた。
ミカヅチが予想していた最悪の状況を、遥かに超える展開となっていた。何はともあれ、この状況で優先すべきことは決まっている。一般人を逃がす事だ。
「クロウ、一輝を頼む!俺が時間を稼ぐから!」
「もう、しょうがない!」
言い争う時間もないのはクロウにも分かっているのだろう。クロウは一輝と肩を組み、一輝共々飛び上がり逃げようとする。
その瞬間、突然炎が吹き上がって天井一面に壁を作った。
「わッ!」
クロウは驚いて急停止し、炎から離れようと元の位置に戻る。
ミカヅチは自分の目を疑った。四方にあった松明の火が巨大な蛇のように鎌首をもたげ、物理法則を無視して宙に広がっていた。
「逃げる気か、魔術師。それもいいだろう。抱えている友人が炭になるか、その前に逃げ切れるか、試してみるのも悪くなかろう」
ラージャルが指を鳴らすと、炎蛇は巣穴に戻るように勢いをなくし、元の松明の火へと戻った。ミカヅチは息を呑んだ。ドマやラクタリオン、アイオーナと同様、このラージャルも人の枠を超えた超人、いや魔人となってこの時代に舞い戻っている。むしろラージャルが魔人だからこそ、彼の手によって転生した者達も魔人となっているのかもしれない。
逃げる事は難しい。ならば戦うしかなかった。
「偉大なる巨神の名にかけて、外道は正す!」
自分に最も力を与えてくれる掛け声と共に、ミカヅチは車を蹴って駆け下りた。最も近くにいた男に向かって飛び蹴りを放ち、肩口を蹴り飛ばす。着地したところに左から男が来た。放たれた右拳を体を捻って避け、カウンターで左手の棍で首筋を叩く。
痛烈な一撃に男が吹き飛ぶのを見もせずに、近寄ってきた男に向かって左の横蹴りを叩き込む。直撃を受けた男はくぐもった悲鳴を上げて吹き飛んだ。
次は、と考えた瞬間、ぞくりと背筋に悪寒が走り、ミカヅチは右に跳んだ。
「ジャアッ!」
怒声と共に、無数の枝が塊となってミカヅチのいた場所を通り過ぎた。塊はそのまま背後にあった車に直撃する。二トン近くあるはずの四駆車は、その衝撃で五メートル程地面を滑った。
「わっち!」
滑った車の屋根に乗っていたクロウはなんとかバランスをとり、一輝と共に地面に降りる。男達が五人、クロウと一輝を襲わんと群がった。
「クロウ!」
「お前の相手はこちらだ!」
アイオーナの手から、肩から、彼女の体よりも巨大な枝が高速で生えて四方からミカヅチに迫る。ミカヅチは両手の棍を合わせて軽く念じた。瞬く間に棍は姿を変え、銀一色のシンプルな槍斧へと変化する。
全身に力を込めて、ミカヅチは迫る枝に向かって槍斧を振り回した。鉄骨もへし折る枝の群れも、巨神の加護を受けた武具の前には対抗しきれない。一振りごとに切り裂かれ、あたりに飛び散る。
焦れて舌打ちしたアイオーナが右手を突き出すと、その手が文字通り伸びた。ミカヅチの心臓に向かって伸びる鋭い枝を体をひねってかわすと、背後にあった四駆に突き刺さり、鈍い音を立てた。
枝が縮んで元に戻り、車のフロントグリルにぽっかりと穴が開いているのを、ミカヅチは視界の端に捉えた。グリルからエンジンまで、あの枝は苦もなく貫いている。ドマが全身を鱗の鎧で覆っていたように、ラクタリオンが墨のようなものを人形にして操っていたように、アイオーナは自身の体を樹木に変える事ができるのだ。しかも速度は高速にして形状は自在、集めれば鉄骨も砕き、尖れば鉄板も貫く。まさに妖樹の魔人といったところか。
アイオーナは左手で枝を四方から生やして牽制しつつ、右手の枝の槍を高速で伸ばしてミカヅチを貫こうと迫る。枝を砕きかわし、ミカヅチは防戦一方となっていた。二人の距離は五メートルはあるだろう。近寄らなければ勝てない。
どうするかと考えたのと、行動に移したのはほぼ同時だった。
アイオーナの右手が伸びるタイミングを見計らい、ミカヅチは息を吐き、地面を蹴ってアイオーナに向かって走った。
「はっ!」
目の前に迫る右手に当たる直前にサイドステップして枝をかわしつつ、距離を詰める。伸びた枝を戻すまでの間に、アイオーナに近づいて一撃を叩き込むチャンスがある。ミカヅチは槍斧の刃を収めて棍へと変え、アイオーナの仮面に目掛けて棍を打ち込んだ。
「いぃ……やッ!」
幸太郎の時と同じなら、仮面を砕けば終わる。そう思っての一撃だったが、予想していたものとは違った感触と衝撃が、ミカヅチの手を襲った。
「な!?」
ミカヅチは目を見張った。振り下ろした棍は、アイオーナの眼前で受け止められていた。アイオーナの髪から生えた枝が折り重なって網となり、ミカヅチの一撃を防いだのだ。一本一本の枝ならば容易に破壊できる枝が、集まって絡み合う事で、受けた衝撃を分散している。
驚きに棍を戻すのが一瞬遅れた。髪が棍に絡みつき、塊を形作る。
「ヒャッ!」
アイオーナが奇声を上げたのを合図に、塊が宙に跳ね上がった。握っていた棍と共にミカヅチの体が宙に舞う。天井近くまで飛ばされたミカヅチの目に、下から枝の槍が針山のように伸びてくるのが見えた。
(やばい!)
背筋が痺れる程の恐怖を抑えて、ミカヅチは棍の形を変えた。細くなった棍は塊からするりと抜ける。そこから塊を蹴り飛ばし、衝撃で横に跳んだ。
動きに気付いたアイオーナが、枝の軌道を変えた。空中でミカヅチは棍を再度槍斧に構成し、追尾してきた枝目掛け、槍斧を振り回す。
危険な枝だけに集中して落下しながら切り裂いていく。斬り損ねた枝が体の端々を斬るが、なんとか無事に着地した。
目の前のアイオーナの姿は、妖樹による奇妙で巨大なオブジェのようだった。かわした枝の槍がに天井にいくつも突き刺さり、無残な穴を空けていた。
しゅるしゅると音をたてて体内に戻っていく枝を迎えつつ、アイオーナはミカヅチを一瞥して鼻を鳴らした。
「貴様のその白銀の戦棍、斧のまま私の頭に落とせば勝敗は決していたかもしれない。なのに貴様はそうしなかった。何故なの? 勝ちを確信した驕り?」
「倫理観とか美学って言ってほしいな」
「つまり、己の手を血で汚す覚悟がないという訳か。歴代の巨神の子が哀れだね。こんな腑抜けが今代の巨神の子とは」
「千年前の価値観に今の時代をどうこう言ってもらいたくないね。覚悟がありゃ何したっていいってわけじゃないや」
言い返しながら、ミカヅチの頭は次にどうするかフル回転していた。アイオーナは強い。それだけでなく、背後に控えるキリクとラージャルを相手しなくてはならない。向こうが余裕を見せて一対一で来るならともかく、途中で助力をしだしたらさすがに手に負えそうになかった。




