18.転生者の宴
直径十メートル程の円を描くように、四駆車が配置されている。その円の外周、東西南北の四か所に、一・五メートル程の高さの木が置かれている。木の高さはどれも二メートルほどで、中央部におおきな洞ができており、そこに松明が燃やされて、円内を照らしていた。
円の周囲には十人程の男が集まっている。皆思い思いの格好をしているが、顔を隠す白い仮面だけは同じだった。そしてその円の中心で、上半身裸になった二人の男が殴り合っていた。
その一角だけは夜の静寂を完全に忘れ、皆一様に興奮しており、何か邪悪な儀式めいた雰囲気があった。
「おい、見ろよ、あいつらの顔」
一輝が囁きながら指さした。一輝の言いたい事はミカヅチにも分かっていた。男達のつけている仮面は幸太郎がつけていたものと同じだ。つまり、ラージャルの黄金仮面と似たデザインをしていた。
「あのマスク、流行ってるってわけじゃないよね……」
クロウがつぶやく。言った本人も、まさかそんな事があるとは信じていない口調だ。
「那々美の話は間違いじゃなかったみたいだな」
ミカヅチは状況を確認しようと、通路を通って慎重に近づいていく。近づけば近づく程、男達の熱気が体を炙るようだった。
ふと、ミカヅチは気づいた。先ほどまでいた場所からはちょうど影になっていたところに、仮面の男達とは違う格好の男女がいた。
一人は赤い長髪の女で、大きな車に体を預けるようにして立っていた。肉感的な体をダークグレーのスーツで包み、シャツの胸元は大きく開けている。露出させた白い肌が、松明の灯りによって艶かしく輝いていた。短いスカートから伸びた足を時折物憂げに揺らしながら、闘いを退屈そうに眺めている。その仮面は男達と違って面長の顔の上半分を両目まで完全に覆い隠すデザインになっている。仮面の表面は樹皮のような質感でひび割れ、深い溝が幾重にも走っていた。
赤髪の女の隣には、ミカヅチより一回りは大きい男が、ネイビーブルーのスーツを着て立っていた。その見事な肉体とたたずまいには、英雄の彫刻が服を着たような美しさすらあった。その手には刃渡りと柄が同程度の長さのある、二メートルほどの巨大な剣が握られている。男の顔の右半分を覆う銀の仮面が、松明の光を浴びて煌めいていた。
周囲と違う仮面をつけた二人は、周囲の男達とは雰囲気も全く違っていた。古代の闘技場で戦う拳闘奴隷を見て楽しむ女貴族と、闘技場の絶対王者。ミカヅチは彼らからそんなものを連想した。
更に二人の後ろに、もう一人男がいるのにミカヅチは気付いた。車の間に用意された椅子に座っているらしく、ここからはわずかに伸ばした足が見える程度だ。何者かと見ようとしたところで、大きな歓声が上がった。二人の男の戦いに、決着がつこうとしていた。
金髪を短く刈った男の右フックが、長髪の男の顎にクリーンヒットする。長髪は倒れるのを何とかこらえるが、千鳥足でふらついている。金髪はチャンスとみて、一気に突っ込んだ。
何とか防ごうと両手を上げてガードを固める長髪に、金髪の連打が面白いようにヒットする。口内を切ったのか、長髪の仮面の口にある穴から血が流れ、仮面が赤く染まった。
試合ならばここで止められる状況だ。だが周囲はただ興奮に声を上げるだけで、誰も助けようとはしない。
グロッキーになって両腕も上げられなくなった男の顔に、金髪の鮮やかなアッパーカットが決まった。長髪の頭が上下に激しく揺れる。
あれで立つのは無理だ。そうミカヅチが思った通り、長髪は勢いよく床に倒れた。
長髪が二度、三度と痙攣した後、立ち上がらないのを確認して、金髪は勝鬨を挙げた。猛獣の吼え声のような叫び、観客の興奮の声がこだまする。勝者となった金髪の興奮が収まると、その場にいた者の視線は、次第に赤髪の女の下へと集まっていった。
女が車から手を離し、金髪へと近づいていった。仮面のデザインでは視界は完全にふさがれているだろうに、女はそんな障害はないらしい。そのまま真っすぐ金髪の男へと歩いて行く。金髪は肩で息をしながら、ぎこちなく片膝をつき、女に頭を下げる。まるで兵士が主君に頭を下げるようだ。
「見事です。今回の最終勝者はあなた。よくやりましたね」
女が金髪に声をかける。金髪は息を荒くしながら、どこか心ここにあらずといった風になりながらも答えた。
「ありがとう、ございます。アイオーナ様」
(アイオーナ……?)
ミカヅチはその名に心当たりがあった。ドマやラクタリオンと同じく、ラージャルの配下の一人として有名な女の名だった。当時の先進的医療を極めた医者であり、かつ優秀な拷問官だった。
アイオーナは細い手を伸ばし、男の仮面に触れる。額に指先を当て、愛の言葉をつむぐように甘い声色でささやいた。
「さあ、陛下。この者の体、お試しください」
次の瞬間、男が苦悶の叫びを上げた。
男の頭を掴んだ腕のいたるところから、松の枝を思わせる植物の触手が伸びていく。それは瞬く間に膨れ上がり、生き物のように男の体を縛り、埋め尽くしていった。
「さあ、陛下! いかがですか、さあ!」
アイオーナが喜悦の笑みを浮かべて、背後の男に声をかける。枝は固まりとなって金髪の体を埋め尽くした。もはや中にいる男が、どういう体勢を取っているのかすら分からない。
異様な光景に、ミカヅチ達も声を上げることすらできなかった。
金髪の全身を枝が埋め尽くした頃、アイオーナは腕を動かした。金髪の入った枝の塊が宙を伸びた、巨大な膨らみは銀仮面の隣を通り過ぎ、背後にいた謎の男の目前で止まる。
男は枝の塊に向けて手を伸ばし、動きを止めた。誰もが何も語らず、パチパチと炎の音だけが場内に響く。数秒が経った。不意に、男は何も言わず手を下ろした。
その反応に、アイオーナが残念そうに溜息をついた。同時に、先ほどの映像を逆回転するように枝の塊が縮み、アイオーナの体に戻っていく。
完全に触手が離れた所で、アイオーナは金髪の額に当てていた手を離した。バランスを崩したように、男はそのまま床に倒れた。
邪教の儀式を思わせる空気と妖女の振る舞いを目にして、この場にいる誰も恐怖におののきもしなければ、声を上げもしない。皆洗脳されているのか、正気を失っているのだろうか。異様な光景だった。
「そう上手くことは運ばんようだな、アイオーナ」
先ほど手を伸ばした男の力強い声がした。声の張りからは恐らくまだ青年といっていい年齢のはずなのに、その言葉の端々からは、人を従える魅力と尊大さが同居して主張していた。
アイオーナは声のした方を向き、頭を下げた。
「申し訳ありませぬ、陛下。強き肉体を持つ若者の中には、陛下の肉体に相応しきものがいるかと思ったのですが」
「よい。余もこのような遊戯の場で、完全な転生を遂げられるとは思っておらぬ。兵が一人増えた、それで十分よ」
男の声が鍵となったように、アイオーナの背後で倒れていた金髪が、突如体を痙攣させた。次第に震えが強くなり、突然、大きく体を跳ねさせる。この場にいる者にとっては見慣れた光景らしかく、誰も反応をしない。陸に上がった魚がのたうつようなその姿を、声も出さずに見下ろしていた。
やがて動きが止まると、男は何事もなかったかのように立ち上がった。男はぼんやりとした雰囲気で周囲を見回していたが、アイオーナ達を視界に収めると、気をつけの姿勢を取った。
「お前は何だ?」
アイオーナが尋ねた。
「はい、アイオーナ様。偉大なる我らの王の、忠実なる僕です」
「よろしい。転生は成ったようですね。下がりなさい」
アイオーナはくすりと笑った。
「おい、一体何が起きてるんだ?」
一輝が小声で言った隣で、クロウが一輝を半眼で見ながら軽く叩いた。
「ボクに分かるわけないだろッ。こっちが聞きたいよ。どう見ても体変わってるじゃん、あれ」
ミカヅチもそれには気付いていた。金髪の男の体は別人のように変化していた。先ほどの闘いで負った傷も消え、上半身の筋肉は倒れる前よりも二回りは太い。体毛も濃くなっていて、特に男の両手の毛はひどく濃く、熊か何かのような太い獣毛が生えていた。
陰にいる男が口を開いた。
「兵を集めるのはいい。だが、こうやって一人ひとりを転生させて集めるのでは限界というものがある。やはりあの巫女の力がいる。準備はできているな、アイオーナ」
「はい、陛下。日高那々美については既に手はずを整えております。このままいけば陛下に付き従う兵を皆転生させる事ができるはずです。全ては我らが王、ラージャル陛下の為に!」
声と共に、アイオーナが右拳を天に突き上げる。それを受けて、その場にいた男達が皆、右拳を突き上げた。
「ラージャル! 我らが王!」
「ラージャル! 偉大なり!」
「ラージャル!」
「ラージャル!」
「ラージャル!」
「おい、今の聞いたか……?」
男たちの歓声の中で一輝が思わず出した声を、ミカヅチは手を上げて制止させた。しかし気持ちは分かった。ミカヅチも思わず、一輝と同じ事を口走ってしまいそうだったからだ。ラージャルと日高那々美、今ミカヅチ達の周りにある重要な名前が、突然繋がって現れた。
ミカヅチはさらに、彼らの使う言葉の中に時たま入るフレーズに、奇妙なひっかかりを感じていた。
(転生……?)
字の通りに考えるならば、彼らは皆中世タイタナスからの転生、生まれ変わりだという事になる。そしてあの声の男──ラージャルは、それを自在に行っているという事だ。
ミカヅチの脳裏に、ジャグー・バンへと変身した幸太郎のことが思い出されていた。
目の前で変わった金髪のように、幸太郎のように。何者かが人の体に別の魂を送りつけ、体を乗っ取らせている。しかもそれの首魁はあの大昔の英雄ラージャルだ。
(嘘だろ)
自分で考えておいて、笑い飛ばしてしまいたくなるような内容だ。死者は蘇りはしない。それがこの世で決められた、誰も逆らえないルールだ。だがそれならば、今ミカヅチが目の前で語られているこれは、一体何だというのか。
とてつもなく大きな事件の前触れを、ミカヅチは目の当たりにしている気がした。自分達だけではとても足りない、アイに参加する大勢のヒーローの手が必要な事件だ。




