17.ファイトクラブ
梅雨時特有の生ぬるい空気が、月夜の中を漂っていた。天気予報では今日は晴れるという話だが、大としては予報が正しい事を祈っていた。コスチュームを着たまま傘もささず、雨に濡れるのはごめんだ。
葦原市の西部にある廃工場の前に、大と凛、そして一輝は来ていた。既にミカヅチと変身している大は、周囲に何かおかしなものはないかと目を配る。解体するのにも金がかかる為、国の開発計画変更の為など、放置されたままとなっている廃墟は意外と多いのだと、ミカヅチは今日初めて知った。
「それでさァ、本当にいるのかな? そのラージャルってやつ」
凛もレディ・クロウの姿をとり、怪しそうに呟いた。生足を見せながら雑草を踏みしめながら歩くのは辛そうだな、とミカヅチは思ったが、迂闊に言うとセクハラ扱いされそうなので気にしない事にした。
「それを調べに行くんだろ。那々美の力がどれだけ本物か次第だな」
「本物であってほしいよ。こんなとこにずっといたら、全身虫に刺されそう」
クロウは歩くのが面倒くさそうに軽く鼻を鳴らし、何か奇妙な言葉を口走った。それに応じて彼女の体が1メートルほど宙に浮き、そのまま糸で釣られた人形のように、浮いたまま移動していく。どうやら雑草に足を取られるのが嫌になったらしい。
大と那々美が会った際に、那々美は市内の地図を見せて、いくつかの場所を記した。那々美が言うにはその地点で最近、魂の世界からこの世界に関して、妙な力の働きかけやその残滓を感じるのだそうだった。
「偶発的に霊が現世に姿を見せる事で、こういった力が発生するという事もなくはないですが、私のように霊と触れる事ができる者がいなくては、ここまで霊の力が集中する事はありません」」
そう答える那々美は真剣だった。力の流れや残滓から、大体の場所や時間帯までを答えた那々美に礼を言い、大達はその地点を調べることにしたのだった。
立ち入り禁止の札が吊るされたロープをまたぎ、ミカヅチ達は工場の敷地内に入った。住宅地からも外れて、周囲に人気はない。ここならばちょっと騒いだくらいでは誰かに気付かれることもないだろう。危険な遊びをするにはうってつけの場所だ。
月明かりを頼りに奥に進んでいきながら、ミカヅチは足元に残っているものに気がついた。雑草も生え、周辺には誰が捨てたのかも分からない空き缶やゴミが散乱している。入りこむ者がほとんどいなさそうなこの地に、砂利が敷き詰められた敷地に真新しい車の轍がいくつも作られている。
「誰か来てるみたいだな」
ミカヅチはわずかに身を硬くした。
「そういや、ちょっと思い出したよ。この辺でやってるってイベントの噂」
ミカヅチとクロウの後をついて歩きながら、一輝が言った。
「高校の時の友達から聞いた噂なんだけどよ。最近夜に密かに、ストリートファイトをやってるグループがあるらしいんだよ」
「ストリートファイト? そんな噂を聞きつけるって、何かやばい連中なんじゃないの、その友達。悪いヤツとは大体友達ってヤツ?」
「やかまし」
クロウの茶化しにつっこみながら、一輝は話を続けた。
「それで、そのストリートファイトなんだけどさ。お互い金を持って集まって、喧嘩で勝った奴が総取り。ついでに主催者からご褒美がつくって話なんだが、参加者はみんな、正体を隠す為に仮面をつけろって命令されるらしいんだ。気になるだろ?」
「また仮面か……」
ミカヅチは嘆息した。内容自体は不良のやる危険なゲームといった感じだが、仮面という単語につい反応してしまう。
「ま、思い出しただけだよ。あんま気にしないでくれ」
とりあえず一輝の言葉は置いておいて、ミカヅチ達は歩を進めた。少し歩くと、やがてサッカーコートほどの広さの、天井が山型になった廃工場が見えてきた。入り口の巨大な鉄の扉は閉ざされており、中をうかがう事はできない。那々美の力と一輝の噂が本当なら、おそらくこの工場の中に人が集まり、何かを行っているはずだ。
ここからどうするか、ミカヅチは考えた。ミカヅチやクロウならたとえ鍵がかかっていても、おそらく壊して中に入るのは難しくないだろう。だが扉を開けようとしたら当然大きな音が立つし、中にいる者に見つかってしまうはずだ。今回は確認に来ただけだし、よほどの事件が起きていなければ騒ぎを起こすつもりはなかった。
具体的にどう入るか考える前に、ミカヅチは一輝の方に顔を向けた。
「一輝、こっから先は何かあったら危険だ。帰るなり、ここで待つなりしてたほうがいいんじゃないか?」
「何言ってんだよ。そんなん今更だろ。ついていきたいんだ。行かせてくれよ」
「でも」
「頼むよ。コウをあんな目にあわせた奴の顔が見たいんだ。な?」
秋山の名前を出されると弱かった。ミカヅチはクロウを見たが、クロウも一輝に同意するように頷いた。
「いいんじゃない? 今回はただの確認。危ないことはしないし、何か事件が起きてたら警察に通報。そういう事でさ」
「ありがとな、支倉」
「ここではクロウと呼んで。ボクはレディ・クロウだから」
それ以上強く止める言葉も思いつかず、結局ミカヅチも同意した。
「じゃあ行こう。クロウ、一輝を窓まで飛ばせるか?」
「楽勝だよ。さっさと確認してさっさと帰っちゃお」
そう言うとクロウは一輝の両腋に腕を差しこみ、そのまま何の抵抗もなく空に浮き上がった。
「うおぉ! すげえ!」
一輝の感嘆声と共に二人は空を舞い、五、六メートルはある工場の二階の窓へとたどり着く。窓枠自体が外れてしまっている窓を見つけると、二人はそのまま屋内に入っていった。
ミカヅチも後を追う。同じ窓の下まで行くと、軽く勢いを付けて垂直飛びの要領で跳躍した。宙で体を屈めて窓枠に着地する。窓のそばには連絡用の通路が工場の壁を伝って作られていたため、そのまま音をたてずに着地した。
ミカヅチは工場の中を見回した。かつては巨大な機械がうなりをあげて稼動していたのかもしれないが、今では機械は撤去されており、がらんとした場内に捨てられた廃材のようなものがちらほら転がっているだけだ。そして場内の奥の方に、光と音のあふれる区画があった。
そこには大型の四駆車が数台、輪になって並べられていた。ちょうど壁になるように配置している為に、車のライトや運転手達が持参したらしい照明の光が外に漏れにくくなっている。そしてその車の輪の中で、十人近い男達から様々な怒声、罵声が発せられていた。
「本当にあったんだ、ファイトクラブ……」
クロウが呟いた。聞こえてくる声の調子は、確かに一期が語っていたストリートファイトの光景を連想する荒っぽさがあった。
「こっからじゃ何をやってるのか、よく見えねえな」
一輝が目をこらして光の奥を見ようとしているが、ミカヅチ達の位置からでは車の壁で人のやり取りはよく見えない。
「近づいてみようよ。ミカヅチ、お願い」
「了解」
ミカヅチは頷き、意識を集中した。一秒とかからずにイメージが完成し、ミカヅチ達の周囲を一瞬白いもやのような膜が包む。
「大きな声で喋るなよ。姿は見えなくなったけど、声や気配は分かるんだ」
「クロウが魔法でその辺消せねえのか?」
「その状態を維持するのって大変なんだよ。だから姿を隠すのも得意なミカヅチにお願いするの」
クロウの言葉に、一輝はなるほどと納得した。
三人はそのまま壁の通路を渡り、ゆっくりと光に近づいていく。やがて、車の陰になっていた人々の集まりが見えてきた。
そこでは奇妙な光景が繰り広げられていた。




