20 竜人の王
ミカヅチ達は住宅地を真っすぐ突っ切り、目的地へと向かった。竜人や警察との遭遇を避ける為、道路を走るだけでなく、時には跳躍して住宅を飛び越えて走る。
自身の体が10メートル以上飛び上がり、空中を浮遊するのは新鮮な感覚だった。難しい力などなくとも、この人間をはるかに超える身体能力が手に入っただけでも、最高の気分だった。走るだけでも爽快で、ついつい興奮の声を上げそうになる。
やがて住宅地が途切れ、舗装された一本の坂道を登っていく。左右を木々に囲まれた夜道を登っていくと、その先に目的の建物があった。
コンクリートの塀を飛び越えると、ボロボロになったアスファルトの駐車場が広がっている。そしてその先に、かつて老人ホームだった、三階建てほどの廃墟があった。
「集中しろ。近くにいるぞ」
ミカヅチの頭上から声がした。ばさり、と音がしたと思うと、両腕とコートを巨大な翼に変えて羽ばたきながら、グレイフェザーがミカヅチの前方に着地する。
彼は体を自在に鳳へと姿を変える事ができる。先ほどのように服と体の一部だけ姿を変えたり、変化させた羽を飛ばしたりと、その力は変幻自在だ。
「行くぞ」
緊張に身を固くしながら、駐車場を通り抜けていく。
建物に近寄ると、近くで何かが燃える音がした。全員で音のする方に向かうと、そこには惨状が広がっていた。
そこは二つの建物の間にある中庭だった。かつては中央には整備された道が通っており、左右には花壇や木々が植えられていたらしい。きっと老人たちがそこで風景を眺めたり、日光浴を楽しむ事ができていたのだろう。
だが今は、その名残はほとんどなかった。木々は好き勝手に生えて荒れ放題になっており、道路は土埃に汚れている。そして木々は炎に巻かれ、松明のように赤々と燃えていた。先ほど天に上がった炎の柱が関係しているのだろうか。中庭にこもった熱気に、思わず踏み込むのもたじろぐほどだ。
通路の奥には、制服を着た警官らしい男が二人ほど倒れている。どちらも巨大な爪のようなもので、体をざっくりと切り裂かれた跡が残っていた。
そして通路には巨大な魔法陣が描かれており、その中央に人影が一つ、立っていた。
小柄な体を濃紺のコートで隠すように身を包んでおり、その顔は奇妙な仮面に覆われていた。大きく見開かれた目が特徴的な仮面で、極楽鳥のように派手な色彩の羽と装飾に包まれ、見るものを威圧していた。
昔テレビ番組で見た、伎楽の仮面に似たようなものがあったな、とミカヅチは思い出していた。
「来たな、ヒーロー共」
仮面の主が口を開いた。その声は高く、よく通る男の声で、恐ろしい仮面と不釣り合いなギャップがあった。
「警官が来た時から、お前たちも来るだろうと思っていたんだ。グレイフェザーにティターニア、そして新しい巨神の子。そんなに俺の邪魔をしたいのか」
「そうだ。俺たちはお前が罪を重ねるのを止めたい」
グレイフェザーが一歩前に出た。
「お前が竜人化薬をばらまいて、世間を混乱に陥れた犯人なら、それを止めるのは『アイ』の仕事だ」
「黙れ! 何が『アイ』だ! 何が混乱だ! 力の独占でもしたつもりか!」
怒りを吐き出すように、男は叫んだ。
「超人になろうと望む事が許されないのか? 俺は自分が欲しいものを手に入れる為に、やらなくてはいけない事をやっただけだ!」
「それが人を傷つけないなら、好きにやればよかったんだ、ドラグナー。いや、水樹瀧郎」
グレイフェザーの言葉に、男の動きが固まった。
「君が誰かは分かっている。ドラグナーこと水樹鯉一郎の息子、水樹瀧郎。その竜人化薬は、父親が使っていたストックを見つけたのか?」
「やめろ! 俺をその名前で呼ぶな! 俺の前でドラグナーなんて名前を出すな!」
名前を出された事で、男は明らかに動揺していた。取り乱す彼の姿は、父の名を嫌悪し、恐怖しているように、ミカヅチには見えた。
「今の俺はあの男も超える、無敵の龍なんだ! そうさ、今の俺は龍の中の龍、倶利伽羅龍王! 俺の名前はドラグナーなんかじゃない! 倶利伽羅だ!」
絶叫と同時に、男の姿が変化していった。
全身が膨れ上がり、衣服が肉と同化していく。炎に照らされた薄橙の肌が変色し、深緑色をした金属を思わせる鱗が全身に広がっていく。仮面も顔と混ざり合い、装飾が禍々しい角となっていく。顎が伸び、背が曲がり、背筋にごつごつとした節くれが生まれ、太い尾が生えて別の生き物のように跳ねる。
数秒とかからずに、人の姿は失われていた。変化に耐えきれない、と言いたげに、それは前に倒れ、四つん這いの姿勢を取った。
ミカヅチ達の前に、全長およそ八メートル近い、巨大な龍の姿が現れた。
「これだ……! これが欲しかったんだ! ずっと! 何度味わっても飽きない、この解放感! この尽きない全能感が!」
男──倶利伽羅が叫んだ。既に口の形が大きく変化している為、その声は酷く聞き取りづらい。しかし、発音はやはり人間のままだった。
「これはまずいな……!」
グレイフェザーが呟いた。
「ここまででかいとは。竜人化の薬と魔術の併用か?」
「クロウ、何かわからない?」
ティターニアの問いかけに、クロウは目をぎらつかせながら答えた。
「多分、竜人化してる人たちの力を全部奪って、自分のものに取り込んだんだよ! くっそォ、どんな術をかけたのか気になる! 調べたいなァ!」
「そんな事言ってる場合か!」
思わずミカヅチが叫んだ時、倶利伽羅が激しく喉を鳴らした。工事用のドリルを思わせる唸り声が周囲に響く。
「危ない!」
ティターニアが前に立ち、白銀の棍を腰から引き抜いた。前方に突き出すと棍は見る間に変形し、四方に広がっていく。
背よりも高い大盾が視界を塞いだ次の瞬間、倶利伽羅の吐き出した炎が大盾に衝突した。吹き上がる火炎が左右に広がり、ひび割れたコンクリートの建物を炙った。
ティターニアが反応していなければ、四人とも直撃を受けていたところだ。巨神の加護がどの程度の温度まで耐えられるのか、ミカヅチも試す気にはさすがにならない。
「でかいぶん、ドラグナーより力も強そうね……!」
盾を棍に戻しながら、ティターニアは鋭い口調で声をかけた。
「みんな、やれる?」
「もちろん!」
「逃げるわけにもいかんだろう」
クロウとグレイフェザーが勢いよく答える。ティターニアはミカヅチの方に振り向いた。
その強く、凛々しき瞳の色。かつて見て恋い焦がれた英雄の、強き意志を感じさせる輝きは、今なお消える事はなかった。
「ミカヅチ。一緒に行きましょう。いい?」
「……やるよ。偉大なる巨神の名にかけて」
うん、とティターニアは頷いた。