18 佳境、近づく
夜空に輝く月と星々の光を浴びながら、彼は一心不乱に呪文を唱えていた。
寒々しいコンクリートの廃墟がコの字型に建てられており、その間にある中庭に、彼と彼が呼び集めた十二人が集まっていた。
中庭の地面には、彼を中心として、複雑な記号と、異国の象形文字が用いられた、巨大な魔法陣が描かれている。そしてその陣の中に、老若男女様々な十二人の人々が彼を囲むようにして、虚ろな表情のまま身じろぎ一つせずに座っていた。
彼がこれまで行ってきた成果が、やっと実を結ぼうとしていた。
竜人化の薬を、彼が見つけたのは半年ほど前の事だ。それをどう使うべきか、彼はずっと考えていた。
竜人の持つ力は欲しい。だが、この薬は打てば数日でその効力を失ってしまう。この薬の持ち主であったドラグナーは、即席の兵隊を作るために使っていたので、それでも問題なかった。しかし、彼にとってはそれでは駄目だったのだ。
彼が求めていたのはドラグナーと同じ、失われる事のない、完璧な竜人の力だった。その欠点を長い時間をかけて調べ、ついに形にしたのだ。
まず薬液の中に別の触媒を混ぜ合わせ、魔術をかけた。魔術自体は金さえ払えばやってくれる魔術師が大勢いる。
薬液が打たれた者は竜人となるが、体内に入り込んだ触媒は、薬液が生む竜人の力と、打たれた者自身の生命力を吸い取っていき、蓄積させる。埋め込まれた者たちは何も知らぬまま、内から力を食われていくのだ。
そして必要な分を吸い取った触媒は、真の竜人を作る為の一部となる。今彼の周囲にいる者たちは、彼の理想の姿の礎となるのだ。
(だが、一人足りない……)
それを思うと、苦々しい思いが塊となって胃の腑に沈む。
巨神の加護を受けたあの男は、竜人の魔術もほとんど影響を受けておらず、こちらの命令も全く聞き届けない。
呪文を唱えるのを忘れてしまいそうになるほど、苛立ちが込み上げてくる。あの謎の巨神の子のせいで、彼は儀式を半端な形で実行させる羽目になった。それだけではない。奴は彼がずっと求め続けていたものを、彼の眼前であっさりと手に入れてしまった。
許せなかった。この儀式が成功した後には、まず奴を殺しに行く。そう決めていた。
「────」
風が唸るような声で、異国の呪文を唱え続けていく。大金を払って魔術師に教わったものだ。手順通りにやれば必ず成功する。そう信じ、一心不乱に読み上げる。
儀式はクライマックスを迎えようとしていた。
やがて、彼の周囲で座っている者の一人が動いた。あぐらをかいた姿勢はそのまま、上半身が前傾し、両手を地面につけて支える姿勢を取る。
突然、豪風が魔法陣の周囲を巻くように吹いた。
その時、男の口が開き、口から何かが姿を見せた。
それは指だった。金属のように硬質な、濃緑色の鱗に覆われた指が、男の口から外に出てくる。
中指、人差し指、薬指。順番に姿を現し、五本の指が出て、節くれだった手首が出てきた。更に太い腕が伸び、男の口が顎が外れそうなほどに広がった。
出てきた手は、気づけば男の口よりも大きな直径となっていた。松明の光を浴びて、ぬらぬらと唾液に濡れた肌が、妖しくきらめいた。
他の者たちも同様に動き出した。手が、翼が、背骨が、巨大な顎が、口を裂きそうになりながら吐き出されていく。吐き出されたものは膨れ上がり、吐き出した元の人間よりも大きくなったものもあった。
ついに儀式完成の時だ。彼の胸が興奮に高鳴る。
その時、突然鳴った不愉快な音に、彼は顔をしかめた。
彼は舌打ちした。建物の陰から飛び出してきた男たちが、銃を構えて叫んだ。青い制服に身を包んだ警官たちだった。
「そこで何をやっているんだ!」
「怪しい真似は止めろ!」
せっかくの至高の時間が、不快な怒声で台無しだ。後はこの力を我が身に受け入れるだけで、夢にまで見た力が手に入るというのに。
「いや……。むしろちょうどいい」
なぜここが分かったのかは気になるが、儀式は最早誰にも止められはしない。
奴らにはこれから手に入れる力がどれほどのものか、実験台となってもらおう。
───・───
明かりもない深い森の中、地面の一部を切り取るように整備されたアスファルトの道路を、グレーのセダンが走りぬけていた。スポーティな外見の電気自動車は、アスファルトを切りつけながら、音もなく目的地に向かって進んでいく。
目的地は葦原市の北部にある住宅地だった。『アイ』本部で凛の遠視魔術が見つけた、竜人化の被害者たちが集まっているとされる場所がそこだった。
灰堂は警察にここまでの経緯を説明し、大達を車に乗せて、目的地へと向かったのだった。
十字路を右に曲がり、山を切り開いて作った住宅地の通りをまっすぐ進んでいく。住宅地を通り抜けて少し行ったところにある老人ホームが、その目的地だ。半年ほど前に移転し、建物はそのまま放置されていたものだが、凛の魔術はそこを指していた。
「ん?」
目の前の光に気付き、灰堂はブレーキをかけた。目の前にはパトカーが数台止まり、警官が誘導灯を振っている。交通規制を行っているらしい。
灰堂の車に警官が歩み寄って来たのを見て、灰堂は窓を開けた。
「ここは通行止めです。すみませんが引き返してください!」
「『アイ』の灰堂武流管理官です。何かあったんですか?」
「え? もう『アイ』の方が来られたんですか?」
「ん? もう、とは?」
何やら妙な答えに、灰堂が困惑の表情を浮かべた。警官はそこで、話している相手が誰か気付いたようだった。
「え? ひょっとして、グレイフェザー?」
「ええ。それより先ほどの話をお願いします」
「ああ。いやね、ちょっと前にウチに通報がありましてね。ここで怪物が何十人も暴れてるって話で、駆け付けてみたら、ほんとにでかいトカゲみたいな奴らがうようよしてるんです」
「トカゲ?」
「ええ。警官にも被害が出てて、もう大騒ぎですよ」
後部座席で、綾と大は顔を見合わせた。
「さっき『アイ』に協力を要請したはずなんですが、知りませんか?」
「こちらには別の話でここに来たもので。一旦本部に確認してみます」
「お願いしますよ。せっかくですから、あなたみたいなすごいヒーローを呼んできてください!」
警官の声は明るかった。年配の警官になると、『アイ』に協力を求めるのを嫌う者もいるが、彼はそこまで嫌悪感がないらしい。グレイフェザーこと灰堂武流の知名度もあっての事であろう。
灰堂は一旦車を引き返し、少し下ったところにある公園に車を乗り入れた。
「さて、どうしたものかな」
腹に溜まったストレスを吐き出すように、灰堂は軽く溜息をついた。
「暴れているのは恐らく、竜人化の薬液を打たれた連中だな。数は分からんが、下手するとこの住宅地全域に広まっている可能性もある」
「でも、なんでそんな事を?」
大が尋ねる。
「竜人化の効果は数日で消えるんでしょ? こんなところで無駄に使ってもしょうがないんじゃ……」
「時間稼ぎかもな。警察の目をひきつけて、ついでに警官や『アイ』の連中が自分のところに来るのを防ぐ」
「って事は、やっぱりこの先に何かが待ってる、って事ですよね……」
やはり凛の魔術は正解を導いていたのだ。
「じゃあ、さっさと犯人を捜しに行きましょうよ!」
凛が食い気味に言った。
「ここの人達を助けるにしても、奧にいる奴をブッ倒してからでないと!」
「そうだな。超人が関わっている事件なら、調査するのは俺たち『アイ』の仕事だ。だが言わせてもらうが、お前達、本当にこのまま行くつもりなんだな?」
灰堂は真剣な目で大を見た。
「ここから先は確実に危険が待ち構えている。確かに巨神の子と、魔術師の力があれば心強いが、お前も凛もまだ学生だ。後は警察と『アイ』にまかせてくれていいんだぞ」
「……」
灰堂の言うことももっともだった。大達は所詮学生である。力を得たからといっても、できることは小さく、眼の前のことばかり考えて行動すれば、それが更に問題を大きくする事にもなりかねない。
ここで帰宅して、後の全てを大人に任せても、とがめる者は誰もいないだろう。
(……だけど)
大は斎藤の事を思った。ほんの少し話しただけだったが、いい友人になれそうだった。大学生活が楽しくなりそうだと思えた。
「……友達と、同じ目にあっている誰かの為に、何かできる事をしたいんです」
「ボクだってそうですよ。お師匠様ならここで帰ったりしませんからね!」
凛も強気に言い放った。
大の目には、灰堂が少しだけ嬉しそうな顔を見せた気がした。
「……そうか。まあ、しょうがないな。その代わり、俺の指示には従え。危ないと判断したら逃げる。いいな」
「グレイ、私には何も言わないの?」
綾が少し不服そうに訊ねた。
「君のことはよく知ってるからな。こいつら二人より頑固で聞き分けがない」
「ちょっと、それひどくない?」
「そうは言ってもな。長い付き合いからくる経験則だからな」
からかって笑う二人の間には、傍から見ても、長年築き上げてきた絆が感じられた。
やはり同年代と、年齢差がある相手では扱いが違うのだろうか。そんな考えがふと大の頭に浮かんだ。綾の笑顔もやけに自然に見える。
(灰堂さんが競争相手になったら、俺、勝てないんじゃないかな……)
それはある意味で、目の前の竜人と戦う事より絶望感がある想像だった。世界でトップクラスの強敵と言っていい。
その時、爆発音と共に、夜空に赤い炎が燃え上がった。
ほんの一瞬だったが、闇深い森の奥から、空に向かって炎が天に向って伸びる姿を見て、大達の表情が一瞬で険しくなった。
次回は10日(土)21時頃予定です。
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