17 探索の為に
綾が電話をもらってから、十五分ほどで大達三人は『アイ』本部ビルにたどり着いた。すでに帰宅ラッシュのピークは過ぎていた為、綾の運転するセダンはスムーズに目的地に着く事ができた。
時刻は夜の七時近くになっており、職員の中にはすでに帰宅している者も多いようだ。だがまだ照明のついている部屋はいくつもあり、外から窓を眺めても、忙しなく動く人の姿がいくつも見えた。
超人に関わる事件は、昼夜を問わず起きているのを伝えてくるようだった。
そして大達も、その事件の一つに直面しようとしている。
(気を引き締めないと)
斎藤が行方不明になったのが竜人化の薬に関係しているのなら、大も他人事ではいられないのだ。
案内された部屋に向かうと、先に入っていた灰堂が軽く手を上げて出迎えた。
「よう。早かったな」
「あんな事を言われちゃね。そりゃ急ぐってものよ」
扉を閉め、四人だけの密室を作った後、綾がまず口を開いた。
「それで、詳細を教えてくれる?」
「ああ。俺もさっきまで状況を確認してたところでな」
灰堂の言うところによると、斎藤が消えたと思われるのは、およそ三十分から一時間ほど前との事だった。
担当の看護師が斎藤の様子を見に行った時、斎藤の調子は良好、受け答えははっきりとしており、体温や脈も異常はなかった。
それから数分後、医師や入院患者が、斎藤が出歩くのを見ている。トイレか、少し散歩に行くのかと思い、その時は誰も気に留めなかった。しかし今にして思えば、まるで夢遊病のようにふわふわとした足取りだったと証言している。
やがて、看護師が病室の扉が開けっ放しになっている事に気付き、斎藤が戻ってこない事を確認した、ということだった。
「彼の着ている服は病院から支給されたものだし、財布やスマートフォンは病室に置かれたままだった。そのまま外に出るのはおかしい。何かあったと考えるのが妥当だろうな」
灰堂の推測に反論の余地はない。さらに聞きたかった事について、大が尋ねた。
「それで、他の竜人化した人たちはどうなってるんですか?」
「当然、そっちに興味がいくよな。確認してみたが、やはり他の者も皆、ここ一時間ほどの間に、連絡がつかなくなっている」
「マジですか?」
心臓が大きく跳ねた気がした。一人や二人ならともかく、面識のない被害者全員と連絡が取れなくなっているというのは、やはり事件を考えずにはいられない。
「現在警察にも連絡して、周辺の聞き込みをお願いしているところだ。現状特に情報は出てきていないが、君達には心当たりがあるのか?」
「さっき電話したのも、それに関して話そうと思ってたからなの」
綾が凛に目を向けると、凛は待ってましたとばかりに説明を始めた。
「ボクが斎藤くんと会った時に気がついたんですけど、彼の中に魔力の痕跡を感じたんです」
「魔力の痕跡? ということは、彼が何がしかの魔術の影響を受けているということか?」
長年の経験があるだけあって、灰堂の理解力は早い。凛はそのまま、綾の部屋で話した内容を、灰堂に説明していった。
「……なるほど、確かに可能性はあるな」
灰堂は口元に手を当て、考えを整理するように目を細めた。
「そうなると、犯人は今頃、彼らに埋め込んだものを、なにかに使おうと考えているわけだ。急がないといかんな」
「でも今のとこ、手がかりがないんですよね……」
大が呟く。こちらは本職の刑事達と違い、所詮社会人ですらない学生だ。友人との連絡網で解決するような問題ではない。
どうするべきか考えていたところで、大はふと、周囲からの視線に気がついた。
綾、凛、そして灰堂まで、大をまっすぐ見つめていた。
「な……、なんです?」
「この後を考えてみたんだが、やはりこちらでできる事は、お前を頼る以外になささうだ」
灰堂が言った。
「どういう事ですか。俺は別に何もしてませんよ」
「そんな事は分かっているよ」
「そうじゃなくてさァ、ここに来る前にも話してたでしょ? キミの中にも魔術の痕跡があるんじゃないか、って」
凛がその痕跡を位置を探るように、大の胸を指さした。
「それをボクが探って、他のみんながいる場所を特定するんだよ」
「でも、俺は巨神の加護のおかげで、竜人化が起きなかったんだぞ。その魔術も効果がなくて消えてるんじゃないのか?」
「かもね。でもそれを調べるしか、ボクらが犯人を探す手段はないよ」
皆深刻な顔をしていた。凛の言う通り、自分たちにできる事はこれ以外にない。そしてそれは、今起きようとしている事件を未然に防ぐことができるかもしれないのだ。
「大ちゃん、まずはやってみましょう。何か考えるのは、それからでも遅くはないわ」
綾に言われて、大はうなずいた。
今は自分にできる事をやるしかない。
───・───
「……それで、こんなので本当にうまくいくの?」
大は何度目かの疑問を口にした。
室内には大を含めて四人、大の前に凛が向かい合って立ち、綾と灰堂が二人の左右に立って、状況を眺めている。
大はシャツをめくりあげ、肌を露出させていた。ちょうど医者に聴診器を当ててもらうような形だ。脂肪が薄く、筋肉がしっかりとついた胸板に、凛が左の掌を当てている。
長テーブルの上には市内の地図が置かれており、その中に描かれた『アイ』本部ビルのところに、凛の右手先が置かれていた。
こうやって手で触れることで、大の中にある魔術の残滓を感じ取る。そしてキャッチした魔力と、同じ波長を持つ者が市内のどこにいるかを、遠視の術の応用で探る。そして探った波長の位置を、この地図に記す、という事らしい。
先程凛に説明された事だが、そんな事が果たして本当にできるのか、大はまだ半信半疑だった。
「ほらァ、また変な事考えてるでしょ。だから変な事考えてないで、ちゃんと集中してよォ」
凛がぼやいた。
「キミの体はただでさえ読み取りにくいんだから。雑念が入ると探りにくいんだよ」
「そんな事言われてもな……」
凛の手はやけに熱く、触れられているだけで大の胸は恥ずかしさにざわめいた。始めてからずっとこの調子だった。
凛が言うには、偉大なる巨神の加護を受けている大は、ミカヅチの姿をとっていない時でも、その影響を受けているらしかった。
その為、こうやって凛の魔術で探ろうとしても、巨神の加護が知らず知らずの内に抵抗しているのだという。
「落ち着いて、無心になって集中して。ボクを受け入れてくれればいいから」
凛はそう言ったが、大も魔術を受けるのは当然初めての事だし、どうすればいいのかコツがつかめない。さらに言えば、人前で、特に綾の前で肌を晒しているのがかなり恥ずかしい。
「いい? キミの反応次第で、斎藤クン達の命が救われるかどうかが決まるかもしれないんだよ? 分かったらさっさと集中!」
「だからやってるってば」
目をつむり、何も考えないようにするが、それでも上手くいかない。こんな事をしていていいのか、何か動いた方がいいのではないか、そんな雑念が頭をよぎると止まらなくなる。
(あーもう……)
また集中できなくなってきている。そう思った時、閉じた目元に暖かいものが触れた。
「なに?」
「大ちゃん、落ち着いて」
背後から綾の声と香りが届き、大の五感を刺激した。
「綾さん?」
「焦ってるのはわかるけど、今は大ちゃんが逸ってもどうにもならないでしょ」
「それはわかってるんだけど、どうも上手くいかなくってさ……」
「わかってる。リラックスして、はい、ゆっくり息吸って」
綾の指示通り、大はゆっくり息を吸い込む。綾の香りが、一段と強くなった。
「はい、ゆっくり吐いて。そのまま呼吸だけに意識を集中させて」
二度、三度、呼吸を繰り返す。触れている手が暖かい。
「大丈夫、私もグレイも凛も、みんなついてるから。みんなで一緒に助けましょう。一緒に」
「うん……」
綾の言葉を聞いていると、それまでの心のざわめきが、呼気と共に全て吐き出されていき気がした。
自然と、全身を脱力させていく。無心になり、現状のすべてを受け入れる。先程までできなかった事が、驚くほどにたやすく行えた。
やがて、胸の奥に何かがあるのに、大は気付いた。心臓の鼓動に隠れているが、単純な血肉の動きはまた別の、力の動き。巨神の加護を受けている時に、全身を流れる力と似たような感覚が、胸の奥でわずかにくすぶっている。
これがそうなのか。そう思った時、凛が勝利の声を上げた。
「よし、見つけた!」
くすぶる力が、一気に引っ張られたような気がした。それは一瞬で、前方に流れ、胸に触れている凛の掌と、皮一枚隔てた位置でぐるぐると動き回るような感覚があった。
その感覚が数秒続いて、ふと気付いた時には、くすぶっていたものも、凛の掌の感覚も、あっさりとなくなっていた。
「わぁ……」
感心するような声と共に、綾が手を離した。美しい繊手の間から、大は目の前で起きているものを目の当たりにした。
テーブルの上に置かれた地図の上で、墨が踊っていた。それは凛の指先から何本も広がり、網の目を描くように縦横無尽に移動していった。
次回は7日(水)21時頃予定です。
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