15 フェイタリティの意思
取調室の中は、淀んだ空気と、寒気に満ちていた。
空調の悪さや、太陽光のあまり当たらない間取りだけが理由ではない事は、灰堂には分かっていた。
灰堂と、机と挟んで向かい合っている男の放つ気配。近くにいるだけで命の危険を感じさせる、その気配を受けると、人は無意識の内に緊張してしまう。猛獣を前にした小動物が、その爪と牙で引き裂かれる自分を想像してしまうように。
それがフェイタリティという男だった。
灰堂とフェイタリティの他には警察官が二人、部屋の隅に立っている。しかし、危険に慣れているはずの彼らも、険しい顔で彼を見下ろしていた。おそらく背筋には、冷や汗がべっとりと流れている事だろう。
「俺はティターニアを呼んだはずなんだがな」
相手の気持ちなど一人気にせず、フェイタリティはつまらなさそうに言った。
「お前が来るのか、グレイフェザー」
「あいつがいつ表に出てくるかは、誰にもわからないんでね。残念かもしれんが、俺で我慢してくれ」
「昔のよしみで、ってか。お嬢ちゃんと話したかったんだがな。引退してから何してたのか、とかよ」
喉の奥を鳴らして、フェイタリティは笑った。
担当の刑事が言うには、彼は取り調べに応じるどころか、ろくに口も開かなかったらしい。唯一語ったのは、「ティターニアでも呼んできてくれたら、応じる」の一言だけ。その為、警察は渋々ながら『アイ』にその旨を連絡した。
一般人である綾を近づける危険を考えて、灰堂は自分が会う事を決意したのだった。灰堂がヒーローとして活動していた頃、フェイタリティとは何度も会っている。自分が相手でも、反応を見せると踏んだのだ。
予想通り、フェイタリティは興味を示したようだった。
「まあ、お前にも色々と言いたかったんだ。ヒーローやってた頃のお前は輝いてたのによ。なんで『アイ』の管理官なんてやりだしたんだ?」
「無職でヒーロー活動だけやってろ、とでも言うのか?」
「お前は前線で働いてる方が似合ってる、って言ってるんだよ。最近じゃテレビに出て広報活動ばっかりだ。お前だって暴れ足りないんじゃないのか?」
「『アイ』はヒーローを管理する組織じゃない。超人を保護する組織だ。それに、昔の俺達みたいに超人が最前線で戦うような時代は、もう過ぎたと思ってる」
「はっ、冗談だろ」
フェイタリティは鼻で笑った。
「確かに戦争は終わった。世界は平和になろうとしてるかもな。だが少なくとも今は、それは上辺だけの事だ。メッキの薄皮一枚はいだだけで混沌が溢れ出すような、あやふやなもんさ。お前はまだマシな場所で、マシな連中に囲まれているから、そんな事が言えるのさ」
「そうかもな。だが、そのマシな場所を広げる為に、俺達はできる事をやってる。今日みたいにな」
灰堂はつとめて冷静に言った。議論になっても罵倒を受けても、冷静さを失うつもりはなかった。
この男の前で感情的になれば、いつ逆襲を食らうかわからない。
「いい加減、話を進めていいか」
フェイタリティは残念そうに灰堂を見た後、軽く息を吐いた。
「ま、雑談ばかりじゃお前も帰っちまいそうだしな。仕事を済ませようか」
「あんたを雇った奴は何者だ?」
「さあ。名前は知らん。顔は覆面をしていたし、コートで体型も隠そうとしていた。だが少なくとも男、それもかなり若いな。露出部の肌で分かる」
「正体をさらさない相手の依頼を、よく受ける気になったな」
「なんせ暇だったんでな。それに、ティターニアに会えるかもしれんとなったら、それで他はどうでもよくなった。受けて正解だったぜ」
フェイタリティが愉快とばかりに、にやりと口角を釣り上げた。
「それで、金で動く連中を適当に雇って仕事に移った。ガキの拉致にそれほど手間をかける必要もないと踏んでたんだが、まさかあの二人もヒーローだったとはな。まったく、退屈しのぎで何も考えずに仕事をしすぎた。俺もトシだな」
「……だが、それだけか?」
「それだけとは?」
「昔のあんたはもっと冷たく、ビジネスライクだったはずだ。依頼人の嘘や裏切りは許さないし、依頼人の素性は確認してから仕事に移る。正体を隠していても、相手に見当がついているから、依頼を受けたんじゃないか?」
「ほう……」
フェイタリティは感心したような顔で、顎ひげを軽く親指で擦った。
「なかなか頭が回るじゃないか、グレイフェザー。さすがに社会人になってから、色々と経験を積んだと見える」
「褒められてる気がしないね。それで、他にも何か情報があるんじゃないか」
「そうだな……」
もうサービスは終わりだ、と言い放つか、それとももっとヒントを与え、反応を楽しむか。そんな事を考えているのが、灰堂にも分かった。
彼は本当に、傭兵としての仕事を辞めようとしているのかもしれない。灰堂はそう思った。依頼人の情報を口にするなど、プロならばやるはずのない事だ。だが今の彼は、むしろ相手の事を探らせようと楽しんでいる。
退屈しのぎの仕事、というのは本当だったのかもしれない。かつてのヒーローとの戦いが、何物にも代えられない鮮烈な記憶として彼の頭の中に残っている。もう一度味わおうとしても、それは叶わない。後は思い出に浸りながら、ただ食う為に生きるだけの人生を過ごしてきたのだろうか。
それが真実なのだとしても、灰堂には何もできないし、何かしてやる気にもなれなかった。彼を救う為に殺し合いをするのも、誰かにさせるのも御免だ。
そう思っているうちに、フェイタリティも決心がついたようだった。
「もうひとつ、相手を判断できた材料がある。そいつが俺に連絡を取った方法だ。昔、お前らが現役でヒーローをやってた頃に、俺が仕事で組んだ相手に教えた連絡手段だった。あとは自分で考えな」
「ふむ……」
灰堂は口を閉ざし、考え込むように目を細めた。フェイタリティはその姿を楽しそうに眺めている。
静寂が室内を包み、やがて灰堂の頭に、可能性のある名前が一つ浮かんだ。
「ドラグナーか」
ぽつりと呟いた灰堂の言葉に、フェイタリティはにやりと口元を歪めた。
その顔に自分の考えの正しさを見て、灰堂は立ち上がった。
「ありがとう。もう十分だ。これで相手を探しにいける」
「おい、もう帰っちまうのか? こっちはもっと昔話でもしたい気分なんだぜ?」
「あいにく、今の俺はあんたも言った通り、役所務めのつまらん男なんでね。仕事が忙しくてしょうがないのさ」
「チッ。今度はティターニアを連れて来てくれよ」
重い扉を開けて外に出ると、部屋の外で待っていた刑事達が、灰堂に顔を向けた。
「お疲れさん」
「面会を許可していただいて、ありがとうございます。これで目途がつきました」
灰堂が頭を下げる。刑事たちの中で一番の若手らしい青年が、疑問を口にした。
「さっき言ってたドラグナー、ですか。一体何ですそれは」
「昔、シュラン=ラガと組んだ超人の一人です。竜人化の薬物と深い関わりのある人物でしたが、もう何年も前に死んだはずの男でした」
灰堂の顔は、これから起きる事を感じているように険しかった。
「奴が生きているなら、面倒な事になる」
次回は21時頃予定です。
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