08 神雷をまとった子
無機質なコンクリートに遮られた壁の中を、大と凛は走っていた。腕を縛っていたロープは凛の術によって切られ、二人とも自由の身になっている。
「一体、ここどこなんだ!?」
階段を降りながら大は叫んだ。
部屋の外も同じく、コンクリートがむき出しになっており、棚や机もない。どこか解体予定のビルを利用しているのだとは思うが、窓から外を覗くと、周囲には森が広がっているのが見えた。市内の北部には山が広がっているが、そこのどこかに建てられているのかもしれない。
「安心して、ボクがどうにかするよ! ボク魔法使いだよ!?」
先を走る凛が応じた。
「さっきはすごかったな。なんだよあの竜巻!」
凛が一言呪文を発しただけで、部屋中に猛風が吹き荒れた。だというのに、凛と大はほとんど風の影響を受けなかったのだ。
魔法使いを名乗る凛の力を、大は正直あまり信じていなかった。だが目の前であの力を見せられると、流石に感心せずにはいられなかった。
「大した事ないよ! 本気モードならもっとサクッと出せるんだけど、普段でも時間かければあれくらいはね!」
「本気モード?」
「え? いや、まあいいじゃん! それより、大もすごかったよ! あのティターニアとか、どうやって出したの?」
「正直、原理は自分でもよくわからん!」
綾と再会したあの日以来、少しずつ原理を理解し、密かに訓練していた力だった。自分がイメージした映像を形にして、幻として外に出力する事ができるのだ。
フェイタリティと話をしていた時、耳元に風が吹くと同時に、凛の声が届いた。
『ちょっとだけ時間を稼いで』
おそらくあれも、凛が使った魔術の一種なのだろう。ともかく、そう言われて、大は相手の注意をそらす手段として、会話を続けると同時に、ティターニアを出すことを思いついたのである。
階を二つほど降りたところで、背後から荒い足音が聞こえてきた。先程凛が吹き飛ばした男たちが、後を追いかけてきたのだ。
大はどうすべきか逡巡した。一対一で、それも素手でなら迎え撃つとも言えるのだが、相手は大勢、それも間違いなく武装してくることだろう。追いつかれたら勝ち目はない。
「どうする? またさっきみたいに吹っ飛ばせるのか?」
「んー……、しょうがない! このまま一階まで降りて!」
言われた通りに降りて一階にたどり着くと、そこは太い柱が規則的に並んでいる広間になっていた。大達のいる側と反対側の壁に窓が並び、ちょうど対角線上に出入り口がある。
「外に出よう!」
出入り口に向かって走り出して、大はすぐに急停止した。凛が広間の中央あたりで立ち止まり、階段側を向いて仁王立ちしていた。
「おい、何してるんだよ!」
「ボクがあいつら全員ぶっ飛ばすから、その間に大は逃げて! 後で追いかけるから!」
「はぁ!? 無茶言うなよ!」
いくらなんでも、こんな時に言う台詞ではなかった。いくら魔術に自信があると言っても、相手は犯罪者であり、数も多い。その上フェイタリティまでいるのだ。自殺行為としか大には思えなかった。
しかし凛は慌てず騒がず、振り向きざまに自信に満ちた顔を見せた。
「これを友達に見せるのは、キミが初めてなんだ。誰にも言わないでよ?」
「何を!?」
大の声を無視して凛は正面に向き直り、両腕を交差させた。かすかに聞こえる程度の声で、どこか知らない国の呪文を唱えていく。
大の産毛が、静電気を帯びたように逆立つ。凛の周囲に、何か強大な力が集まり、大気に漏れ出しているようだった。
そして集まった力が頂点に達した時、凛は叫んだ。
「来たれ、秩序の法衣!」
黒い塊のような何かが、凛の影から現れた。暗黒の触手は凛の全身を包み、一瞬で弾ける。
暗黒が消え去った時、凛は闇夜の空を切り取ってを形にしたような、漆黒のローブを身にまとっていた。
ちょうど階段から降りて突入してきた男たちが、凛の姿を見て足を止めた。ヘルメットで顔は見えなくても、一体どんな表情をしているか、漏れ出る声で分かった。
「レディ・クロウ!?」
「レディ・クロウだ!」
かつてティターニアと共に戦った魔術師がいた。そしてその一番弟子を自称するのが、レディ・クロウを名乗るヒーローだと、男たちも知っているのだった。
恐怖が混じった男たちの声に、凛──レディ・クロウはにやりと笑みを返し、拳を握りしめて構えた。
「さあ、ぶっ飛ばされたいヤツからかかってきなよ!」
凛の变化に、大の頭はついていくのがやっとだった。世間でも存在が知られている大魔術師、レディ・クロウがまさか自分と同学年の大学生だとは。一時間前には想像もしていなかった事だった。
男たちの精神も大と同様の衝撃を受けていたが、大にわずかに遅れて、我を取り戻していた。懐から拳銃を取り出し、思い思いに構える。
「レディ・クロウがなんだよ!」
「魔法使いだろうが、撃たれりゃ死ぬだろうが!」
室内に無数の炸裂音がこだまする。放たれた弾丸は、しかしクロウの前で止められていた。無数の弾丸が空中で静止したその様は、クロウの前方で空気が凍りつき、銃弾の破壊力をすべて奪ったようだった。
「お返し!」
クロウが握っていた右拳を開いた。その手の周囲が一瞬歪んだように見えた瞬間、その歪みが男たちに向かって放たれる。
「BEWARE MY ORDER!」
呪文に呼応するように、歪みが一瞬光を帯びた。次の瞬間、男たちのいた周囲の空間が震え、周囲の床や壁がひび割れた。
四人の男がその場で倒れた。空気が伝えた衝撃波が男たちの体を突き抜け、瞬時に気絶させたのである。
「どうよ!」
自信をぶつけるように、クロウが男たちを指差した。男たちはたじろいだが、それでも抵抗の意志は失っていないようだった。ここで目の前の魔術師を倒さなければ、自分たちに明日はないと感じているのかもしれない。
戦ってクロウにやられるか、逃げてフェイタリティに殺されるか。まだ死なずに済む方を選んだようだった。
フェイタリティの雇った男たちが、さらに上から降りてきて散開した。左右に分かれて射撃を行うが、クロウは先程と同じく、空気の壁で銃弾を受け止める。
数だけならば圧倒的不利だが、クロウは気にもしていないようだ。
「ほら大! さっさと逃げて! 危ないから!」
「え、あ、分かった!」
大は出入り口に向かって走った。クロウ一人に戦わせて情けなくもあったが、この状況では大にできる事は何もない。
外に出ると、太陽の光がやけに眩しかった。目の前には鬱蒼とした森林が広がり、左右に長年放置されて割れが目立つアスファルトの道路があった。
一瞬考えて、大はアスファルトの道路に沿って走り出した。車道に出てそのまま走れば、どこか町に通じているはずだ。近くを車が通る可能性だってある。
ビルの周囲をぐるりと回ると、寂れた門が前方に見えた。その先がおそらく車道に通じているはずだ。
大が速度を上げようとした時、空から影が落ちてきた。
大の目の前数メートルの位置に、それは着地した。
巨体だった。青みがかった灰色をした装甲に全身を包み、背中には四方に刃物の柄が見えている。どことなく、中世の騎士の全身鎧を思わせる造形をしていた。
軍用の強化服だ。先進国では兵器として既にメジャーな装備であり、テレビ番組で紹介される程度には名が知られている。
だが目の前にあるそのデザインを、大はかつて実際に、恐怖と共に見た事があった。
「フェイタリティ…!」
反転して逃げようとしたところで、巨体が動いた。金属の塊とは思えない、滑らかで素早い動きで大の進路を塞ぐ。右手が動いたと思った時には、大の首筋を冷たい金属に覆われた指がつかんでた。
「動くな。逃げられちゃ困る」
大の全身から汗が吹き出ていた。恐怖で全身が硬直していた。ここから大がどう動くよりも早く、フェイタリティの右手が大の首をちぎり取る事だろう。
「俺も鈍ったもんだ。一度は逃げられるとは。しかし、まさかお前の友人が魔術師だとはな。あいつらも大変なもんを一緒に運んできてくれたもんだよ」
フェイタリティが言った。
ここからどうすればいいのか、大には全く思いつかなかった。将棋で言えば詰みである。こちらがどんな動きをしようと、次の瞬間には命を取られるだろう。
クロウが男たちを叩きのめし、助けに来てくれるのを待つしかないのか。
「とはいえ、いくら魔術師といっても、風と幻を同時に出すのは難しいだろう。ならば幻はお前の担当だ」
「あ……ぐ……っ」
「お前も超人ならば、やはりティターニアと何らかの関わりがあるのか? 見たくなったぞ、お前の真の力を」
首の締め付けが次第に強くなっていく。喉を押さえられると同時に、頭への血流が制限され、地獄のような苦しみが大を襲う。
このままだと確実に死ぬ。
直接的で根源的な恐怖が、大の心を侵食していった。
「さあ、見せろ。お前の力を。何もできないなら死ぬだけだ。お前の首を切り取って、ティターニアに見せてやるよ」
ティターニアの顔が脳裏に浮かんだ。そして綾の顔も。二つが並び、混ざり合っていく。会いたい人にやっと会えたのに、これからなのに。その想いだけを未練へと変えて死んでいく。
嫌だ。死んでたまるか。
ともすれば消え去りそうな思考と意思を、理不尽に対する怒りが燃え上がらせる。絶対に生き残り、また会うのだ。あの人に。
生に対する願いを込めて、大は半ば無意識に、あの神の名を口にした。
「巨……神!」
大の内側から、閃光が放たれた。
「ぬう!」
雷を思わせる白い閃光がもたらした物理的な衝撃に、フェイタリティの腕が弾かれる。そのまま後方に跳び、フェイタリティは大の全身を包む光を、真っすぐに見据えた。
数瞬後に光が消え去り、そこから戦士の姿が現れた。首から下を包んだ赤い衣に、白銀の装備を身にまとう神々しき姿。目元を覆う青い仮面。あの夜、大の身に起きた変身がまたしても起きていた。
大は自分の体を見た。全身に力が満ちる感覚に耐えているのか、興奮しているのか、手足がわずかに震えていた。
「現れたな、新しい巨神の子」
フェイタリティは、声に興奮と歓喜を隠さなかった。鉄の仮面の下では、きっと裂けたような笑みを浮かべている事だろう。
「お前の名は? なんと呼べばいいんだ?」
「俺は……ミカヅチ」
直感的に頭に浮かんだ言葉だったが、言った後で、悪くないと思えた。武御雷、日本古来の武神を思わせる名だった。
自分の体に何が起きているのか全くわからない。だが、今はこの力が必要な時だ。
「俺は、偉大なる巨神の子……ミカヅチ!」
自分を鼓舞するように、大──ミカヅチは名乗りを上げた。
次回は23日(水)21時頃予定です。
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