03 一夜明けて
コンクリートで四方を固められた殺風景な部屋に、彼はいた。電気も通っていないのか、天井にある照明は点灯していない。代わりに中央に置かれた小型のテーブルに、携帯型のライトとタブレットが置かれ室内を照らしている。
彼は立ったまま壁に背をもたれて、タブレットに流れる映像を見ていた。待ち合わせている人物が来る前に、自分の計画の状況を確認したかったのだ。
人を竜のキメラに改造する薬液の効果は、予定通りの影響を与えていた。打ち込まれた人物は老若男女を問わず、人の肉体を高速で変質させている。加えてこちらから信号を送る事で、竜人達に指令を伝え、操ることができる。
彼は自らの手で一人の男を竜人に変え、薬液を持たせて指令を与えた。竜人は指令通りに町中を飛び交い、一人で外を歩いているものを狙って薬液を打ち込み、配下を増やしていった。
まさに完璧、求めていた通りの結果が得られて、彼は満足していた。途中までは。
「なんだ、こいつは……!」
彼は苛立ちを吐き出した。壁から背を離し、タブレットをひったくるようにつかみとる。竜人につけていた小型カメラから流れてくる映像には、予想もしていなかったものの姿があった。
偉大なる巨神の子、ティターニア。そしてそれと似た姿をした、赤い衣の男。
この二人が、彼が増やした竜人達すべてを、またたく間に叩きのめしてしまったのだ。
「なんなんだ、こいつは!」
彼の怒りは、特にこの赤い男に向けられた。ティターニアが来るのは予想の範囲内だったし、その為の準備も進めていたのだ。しかしあの男の登場で、これからの予定が狂いかねなかった。
果たしてあの男は何者なのか。新しい巨神の子か。だとしたら、ティターニアとの関係は? しかし映像に写っていたティターニアの顔は、理解不能な事に直面した者の、驚きの顔だった。
何もかもがわからない。男は気づかぬ内に、爪を噛んでいた。 ストレスがたまるといつもやってしまう。やった後で嫌になる悪癖だった。
不意にノックの音がして、男は顔を上げた。
「俺を呼んだ奴は、来てるかい」
苦み走った男の声がした。彼が今夜、ここで会う予定だった男の声だった。
「入ってください」
ドアが何のためらいもなく開いた。ドアの陰から姿を表したのは、百九十センチ以上はある大男だった。
身長に見合って手足が長いが、華奢な印象は全くない。がっしりとした体つきが首元やシャツの上から見ただけでも分かり、まさに神話の英雄を思わせるような体つきだ。短く刈り込んだ髪に顎髭を蓄えており、荒んだ双眸が薄暗がりの中でもよく見えた。
彼は先程までの苛立ちを忘れて、目の前の男に一瞬見惚れた。男の名は幼い頃から知っていたが、その姿を目の当たりにするのは初めてだ。ファンが憧れのアイドルに会った時のような、胸の高鳴りがあった。
「あなたが、フェイタリティですね」
男が苦笑した。
「古い名だ。一体誰がつけたんだかな、そんな名前」
「それでも、私には憧れの名です。かつて英雄達に何度も立ち塞がった、あなたの名は、ね」
「昔の話はやめだ。さっさと用件を済ませたい」
男は言った。
「俺はもう何年も仕事はしていないんだ。お前が俺を探し出したから、興味が湧いてここまで来たが、話の内容次第じゃすぐに帰る」
「安心してください。あなたもきっと興味のある話です」
「ほう。お前みたいな小僧に、俺が惹かれる案件を出せるのか? 大口叩いてると、首と胴が離れても知らんぜ?」
男の言葉は真実であろう事は、彼も理解していた。男がその気になれば、瞬き一つほどの間に、彼は首を落とされてもおかしくない。
だが、彼は確信していた。男は必ず、自分の提案に乗る。本来依頼しようとしていた案件から更に付け加える形になるが、むしろそれが男の興味を惹くはずだ。
彼は自分が見ていたタブレットを操作し、映像を男に見せた。
ずっと気怠げだった男の顔が切り替わり、驚きに目を見開いた。
「あなたの宿敵だった巨神の娘、ティターニアを狩る事。そしてその関係者であるこの男を捕らえていただきたい」
───・───
ほがらかな朝だった。窓の外に見える公園では、既に桜の木がいくつも花を咲かせ始めている。
H県葦原市、大瀬町。それが大達の住む町の名である。葦原市中心部に隣接し、住宅地を多く抱えた町だ。江戸時代から周辺地方有数の勢力を誇る土地であり、現在でも県でも最大規模の人口を誇る。
窓から見える桜の木の、薄いピンクの花びらが風に揺られるのをぼんやりと眺めながら、大は麦飯を口に運んでいた。ローテーブルの上には朝食として麦飯と味噌汁に香の物、それと昨日の残りの肉じゃがが並んでいる。
「大ちゃん、おかわりは?」
隣に座る多喜が言う。
「うん……大丈夫」
「じゃあ、果物でも食べようか?」
「うん……大丈夫」
生返事をする大に、多喜はもう、と呟いた。多喜が大にたくさん食べさせようとするのはいつもの事なのだが、大の反応の鈍さに困り気味のようだ。
「ほんとに大丈夫なの? もっと欲しいものない?」
「多喜、もうええ。大も十分と言っとるじゃないか」
祖父の正成がたしなめた。頑固そうな四角い顔に、いつものやり取りに対する渋面が作られていた。
「ごめん、ちょっと考え事してたから。でもほんとに十分食べたから」
大は言った。ごちそうさま、と手を合わせる。つけっぱなしにしていたテレビでは、ちょうど天気予報のコーナーが終わり、今日のトピックスを映していた。
「次のニュースです。二日前に起きた、葦原市大瀬町で十二人が体をに異常をきたした事件について、病院は全員の治療に目途が立ったと発表しました。被害者は皆体の一部が肥大化や変形をしており、関係者の情報によりますと、町中で暴走していた被害者達をヒーローが無力化したとの事で……」
女性のアナウンサーが読み上げる内容に、大の目はテレビにくぎ付けになった。大がティターニアと再会した、あの夜の事件の内容だった。
目を覚ました時、大は病院にいた。大とティターニアが倒した竜人達と共に、同じ病院に搬送されていたのである。誰が病院に連絡したのか、看護師たちは詳しく語らなかった。しかし、大はティターニア自身が連絡してくれたのだと確信していた。
それから丸一日、大は病院で全身くまなく検査を受ける事になった。他の竜人達と同じものを体に打ち込まれたのは、大の記憶にも残っている。彼らと同じ姿になるかもしれないと思い、大も断る気は全くなかった。
様々な形で検査を行った結果、大の体には異常が認められず、完璧な健康体だと告げられた。
「それだけどねえ、大ちゃん。ほんとに一人暮らしはしないでいいのかい?」
家族で何度も話した件を挙げられて、大は複雑そうに顔をゆがめた。
「だから、それはもう何度も話したじゃん。家からでも大学には通えるし、無理に一人暮らしする気はないよ」
大は来月から、市内にある比良坂大学に通う予定になっていた。自転車で20分強の距離になるが、中学生の頃から自転車通学だった大にとって、それほど苦になる距離ではない。
「でもねえ。やっぱり大学から遠いと、友達と遊びに行くのも大変でしょう? 私達もいい所をいくつか探してみたから、今度行ってみたら?」
「でもさ、うちでそんなにお金かけてられないでしょ」
「またそんな事気にして」
いつものやり取りだ。だが祖父母の家で暮らしている大としては、大学に進学できただけでも十分すぎると思っていた。確かに一人暮らしにあこがれる気持ちはあるが、自分の為に不要な出費をさせたくなかった。
「大がいいと言っとるなら、もうええじゃないか」
正成が口を挟んだ。
「一度やってみたらええ。それで辛いようなら、また考えればええ。何も県外に出る訳じゃないんだから」
「そうは言いますけどねえ……」
多喜はまだ不満そうだったが、これ以上は反論が思いつかないようで口を閉ざす。
「ごちそう様」
議論を終わらせるように、大は手を合わせた。
「部屋で休むね。ちょっと疲れちゃって」
「ああ、それがええ。あんな事があったんだ、寝といたほうがええ」
朝食の皿を片付けて、大は部屋に戻った。自室のベッドに寝転がり、軽く目を閉じると、意識はこの間起きた事へと向かっていった。
大がティターニアと再開したあの晩、記憶を失った大が目を覚ますと、そこは市内にある病院のベッドの上だった。
看護師の話によると、匿名の通報があって救急車が駆けつけたところ、大は他の竜人と化した人々と一緒に、河川敷に並べられていたということだった。
今朝のニュースでもやっていた通り、他の竜人達は変異の調査と治療を、並行して行っているらしい。
だが、大だけは特に外傷や変化は見当たらなかった。
共に入院した他の面子があの姿であった為、大にも何か異常はないかと、病院は一日かけて全身をくまなく調べ上げた。結果は健康そのもの、病気や怪我も一切なし、という事だった。
医師達は安堵と共に大を退院させたが、大には未だに信じられなかった。少なくとも、竜人の一体は、大に妙な薬液を注入している。あの影響が体に現れていてもおかしくないはずなのだ。
考えられる理由は、やはりあのティターニアと同じ力に目覚めた事だった。
「巨神の子、か……」
大は一人つぶやいた。巨神の子、それはティターニアと同じ力を持つ者の総称である。
ここで言う巨神とは、日本から遥か西、大西洋に浮かぶ島国、タイタナスにある神話に出てくる名だ。
神話の中では、巨神を信奉する人々は敵国との戦に敗れ、元々住んでいた地を追われた。しかしその際に、巨神は自らの身体を大地へと変えて移住させた。その大地がタイタナスと呼ばれるようになったという。
その為、このタイタナスに住み巨神を信仰する人々の中に、稀に巨神の加護を受け、強大な力を持った人が現れるのだという。その者たちを巨神の子と呼び、彼らは正しきを助け、道を外れた者を正す為に力を振るう運命を背負うのだ。
その巨神の子を自称する女戦士、それがティターニアだった。
「『偉大なる巨神の名にかけて、外道は正す』、か。懐かしいや」
当時の彼女の決め台詞を思い出して、大の口元に笑みが浮かんだ。
まさに神話のおとぎ話だ。ティターニアが果たして本当に巨神の子かは、誰も知らない。そもそもそんな伝説の存在が、遠く大西洋の国から日本に来るというのもおかしな話だ。
だが、当時小学生だった大はそんな事を気にもせず、彼女に夢中になった。命の危機を何度も救われ、その強く美しい姿を目の当たりにしてきては、心を奪われるなという方が無理な話だ。
世界規模で超人が増加し、ヒーローが幾人も登場するようになって十数年が経つ。だがそれでも、この世で最高のヒーローが誰かと尋ねられたら、大はティターニアと答えるだろう。
そして大はあの夜、突然巨神の子と同じ姿、同じ力を得た。
次回は16日(水)21時頃予定です。
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