02 変身、巨神の子
予想もしていなかった突然の再会に、大は先ほどまでの驚きや恐怖も忘れ、心が興奮に浮き立っていた。
ティターニア、それは十数年前に日本に現れたヒーローの名だった。同じ超人の仲間と共に、世を乱す外道、妖魔、そして異世界からの侵略者とも戦った。
幼い頃に何度も大の命を救い、心を癒してくれた英雄が目の前に現れたのだ。この状況で我を忘れないでいられる者など、そうはいまい。
当のティターニアは、冷静な目を倒れた竜人に向けており、次の状況に対応できるように集中していた。視線の先の竜人は、先ほどの一撃でふらついてはいるものの、闘争心は失っていないように見える。恐ろしいタフネスだった。
そこで、大は竜人が何かを抱えているのに気が付いた。ちょうどラグビーボールほどの大きさをした、金属製のカプセルを左脇に抱えているようだった。
先ほど襲ってきた時は、暗さと襲撃の速さで目につかなかったのだ。しっかりと抱えているあたり、どうやらかなり重要なものらしい。
「ティターニア……」
大が声をかけようとした時、背後から何か、大きなものが羽ばたく音が聞こえた。振り向いた時、大は目を見開いた。
前方にいる竜人と同じ姿をした怪物が三体、巨大な翼を使って夜空を舞っていた。
「なんだ!?」
「危ない!」
ティターニアの鋭い声と同時に、竜人達が急降下し襲いかかる。大が反応するより早く、大の体は後方に引っ張られた。ティターニアの腕が大の脇の下を通り、片手で抱えるようにして後方に跳んでいた。
竜人の蹴りが空を切り、アスファルトに爪を立てる。ティターニアは着地すると腕を解き、前方の三匹に突進した。
「ここを離れて!」
ティターニアは最も近くにいた、金髪の竜人に向かって走った。
金髪の竜人は反応し、意味不明な叫び声をあげつつ、力任せに爪を振り回した。高そうなジャケットの残骸を身にまとい、鱗に覆われた全身は筋肉が膨れ上がり、骨格は歪な異形の姿になっている。この腕に殴られれば、常人の腕や足など容易くちぎれそうだ。
しかしそんな左手の袈裟懸けを、ティターニアは右の手甲でなんなく防ぎ、弾き飛ばした。そこからアスファルトが砕けんばかりに踏み込み、放たれた左拳が、竜人の顎を貫く。
鉄板を叩くような音がして、竜人の首がぐるんと回転した。そのまま糸が切れたように倒れる。
残った二体が、同時にティターニアを襲った。一体はタックルをするように突進し、もう一体は空を跳んで頭を切り割こうと爪を振るう。
どちらか片方に反応すれば、もう片方が無防備なところを襲う事になる。
ティターニアの反応は素早かった。迷わずに跳躍し、空を飛んでいた竜と同じ高さに、一瞬で飛び上がる。
「ふっ!」
長い脚から放たれた飛び蹴りが、見事に竜の胸板に打ち込まれた。
衝撃で一気に加速し、地面に突き刺さる竜人とは対照的に、ティターニアの体は竜人を踏み台にする形で、宙を飛びあがった。
夜空の下で鮮やかに宙返りし、そのまま下にいた竜人目掛けて落下する。竜人が反応し、拳を突き上げる。白銀の手甲が拳を弾き、流星のような蹴りが竜人の背を撃ち、そのまま地面にたたきつけた。
知らず知らずのうちに、大は感動の溜息をついていた。流れるような戦い方だった。まさに演舞のように無駄がない。大の記憶にある、かつてのティターニアと同等、それ以上に洗練された動きだった。
「さすがティターニア!」
駆け寄ろうとして、大の体は強い力で動きを止められた。
「!?」
胸に太く、生暖かいものが巻き付く。竜人の尾だと気付いた時、大の体は宙を舞った。
「待ちなさい!」
ティターニアが反応し、跳躍する。しかし竜人の飛翔にはわずかに間に合わず、伸ばした手は空を切った。
ティターニアの怒りの表情が一気に遠ざかっていく。数十メートル上空まで飛び上がったところで、大を掴む竜人が気色悪い笑い声をあげた。
竜人の脇にはあのカプセルがあった。最初にティターニアに蹴り飛ばされた竜人が目を覚まし、他の竜人がティターニアと戦っている間に、土手の下を隠れるように走り、大の背後に回っていたのだ。
下の光景が目に入り、大は血の気が引く音を聞いた気がした。暗闇の中に模型のようなサイズの住宅地と、南北に流れる川が見える。
「この野郎……!」
思わず毒づくが、大は手の出しようがなかった。下手に動いて逃れようものなら、この高さでは命がない。
あのティターニアでも空を飛ぶ事はできない。あの跳躍力で、この距離まで果たして届くかどうか。
ギャアギャアと大烏を思わせる声で竜人が鳴くと、下の住宅地あたりから、別の竜人が現れた。合わせて五匹、皆爬虫類の顔と異形の肉体は似ているが、髪と衣服に大きな違いがあった。身にまとう衣服は太い手足のせいで内側から破れたようで、髪は長いものから短いもの、様々な形を残している。
(こいつら、元人間だ)
大は気付いた。彼らは皆、恐らくかなりの短い時間で、人の姿から竜人の姿へと変化したのだ。
では、その原因はどこから来たものなのか。
大を掴む竜人が抱えるカプセルが、カチャリと音を立てた。上部の蓋が開き、中には外のカプセルと同じ色をした、楕円形をした金属片が十本ほど入っている。
竜人は一本を掴むと、大に向かって鳴いた。その顔が笑っているように見えた。
大は直感した。これが竜人に変異した原因だ。だからティターニアはこの竜人を追っていたのだ。
「くそ、離せ! やめろ!」
落下の恐怖を忘れて、大は全身で竜人に抵抗した。
あんな姿になんてなりたくない。せっかくティターニアに会えたのに、化物になって倒されるなんて嫌だ。
大の気持ちを嘲笑うように、竜人が手に持った金属片を大の首筋に突き刺した。
首筋から熱いものが全身に流れた。視界が歪み、頭が溶け落ちるかと錯覚するような感覚に襲われる。
無重力の中を揺蕩うような気分に、大は我を忘れた。このまま意識を失えば、二度と目覚めないのではないかとさえ思えた。
(……え……。従え……、私に従え……)
ぼんやりとした意識の中で、声が聞こえた。聞こえたというのは正確ではないかもしれない。音ではなく、頭の中に言葉が流れるようだった。
その声は次第に強く、大きくなっていく。若く、傲慢さを感じる男の声だった。
(私に従え。巨神の子を殺す、その為だけに命を使え。私がお前に力を与えてやる)
声を聴く度に、溶けた体が少しずつ、異形の姿に作り変わり、固まっていく気がした。もうどれほどもかからない内に、この声に従う事になるだろうと、頭の隅で感じていた。
嫌だと思っているのに、全身を巡る凶暴な力が意識を駆逐していく。もう駄目かもしれない。そう思った時、その声は聞こえた。
「大ちゃん──ッ!」
ティターニアの叫びに、大切なものを失う哀切さを感じたのは、果たして大の錯覚だったろうか。
何故ティターニアが自分の名を知っているのか、大は疑問に思う事はできなかった。
しかし今の大にとってその声は何よりも心強く、全身に活力を与える天の声だった。
ほんの一瞬、我を取り戻した大は叫んでいた。
心身を蝕む恐怖を前に、思わず助けを求めたのかもしれない。声に出したのは、幼い頃から大を救ってくれた英雄が信仰する神の名だった。
「巨神!」
瞬間、大の全身から光が放たれた。瀑布の如く強大なエネルギーが大の内側から溢れ、心と体の支配を取り戻していく。体中を流れる暗黒の流れが、天地を支配する極光に駆逐されていくのが分かった。
大を掴んでいた竜人が、閃光の衝撃をまともに受けて吹き飛ばされる。次の瞬間、光が収まった後に、赤い衣と白銀の武具を身に着けた、大の姿があった。
「なんだぁ!?」
自分の体を見て、思わず素っ頓狂な声を出した。首から下を赤いボディスーツに身を包み、ジャケットを身にまとっている。手甲と足甲は白銀に輝き、目元はドミノマスクが覆っている感触があった。
デザインは男性的に強調されているが、デザイン自体は真下にいるティターニアを彷彿とさせる、戦士の衣装だ。先程の光と言い、何故こんな事が起きたのか、全く訳が分からない。
しかし、竜人達は大の混乱など容赦してはくれなかった。周囲を舞っていた竜人達が、落下する大に向かって一斉に襲い掛かる。
最も近くにいた、オールバックの竜人が両の手で貫手を放つ。
大理石にも穴を開けそうな一撃だが、それが刺さる事はなかった。ミカヅチの両手が、竜人の手首をそれぞれ掴み、受け止めていた。
ティターニアと戦っていた時には、影が動いている程度にしか見えなかった一撃だったのに、今の大にはまるでスローモーションのように見えた。全身に活力が燃え滾る肉体は、竜人よりも速く動いた。
「この!」
足腰を丸めながら気合を込めて、大は一気に竜人の腹を蹴り飛ばした。竜人は大砲で飛ばされたような勢いで吹き飛び、落下していく。
大はその反動で宙を舞った。自由落下の速度が一瞬ゼロになる。ちょうどその時、背後からの気配を感じた。
飛来してきた竜人の爪を振り向きながら体を反らしてかわし、裏拳を顎に叩きこむ。竜人は一発でグロッキーになり、回転しながら落ちていった。
(すごい!)
全身が湧きたつようだった。血管をマグマが巡るようだ。この力があれば、もう誰にも自分を止められない!
残った三体の竜人が、三方向から襲おうとしているのが分かった。着地する前にケリをつけるつもりなのだろう。だがそれは大も望むところだ。残りの高さは30メートル。
左から来た竜人の爪を手甲で防ぐ。魔獣の一撃も、白銀の輝きに傷一つつける事はできない。さらに攻撃を加えようと動いた竜人の腕を掴み、大は思い切り体を回転させた。
振り回した竜人は右から来ていた竜人と鉢合わせになり、頭から激突する。二体の口から激痛の絶叫が吐き出された。
二体が倒れた隙に、最後の一体が攻撃をしかけてきていた。首に巻き付けてそのまま吊り下げようと、大に向かって尾を伸ばす。
首に巻き付こうとした瞬間、大は両手で尾を掴んでいた。二輪車くらいならば引っ張れる尾の力に対抗し、大は思い切り尾を引っ張った。
懐まで引きずり込まれた竜人が驚愕に目を見開いた瞬間、大はその顔面に、右の拳を叩きこんでいた。
目前に迫っていたアスファルトに、大は両脚で着地した。どん、という重量感のある音が鳴ったが、それだけだった。数十メートルの高さからの落下の衝撃も、今の大にはほとんど痛痒を与えなかった。
わずか数秒の出来事だった。空中から落下までの間に、大は初めて得た謎の力によって、竜人達を完膚なきまでに叩きのめしていた。
「あなた……」
ティターニアが茫然とした顔で、大を見つめていた。何故、とその目が言っていた。
「そんな目で、見ないでよ……」
大の口元に苦笑いがこみ上げた。色々と話したい事があるのに、そんな目で見られながらじゃ話しづらい。
何から話そうと考えた時、大の体が青い光に包まれた。
光の勢いが衰えていくにつれて、大の全身が疲労に包まれていき、体中に流れていた爆発的なエネルギーが消えていくようだった。
やがて光が消え去った時、大の意識も共に消えていた。
次回更新は14日(日)21時頃予定です。
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