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01 あの日、あの時、あの場所で

 三月下旬の夜、H県葦原市では例年ならばまだ肌寒さを感じる頃だが、この日は春の陽気が早く来たようで、上がTシャツ一枚でも暖かかった。

 夜空に輝く星々の光もどこか柔らかい。そんな夜空の下で、国津大は電話の相手に苦笑していた。


「だから大丈夫だよ、ばあちゃん。これからすぐ帰るから」


 大は歩道で傍らに自転車を置いて、スマートフォンで相手に優しく話しかけた。

 身長は百八十センチをわずかに超えるだろうか。背は高い方だが、服の下の体がしっかりとしている為、ひ弱な印象は感じられない。


 ゆるくウェーブのかかった髪にすっきりとした顔立ちは、真面目にしていれば美形と言っていいだろう。しかし唯一難点を言えば、その体に比べて、表情からどこか気弱で、押しの弱そうなところが感じられるところだろうか。

 無地のTシャツにジーンズという飾りっ気のない格好だが、服にはだらしないところがなかった。

 

「もうパーティは終わったから。今? 銀行の前だよ。十分くらいで家に着くと思う」


 耳元で心配そうな老婆の声がした。


「大ちゃん、気をつけなさいよ? 最近はどこも物騒なんだから」

「もう4月から大学生なんだから。自分の面倒は自分で見れるよ」

「ならいいんだけどねえ……」


 大の祖母、国津多喜の声は不安げだ。。今日は高校の友人同士で集まって、卒業記念のパーティを開く、と事前に話していたのだが、帰りが遅いのが不安で電話をかけてきたらしい。

 祖父母の大に対するかわいがりようは、まさに目に入れても痛くない、といった表現がぴったりくるほどだ。しかし大としては、もう少し大人として見てもらいたいところだった。


「気を付けてね。こんな夜は何がいるか分からないし、いつもヒーローが守ってくれるってわけじゃないんだから」

「わかったよ。すぐ帰るから」


 通話を切って、大は思わずひとりごちた。


「ヒーロー、ね。会いたいヒーローに会えるなら、襲われるのも大歓迎だけどさ」


前方を照らす自転車の照明を頼りに、大はのんびりと自転車を走らせた。メタリックシルバーに輝く愛車とは長い付き合いだが、手入れの甲斐もあって、滑らかに車輪が回ってくれる。


 妙に静かな夜だった。近道の為に、人の集まるところから外れた道を通っている事もあってか、近くを車も通らない。土手の左側には小さな河が流れ、右側からは、冬を過ごした水田の土の匂いが漂ってくる。

 ぽつぽつと等間隔に並ぶ電灯が道を照らすが、明かりから少し離れるとすぐに闇が浸食してきており、酷く不気味に見えた。


(さっきの話のせいかな)


 大は少しだけ緊張に身を硬くした。少々遅くまで遊びすぎたかもしれない。祖母の言った通り、こんな夜はどんな怪物が出てもおかしくはないのだ。

 世の法則を超越する、超人(メタ)と称されるものが現れて、既に四半世紀以上経とうとしている。おとぎ話のような怪物に、神話の英雄を彷彿とさせる力を持つ者が現れて、その力を様々な形で世間に示していた。


「ヒーロー、か……」


 思わず口に出す。大も幼い頃から、様々なヒーローを見聞きし、出会ってきた。そんな中で最も会いたいヒーローは誰かと聞かれたら、たった一人しか頭に浮かばない。

 彼女が消えてもう何年にもなる。おそらくもう二度と会う事はないだろう。


 不意に、視界の端に光が瞬いたように見えて、大は自転車を止めた。

「ん?」


 空を見上げて、光が出た場所を眺める。雲のない夜空が星をきらめかせるばかりで、先ほどの光はどこにもない。

 気のせいか、とも思った時、閃光が空に広がった。雷光を思わせる一瞬の光が空を裂き、次の瞬間、巨大な衝突音が澄んだ夜空に響き渡った。


「!?」


大は声にならない声を上げていた。隕石か何かだろうか。物体が高速で飛来し、近くに墜落したらしい。

 見に行ってみようか。大の胸で好奇心が沸き上がった。

 何が起きたのか確認して、もしも人が被害に遭っているなら警察なり病院なりに連絡した方がいいのではないか。


(いつもヒーローが守ってくれるってわけじゃないんだから)


 祖母の言葉が脳裏をよぎった。あれが何かもわからないのだ。ひょっとしたら空から降って来た、危険な物体かもしれない。それを思うと、このまま帰ったほうが安全かもしれない。


 進むべきか退くべきか、少し迷って、大は自転車のペダルをこぎ始めた。


(ごめん、ばあちゃん。ちょっと見てくるだけだから)


 心中で詫びながら、大は音のした方向に向かって全速力で自転車を進めた。

 もし誰かが危険な目にあっていたら。そう思うと、まず無事を確認しないと、今も会いたいあのヒーローに認められない気がした。


───・───


 大は土手の上を通る道路から、物体を見下ろした。等間隔につけられた電灯のおかげで下の状況はなんとか確認できるが、暗くて詳細は確認しづらかった。


 物体が墜落したのは、ちょうど市内を通る一級河川、草戸川の河川敷だった。土手の下の草が短く刈られた一帯では、休日の昼間などは子供が集まって遊んだりしているのを見る事ができる。

 物体が転がっていたのは、ちょうど草が刈られているところと伸び放題になっている所の境目あたりだった。落下してからずいぶん転がったようで、地面に長い轍がついているのが見えた。


「なんだ、あれ……?」


 大は顔をしかめた。転がっているものが、隕石や無機物の類でないのは分かったが、その正体が掴めなかった。


 物体は、恐らく生物のようだった。上半身は伸び放題の雑草に隠れてよく見えないが、二本の太い足と、足より長い尾が見えた。

 両脚には破れた布がまとわりついている。まるで膨らんだ脚の太さに耐えきれず、服が破れたようだった。

 足のつま先と踵には、釘を束ねて固めたような爪が生えていた。尾の先端にも同様のものが、何本も生えている。


 大は思わず唾を飲み込んでいた。何か見てはいけないものに遭遇した気がした。凶悪な力を産み出しそうな禍々しい形に、大は恐竜をの姿を連想した。

 気絶から目を覚ましたように、それは動き始めた。起き上がった顔を見て、大は思わず目を疑った。


 その顔は全体を鱗に覆われていた。顎は犬のように長く突き出ている。わずかな電灯の光だけでも、瞳が黄金色に輝いているのが見えた。わずかに残った髪の毛が、人の名残を感じさせた。

 竜は竜でも、恐竜どころじゃない、ドラゴンだ。大はそう思った。人と竜を混ぜ合わせたならば、こんな怪物が産まれるのかもしれなかった。


 怪物は大の姿に気付き、目を輝かせた。一気に起き上がるとそのまま跳躍し、両腕を大きく広げる。

 腕についた蝙蝠を思わせる薄膜の翼をはためかせると、そのまま地面に足もつけず、土手の上まで急上昇し、大に飛びかかった。


 夜空の星が竜人の体で隠れるのを、大はほとんど身動きできずに見ていた。


(しまった)


 と思うだけだった。危険は避けるつもりだったのに、逃げる判断が遅れた。

 こんな事なら、おとなしく帰っておくべきだった──


 竜人の太い爪が大の頭を狙う。

 次の瞬間、竜人の体は横に吹き飛ばされていた。

 悲鳴のような、泣き声のような声を上げて、竜人の体が土手を転がる。あっけにとられながら、大は竜人を蹴り飛ばした青い影を、驚きに硬直しながら見ていた。


 仁王立ちし、竜人を見下ろしている女は、まるで全身から気品と強靭さを発しているようだった。

 首から下をぴっちりとした青い衣で覆い、上から軍服を思わせるジャケットを羽織っている。四肢を覆う白銀の手甲と足甲が、月光を受けてきらめいた。

 目元は赤いドミノマスクで覆われているが、その程度の装身具では、彼女の美しさをみじんも損なう事はできない。


「大丈夫だった?」


 セミロングの黒髪をなびかせながら、彼女は振り向いた。

 大の心臓が高鳴った。かつて憧れ、恋焦がれた人の姿そこにあった。時が流れ、当時とは違いも当然ある。しかしたとえ大が臨終を迎える直前になろうとも、彼女の姿を見紛う事はないだろう。


「ティターニア!」


 かつて大の命を幾度も助けてくれた英雄との、久方ぶりの再会に、大は感激の声を上げていた。

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