13 その名はメノウ
静流の疑問に灰堂が答えようとしたとき、扉が荒々しくノックされた。
「どうぞ」
灰堂は誰が入ってくるのか分かっているようで、落ち着いた口調で答えた。
体当たりするような勢いで扉が開くと、中年の男が息を荒くしながら現れた。
仕立てのいいスーツとふくよかな体型を見るに、普段は会社の重役と言った印象を受ける。しかし今は汗をかいて息も荒く、慌てた表情を見せている。普段の落ち着いた雰囲気は全くない。おそらく駐車場からここまで走ってきたのだろう。
男性の姿を見て、静流が驚きに目を瞬いた。
「パパ?」
「静流!」
男は静流に駆け寄った。
「よかった、無事か? 怪我はないな?」
「あ、あたしは大丈夫。でもなんでここに? お仕事は?」
「お前が事件に巻き込まれたんだぞ。他の連中にまかせて飛んできたんだ」
静流ににこりと笑いかけると、打って変わった険しい表情で不二に目を向けた。
「今日、一体何があったのか、後で改めて説明してもらう。いいね」
「はい。申し訳ありません」
さすがに恐縮の体で、不二は頭を下げた。
「水無月計雄さんですね」
灰堂が言った。男──計雄は名前を呼ばれ、じろりと灰堂を見た。
「灰堂武流くんだね。名前は知っているよ」
「ありがとうございます。今回の事件ですが、私が『アイ』の担当管理官として、お嬢さんにつかせてもらいます」
「それはありがたいね。グレイフェザーが娘のために仕事をしてくれるとは。それで、娘はもう帰っていいのかね」
「いえ。できれば、あなたにもいくつか質問を」
計雄はあからさまに不満そうな顔をした。
「なぜだね。娘だけでなく、私にもかね?」
「はい。お嬢さんがシュラン=ラガの遺物に襲われた件、その原因があなたにもあると、私は見ています」
「伝説の英雄、グレイフェザーともあろうものが、随分と妙な事を考えるものだな。私はシュラン=ラガと関わりなど持った事はないよ? それとも私が、その遺物を使って娘を襲わせたとでも言うのかね? なぜそんな事をする必要がある?」
計雄は早口でまくしたてるのを、灰堂は泰然と受け止める。二人のやり取りを見ながら、大は気がついた。
一見灰堂を圧倒しているのに、計雄は話せば話すほど、表情に不安の影が濃くなっている。雄弁に語ってはいるが、早くこの場を切り上げて帰りたがっている。根が善人なのか、娘の前で嘘をつきたくないのか、とにかく何かを隠しているのだ。
計雄が何を隠しているのか、大も薄々は感じ取っていた。しかし果たして本当にそんな事ができるのかわからず、黙って二人の話を聞いていた。
「もういい。話は後日、改めてさせてくれ。今は娘の安全が第一だ。娘は私が守る」
計雄は静流の腕をつかみ、立ち上がらせた。そのままドアに向かう二人の背中に向かって、灰堂は言った。
「お嬢さんの安全を考えるならば、私の質問に答えてください。何故あなたは、お嬢さんにシュラン=ラガの技術を移植しようと考えたのですか?」
弾かれたように、計雄は振り返った。そこに映る驚愕の表情が、灰堂の仮説が、そして大の予想が真実であると告げていた。
計雄は灰堂の隣の椅子に座り、両手で頭を抱えたまま、押し黙っていた。
灰堂の一言から、計雄は最初の威勢を完全に失っていた。言われるがままに席につき、部屋にいる皆の視線を浴び続けていた。
特に娘である静流の目が、計雄にとっては最も痛かった事だろう。静流は泣きも怒りもしなかった。ただ嘘や誤魔化しを絶対に許さない、そう言いたげな目を、父親に向けていた。
「話してくれますね」
たっぷりと時間をとって、灰堂が静かに、しかし有無を言わせぬ口調で言った。
大は以前に、雑誌のコラムで灰堂についての評価を読んだ事がある。曰く、
『彼は若く、未熟なところも多い人間である。しかしその真摯さと意志の強さは、未熟さを補ってあまりある。彼の言葉を聞くと、人は己の間違いを正したくなるのだ』
まさにそのとおりだった。計雄は頭を上げ、深くため息をついた。そして、耐えきれなくなったように、重々しく口を開いた。
「私はただ、娘にもう一度、自由を与えたかったんだ」
一度口を開くと、あとは止まらなかった。
「静流は九歳の時に、シュラン=ラガの侵攻で母を失い、大怪我を負った。それ以来ずっと、車椅子の生活だ。遊びたい盛りの年頃だというのに、友達と一緒に学校にいくのすら大変な苦労だ。九歳の子供が負うには、あまりに大きな傷じゃないか」
「わかります」
灰堂がうなずく。
「だから私は、娘のために治療を探した。外科手術に内科治療。機械の補助から魔術の類まで試した。それでも結果は芳しくなかった。そうやって十年、諦めかけていた頃、彼が私の前に現れた」
「彼?」
「ああ。見た目は少年のようだったが、いくつかはわからん。そもそも人間なのかも怪しい。彼が悪魔の類だと言われても、私は驚かない」
ふう、と計雄は軽く息を吐いた。少年の事を話すのを、ためらっているようだった。
「少年はメノウと名乗った」
その名を呼ばれた時、室内に緊張が走った。瀕死の瀬戸の魂をザティーグに乗り移らせた謎の少年、それと同じ名が現れたのだ。
「彼は私の部屋に突然現れたよ。家には私だけじゃない、娘もいたし、娘のために用意した警報装置だって稼働していた。そのどれも反応せずに彼は素通りした。驚く私に、彼はこういったよ。『願いを叶えてあげようか』とね」
大は思わず、大きく唾を飲み込んでいた。瀬戸の時とまさに同じ展開だった。
「私が娘の事を話したら、彼は瞬きの間に、煙のように消えた。夢かと思ったよ。だが、彼は翌日、またやってきた。恐ろしいものを土産にしてな」
「恐ろしいもの?」
灰堂が尋ねる。
「シュラン=ラガのロボットだよ」
計雄が答えた言葉に、静流が息を呑んだ。
計雄は心を決め、その晩に起きた事を話し始めた。
時刻は深夜、メノウは誰にも気づかれる事なく、突然部屋に現れた。メノウは昨晩と全く同じ服装、同じアルカイック・スマイルを見せていた。
しかし計雄の視線はその隣に向かっていた。メノウの隣には、見えない糸に吊るされたように、赤銅色の機械人形が、力なく宙に浮いていた。
「ザティーグというんだ。シュラン=ラガの遺物だよ」
メノウはそう言った。
「探すのに時間がかかっちゃってね。待たせてごめんね」
「それを、どうするというんだ」
「君の願いを叶えるために使うんだよ。いらない部分は、君にあげる。サービスさ」
メノウはザティーグの腰に、左手を当てた。
手はするりと中に入った。そのまま泥をかき分けるように、細く繊細な手が鋼鉄の体に潜り込んでいく。少しの間、腕がゆらゆらと揺れて、やがて手を引き抜いた時、メノウの手には機械の塊が握られていた。
「じゃあ、行こうか」
音もなく地に倒れたザティーグを放置して、メノウは部屋の扉を開けて廊下に出た。
引っ張られるように、計雄も後を追った。普段であれば、家の中にいても外を通る車の音が聞こえたりするのだが、その夜は、深い海の底にいるような静けさだった。
衣擦れの音すら立てず、メノウは静流の寝室へとまっすぐ向かった。何故部屋の間取りを知っているのかなど、計雄は聞く気にもなれなかった。
布団でぐっすりと寝息を立てている静流の隣に立つと、メノウは右手を静流にかざした。
薄手の布団がするりとまくられて、現れた静流の体が宙に浮き上がる。その様は糸に吊るされているようで、先程のザティーグと全く同じだった。
静流のパジャマの裾がわずかにめくられて、背中の白い肌と、痛々しい傷跡が露出した。
メノウはわずかに笑みを深くして、左手に掴んだ機械を、静流の腰に当てた。
ぐちゃり、ぐちゃりと、肉を食うような生々しい音がした。
目の前の異常な光景に、計雄は圧倒されていた。魂の芯まで凍りついたようで、悲鳴を上げる事すらできずに、メノウの行いを呆然と眺めていた。
メノウの持つ機械が傷跡に食い込み、腰の傷を食っていくように見えた。しかし静流は全く目覚める事がなく、違和感も覚えていないようで、規則正しい寝息を立てていた。
(私は、とんでもない願いをしてしまったのか!?)
ふと我に返ったとき、全ては元通りとなっていた。布団もシーツも一切乱れなどなく、綺麗に静流の体にかけられている。布団の中の静流も、入る前と全く変わらずに寝息を立てていた。
メノウはそのまま、静流の寝室から出ていった。計雄は後を追いかけて、二人はまた計雄の私室に戻った。
「終わったよ」
メノウは変わらず、うっすらと笑みを浮かべたまま言った。左手にも血痕や汗すらついていない、きれいなままだ。
「明日目がさめたら、彼女の足は動くようになってる。記憶も少し書き換えた。安心しなよ」
「お……お前は一体何なんだ? 悪魔か?」
「そんなものじゃない。僕はただ、願いを叶えるだけさ」
「願い?」
「そう、人が強く願えば、僕はその人の前に現れる。そして願いを叶える。僕はそれだけの存在さ」
メノウは右手を顔の前まで上げた。その手には、奇妙な形をした鈴が握られていた。
「じゃあね」
鈴の鋭い音が室内に響く。
ふと気がついた時、メノウの姿は消えていた。
次回更新は26日(土)21頃予定です。
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