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01 恐怖の目覚め

 夏の夜はまだ蒸し暑い空気を孕んでいた。外に出ているだけで、何もしていなくても汗が肌ににじむほどだ。

 しかし、青年の全身は外気よりも、体中を巡る熱と冷気と痛みに支配されていた。


 葦原市の繁華街から少し離れた裏通りで、青年は道路にうずくまっていた。

 まだ大人になりたてといった感じの、明るい笑顔が似合いそうな顔には、殴られてできた痣がいくつもある。細身の体にもそうだ。そして腹部には深い刺し傷が残り、シャツと道路を血に染めていた。

 息をするだけで、激痛が走った。動かずにいると、吐き気が頭を痺れさせた。


「畜生……」


 荒い息を立てながら、彼は恨みを吐き出した。

 ほんの少し前、彼は通り魔の集団に襲われた。金目当て半分、暴力を振るう楽しみが半分といった感じの、彼と同年代の連中だった。

 夜道で背後からいきなり蹴り飛ばされ、倒れたところを好き勝手に襲われた。


 少年も必死に抵抗した。暴行に耐え、隙を見て一人の股間を蹴り飛ばしてやったのだ。

 しかしその抵抗が、彼らの逆鱗に触れた。蹴られた男は逆上し、持っていた刃物で少年の腹を突き刺し、逃げていった。


「畜生……ッ」


 彼はまた怨嗟の声を吐き出した。言っても何も変わるわけではない。だが体中に怒りをこもらせれば、まだ痛みが薄れる気がした。

 殴られ、蹴られた場所が熱くい。全身が痛み、腹の傷が思考能力を失わせる。


(このままだと、死ぬ)


 やっと頭に浮かんだ事がそれだった。

 建物の向こう側からは、車の通る音がする。少し歩けば誰かが見つけてくれるはずなのに、手足は鉛の塊をくくりつけられたように重く、立ち上がるどころか這う事もできなかった。


 嫌だ。嫌だ嫌だ。


 心の底からそう思っても、もう声すらまともに出てこなかった。それでも、少年は心の奥底で強く叫んだ。誰かが感じ取り、助けてくれることを望んで。


(死にたくない──)


 ちりん、と鈴の音がした。闇夜に煌めく針が飛ぶような、美しく、鋭い鈴の音だった。


「……?」


 どこから聞こえてきたのか。そう思った時には、音の主は目の前に立っていた。


「願いを叶えてあげようか?」


 鈴の音と共に、優しい少年の声がした。


 美しい顔立ちをしていた。音の主は青年よりも幼かった。まだ子供と言っていい年だろう。

 中国の道服のようなものを身にまとい、長髪を後ろで束ね、女かと見間違うような細面に、うっすらと白粉をはたいている。その顔は、どこかの舞台役者だと言われれば納得してしまうだろう。それも飛び切りの二枚目だ。


 右手には複雑な装飾が施された鐘を持っていた。先ほどの音は、ここから鳴ったものらしい。


「君の願い、叶えてあげようか?」


 目の前の少年がもう一度言った。

 腰を曲げて顔を突き出し、男の顔を観察するように眺める。その仕草は妙に扇情的で、死の直前の恐怖も忘れさせる程だった。


「願えば、叶えてあげるよ。どうする?」


 悪魔の契約は、まさにこんな形で行われるのかもしれない。青年はそう思った。

 そして、青年は死ぬまでの間、ずっと願い続けた。


───・───


 町の大通りを歩きながら、国津大は熱気に思わず顔をしかめた。

 八月も終わりを間近に迎えているこの頃だが、夏の熱気は一向に弱まろうとしなかった。葦原市の中心部に位置する、ここ南方町でもそれは同じである。


 通りを行きかう車から出される排気ガス。金属のボディやアスファルトが吐き出す熱気。周囲に建てられたビル街や、客を呼び込む為に華やかな外装をされた料理店は、熱に対抗する為に冷房をかけ続けている事だろう。そして冷房の為に外気に吐き出された熱風は、大達のように外を歩く者が被害を受けるのだ。


「なんだか、今年の夏って去年より暑くなってない?」


 大は毎年お決まりの言葉をつぶやいた。

 百八十センチをわずかに超える身長に、Tシャツの上からでもわかる引き締まった体つきは、男ならば憧れる者も多いだろう。反面その顔は穏やかで、一見して気弱で押しが弱そうに見られやすい。しかし今は、夏の暑さに辟易したと言った顔を見せていた。


「どうする、綾さん。このまま地球温暖化が進んだらさ」


 大は隣を歩く天城綾に声をかけた。百七十センチ半ばと、綾も女性としてはかなりの長身である。加えて飛び切りの美女だ。彼女が歩いていると、それだけで人目を惹く。大は綾の隣を歩いていると、自分が周囲からどう見られているか、いつも気になってしまうほどだ。


 日曜の朝、大は綾と町に買い物に来ていた。綾の車に乗せてもらい、生活必需品から服まで買い物をして回る、楽しい時間を過ごした帰りである。

 大の両手は荷物の入った紙袋で塞がっていた。綾が買ったものも大量にあるが、綾に荷物を持たせるつもりはなかった。


「地球が高温化して人間が住めなくなったりしたら、さすがに巨神タイタンの子でもどうしようもないよ」


 二人とも現在地球上で数を増やしている、異能に目覚めた超人達である。『偉大なる巨神タイタンの子』と呼ばれる二人が持つ力は、時に現代兵器すら凌駕する、と大は自負している。

 その力を以て、超人達が起こした事件、常識と神秘が入り混じった事件に、大は何度も関わってきた。だが、さすがに問題が天体規模となっては手出しのしようがない。


 おどける大の口調に、綾はくすりと笑った。


「まあ、こればっかりはね。自分にできる事をそれぞれ考えるしかないわ」

「だよねえ。シュラン=ラガの遺物に、パッと解決するアイテムでもあればいいんだけどな」


 十年以上前、地球を襲った異世界シュラン=ラガの侵略による影響は、今も続いている。大達も数週間前に、それを分からせられたところだ。

 人間を兵器へと作り変える実験の数々や、恐ろしい力を秘めた遺物。それらは今でもこの地のどこかに眠り、人類もまだ知らぬ異世界の勢力に狙われている。


 最早この地球では、いつどこで何が起きてもおかしくない。それが今という時代なのだ。

 しかしそんな中にも、平和の為に利用できるものがあれば、それがまだこの星のどこかに眠っていたら。そんな他愛もない事を考えてしまうのは仕方ない。


「あるかもわからない遺物に期待するよりは、宇宙に出てるヒーロー達に火星開発でも期待するほうがいいんじゃない?」

「それはそれで無茶苦茶だよ」


 たわいもない会話を続けながら、二人は駐車場へと向かった。停めてあった綾の車に、大は荷物を積めていく。荷物を積み終えて、二人とも車に乗り込んだ。綾が車のエンジンをかける。

 電気自動車のモーターが起動して低い音を立てた瞬間、爆発音が二人の耳をつらぬいた。


「なんだ!?」

 

 二人はあわてて飛び出した。普段聞くはずのない爆音、人々の悲鳴、そしてざわめきが一体となって、目の前に壁となっている建物を超えて向こう側から聞こえてきた。


「あっちの方から!」


 綾が鋭く叫ぶ。二人の行動は速かった。お互い確認する事もなく、同時に音のした方へ向かって走り出す。走っている間にも、車の衝突音や破壊音が二度、三度と聞こえてくる。悲鳴と騒音が波のように大きさを変えて届いてきていた。


 視界を塞いでいたビルの角を曲がり、大通りに出る。目の前には市内の観光地として有名な、葦原城の跡地があった。城の周囲にはぐるりと塀と堀が囲み、周囲の遊歩道には桜並木が青々と茂っている。

 そして音を立てていた主は、遊歩道の外にある大通りのど真ん中に、仁王立ちで立っていた。


 それの全身は、赤銅色の装甲に覆われていた。猫背の胴体から長い手足が生え、人型というには少々歪な形をしている。

 頭部には左右に丸く赤いカメラアイが並び、枝分かれした二本の角が、後方に向かって生えていた。

 全身を鋼鉄の鎧で包まれた異形の人形は、周囲の状況を確認するように、ゆっくりと首を振った。


「なんだ、あれ。シュラン=ラガのロボットか?」」


 大は呟いた。大はあれと同じものを見た事はないが、大が子供の頃に見たシュラン=ラガの兵器と、デザインに類似点があるように思えたのだ。

 綾に尋ねようと隣を見た時、大は自分の想像が間違っていなかったと感じた。綾の表情は険しく、目の前のものに対して強い緊張を示しているのは明らかだった。


「あれは……ザティーグ?」

「知ってるの?」

「シュラン=ラガの兵器の一つよ。とてつもなく恐ろしい怪物……!」


「そんなのが、何でここに?」

「わかるわけないでしょ。そんな事よりこのままだと、この周辺一帯廃墟になるわ!」


 綾の声に反応したように、目の前の兵器──ザティーグは長い眠りから覚め、全身にたまったものを吐き出すように、絶叫した。


───・───


 青年は暗闇の底で目覚めた。


 自分がどこにいるのか分からなかった。周囲は冷たく、どろどろとした黒いものが詰まっていて、全身がそれに浸されていた。

 泥の中だ。そう気付いて驚いたが、苦しさは全くなかった。光も全く届かない暗い底にいるのに、何故泥だと気付いたのかは分からなかった。


(俺は死んだのか)


 青年の頭脳は、過去の記憶をすぐに探り出した。

 通り魔集団に襲われ、重傷を負って動けずにいた。もうあとどれほどもしない内に死ぬ。そう思った時、青年の前に少年が現れた。


「願いを叶えてあげようか?」


 そう言われた後の記憶はなかった。死にたくない、ただそう願ったのは覚えている。

 その願いを、少年が叶えた結果が、この泥の中だというのだろうか。こんな暗い、何もない泥の中、永遠に意識だけが残って漂うのだろうか。


(嘘だろ……!?)


 絶望が全身を芯まで冷やしていく。


(嫌だ。俺はこんなもの、望んでない! なんで、なんで!)


 感情の爆発に、体が応えた。

 恐怖を振り払うように体を振り回す。泥がかき回されて飛び散る。泥は重く、どこまでも続いている気がした。それでも体を動かし続ける。


(どけよ……っ!)


 心の中で叫んだ時、目の前に閃光が広がった。轟音と高熱が泥を吹き飛ばし、激しい水流が体を揺さぶる。

 何が起きたのかと慌てたが、頭上にゆらめく光が見えて、彼の意識はそちらに集中した。


 泥の塊から抜け出して、体はだいぶ自由がきくようになっていた。がむしゃらに手足をかき、光を目指して上昇する。


 ついに光に手が届き、青年は水面から勢いのまま飛び上がった。石垣をそのまま一気に飛び越え、硬い地面に着地した。

 打って変わって、騒音が耳をつんざいた。先ほどまでの静けさは、水中にずっと使っていたからなのだと彼は理解した。


 でも妙だ。青年の脳裏に疑問が浮かんだ。

 気を失ってずっと水中にいたなら、ただの人間が生きているはずはない。それにさっき、水中から浮かび上がって、そのまま縦に五メートルは飛び上がった。とても人間にできる動きではない。


 一体何が起きている?


 困惑の中、けたたましいクラクションの音が鳴り響いた。音のした方向に顔を向けた時、目の前に大きなトラックが壁のように迫っていた。


(逃げられない!)


 青年にできたのは、わずかに身構えるだけだった。

 激突した瞬間、予想以上の衝撃と破壊音が襲う。だが予想していた痛みは、全く感じる事はなかった。


(……?)


 青年は恐る恐る顔を上げた。青年が見上げる程に大きなトラックのフロント部分は、巨大な岩に激突したかのように凹み、破壊されていた。


(な……なにが、どうなってるんだ……?)


 わけがわからず、ただ後ずさる。そこで青年は、体に起きている異常にやっと気付いた。

 全身は赤銅色に染められた金属の装甲に覆われている。手足には凶悪な形をした爪が生え、骨格からして、元の体とは似ても似つかない。


 最早人間の姿ではない。

 自分に何が起きたのか、全く分からない中で、青年は唯一それだけを理解した。


(俺の、俺の体は、どうなってるんだよ!)


 ザティーグの体の中に秘められた、少年の心は混乱の極みに達し、恐怖を吐き出すように絶叫した。

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