03 悪魔対巨神の子
悪魔は軽くうなった後、息を大きく吸い込む。その動きに反応し、ミカヅチはその場で跳躍した。
膝のバネだけで、180センチを越える体がコンテナより高く飛び上がる。一瞬遅れて、悪魔が炎を吐き出した。
狭い通路を緋色の炎が舐め回した。あのまま地上にいれば、逃げ場などなく全身炎にまかれていたことだろう。いくら巨神の加護があっても、体験したくない類の事柄だ。
ミカヅチはそのまま悪魔を飛び越え、背後に着地した。振り返ると同時に、火を吹く事をやめた悪魔がその場で回転する。
「ガァッ!」
荒々しい怒号とともに、悪魔が裏拳を放った。ミカヅチはその場で膝を曲げ、しゃがんで拳をかわす。風を裂いて悪魔の太い腕が通り過ぎた。
曲げた膝を一気に伸ばして勢いをつけ、ミカヅチは跳びあがるような勢いで右拳を放った。
悪魔の無防備な顎に拳が突き刺さり、凶暴な顔が苦痛に歪んだ。
「ググッ!」
苦悶の声を吐きつつも、悪魔は変わらず攻撃を続けてくる。右フックに左アッパー、細かい連続攻撃。凶暴な外見に似合わず、その動きは格闘技を専門的にやった人間の動きだった。
脇腹めがけて放たれた左フックを、ミカヅチは腕を閉じて防ぐ。重い一撃を受け止め、ミカヅチは反撃に移ろうと歩を進める。
踏み込んだ足が、地面を踏みしめずに止まった。
「!?」
足首を強く掴まれた感覚に困惑し、視線を下ろす。
ミカヅチは見た。白銀のブーツに包まれた右の足首に、悪魔の腰から生えた長く太い尻尾が絡みついていた。
振りほどこうとした時には、尻尾がミカヅチの体を持ち上げていた。手足と同等の怪力を持つ尻尾によって、ミカヅチは片足を引っ張られて逆さ吊りにされる。
(やばい)
完全に相手に動きを支配された状況だ。フットワークで相手の攻撃をかわすなど当然できない。
どうする、と考えた時には、ミカヅチの眼前に悪魔の足が迫っていた。
足裏全体をぶつける、いわゆるヤクザキックで蹴りつけられた。ミカヅチは両手を顔の前で構え、蹴りを防ぐ。
蹴りの衝撃で、宙に浮いた体はそのまま後方に飛ばされる。背後にあるのは硬い鉄のコンテナだ。
ミカヅチは体を丸めて、コンテナに背中からぶつかった。コンテナが凹み、すさまじい音を立てた。常人ならば背骨が砕けているかもしれない威力だ。
悪魔は再度蹴りを打とうと足を上げる。瞬間、ミカヅチは左手に持っていた棍を横薙ぎに振った。
ミカヅチの手をいくら伸ばしても、そのままでは悪魔の体まではとどかない。しかしミカヅチが薙ぐのに合わせて、白銀の棍は瞬時に長さを変えた。
偉大なる巨神の加護を受けた、白銀の戦棍は、ミカヅチの意志に応じて形を変える変幻自在の武具である。倍以上に伸びた棍を、ミカヅチは悪魔の膝に叩きつけた。
骨を砕くような一撃に、さすがに悪魔も悲鳴を上げた。
尻尾の拘束が緩み、ミカヅチの体が落下する。ミカヅチは器用に体を丸めて、両手足を使い着地した。体勢を整える暇もなく、悪魔が唸りを上げて襲いかかる。
「チッ!」
ミカヅチは横に転がって悪魔の攻撃をかわし、立ち上がる。棍を二メートル近くまで伸ばしつつ、両手で棍を握り、悪魔が攻めるよりも早く振り抜いた。
棍の先端が光の残像を残しながら、悪魔の顎を打った。さらに返す刀で棍を振り右の鎖骨を叩くと、悪魔も痛みにうろたえた。
好機と見て、ミカヅチは全身を回転させて加速し、横蹴りを放った。鳩尾に突き刺さり、悪魔が肺腑の奥から息を吐き出す。
続けざまに棍の先を地面に突き立て、一気に体を浮かせた。
「りゃあッ!」
呼気と共に、棍で地面を押す力を利用しながらのドロップキックが放たれた。
180センチを超えるミカヅチの体が塊となって、悪魔の胸元を叩く。砲弾のような衝撃が一点に打ち込まれ、さすがの悪魔も吹っ飛んだ。
巨体が背後のコンテナに激突し、跳ね返っても勢いがとどまらずに転がる。数メートル転がった悪魔を前に、ミカヅチは棍を構えたまま軽く息を吐いた。
「がっ……がが、てめ……」
悪魔が呪詛の言葉を吐きながら、上体を持ち上げようとする。膝に手をつきゆっくりと立ち上がる姿から、かなりのダメージは与えられたと見えるが、油断はできなかった。
「まだやる気か。これ以上やるって言うなら、偉大なる巨神の名にかけて、本気で相手になるぞ」
「巨神……? 巨神の子がなんで、俺たちを狙うんだよ……?」
「狙う?」
出てきた言葉に、ミカヅチは眉を寄せた。
「いきなり襲ってきたのはそっちだろ」
「うるっせえ、あの魔法陣を描いたのはてめえらだろうが」
悪魔は威嚇するように声を吐いた。話している間にだいぶダメージが回復したようで、全身に力を込める。両足を開き、前傾姿勢になった攻撃のみを考えた構えだ。前に出した両手の爪が不気味な印象を相手に与えていた。
闘志を失わない悪魔の底力も気になるが、ミカヅチにはそれ以上に気になる事があった。目の前の悪魔は、先ほどの空き地にあった魔法陣から出てきたものと勝手に思っていたが、どうやら事実は全く逆であったらしい。
「なあ、どうも俺たちお互いに勘違いしてるみたいだぞ」
「あぁ? どういう意味だよ。今更命乞いか?」
「いや、そうじゃなくて……」
どうにかして相手の気持ちを落ち着けなければ、話もできそうにない。
手立てを考えるミカヅチだったが、思いつくよりも早く、悪魔がミカヅチに向かって駆けた。
その時、別の影が二人の間に舞い降りた。
着地した影が悪魔とぶつかったと見えた瞬間、影がぐるりと回転し、悪魔を投げ飛ばしていた。
「ぎゃん!」
背中から地面に叩きつけられて、悪魔は悲鳴を上げた。思わず見とれてしまうほどの、鮮やかな一本背負いだった。
影は首から下をぴったりと包む、ボディスーツをまとっていた。スーツの手足や肩、胸部は白っぽい装甲に覆われている。どことなく騎士の鎧を思わせるデザインだ。頭部も同じ白い装甲の兜によって、完全に隠されている。
以前にミカヅチは同じものを見たことがあった。ドキュメンタリー番組で紹介されていた、軍事用の強化服である。以前に会った超人犯罪者が似たタイプの装備を使っていた事があり、その性能はよく知っていた。
謎の人物の体は目をみはるほどに大きかった。背はミカヅチと同程度だろうか。鎧の体積を差っ引いても、体つきも迫力も負けていない。
影は悪魔を投げ飛ばした姿勢のまま、悪魔に鋭く声をかけた。
「よしな、エル! そこまで!」
ハスキーな女の声に、ミカヅチは思わずぎょっとした。その体つきから、全く想定していない相手だった。
「ママ……!」
悪魔が女に向けて、つぶやくような声を出した。ミカヅチは更に驚いた。言葉の内容もだが、悪魔の出した声からは、先程まで見せていた獰猛な気配は全くなかった。
「あんたの勘違いだ。このへんにしときな」
「でもママ、あいつ……」
「エル!」
雷のような怒声に、エルと呼ばれた悪魔は完全に萎縮していた。文字通り親に怒られた子供の気配だ。凶暴な悪魔の肉体が、バツの悪そうにしている姿は全く似合っておらず、見ていて妙なおかしみを与えた。
手を離されて、悪魔はふう、と息を吐き立ち上がった。
不意に、彼の影からどろりとしたタールのような黒いものが湧き上がった。黒いものは悪魔の体を包み込み、わずかに揺れて再度影に戻っていく。
やがて黒いものが全て消えた時、そこには悪魔の姿はなく、元の少年の姿があった。少年は肩を落とし、女に頭を下げていた。
「ごめんなさい」
「よろしい」
女はそういうと、首筋を軽く指で触った。なにかのスイッチがあったようで、マスクが後頭部から割れた。女がマスクを外すと、赤茶色の髪が印象的な、気の強そうな女の顔が現れた。
エルと呼ばれた少年の顔と、よく似ていた。エルがママと呼んでいた通り、二人には親子らしい血の繋がりが感じられた。
「ミカヅチ!」
クロウと一輝が、頭上から声をかけた。ふたりともコンテナから飛び降りると、ミカヅチに近寄った。
「ミカヅチ、大丈夫?」
「ああ。一体どうなってるんだ?」
「どうも、あっちもボク達と同じみたいだよ」
「同じ?」
「魔法陣を調べにきた、って事。それもボクらより色々詳しそう」
「ふうん……?」
エルと呼ばれた少年の方を見ると、ちょうどママと呼ばれた女に色々と小言を言われているところだった。
見られていることに気づいたエルはミカヅチの方を見ると、恨みがましく睨んだ。
「お前らが怪しいことしてたから……」
「エル!」
「はい……」
鋭い一喝に、エルが大人しく頭を下げる。
聞きたい事は色々とあるが、聞けるようになるまではまだ当分はかかりそうだった。
次回は18日21時頃予定です。
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