11.突然の変貌
状況を理解できていない一輝を無理矢理せっついて、大と凛は幸太郎の家に向かった。
幸太郎が済んでいる賃貸マンションは、五分とかからずにたどり着いた。六階建てのワンルームマンション、いわゆる大学生の一人暮らし用に建てられた、格安物件の類だ。
深刻そうな顔の大に、凛もとりあえずといった風でついてきているが、理由を聞きたくて仕方ないようだった。
「どしたのさ?もうちょい説明してよ」
「さっき言いかけたけど、ニュースでやってたろ。ラージャルの仮面が強盗に奪われたって事件。あの時俺は仮面を見に行ってたんだけど、ラージャルの仮面とこの仮面のデザインがそっくりなんだよ」
大は手に持った仮面を見せつけるように軽く振った。ミカヅチとティターニアについて知っている凛は、大体の事を理解したらしく納得の顔を見せる。しかし一輝はまだ疑問符を頭に浮かべている。
「それがなんか関係あるのか?」
「それを確かめたいから、秋山に那々美について詳しい事を聞きたいんだ」
「なんかよくわかんねえな……」
呟きながらも、一輝はエレベーターのボタンを押した。大の表情を気にしてか、その言葉と顔には若干不安の色があった。
エレベーターに乗り込み、五階のボタンを押す。途中で止まる事なくエレベーターは目的の階に到着した。
一輝の先導のもと、一行は外に出た。コンクリートの通路を進むと外に立ち並ぶビルの窓から、夕陽の光が反射して怪しくきらめいた。
通路の奥に位置する五〇八号室で、一輝は歩を止めた。大と凛は二人で連携し、周囲の状況を確認する。何も起きないとは思うが、用心に越したことはない。
一輝が呼び鈴を押すと軽快な電子音が流れたが、部屋の中から反応はなかった。
「あれ。買い物にでも行ってんのかな。おい、コウ。いないのか?」
もう一度呼び鈴を押すが、中で人が動く気配はない。一輝がドアノブに手をかけると、扉は何の抵抗もなく開いた。
「不用心な奴だな。寝てんのか?」
ぶつくさ言いながら、一輝は室内に入った。大と凛も後に続く。
脱靴場の先は一本道になっている。左右にトイレと風呂場に続く扉があり、奥には台所と洗面台が並んでいる。その先にある部屋は、ガラスの引き戸で遮られていた。
洗濯機の回る音だけが、通路に響いていた。
「コウの奴、ヘッドホンつけてAVでも見てたりしてな」
一輝が笑うが、大も凛も反応する気にはなれなかった。妙な気配がした。巨神の加護を得て以来、周囲の気配を感じ取る力が高まっていた。その感覚が、部屋の扉を開けてから臭気のように大の第六感を刺激していた。
蛍光灯の白い明りが漏れ出しているガラス戸を、一輝はゆっくりと開けた。
八畳程の一室だった。フローリングの部屋の中央にこたつ机が位置して、右にはベッド、左にはスチールラックとテレビが並んでいる。そして机とベッドの間で、幸太郎は横になって倒れていた。
一見すれば、机の隣に置かれた座椅子に座ってテレビを見ていた時に眠気を覚え、ひと寝入りしたような姿勢だ。だが大達は、彼に何か異常が起きていると確信した。
幸太郎の来ているシャツのちょうど背中の部分が裂け、そこから青黒い肌が膨れ上がり、心臓のように脈打っていた。
「コウ!」
一輝が真っ先に幸太郎に駆け寄った。肩を掴んでゆするが、幸太郎に反応はない。
「おい、すげえ熱じゃねーか。大丈夫か?」
一輝が更に揺すると、幸太郎の姿勢が崩れ、隠れていた幸太郎の胸元と顔が露わになった。
うっ血したような青黒い色が、全身の肌を覆っていた。更に異常なのは顔だ。髑髏がむき出しになったような白い仮面が、幸太郎の顔を覆っている。悪鬼の如き顔だった。その眼窩のくぼみには血が溜まっているかのように赤く、大きな塊が光っていて、一輝を見つめていた。
「わあッ!」
思わず絶叫した一輝の首筋に、幸太郎だったものが噛みつこうとするのと、大が一輝の首根っこを掴んで引っ張るのはほぼ同時だった。幸太郎の口から生えているとは思えない乱杭歯が噛み合い、刃物同士を叩きつけるような音がなった。
立ち上がりながら邪魔そうに机に手をかけると、無造作に跳ね上げる。こたつ机が縦に回転して宙を舞い、スチールラックに衝突した。置かれていた本や小物が崩れてあたりに散らばる中、幸太郎だったはずの獣が、前傾姿勢になりながら威嚇するように唸った。
「ど、どうなってるんだよ、おい……」
茫然自失といった態で一輝がつぶやいた。そんな事はおかまいなしに、獣の殺気が膨らんでいくのを大は感じ取った。危険な兆候だ。
大は背後の凛に、一輝を押し付けるように預けた。
「一輝を頼む!」
「え? ちょっと!」
凛の非難に返答する前に、獣は動いた。飛びつくように伸ばしてきた両腕を、なんとかそれぞれの手でつかむ。獣は唸り、鬱陶しそうに両腕を振り回した。
七十キロ以上ある大の体が浮き上がった。大は慌てて手を離し、ちょうど獣を中心に百八十度回転したところで着地する。体勢を整えて、大は構えた。
とてつもない怪力だった。少なくとも普段の幸太郎にはまずできない事だ。目の前で何が起きているのか、正直さっぱり分からない。だが、このまま黙って放っておくわけにはいかないし、大体逃がしてはくれないだろう。
大と一輝達に挟まれる形となった獣は、迷うことなく大に向かって駆けた。
タックルではない、技術など何もないぶちかましだ。獣は大の体を掴んで走り、そのまま開いた窓に張られた網戸を壊してベランダに出る。このままではコンクリートの柵にぶつけられ、ただではすまない。そうはいくかと大は抵抗した。足を延ばして窓枠を蹴り、直進のベクトルに横の力が加わる。
それがいけなかった。
柵にぶつけられることは避けられたが、獣は勢い余り、大を掴んだまま柵を越えて転がった。
一瞬宙に浮き、直後に落下感が恐怖を連れて全身を包む。今の幸太郎はどうか知らないが、マンションの五階から落ちれば、常人ならば最悪の場合死に至るだろう。
なら常人でなくなるしかない。
「巨神!」
叫びと共に、大の体を閃光が包んだ。獣が怯み、力が抜けた隙に両腕をふりほどき、腹を蹴り飛ばす。二つに分かれた超人達は、アスファルトで固められた駐車場に難なく着地した。
獣が光を睨みつける。光が消え、中から現れたのは、全身を赤き衣で包み、青い仮面で目元を覆った戦士。
「偉大なる巨神の子として、お前を止める!」
ミカヅチは腰に提げた二本の棍を引き抜き、獣に向けて構える。
獣は気配を感じ取ったのか、忌々しげな唸り声を上げた。




