02 魔性の少年
数十秒、ミカヅチと一輝は無駄口も叩かずにクロウの行動を見守っていた。やがてクロウの歌が終わった時、彼女は両手を腰に当てて首を捻った。
「んー……?」
不可思議そうに声を上げるにクロウに、ミカヅチは声をかけた。
「何かわかったのか」
「いや、わかったっていうか、何もわからないのがわかったっていうか……」
くるりと振り向くと、クロウは疑問げな顔を作っていた。
「これ、魔法陣じゃないよ」
「じゃない?」
「いや、どう見ても魔法陣だろ」
ミカヅチと一輝が反論する。クロウは想定していたらしく、話を続けた。
「なんていうのかな。一口に魔術って言っても古今東西色々あるんだけど、基本的には霊的なものにアクセスするための技術なんだよね。それで何か術や儀式を行うと、周囲の魔力というか、気の流れというか、霊的な力の場が影響を受けて乱れたりしてる」
「どんな部活だろうが、運動すりゃ汗が垂れるし、地面も荒れるみたいなもんか」
「なんか汚いなァ、その例え。でもそうだね。だからボクみたいな魔術師が現場までくれば、その乱れがわかるはずだし、近くで魔術を使えば、その乱れがより際立って見えてくるはずなんだ。でも何もなかった」
「つまり……」
「これは魔法陣っぽく作ってるだけの偽物。価値も、機能も、なんもなし!」
はぁ……とクロウは残念そうに長い溜息をついた。
「がっかりだよ。新聞にまで載って大騒ぎしてこれェ?」
「まあまあ。そういうこともあるさ」
ミカヅチは苦笑しつつ言い返した。今の時代、こういったいたずらには誰もが過剰に反応してしまうのだ。今回は日本中で同じ図柄が描かれるという事があったのでなおさらである。
一輝があくびをしながら言った。
「最初に描かれた魔法陣が新聞に載って、みんな面白がって真似した、ってとこか? もういいや、帰ろうぜ」
「そうだね。帰りどっか寄って帰る?」
皆やる気を失い、空き地を後にしようとする。ミカヅチもあとに続こうとした時、ふと、視界に入った妙なものに気を取られ、足を止めた。
空地の東側、海に面しているところの端。コンクリートで舗装された細い縁に、小さな人影が立っていた。
いつからそこにいたのか、まったく気が付かなかった。周囲の照明のおかげでわずかに影の違いが見えるだけで、顔も体もわからない。背景の黒い海と空も相まって、闇が凝り固まって人の形を取ったのかと思うほどだった。
「おい」
ミカヅチは小さく、しかし鋭い声でクロウ達に声をかけた。帰ろうとしていた二人だったが、声の調子と視線の先にあった影に気付き、にわかに緊張を高める。
人影はゆっくりと、魔法陣に向かって歩を進めた。照明に近づくにつれて、影は拭い去られ、持っていた彩りを取り戻していく。
やがて魔法陣の縁まで来ると、人影は足を止めた。
影は少年の姿をしていた。小柄である。大より頭一つは小さい。おそらくは十四、五歳といったところだろうか。
美しい、整った顔立ちをしていた。中性的なその顔は、やろうと思えばトップアイドルにもなれる事だろう。肩まで届く長髪をまとめて後ろで束ねている。陽に焼けた浅黒い肌と、少々きつめの鋭い瞳が印象的だった。
しかし今、彼の表情は険しかった。整った顔に皺を寄せて、ミカヅチ達をにらみつけていた。その目に敵意があるのは、誰から見ても明らかだ。
ミカヅチの幻は、今も完璧に機能している。三人の姿は周囲の人間の視界に入る事はなく、ここはただの空き地に見えているはずだ。
しかしその幻も、あくまで死角を誤魔化すだけものもにすぎない。姿を隠しているものが発する物音や匂い、それに気配までは誤魔化せないのだ。
少年は幻で隠せないものを感じ取り、ミカヅチ達の存在に気付いているようだった。
ミカヅチ達は皆、息をひそめていた。果たして少年が何者で、目的は何なのか。次の彼の行動を伺って数秒ほど経った時、少年が口を開いた。
「いつまでそうしているつもりだよ」
明らかに、ミカヅチ達を意識している口調だった。返答を考えている間に、更に少年の言葉が続いた。
「俺に会いたかったんだろ? なのに来たら隠れたままかよ?」
言うが早いか、少年は軽く息を吸い、軽く背を反らした。
「じゃあ、こっちもそれなりの対応をしてやる!」
何かやろうとしている。直感が体を刺激して、ミカヅチは腰から白銀の棍を引き抜いた。
ミカヅチが棍を前方に構えるのと、少年が動いたのは同時だった。
少年が勢いよく吹き出した息は、すぐさま真っ赤な炎の渦となって襲いかかった。
それよりわずかに速く、ミカヅチが構えた棍が四方に広がっていく。白銀の棍は瞬く間に視界を塞ぐ巨大な楯と変わり、炎と激突した。
三人を防ぐ巨大な大楯一杯に、ぶつかった炎が膨れ上がった。
「うお!」
ミカヅチの背後で、一輝が悲鳴じみた声を上げた。炎の勢いは楯で防いでいるというのに、その熱は背後にいるミカヅチ達の肉を炙るほどに強烈だった。
すぐに炎は消え去り、ミカヅチは楯を棍に戻した。隠れていた視界が戻った時、目の前にいた者は先ほどまでいた少年とは全く違う、異形の姿をしたものへと変わっていた。
全身の体が膨れ上がり、今やミカヅチと同等以上の巨漢となっていた。全身の筋肉は膨れ上がり、その表面は赤黒い体毛に覆われている。唯一肌を見せている顔は、骨格まで変わっていた。美しい卵型の顔はごつごつと角張った形に変わり、突き出た顎から生えた牙は肉食獣のそれだ。
瞳の白目は失われ、黒く塗りつぶされている。束ねていた髪は解かれ、その中からねじれた角が何本も生えていた。
「悪魔……?」
ミカヅチは思わず呟いた。今いる場に描かれた魔法陣と、目の前にいる者の姿形から連想した言葉だった。
「やっと姿を現したかよ」
少年だったものが言った。先程よりハスキーになっているが、その声色には少年の面影があった。
既に幻は解かれている。ミカヅチ達の姿を見ても、少年だったものは全く臆するところはなかった。
「お前達が俺を呼んだらしいな。その理由、教えてもらうぜ!」
言い放つと同時に、悪魔はミカヅチに向かって飛びかかった。
高速で突っ込んできた体当たりを、ミカヅチは両手で受け止める。
人間が出したと思えない、固く大きな音とともに、ミカヅチの体は宙を舞った。
「ぐ!」
衝撃が全身を突き抜ける。トラックと正面衝突したような気分だった。受け止めるつもりだったのに、力負けして吹き飛ばされた。
姿通り、並の人間が出せるパワーではない。少なくとも巨神の子と張り合えるほどの力を持っている。
ミカヅチの体は柵を飛び越え、隣の敷地に向かって落下した。積まれたコンテナの上に背中から落ちる。すぐさま立ち上がろうとした時、悪魔が頭上に迫ってきていた。
ミカヅチに体当たりした後、他の二人を無視してミカヅチを追いかけてきたのだ。
悪魔が落下しながら、右の拳を打ち下ろす。顔面を狙った一撃を、ミカヅチは首を捻ってかわした。
立ち上がろうとするより早く、悪魔が馬乗りになる。悪魔の左手が更に振り下ろされた。顔面めがけて落とした拳を、ミカヅチは両手を上げて防いだ。
手甲が拳を弾く。常人なら手が砕けるところだ。しかし、悪魔は意に介さずに拳を連打した。
完全に馬乗りになられて、ミカヅチは防戦一方だった。拳が手甲にぶつかるたびに、衝撃でミカヅチの背がコンテナとぶつかり音を立てた。拳が幾重にも振り下ろされてそれを防ぎ続けるのは、巨大なハンマーを叩きつけられる気分だった。
このままやられっぱなしではいられなかった。
「なめるな!」
悪魔が拳を勢いよく振り上げた瞬間、ミカヅチは体を丸めて手足を浮かし、勢いよくコンテナに叩きつけた。
手足をぶつける反作用と背筋の合せ技で、ミカヅチの体は悪魔を乗せたまま宙に浮かび上がった。
「!」
想定外の動きに、悪魔が戸惑いの顔を見せた。偉大なる巨神の加護により、常人を遥かに超えるミカヅチの腕力があればこそできる荒業である。
数メートル浮かんだ空中で二人はそのまま別れ、コンテからさらに下の地面にまで落ちて着地した。
それぞれすぐさま立ち上がり、構える。コンテナに挟まれた狭い通路で、二人は対峙した。
通路の幅はコンテナ一つぶんほどか。人が行き交うには特に難しくない距離だが、戦いとなれば左右にフットワークを使うのも難しい。
悪魔が軽く息を吐くと、口元から息の代わりに炎がこぼれた。その顔から敵意は全く消えていなかった。
敵の姿を眺めて、ミカヅチの目が一点に止まった。悪魔の首筋、ちょうど鎖骨の間に、円形のアザのようなものが浮き上がっている。
焼印のようなそのアザには奇妙な紋様があった。複雑で奇妙な形をしたその紋様は、先程空き地で見た、あの魔法陣と同じ図柄をしていた。
「価値のない偽物じゃなかったのか……?」
ミカヅチは呟いた。
どうやらあの魔法陣は、ただのいたずらではない、何やら大きな事件に関わっているらしい。
ミカヅチは背筋に冷たいものを感じていた。
次回は17日21時頃予定です。
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