01 魔法陣事件
月の明るい夜だった。雲一つない夜空に輝く月と星々の光、そして遠くに輝く電灯の光で、アスファルトが鈍く照らされていた。
濃紺の道路で分かたれて、巨大な倉庫と黒々とした海が視界の左右にそれぞれ広がっている。夜もだいぶ更けたというのに、道路はまだ熱を吐き出しきっていないようだった。海からの潮風もどこか生暖かい。不快指数はかなり高く、立っているだけで汗ばんでくるようだった。
「なあ、ここで合ってるのか?」
ミカヅチは隣に立つレディ・クロウに尋ねた。首から下を覆う紅の戦装束と、銀の手甲と足甲に身を包んだその姿は、180センチを越える長身も相まって、お伽話の戦士が抜けだしてきたようだ。
「大丈夫、ちゃんと調べたから。すぐそこだよ」
対してクロウは自信満々に答えた。鴉の羽のように艶やかな黒いローブが、月の光を吸って妖しく輝いている。フードの奥に隠れた顔が、にやりと笑みを浮かべていた。
「魔術ならボクの仕事だからね。事前準備も完璧だよ」
クロウがやれやれ、とばかりに肩をすくめる。彼女が身にまとっているローブは『秩序の法衣』と呼ばれる魔道具であり、それ相応の実力を持った魔術師でなくては扱えない逸品である。本人の言動が軽いのはともかくとして、実力と才能は折り紙付きだ。
「謎の魔法陣事件、ねえ。なんか話だけならいたずらっぽいけどな」
クロウのさらに隣で、一輝がぼやいた。こちらは二人のヒーローと違い、普段着のTシャツにジーンズという格好だ。手にはバイク用のフルフェイスヘルメットを持っていた。
ミカヅチ達と共に、本格的にヒーロー活動を行うのは今日が初めてである。超人的な力に目覚めたのは最近の事であり、未だ能力を使いこなす訓練をしている最中だが、それほど緊張した様子はなかった。
(ま、それほど危険な事が起きるとは思わないけど……)
胸中でひとりごちながら、ミカヅチはここに来るまでの事を思い出していた。
魔法陣事件、という名でよばれる奇妙な事件が起きたのはは、ちょうど一週間ほど前からだった。日本各地で、毎晩一つずつ、奇妙な魔法陣のような焼け跡が作られるというものだ。
最初は公園の敷地いっぱいを使い、次は学校の運動場、次は高級マンションの駐車場。場所に関連性はなく、ただ広い場所を使ったようだった。目撃者はおらず、目的も定かではない。
警察はこれを愉快犯の手によるものとみて、捜査を進めているらしかった。テレビやネットでは、カルト教団が魔界から怪物を呼び出したのだ、いや宇宙と交信する為のミステリーサークルだ、と好き勝手に言われている。
その魔法陣が先日、この葦原市内でも作られたのだった。
「でさ、噂の魔法陣をちょっと調べに行ってみようよ」
昼の学生食堂で、レディ・クロウ──その正体である支倉凛は、国津大と一輝に調査を持ちかけた。
「調査って……別に構わないけど、もう『アイ』の捜査官が調べてるんじゃないの?」
大は言った。日本中で増加している異能者、超人の管理・保護を目的とした機関『アイ』は、国内で発生しているオカルト関連の事件には必ず首を突っ込んでいる。昔ならば都市伝説や笑い話として済まされていた事が、今では現実に存在し、重大事件を引き起こす原因になるとも限らないからだ。
「それは分かってるよォ。でもボクが調べたら何か分かるかもしれないじゃん? ボクって日本一の魔法使いだし?」
冗談めいた口調で凛は言うが、実際彼女は優秀な魔術師だ。その師匠はティターニアやグレイフェザーと同時期に活躍した大物魔術師である。彼に厳しく鍛えられた凛はレディ・クロウと名乗り、ついには師匠から魔道具『秩序の法衣』を授かった。確かに有象無象の占い師や霊能力者とは説得力が違う。
「俺はいいぜ。どうせ暇だしな」
大の隣に座った一輝が言った。おもむろに左右の手を顔の前に出し、握り拳を作る。すると拳の周りに光の膜が生まれた。
一輝は顔の前で拳を合わせると、光の膜が硬い音を立てた。
「こんな力が手に入ったんだ。一度くらい、ヒーローらしい事やってみたいしな」
一輝も同意するのであれば、大に断る理由はなかった。学生の大達と違い、綾は仕事である。遅くなるかもと綾に連絡を入れて、大も魔法陣の調査に参加する事になったのだった。
「よし。さっさと魔法陣まで行って確認してみようぜ」
そう言いながら、一輝は手に持っていたヘルメットをかぶった。両手でヘルメットを微調整する姿を見ながら、ミカヅチは尋ねた。
「なあ、やっぱりそのヘルメットいるか?」
「当たり前だろ。正体バレたらどうすんだよ」
一輝は当然、とばかりに言った。
「お前ら二人と違って、こっちは変身もしねえし衣装もないんだ。顔くらい隠しておかねえと」
「力を使ってればいいだろ?」
一輝は全身を特殊なエネルギーで包む力を持っている超人である。そのエネルギーは自動車の正面衝突にも耐える頑丈な鎧と化し、それを持ち上げ放り投げるほどの力を持っているのだ。
彼が力を使っている時は光の鎧が身を包む為、せいぜい中にいる者の影が見える程度で、正体を確認する事はまずできない。
だが一輝はいやいや、と顔の前で手を振った。
「それじゃ目立つだろ? デカいし光るし、夜中にずっと使ってたら怪しい奴じゃねえか」
「そんなに気にしないでいいと思うけどな。こんなとこに人来ないよ」
「お前はちょっと気にしなさすぎなんだよ……。そんなドミノマスク一個で顔隠したつもりかよ」
「俺?」
言われてからミカヅチは手で軽く仮面に触れた。目元を覆う青い仮面は、硬質で滑らかな感触を指先に伝えてくる。確かにこの仮面一つと髪型を変える程度では、正体を隠す手段としては心もとないかもしれない。
「そうは言っても、巨神の子に正体はない、ってのが定説だからな」
大西洋に浮かぶ島国、タイタナス。その国民から信仰される『偉大なる巨神』と呼ばれる存在がある。世が乱れる時、偉大なる巨神はタイタナスの信徒に祝福を与え、世を乱す外道を正す為の力を与えるとされている。それを人々は『巨神の子』と呼ぶのだ。
故に、巨神の子には決まった者はいない。仮に戦いの中で亡くなったとしても、世に必要とされる限り、偉大なる巨神はまた別の者を巨神の子として選ぶというのが、現在の定説だ。
タイタナスのある神学者は、巨神の子は偉大なる巨神の分体であり、地上で死んだとしてもそれは仮初の死であり、いずれまた復活すると説いている。
そういった風潮の為か、ティターニアを始めとした巨神の子の正体を突き止めようとする者は、ほとんどいないと言ってよかった。
そもそもミカヅチからして、幼少期にティターニアと、その正体であり、大の憧れの女性だった天城綾を結び付けて考えた事はなかったのだ。人間の注意力というのは意外と散漫なものである。
「そんなに人前に出る訳でもないし。マスク一つで十分だよ」
「雑だなー、おい」
「そんな事より早く行こうよォ。何があるか」
クロウにせかされて、二人はおう、とうなずいた。一輝は胸元で両の拳を合わせ、軽く息を吐いた。
途端に、一輝の全身を薄い光が包んだ。能力を押さえて産み出した光の鎧は戦闘時ほど大きくはなく、どことなく宇宙服を思わせる輪郭をしていた。
その隣ではクロウが両手を広げ、軽く一言二言呟く。クロウの体がふわりと浮き上がった。
「ついてきて!」
そのまま飛翔するクロウの後を、ミカヅチと一輝が走って追いかけていった。
───・───
レディ・クロウに先導されて、ミカヅチ達は葦原市の埠頭までやってきた。
海に面したコンクリートの広場に、巨大なコンテナが丁寧に並べられていた。頭上高く設置されたライトに照らされているが、光の恩恵を受けているのは一部のみだ。敷地の隅にいくと、そこは濃い影に支配されている。
その埠頭の隣に、小さな空き地に、目的の魔法陣はあった。
普通車を十台ほど置ける広さ程度の砂利場だ。周囲は鎖がロープが張られていて、南側は海に面している。近くにある電灯のおかげで、照明をつけなくても周囲を確認できる。
その空き地いっぱいに、黒黒とした炭らしきもので、陣が描かれていた。
「これが噂の魔法陣か……」
空き地の端に立ち、ミカヅチはひとりごちた。既に周囲に幻を作り、三人の姿は見えないようにしている。
よく見ると、魔法陣は何かが焼け焦げた跡のようだった。魔術師がここで何か儀式を行う際に、火をつけて魔法陣を描いたのかもしれない。
ミカヅチに魔術関連の知識はないが、描かれた記号や文字らしきものは、今まで見たことのない奇妙なものばかりだった。
「思ったより規模がでかいな。でもよ、こんなもんか?」
一輝が言った。その口調には緊張感はなかった。旅行先でぱっとしない名所を見に行った時のような、がっかりとした感じがあった。
「正直ただのいたずらにしか見えねえ。こんなもん、誰が何のために毎日作ってるんだ?」
「それを、これから調べるんだよ」
クロウが魔法陣のそばに立ち、両手を魔法陣に向けて伸ばした。
「早めに済ませてくれよ。厄介ごとに巻き込まれるのは嫌だしな」
ミカヅチは言った。先に灰堂に連絡は済ませているので大事には至らないだろうが、可能なら面倒事は避けたい。
クロウは「わかってる」とミカヅチに軽く声を返すと、軽く深呼吸をした。細い呼気が終わる頃には、クロウの全身から緊張感が漂ってきていた。
フードから覗く口元が、小さな声で何か呪文のような言葉を紡いでいく。その調子はどこか、スローテンポの歌を歌っているようだ。
敷地を照らす大きなライトのおかげで、照明がなくとも周囲が見える。しかし半端に明るいおかげか、周囲の夜闇がより引き立っているようだった。
次回は16日21時頃予定です。
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