13 別れの言葉
大は既に変身を解いていた。蘇我を倒した後、他に誰も姿を現さない。麻央が用意した、今日戦う戦士達はあれで終わりのようだった。
空地を横切り、建設途中の建物に向かって大は歩を進めて行く。麻央が中で、期待と興奮を胸に待っている事だろう。
建物の中に、大は足を踏み入れた。むき出しのコンクリートが靴底をこする。装飾も何もない建物の中は無骨で、冷たさを感じる。建物の中央は吹き抜けになっているようで、天井に開いた大きな穴から月明りが降ってきていた。
そしてその月光を全身で浴びながら、麻央が待っていた。
どこから持ってきたのか、アンティーク調の木製の椅子に麻央は座っていた。隣にはランプが置かれ、暖かな光が周囲を照らしている。
今の麻央は、悪漢に連れ去られたお姫様の気分を楽しんでいるだろうか。そんな事を大は思った。椅子に座ったまま所在なさげに足をぶらぶらとさせながら、彼女はデートの相手を待つような、楽しみを隠しきれない表情をしていた。
外の通りから、時折車のエンジン音が聞こえてくる中、大は建物の奥に歩を進めた。足音に気付いた麻央が顔を向けると、ぱぁっと顔を明るくした。
「国津君……!」
麻央は椅子から立ち上がり大に駆け寄ると、飛びつくようにして抱き着いた。
「よかった……。来てくれるって、あたし、信じてた」
「麻央……」
「みんなやっつけてくれたんだね。あたしを一番愛してるのは、やっぱり国津君だった」
大の首筋に手を回し、甘えるような声を出す麻央とは裏腹に、大の心はひどく冷めていた。
「……みんな、君を大事に思ってた奴ばっかりだった」
大の言葉に、麻央の動きが止まった。
「外にいた連中は、君が力を使って、君を愛してると錯覚させてた。それでもみんな君の為に戦った。そんな連中にいう事はないの?」
「何言ってるの、国津君。あたしそんな事してないよ」
大から体を離し、麻央は大の顔を見た。きょとんとしたような顔で大を見つめてくる。その瞳は純粋そのもので、彼女が本気で言っていると大に無言で伝えてきていた。
「みんなは私を愛してくれたの。あたしへの愛を証明する為に戦ったんだよ。みんなが頑張ってくれたのは嬉しいよ。でもさ、今日一番あたしを愛してくれてるのは、国津君だよ」
「蘇我は倒れても君の事を想ってた。君もそうじゃないのか?」
「としくん……? うん、としくんも好きだよ。とし君があたしをずっと愛してくれてたのは知ってる。でも今はいいじゃない? そんな事」
大は彼女と根本的に相いれない事を痛感した。彼女の思考を文章にしてまとめる事はできるだろう。しかしそれを理解し、納得する事は、おそらく大には一生かかってもできないだろう。
これまで大は、様々な異形の怪人、怪物、超人と戦ってきた。しかし、人間の中に彼女ほどの歪んだ心を持った者はいなかった。
「……国津君……」
麻央はすっと目を伏せた。可憐な唇が、相手を求めるようにわずかにすぼめられる。
同時に、彼女の周囲をまたあの蠱惑的な香りが包んだ。人の思考を溶かし、あらゆるものを虜にする、魔性の香りだ。
目眩を覚えて、大は顔をしかめた。麻央は大が愛を返すと信じているようで、目を閉じたまま口付けを待っていた。闘争に勝利した英雄に対する、褒美のつもりなのかもしれない。
大は目を閉じ、わずかに逡巡した後、彼女を抱きかかえた。
「え?」
予想外の行動に、麻央が目を開けた。大は気にせず足を進め、麻央が座っていた椅子に麻央の体を降ろした。
「国津君……?」
「もうすぐここに、『アイ』の管理官が来る」
「え?」
「君は危険な超人の力を、無意識に使って人を操ってる。『アイ』の管理下で、力をコントロールできるようにならないと駄目だよ」
麻央が信じられないと言いたげに、顔を硬くした。
「なんで? なんで国津君、そんな事言うの?」
「分からないのかよ。君の力のせいで、君の友達も、蘇我も、色んな人が傷ついた。このまま放っておくわけにはいかない」
「違う! みんなが戦ったのは、あたしを心から愛してるからだよ! あたしは何もしてない!」
うろたえながら、麻央は叫んだ。ボーリング場で見た彼女と同じ、自分の予想と違う反応が帰ってきた驚愕がその顔にはあった。
「あたしのパパとママも、ずっと喧嘩ばっかりしてた。でもそれは、あたしを愛してたから! あたしを取られたくなかったから! 愛もなくて命がけで戦えるわけないじゃん! 超人とか力とか、そんなの関係ないよ!」
彼女はずっと、自分の発した言葉通りの事を信じ続けてきたのだろう。
人を魅了し、虜にする力を、麻央自身はいつしか身に着け、無意識のうちに使うようになってしまった。それが何年も続き、当然になってしまった為に、彼女には人が自分に愛情を向ける事が自然となってしまっていた。
自分の近くにきた名も知らぬ人間が、命すら惜しまずに愛を表現しようと迫る毎日。大には想像もできない生活だった。麻央が愛という言葉にこだわるのも、自分の周囲の人間が豹変する事に対する、彼女なりの折り合いのつけかただったのだろう。
麻央は椅子から立ち上がった。大の胸元に近寄り、上目遣いに大を見つめてくる。
魔性の香りが強くなった。この香りがある限り、彼女はこの世界から愛されるヒロインでい続ける事だろう。
「お願い。あたしもとし君も、みんな悪い事してないの。あたしたちを助けて。『アイ』に行ったらあたしどうなるの? 愛してくれる人のいない生活なんて耐えられないよ……」
大を見つめる瞳が潤んだ。香織はどんどん強くなり、脳をしびれさせる。今この場に他に人がいたならば、例え赤の他人でも麻央の為に命を捨てようとするだろう。
大は冷静に、麻央の手首を取り、ゆっくりと引きはがした。
首にかけられた、木彫りのアクセサリーが赤い光を帯び、明滅していた。
「ここに来るまでに、君の力に対策をとっておいたんだ」
凛に作ってもらった、即席の護符だった。所持者の精神状態を安定させ、外部からの脳や精神への強い影響を軽減させる効果がある。原理の不明な超人の力に、魔術でどこまで対抗できるか不安はあったが、効果は十二分にあった。高揚感はあったが、それも理性が働く程度に抑えられていた。
「分かったろ。君は愛されてた。でもそれは君の力の暴走によるものだ。コントロールできるようにならないと、周囲の人が酷い目に合う」
「そんなことない!」
麻央は大の手を振りほどき、いやいやをするように激しく首を振る。その顔は激しく歪んでいた。悔しさ、怒り、悲しさ。様々な感情が渦を巻き、混じり合っていた。
「なんで? 国津君はなんで、あたしの事を愛してくれないの? あの時も今も、何で国津君だけ?」
「麻央……」
「やめてよ! これ以上、あたしを否定しないでよ! あなたなんて大嫌い! あたしを好きにならない人なんて大嫌い!」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼし、麻央が泣き叫ぶ。それを大はどうする事もできずに、ただ見つめていた。
───・───
工事現場に無骨な車が何台も止まるのを、大は通りを挟んで眺めていた。大が灰堂に連絡して送ってもらった、『アイ』の超人用護送車である。
止まった車からは作業着姿の男達がわらわらと出てくる。先ほど大が倒した男達を、『アイ』の職員たちがてきぱきと車に運んでいった。
皆気絶したままだった。その中には蘇我もいる。気を失ったままで、少しだけ大はほっとしていた。
結果的に友人を裏切るような形になってしまったのだ。目を覚ました蘇我がどんな表情で連行されていくか、見たくはなかった。
全員ストレッチャーに拘束されて運ばれる中、ただ一人麻央だけが歩いて車に向かっていた。両脇を職員に抱えられて連行される麻央は、抵抗する素振りを見せない。ただわんわんと子供のように泣き叫んでいるだけだ。その声は大のところまで届いてきていた。
「大嫌い!」
さきほど目の前で言われた麻央の叫び声が、今も大の耳奥で繰り返されていた。
十年前、麻央と別れた最後の日。大も同じことを言った事が、妙につながっているように大には感じられた。
もしあの日、大が麻央の話を聞いていたら、全然違う未来が待っていたのかもしれない。
それはただの空想でしかない事は分かっている。しかしあの一言が、彼女の何かを変えてしまったような気がしてならなかった。
「大ちゃん」
不意に聞こえてきた声に、大は顔を向けた。綾が心配そうな顔で、大を見つめていた。
「終わったの?」
「うん。もう大丈夫」
大が見ていた方に、綾も目を向ける。麻央たち全員を車に乗せたようで、護送車は発進しようとしていた。
「あれが、薬師寺さん達?」
「うん。……どうにもならなかったよ」
照明に照らされながら、去っていく車の姿を見ながら、大は呟いた。
「こうなる前に止めたかった」
「人間、いつも最適解が出せるわけじゃないわ。大ちゃんは誰か死人が出る前に、彼女たちを止める事ができた。そう考えましょう」
優しく語る綾の言葉に、大は軽くうなずいた。
車が完全に見えなくなった後、大は深く溜息をつき、綾と顔を見合わせた。
「帰ろうか」
「……大ちゃん、ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だよ。さっき、麻央から言われた事を思い出してただけ」
大は力なく笑みを返した。
「薬師寺さんから?」
「うん。もっとずっと前に言われるはずだった事を、今日やっと言われただけ。ほんとに、それだけなんだ」
今回の話はここで終了となりますので、一旦完結とします。
続きは色々と考えているところです。形になったらまた投稿したいと思います。
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