12 虚しい戦い
蘇我は一気に間合いを詰めた。飛び掛かるような勢いで放たれる右の打ち下ろしを、ミカヅチは冷静に体をそらしてかわした。
蘇我の勢いは止まらず、拳を繰り出した。左フック、右ストレート、ジャブを数発放ちながらのさらにストレート。
速い。かなり高いボクシング技術を持っている事は、門外漢であるミカヅチにも分かる。それだけでなく、動きも並の人間をはるかに超えていた。
蘇我の拳を包む青い鬼火と同じ光が、うっすらと蘇我の全身を覆っているのが見えた。恐らくあの光が肉体を強化し、蘇我に超人的な身体能力を与えているのだろう。
(一輝と同じタイプか)
「チッ!」
鋭い呼気と共に放った蘇我の右ストレートを、手甲で受けた。炎は手甲にこびりついたように燃え続けるが、肉に触れていない為、痛みはなかった。
鬼火は触れたものを破壊しない代わりに、痛みを与える事は既に予習済みだ。拳を防ぐ際には、不用意に体で触れてはいけない。できるだけかわし、後は手甲で受ける。蘇我の動きは確かに速いが、巨神の加護を受けたミカヅチほどではない。これなら十分にとらえられる。
左、右、左ジャブ二発。蘇我の攻撃のタイミングを計りながら、ミカヅチは拳を握った。今なら一発で終わらせられる。次に蘇我が右を放ってきた時、カウンターで一撃打ち込めばいい。
しかし、手が出なかった。
(くそっ)
どうする、と自問する。友達を殴りたくなかった。しかしどうやったら彼を説得できるだろうか。
悩んでいる最中も、蘇我の連撃は続いていた。蘇我は焦れたように、右ストレートを放った。力が込められた分大振りだ。
ミカヅチは体を左にそらして拳をかわした。
ここでカウンターの右フックを放てばいい。自分ならやれる。悩んでる場合じゃない、一発で終わらせろ。
そう自分を叱咤しながら、しかし迷って拳を打てずにいた時、ミカヅチの脇腹に激痛が走った。
「ぐ!」
赤熱した鉄の爪を突きさされたような痛みに、思わず声が漏れる。蘇我を打ち抜くはずだったミカヅチの拳が痛みに止まった。
「シッ!」
更に追撃しようと蘇我が動く。ミカヅチは慌てて後方に跳んだ。蘇我の左フックが顎に打ち込まれるのを、すんでのところでかわした。距離を取って着地した後も、左脇腹の痛みは治まる事なく、存在を猛烈に主張してきていた。
何が起きているのか、痛む脇腹を見てミカヅチは驚きに顔を歪めた。わき腹に蘇我の鬼火と同じ色の炎が、へばりつくように燃えていた。
消し飛ばそうと手甲でこすっても、青白い炎は揺らめくだけで消える事はなく、火が揺らめく度に痛みをミカヅチの体に送り込んできていた。
「その火は俺以外には消せない」
蘇我の声にミカヅチが顔を上げると、蘇我の左右に、拳に燃える炎と同じ鬼火が二つ、宙に浮いていた。
蘇我は顔面への右ストレートと同時に、宙に浮く鬼火をミカヅチの脇腹に向けて放ったのだ。打ち込まれた鬼火は、牙を離さぬ猛獣のようにミカヅチの脇腹を焼き続けていた。
「超人だからって痛みは感じるだろ。何発食らったら泣き喚いて許しを請うか、試してやろうか!」
「チッ!」
ミカヅチが棍を引き抜くと同時に、蘇我が動いた。左右に浮かんでいた鬼火が弧を描き、ミカヅチがに向かって飛んでくる。
右前方から降ってくる鬼火を、ミカヅチは体を反らしてかわした。鬼火が通り過ぎたと同時に、鬼火を追いかけるようにステップする。左から地を這うように飛んできた鬼火が急上昇し、ミカヅチが先ほどまでいた空間を貫いた。
鬼火の勢いは衰える事なく、空中で回転してミカヅチを狙ってきた。
「とッ!」
左右から迫る鬼火を後方に跳んでかわしつつ、ミカヅチは棍を振るった。叩いた鬼火は一瞬形を崩し空にかき消える。しかし空中ですぐに元の形を取り戻し、そのまま宙を駆け巡り始めた。
うかつに触れるわけにいかず、叩いても消え去りはしない。厄介な蘇我の鬼火だった。
どうすればいいのか。考えを巡らせるミカヅチの前に、蘇我が突っ込んできていた。
「シャッ!」
右ストレートを手甲で受ける。反撃を考えた瞬間、ミカヅチの視界に鬼火の光が見えた。
膝を曲げて体を屈めると、頭のあった場所を鬼火が矢のように通り過ぎていった。
「くそっ!」
ミカヅチの口が苛立ちの声を上げた。脇腹に燃える炎が、今でも泣きたくなるような痛みを与えてくる。これに耐えながら、自在に飛び交う二つの鬼火をかわしつつ、更に蘇我にも対処しなくてはならない。ひどく骨の折れる作業だった。
単純な身体能力では、ミカヅチは蘇我のはるか上をいくだろう。しかし彼の能力を組み合わせた時、感嘆に反撃の移れない厄介な相手へと変わるのだった。
(それだけじゃないな)
ミカヅチは心中で否定した。己の中に、戦いに対するためらいがある。鬼火が与える肉体の痛み以上に、心が戦いをやめてしまいたいと弱音を吐いている。
「逃げてるだけか!」
距離を取るミカヅチに、蘇我が吼えた。
「そのまま朝まで逃げるつもりかよ! 俺は止めるつもりはねえぜ!」
「君を傷つけたくないんだ」
「はっ、弱い言葉を吐くじゃねえか。なんでだ? 俺が大の友達だからか? ヒーローも友達の友達には手を出しづらいってか?」
「君がこんなことをやりたくないのが、君の本心だと思うからだ」
痛い所を突かれたように、蘇我が言いよどんだ。
「大からこれまでのいきさつは聞いた。君は大と再会した時、薬師寺麻央を大に近づけないようにした。彼女のゲームに、大を関わらせない為じゃないのか?」
「……あいつは、麻央に色目を使ってた。俺の女を取らせたくなかっただけさ」
「本当にそうか? 麻央のゲームに関してもそうだ。君は麻央が大を自分の仲間に引き入れようとした時、彼女を止めようとした。できるだけ参加者を、麻央の犠牲者を増やしたくなかったんじゃないのか?」
麻央の愛を証明するゲームはエスカレートしていた。参加者が重傷を負い、新聞沙汰にまでなった上に、違法な魔道具まで買いそろえた者まで出てきた以上、麻央のグループは早晩崩壊していた事だろう。しかしそれでも、蘇我は被害を抑えようとしていた。そう思うのは、ミカヅチが昔の彼を知っている為の、ひいき目なのかもしれない。
「もうよそう。彼女を止めるんだ」
「……うるせえ」
「彼女を『アイ』に保護してもらうんだ。力の使い方を学んで、罪も償えばいい」
「駄目だ!」
蘇我は火がついたように叫んだ。
「あいつにそんな事させられるか! あいつは一生、俺が守るんだ!」
「蘇我……」
「俺には麻央だけなんだ。あいつがひどい事をやってるのは分かってる。それでもあいつを喜ばせてやりたいんだよ!」
「……分かった。なら、偉大なる巨神の名に懸けて、お前達を止める!」
ミカヅチは腹を決めた。腰に差した棍を両手にそれぞれ引き抜き、両腕を自然に下ろしたまま、蘇我に向かって歩を進めていく。蘇我も歯を食いしばり、四つの鬼火を燃え上がらせる。
「シャッ!」
鋭い声と共に、鬼火の拳が飛んだ。上下二方向に分かれての攻撃だ。片方は地面すれすれを通って昇竜の如く跳ね上がり、片方は天から流星の如く落下する。ど
直撃する、と思った瞬間、鬼火は二つとも掻き消えた。
「!?」
蘇我が驚愕の表情を作った。しかしすぐに鬼火を再構成し、さらに放つ。
これまで無敵だった妖の炎は、またしてもミカヅチに当たる寸前に消えた。
ミカヅチは表情を変えず、ただ黙々と歩を進めて行く。彼の持つ白銀の戦棍が、常人の目にまともにとらえる事もできない速度で、蘇我の放った鬼火を弾き、破壊しているのだ。
複雑な軌道を描く鬼火が近づく度、ミカヅチの棍が閃く。何も考えず、ただ射程に入った鬼火をかき消すだけで、敵を無力化する。
遥か古来より伝えられし、巨神の祝福を得た者が持つ無敵の力を、ミカヅチは今、全力で発揮していた。
一発で終わらせる。そう決めた。友達と戦うなど、長々と続ける気はなかった。
「く、くそっ!」
蘇我が焦りながら、歯を食いしばる。鬼火を放つ度にあっさりと破壊されながらも、更にミカヅチに向かって鬼火を放とうとする。
焦り、鬼火を産む事に気を取られた隙を見て、ミカヅチは走った。残像を残す速度で走り、一瞬で蘇我の眼前に現れる。
空間が歪んだかと思うような動きに、蘇我は一瞬呆気に取られた。
「くっ!」
すぐに我に返り、鬼火の拳を振り上げる。炎が昇竜のように揺らめくアッパーカットを、ミカヅチは上体を反らしてかわした。同時に右手に持っていた棍を、手首のスナップで頭上に放り投げる。
そらした体の反動を利用しつつ打ち込んだ右のフックが、蘇我の顎を綺麗に捉えていた。
仰向けに倒れた蘇我を、ミカヅチは辛そうに見下ろしていた。視線を動かさず、宙に手を伸ばす。
ワンテンポ遅れて、先ほど放り投げた棍が落下し、掌に収まった。
脇腹を焼いていた鬼火は消え去り、痛みもなくなっていた。蘇我の意識が消えると同時に、彼の力も効力を失った。
しかしミカヅチの胸中には、それに勝るとも劣らない痛みが現れていた。
数秒目を閉じた後、ミカヅチは目を開け、奥に歩き出した。もう蘇我の姿は見ない。見続けているわけにはいかないし、できなかった。
「麻央……」
気を失っているはずの蘇我が、うわごとのように呟いた。
「お前は、俺が、守る……」
蘇我の愛は本物なのだろうか。もしかしたらこれも、麻央の魅了の力が心の奥底まで支配した結果、言わせているものなのかもしれない。
そうでないことを、ミカヅチは願った。
次回更新は21時頃予定です。
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