07 狂気のゲーム
「それじゃあ、今日は誰から始めようか」
麻央が値踏みするように男達に目を向ける。蘇我を除く全員が勢いよく手を挙げた。
「俺、俺にやらせてくれよ!」
「今日こそ俺の愛を見せます!」
俺が俺がとアピールする男達を、麻央は楽しそうに眺めている。それとは対照的に、蘇我は醒めた顔で麻央たちを見ていた。
浮かない表情の蘇我に、麻央が意外そうな目を向けた。
「あれ。とし君はやらないの?」
「俺もやるって言っても、お前が後にしろ、って断るだろ」
「そうそう、蘇我さん強すぎるし」
「最初から出てこられると勝ち目がねえよ」
他の男達が苦笑気味に同意する。麻央はふむ、と軽く悩む素振りを見せて、やがて口を開いた。
「じゃあ、小栗君と目白君で。お願い」
金髪とにやけ面の二人が、よし、とガッツポーズを取る。二人はレーンの方に歩いていき、残った三人は重い思いの表情で、据え付けられたままの席に着いた。
血の乾いたレーンの上で、二人は向かい合った。座席側ににやけ面が、ピン側に金髪が立ち、構える。二人とも顔面を重点的に守る、ボクシングの構えのようだが、足腰のバランスが悪く、あまり様にはなっていない。喧嘩自慢の素人といった感じだった。
麻央が席に座ったまま、手を動かした。鞄から箱のようなものを取り出し、握った手を箱の上に伸ばすと、手を開く。
掌中にあったサイコロが落ちて、箱の中でカラカラと音を立てて転がった。
音が止んだ直後、麻央が口を開く。
「腹」
金髪──小栗が動いた。日に焼けた太い腕を振り回し、目白の脇腹に突き刺さる。
目白の顔が苦悶で歪んだ。激痛に歯を食いしばり、息を荒くしながらも、それでもまだ構えを崩さない。
「顔」
麻央がまたいうと、今度は目白が動いた。小栗も防ごうと腕を上げたが、目白の拳の方が早かった。力任せの小栗よりはまだシャープな右フックが、小栗の頬を打ちぬく。
「ぐぶっ!」
息を吐き、小栗はわずかにたたらを踏んだが、それでもなんとかその場で踏ん張り、闘志を燃やして目白を睨みつけた。
(なんだ?)
一体何が始まったのか。困惑する大の前で、更に麻央が言葉を続けていった。
「顔」
「腹」
「胸」
「腹」
「腹」
麻央が体の部位を呼ぶ度に、二人は交互に相手を殴りつける。廃墟となった施設内に、肉を殴る嫌な音だけが響いていた。
二人の顔はみるみるうちに血に染まっていった。
顔の柔らかい所が切れて、血が幾筋も流れていく。殴られた跡が真っ赤に腫れている。恐らくは服の下にも、アザがいくつも生まれている事だろう。
しかしそれでも、二人は全く戦意を失っていないようだった。血に染まりながらも燃えるような瞳で相手を睨み、痛みに震えながらも構えを崩さない。
異様な光景だった。大は先ほど、レーンに飛び散った血の跡から、喧嘩か私刑でもあったのではないかと推測した。しかし違った。ここでは今、狂気に満ちた格闘の娯楽が行われている。しかもそれを主催しているのは、どう見ても麻央だった。
麻央は両手を口元に当てて、二人の殴り合いをじっと眺めていた。目の前で起きている凄惨な光景に固まっているのかと思ったが、そうではなかった。
彼女は頬を上気させ、両目にうっすらと涙を浮かべている。しかしそれは感動と歓喜からきたものだと、彼女の目を見て分かった。
観客はエールを送り、男達は黙々と殴り続ける。やがて、戦いに決着がつく時が来た。
目白のアッパーカットが小栗の顎を打ち上げる。首を支点に、頭がぐるりと揺れる。膝が抜け、大柄な体がまるで糸の切れた人形のように倒れた。
固い板の上にうつ伏せに倒れ、小栗の体がごつん、と痛そうな音を立てた。それを勝利のゴングと感じたように、目白が雄たけびを上げた。それに応じるように観客たちも拍手を送る。
「ああ……」
麻央が感極まったような声を上げた。両目に涙を溢れさせながら、小栗に駆け寄る。血みどろの小栗の体を、麻央はまったくためらわずに抱きしめた。
「すごい、すごいよ、小栗くん!」
「あ、ああ……」
「あたしのために、こんなボロボロになるまで頑張ってくれたんだね……。ありがとう、ほんとにありがとう」
自分の服が汚れるのも構わず、麻央は愛しむように小栗を抱擁する。
真っ赤にあった顔で、小栗が笑い返した。口内はすでにズタズタになっているのだろう。開いた口から見えた歯が紅に染められていた。
見るも無残な姿だが、小栗は痛みも忘れたように恍惚として、麻央のなすがままになっている。
決闘の勝者を称える主の姿だった。女帝に声をかけられる、その為だけに彼らは戦士となり、戦いを行っている。言葉にすれば簡単なことだ。
しかし、目の前で起きているこれは、そんな言葉で済ませられない異様な空気を孕んでいた。
麻央がちらりと倒れた目白にも目を下ろし、軽く微笑んだ。
「目白くんもありがとう。格好良かったよ」
「あ、ありがとう……」
目白は倒れたまま、息も絶え絶えと言った風で答えた。なんとか意識はあったようだがダメージは甚大で、立ち上がる事も辛そうだった。
麻央はしばらくそのまま小栗を抱きしめて、戦いの余韻を味わっていた。やがてあっさりと小栗から離れ、残った面子を見回した。
「じゃあ、次はどうしようか?」
その顔からは、既に小栗たちに向けた感動の気持ちが、涙とともに消え失せていた。
「俺、俺がやるよ」
「俺も」
残った男達のうち二人がアピールに動こうとして、突然止まった。
席に足を組んで座り、興味なさげにしていた蘇我が、無言のまま立ち上がった。
足の長い、すらりとした体中に気を張り詰めて、険しい表情で周囲をうかがうように目を配る。
「とし君……?」
何が起きたのかと、麻央が不思議そうに声をかけた時、蘇我が動いた。
「シッ!」
高速で体を回転させ、背後に振り向きざまの右ストレートを放つ。殴る相手などおらず、拳は空を切ると思われた。
しかし蘇我が拳を放とうと動いた時、蘇我の拳から青い炎が燃え、膨れ上がるのを、大の両目は捉えた。
青い鬼火はそのまま拳が止まっても動きを変えず、火矢の如く大に向かってまっすぐ飛来する。
「!?」
不意の攻撃に何とか反応し、大は体を右にそらした。飛んできた鬼火が軽く肩をかすめる。
かすめた右肩に、鬼火が一瞬で大きく燃え広がった。瞬間、大の肩に激痛が走った。炎が広がる右肩に、肉を引き裂き、焼きごてを突き立てられたような痛みが襲う。
「ぐぅ……ッ!」
痛みに視界が明滅する。叫びそうになる声を抑えながら、大は肩を手で抑えた。全身に脂汗が吹き出て、床に膝をつきそうになる。
「国津……?」
蘇我の驚いたような声がした。同時に、肩の痛みがあっさりと霧消した。
我に返って、大は抑えていた肩を見た。既に鬼火は嘘のように消え去り、服も肉も焼け焦げた跡を残していなかった。
間違いなく、蘇我は超人と呼べる力を得ていた。一切の傷を与えず、しかし炎に触れただけでも激痛を産み出す鬼火の拳。これがもしも直撃を受けていたら、大は痛みに我を忘れてのたうち回っていたかもしれない。
大は顔を上げた。蘇我だけでなくその場にいた皆が、突然現れた大の姿に、驚愕の顔を向けていた。蘇我だけは、非難するような、痛ましいような目で大を見つめていた。
蘇我の攻撃によって精神集中が乱れ、大の姿を隠していた幻が消えてしまっていた。
「お前……。ここで、何やってるんだ」
もう隠れることはできない。大は覚悟を決めた。通路の中程まで歩を進めつつ、口を開く。
「昨日話した件について調べてたんだ。ここで会うとは思わなかった」
苛立たしげに、蘇我が舌打ちをした。
「言ったろ。お前には関係ないから、気にするなって」
「こんな事をしているのを、見られたくなかったからか?」
大の視線に、蘇我は気まずそうに目をそらした。
「こんな集まって、一体何をやってるんだ。喧嘩か? 賭け試合か?」
「ケンカじゃないよ」
後方で口を閉じていた麻央が、さらりと言った。
「みんなのあたしへの愛を、証明してもらってるんだ」
「愛? これが?」
「そう。ここにいる人達みんな、あたしの事が大好きなの」
麻央は軽い足取りで通路に出て、大と向かい合った。大とは二メートルほどの距離で、大を値踏みするように見ている。
「愛って素敵なものだけど、目に見えないでしょ? だからあたしの事をどれくらい愛しているか、行動で見せてもらってるの。一番強い人が、あたしを一番愛してる人
「やってることは暴行の強要じゃないか」
「あたしは強要なんてしてないよ。みんなあたしの事を思って、あたしの為にしてくれてるの。みんなあたしを愛してるから」
「そうだそうだ!」
座席のところから、学生が会話に割り込んだ。
「俺たちは好きでやってるんだ。邪魔しないでくれよ!」
皆の目は真剣そのもので、大の事を、愛する者との一時を邪魔する者としてしか見ていない。敵意以外の感情を見せているのは、蘇我と麻央だけだった。
この奇妙な状況にまきこまない為に、蘇我は大に対して素っ気ない態度を取っていたのだろうか。蘇我の表情からは読み取る事はできなかった。
「ねえ、国津くんも、あたし達と一緒に遊ばない?」
麻央の言葉に、大は思わず固まった。麻央の恋人たちも、まさかといった表情で目を白黒させている。
さすがにこらえきれなくなった蘇我が口を開いた。
「おい、麻央。無茶を言うなよ」
「なんで? 国津君は私を心配して、事件を調べてくれたんだよ? それってあたしを愛してるって事でしょ?」
「いや、それは違う……」
「いいから、とし君。ここはあたしに任せて」
麻央に制されて、蘇我は苦々しい表情を作りつつも、口をつぐんだ。
麻央は悠然と大に近づいていく。彼女のまとった妙な気配が、体を妖しく撫でてくるようだ。
「動かないで。変な事はしないから」
近寄りながら麻央はそう言うが、その目にどこか不気味なものを感じて、大は思わず後方に退こうとして……驚愕に目を見開いた。
動かない。気付かない内に全身は鉄の鎖を巻きつけられたように重く、自由を奪われている。まともに動くのは首から上だけだ。
「怖がらないで。あたしの事を大切に思ってるでしょ? 安心して、そのままにして」
「一体……何を、したんだ……?」
「何も? ただあたしの周囲にいる人は、みんなあたしの事を好きになるの」
次回は5日21時頃予定です。
面白いと感じていただけたら、ブックマーク・評価等していただけると嬉しいです。




