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01.ある夜、町中で

 夜の街を、女が一人必死に走っていた。


 近くの大通りは夜をかき消す光と人と騒音にあふれているのに、女が走る通りの周囲には、ぎょっとする程に人の気配がない。通りから少し離れただけでこれほどまでに闇が勢いを増す事を、女は初めて知った。


 息が荒れていた。心臓の鼓動が速く、今にも弾けそうだ。引き締まった体を包むTシャツの胸元は引き裂かれている。そしてそこには獣に引き裂かれたような四本爪の痕があり、にじんだ血でシャツが白い肌と共に赤く染まっていた。


 発端は友人と連れ立って、初めてのクラブに向かった事だった。周囲の狂騒と興奮に飲まれて、気が大きくなっていた。酒もかなり飲んだかもしれない。やがて意識が朦朧としていき、何がどうなったか記憶に残っていない。

 そして気が付いたら、男達に襲われようとしていた。


 男達は人間ではなかった。そのはずだ。そうでなければ、あの時自分と友達に覆いかぶさろうとしていたものの姿と、この胸の傷の説明がつかない。

 どうやったのか思い出せない程必死に抵抗し、逃げた。友達はどうなったのか分からない。大声をあげて助けを呼ぶべきなのに、声が出なかった。今でもまだすぐ後ろにいて、声を上げたが最後、首元を掴まれて引きずり込まれる気がした。


 目の前にやっと、大通りに繋がる道が見えた。十字路を右に曲がり、大通りに向かおうとした瞬間、女の前方に真っ赤な炎の壁が上がった。周囲の家や木々や壁は、これは幻だと言わんばかりに影響を全く受けていない。だが女の眼前で明々と広がる炎は、高熱を吐き出して彼女の全身を炙り、足を止めさせた。


 逃げようと走り、角を曲がろうとするたび、彼女の進行方向に炎が立ちふさがった。逃げられないぞ、と声が聞こえるようだ。炎に逆らわず必死に走っていると、ついに目の前に現れた建物が執着点となった。

 目の前にあったのは、寂れた賃貸ビルだった。人が入らなくなって、ずいぶん経つらしい。一階の壁一面に張られていた窓ガラスは酷く割れている。


 女は中に入った。鍵のかかってない奥の扉を開け、その先にあった階段で身を小さくする。窓の外にある街灯やネオンサインが、照明のない建物の中をかすかに照らしていた。


 もうあそこには戻れないのかもしれない。そう思った。

 もうじき奴らはここに来るだろう。あのにやついた顔を見せながら、一体何をしようというのか。

それを考えるだけで、女の心は恐怖と恥辱に引き裂かれそうだった。


「もうやめて……! 誰か助けて……!」

「大丈夫」


 いきなり背後から聞こえた声に、女は引きつった悲鳴を上げた。弾かれたように振り向くと、広がる闇の先に、誰かがいた。

 また同じ声がした。


「もう大丈夫。君を助けに来た」


 影の声は強く、優しく、思わず身を任せたくなるような安心感があった。


「あなたは……?」


 女は尋ねた。力強い足音と共に、影が姿を見せた。


─────


 ビルの二階にある大部屋に、割れたタイルやコンクリートの破片が散らばっている。ところどころ割れた窓の外から、おぼろな光が差し込んでいた。

 使われなくなって大分経つ部屋の隅に、女が座り込み、息をひそめていた。


「まーきちゃん」


 部屋の外、階段の方から男の声がして、女は顔を上げた。女のいる隅の対角線上にある入口から、三人の男が姿を現した。歳は大学生くらいだろうか。女よりは年上だろうが、皆派手な柄のジャケットやシルバーのアクセサリに身を包み、とてもまっとうな社会人とは思えない。


「捜したよぉ、真紀ちゃん」

「友達も心配してたぜ? 俺らと一緒に帰ろうや」


 髪の毛を逆立てた男が後方で周囲を確認させながら、サングラスの男が右、金髪の男が左から、真紀と呼ばれた女へと近づいていく。真紀はおびえきった顔で、引きつった声を断続的に上げた。縮こまり、近づかないでと意思表示する真紀の体を見て、男達は愉快そうに喉奥で笑った。


「やめて、近寄らないでよ!」


 真紀が涙交じりに叫んだ。サングラスの男が不本意そうに肩をすくめた。


「なんだよ、嫌われちゃった?」


 金髪の男が小馬鹿にしたような顔で笑う。


「お前のせいだろ、タク。お前がいきなりひっかいたりなんてするから」

「おいおい、人の事言えんの? いつも最初に女を傷物にしてんのは誰よ?」

「ハハ、アキラだわ」


 背後で髪の毛を逆立てた男が反応して笑った。釣られて二人も笑った。女は息を荒くしながら、必死に立ち向かおうとするように声を荒げた。


「化け物……!」

「おいおい、勘違いさせちゃった? 俺達は化け物なんかじゃねえって」


 タクと呼ばれた男が低く呪文めいた言葉をつぶやくと、その姿が変化を始めた。顎が伸び、牙が生えていく。ジャケットとシャツを脱ぎだすと、肌に覆われた筋肉が太く、張りが強くなっていく。そして上半身全体に灰色の体毛が伸び、みるみるうちに剛毛によって素肌が見えなくなっていく。

 狼だ。真紀が先ほど見た、自分を襲おうとして胸に傷をつけたものの姿だった。


「俺達は化け物じゃねえ。魔法使いなんだよ。これも魔法で化けただけさ」


 狼の口になった影響か、聞き取りにくいこすれた声で、タクが言った。


「魔法……使い……」


 目の前で起きた事について理解が追い付かないように、真紀はつぶやいた。


 魔法、怪物、神、悪魔。神話や伝説の住人としてのみ姿を見せていた存在が、表舞台に姿を現すようになってずいぶん経つ。そういった力を得た者は、ある者は社会を守護する英雄として、またある者は混沌を求める怪物、悪党として、メディアにも姿を見せている。だが真紀がその姿を実際に目にしたのは、この日が初めてだった。


 真紀の唖然とする顔を見てにやにやと笑いながら、金髪の男ーーアキラが話を続けた。


「化けただけって言っても、ちゃんと感覚だってあるし、体も人間より強くなってるんだ。この姿で女に噛みつく快感を覚えちまったら、もうやめられなくなってよ」

「でもこういう事やってるってウワサが、広められたりすると困るじゃん?だからさ、真紀ちゃんにもどうにかして、黙っててもらいたいわけ」


「……私達の他にも、ひどい目にあった人がいるの?」


 不意に、真紀が立ち上がった。先ほどまでと違う声の力強さに、少し疑問を感じながらも、アキラが答えた。


「ああ、今の真紀ちゃんみたいに泣き叫ぶのを無理矢理ね。真紀ちゃん程抵抗したのは少ないよ? 真紀ちゃんで三人目くらいかな。ヘヘ」

「そうか、そこまで聞けたらもういい」


 いきなり変化した真紀の口調に、男達が驚きの表情を作る。だが面食らっている男達を無視して、真紀の言葉は続いた。


「これからぶん殴られて警察に突き出されるか、おとなしく自首して今までやってきた罪を洗いざらい喋るか、好きな方を選べよ」

「おいおい、真紀ちゃん。いきなりどうしたんだよ」

「まだ気づかないのか。彼女はもうここにはいない」


 そういうと、不意に真紀の体が陽炎のように揺らめいた。


「な、なんだあ!?」


 真紀だったものの姿が熱したチョコレートのようにどろどろに溶け崩れ、大気に混じって消えていくのを、タクとアキラは驚愕の表情で見ていた。


「お前達はもう終わりだ」


 背後からの男の声がして、タクとアキラの二人は弾かれたように振り向いた。

 タクとアキラの後方にいたはずの男が、だらしない顔を見せながら床にあおむけに倒れていた。そしてその近くに、一組の男女が立っていた。


 男の背は百八十センチはあるだろうか。年齢は真紀やアキラ達と同年代、どれだけいっても二十歳そこそこだろう。首から下の鍛えられた肉体を、ぴったりとした紅の衣で包み、その上からは軍服を思わせる戦装束を羽織っている。銀の手甲とブーツは、薄暗い室内でも光を放っているのかと錯覚する程に美しく煌めいていた。目元を青い仮面で覆っているが、まるで悪鬼を踏みつぶす闘神を思わせる程に強い視線で、二人を睨みつけていた。


「彼女はこの建物に入った時、すでに保護した。今のは俺が作った幻だよ」

「婦女暴行と障害の現行犯逮捕だね。ボクなら大人しくケーサツを待つのを勧めるけどな」


 隣の女が、フードの陰から見える口元を吊り上げ、自信に満ちた顔を作りながら左手で二人を指さした。

 アスリートのように引き締まった細身の体を、闇夜の中月光を浴びる鴉の如く艶やかな黒衣に身を包んだ女だった。いかにもな魔術師然とした格好をした女の姿に見覚えがあったか、アキラが名前を口にした。


「お前、レディ・クロウ……!じゃあ、そっちのお前はまさか……」

「俺はミカヅチ。偉大なる巨神(タイタン)の子。偉大なる巨神(タイタン)の名の下に、外道は正す!」


 ミカヅチの刃物のような鋭い声に、男達は思わず後ずさった。

 今この町で名を上げ出している、英雄(ヒーロー)の二人組だった。

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