Last Stage『この身と共に生まれた大怨』②
霊夢は業火の中を飛んで行く。そして遂にその視界の中に人影を捉えた。遠い。延々と続くように思えた通路の先に、広い空間が見えた。霊夢はそこに人影を見た。しかし火炎の揺らめきにその姿を隠され、容姿は判然としなかった。
それどころか、あれは本当に人影なのだろうか、という疑念が霊夢に過ぎる。この業火の中だ。霊夢でさえ結界術により炎熱をしのいでいる状態にある。だというのに、遠方に見える人影は術を使っている様子さえなかった。それどころかその人影は、まるで何かに見とれているかのように、その場から微動だにしていない。このような場所で何も術を使わずに生きられる人間がいるのだろうか。いるのだとしたら、それはきっと肉体を持たない怨霊か何かのはずだ。霊夢はそうとさえ考えた。
真相を確かめるため霊夢は飛行速度を早めようとした。すると丁度その時、人影の頭上から建物の瓦礫が崩れかかってくるのが見えた。アッ、と思わず霊夢は声を漏らす。そのうちに轟音が響き、霊夢が目指す広い空間の一角に、瓦礫の山が出来上がってしまった。霊夢は思わず空中で停止し、じっと瓦礫の山を見据える。思わぬ光景に背筋が冷たくなった。しかし、僅かに瓦礫の山が揺れた。霊夢は視界を凝らして瓦礫の山を見る。すると瓦礫の山の中心から、何かが這い出てきていた。その何かは人の形をしているように見えた。その何かは、瓦礫の山から這い出てくると、そのまま立ち上がる。そしてその何かは、その場へ立ち尽くし始めたようだった。
間違いない。霊夢の中に確信が生まれた。あれが、癇癪小僧だ。
霊夢は数枚の札を手にすると、それを人影に向かって射出した。投擲した札は霊夢の視界の先にある広い空間まで到達すると、四方八方へ飛散していく。そして霊夢がお祓い棒を構えると、広い空間で強烈な閃光が走った。光が届いた範囲の火炎は、まるで突風に掻き消されたかのように霧散する。視界を遮っていた火炎が消えた。そして人影の姿が明瞭になった。霊夢は最高速度で飛行を再開し、人影のもとまで一直線に飛ぶ。
人影も霊夢に気付いたようだった。その双眸が霊夢の姿を捉えた。
「お前か。番猿を退けた異界の巫女は」
人影はやはり人間だった。他の異邦人と同じように、その体には奇妙な紋様が浮かんでいた。肌は浅黒いが、どこも焼けただれてなどいない。それどころかその肌には傷一つなかった。霊夢は本当に目の前の人物が先ほどまで火炎の中に立ち、瓦礫の山から出ていたばかりのなのか目を疑った。
彼女は毘富羅山 阿闍世。深宵園で最後に生まれた人造人間だ。阿闍世は静かな面持ちで霊夢を見上げていた。
「何故ここまで来たのか知らないが、そこを退け。でなければ、お前も此処と同じだ。壊し尽くしてやる」
阿闍世の両足が地面を離れて宙に浮く。そして阿闍世は霊夢と同じ高度まで上がってきた。その様子には霊夢を警戒する気配さえなく、ただ霊夢の姿を見据えていた。
霊夢は言葉より先に一本の針を阿闍世に投擲する。しかし針は甲高い音を発てて彼女の肌に跳ね返された。鋼に針を刺そうとすれば丁度同じことが起こるだろうか。霊夢は納得がいった様子で、地面に落ちていく針を見ていた。
「ふーん。どれくらい手加減して懲らしめようか心配だったけど、あまり気にしなくても良さそうね」
霊夢は挑発するように笑う。しかし阿闍世は動じない。彼女の表情に変化もなかった。
「遊びに来たのなら帰れ。私はもう一つ月を壊さなきゃならん。邪魔者は潰す」
「物騒ねえ。なんだって、そんなに月を壊したいのよ?」
霊夢の言葉に思うところがあったのだろうか。僅かに阿闍世の口元が歪んだ。
「月は……此処は創造主が我々を造るための場所だった。人造生命の魔法研究所だ。分かるか? ここから苦しみが始まる。ここから憎しみが生まれる。だから、我々はこの場所へ復讐をする」
阿闍世の双眸に暗い光が揺らめいた。その光は眼前の霊夢に向いたものではないようだ。おそらく、阿闍世自身の内にある物へ向いた光なのだろう。激しいのだろうか。冷たいのだろうか。霊夢はその光の質を推し測ることさえできなかった。
しかし、たとえ推し測ることができたとしても、霊夢が行うことは変わらない。霊夢は数枚の札を今居る空間の八方に展開すると、それぞれを結んで結界を張った。
「はやい話が気に喰わないんでしょ? それだったら丁度いいわ。ここで暴れてストレス発散と行きましょうよ。お互いにね」
結界内は飛び回るには申し分ない広さだ。そして霊夢が術を解かない限り、この結界はそう易々と打ち破れない。
「私の邪魔をするということだな」
「あんたのせいで幻想郷は迷惑してんのよ。私だってムカついてるわ」
霊夢はもう一本、針を阿闍世に投げつけた。やはり甲高い音を発てて針は跳ね返される。それとはまるで関係がないかのように、ずれたタイミングで阿闍世の両手が握り拳になった。
「我々は創造主の為に、この世界に生まれた。だが、生まれたことに何の意味があった? 今まで深宵園という狭い箱庭に閉ざされてきた。生気のない世界で、食料さえ創造主が天から降ろすのを待つばかりだった」
阿闍世の握り拳にはどれだけの力が入っているのだろう。彼女の両手からは血が滴り落ちていた。
「誰も死ぬことは無かった。ただ、誰もが生きるだけだった。生まれたことに何の意味があった? あの時間に、何の意味があった」
霊夢は咄嗟に思った。結界を張らなければ。反射的に眼前へ札を四枚投げ、それぞれを結んで歪な四角形の結界を作った。次の瞬間、阿闍世の姿が結界の前まで移動したかと思うと、轟音と共に結界が砕け散った。阿闍世が結界を殴ったのだろうか。右拳を前方に突きだし、右上半身が前のめりになった阿闍世の姿勢から、霊夢はそう判断した。
「さあ、そこを退け。この生は創造主の身勝手で生み出され、縛られ続けてきた。彼奴の築き上げたこの世界を悉く壊し尽くしてこそ、我々の自由は始まるのだ!」
阿闍世は怒声を張り上げて霊夢と対峙する。霊夢はふん、と鼻を鳴らしてお祓い棒を構える。そして揺らぐことなく阿闍世を見返した。
「自由を求めるのは結構よ。でもね、自由にそんな大層な理屈はいらないわ。あんたが本当は何をしたいのかは知らないけど、私がやることは変わらない!」
霊夢の周囲に札が展開する。阿闍世の周囲に業火が噴出する。
「その怨念を晴らしてやる! 生きながらの怨霊め!」
「全てぶち壊してやる! 何も残らなければ、それでいい!」
果てしなく燃え盛る火炎の中で。二人の弾幕が重なり合う。




