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贋作師の表の顔(1)

 家に帰ってから、私は『贋作師ウォルフガング三世』さんのアカウントを見に行った。


 そのアカウントでは主に趣味の造形――食品サンプルやそれに着想を得た創作などの画像、及び製作過程を公開している。キャプションは少なめで、作業中の手が写っていなければ『贋作師』さんの性別や年齢すらわからないほどだ。

「わ……すごいなあ」

 投稿されていた画像はやっぱり瀬良さんらしいクオリティの高さで、食品サンプルマニアの私としては垂涎ものだった。最新の作品は硬貨くらいのサイズのミニチュアフードで、バターの溶けた焼きたてトーストやきれいな舟形のオムライス、アイスを載せたクリームソーダなどを製作している。人差し指の先端に乗るくらいの大きさなのに、トーストの焦げ目やソーダの泡まで精巧に作られていて、すごくおいしそうだ。

 ミニチュアフードにはこんなキャプションが添えられていた。

『近日、喫茶店を開店予定』

 その文言通りミニチュアフードの脇には、作りかけらしいドールハウスの喫茶店がちらりと写り込んでいる。これもどうやら瀬良さんのお手製らしく、その投稿にはファンと思しき人たちからの期待と激励のコメントがたくさん書き込まれていた。

『今回も傑作間違いなしですね!』

『完成が楽しみです!』

『ぜひ動画で見たいです!』

 それに対して瀬良さんは一件ずつ、簡潔ではあるけどまめまめしくお礼を告げていて、普段のネガティブさとは少し違うなという印象を受ける。『ウォルフガング三世』なんていう仰々しいハンドルネームだから多少厨二なキャラを作ったりしてるのかと思ったけどそうではなく、あくまでも紳士的で温厚そうな人柄に見えた。

 ちなみに彼のアカウントは既に三千人からフォローされており、評価されるべき人が正当な評価をされていることに私も誇らしく思ったのだった。


 後日、例によって出勤途中に瀬良さんと行き会えたので、私は早速SNSの感想を告げた。

「見ましたよ瀬良さん、ミニチュアフード!」

 いつもの社名入りブルゾンを羽織った瀬良さんは、口元を引きつらせたように笑う。

「ああ……ご満足いただけましたか」

「とっても! 隅々まで拝見しましたけどすっかり見入っちゃいました!」

 私が興奮気味に感想をまくしたてる間、彼はきまり悪そうに長めの前髪を弄っていた。とは言え不快に思ったわけではないらしく、最後には安心したように言ってくれた。

「青戸さんに見てもらえてよかったです」

「喫茶店の完成、楽しみにお待ちしてますね!」

「そう言ってもらえると励みになります」

 瀬良さんは今度はちゃんと微笑んだ。

 だけどすぐに挙動不審になって、目を泳がせながら続ける。

「その、青戸さんはSNSされてないんですか?」

「個人的にはやってないですけど……どうしてです?」

「昨夜フォローが増えたらそれが青戸さんだろうからと、密かに待ち構えてたもので……フォローしていただけたらすぐフォロバするつもりだったんですが」

 待ち構えてたんだ……。

 私が舐めるように瀬良さんのアカウントを眺めている間、彼は彼でフォロワーが増えるのをじっと待っていたのかと思うと、なんだかおかしい。昨夜別れて帰った後も、私たちはネットを介して当たり前みたいに繋がっていた。

「すみません、仕事のアカウントと混同したら困るので私自身はやってないんですよ」

 笑いを堪えながら答えると、少し怪訝そうにされた。

「仕事?」

「はい。弊社の公式アカウント、私が担当なんです」

「へえ、あの……すごく真面目なやつ、ですよね?」

 瀬良さんはそこでちょっと言葉を選んだようだ。珍しい。


 実際、我が社のSNSアカウントは真面目としか言いようがないやつだ。

 発信するのは採用情報が五割、商品情報はもうちょっと少なめ、あとは地域のイベントに参加した時とかの事後報告が主。そもそもSNSでの情報発信は毎回社長の承認を経なければいけなくて、担当者が自由な裁量で管理できるというわけでもない。

 うちの社長はとてもいい方だけど昨今のネットにおける『炎上』事案をずいぶんと恐れている。だからSNS担当である私にもとにかく慎重な情報発信を求めてきた。

『青戸さん、今回の投稿も法令遵守でね!』

 SNS更新の度に笑顔で念を押す社長に対し、入社一年未満の私は反論はもちろん、もう少し肩の力を抜いてもいいのではという進言すらできない始末だ。

 そんなわけで我が社のSNSは、就活中の人達と業界の人以外にはあまり面白くないものに仕上がっていた。


「あれを、青戸さんが……」

 思い浮かべるような顔をした瀬良さんは、どうやら私が書いた投稿を見てみたことがあるようだ。

 すかさず突っ込んでみる。

「瀬良さん、フォローしてくれてます?」

「いやまさか、趣味垢で職場のフォローはちょっと」

「ですよね」

 慌てる彼に、冗談のつもりだった私は笑って同意した。それで瀬良さんはほっとした様子だったけど、もごもごと口の中でこう呟く。

「でも青戸さんと繋がれるなら考えなくはないかも……」

「私のアカウントではないですから、考えなくていいですよ!」

 ちなみに先日の時点で弊社のフォロワーは五十人弱。『贋作師ウォルフガング三世』氏の六十分の一に過ぎない。これが果たして企業アカウントとしての役割を果たしているのか、はなはだ疑問である。

 ともあれ、コンプライアンスにがっちがちに縛られる社長のお願いで、私個人はSNSをやらないことにしていた。アカウントの切り替えミスで炎上案件、なんていうのも珍しい話ではないからだ。私もSNSは友人の付き合いでしかやったことがなかったし、そもそも発信するネタなんてそうそうない人間なので、さしたる支障もなかった。

「それは残念です」

 事情を打ち明けると瀬良さんは残念そうにした後、気遣うように続ける。

「しかし、そんな社命まで背負って息苦しくないですか?」

「元々、SNSは見る専でしたから。だから選ばれたっていうのもありますし」

「ならいいんですけど。にしてもあれ、広報の仕事じゃないんですね」

「広報さんもやることたくさんあって、人手不足なんですって」

 事務方の人員が足りないのにやることは多岐にわたる、というのは大きくない会社あるあるだと誰かが言っていた。広報さんもホームページ更新、広告活動、メディア対応などやることが多すぎるそうで、あまり活用されていないSNSの担当がこちらに回ってきたというわけだ。

「事務の仕事っていうのも大変ですよね」

 瀬良さんが同情的に息をつく。

 それからふと表情を和らげ、こう尋ねてきた。

「もうじき入社一周年ですね。慣れました?」


 この手の質問はそれこそ入社当初から大勢の諸先輩に投げかけられてきたものだ。まして今年度の新入社員は私ひとりだったから、四面楚歌ならぬ四面先輩という状況で何度聞かれてきたことか。

 だけどそれを、『瀬良ゾーン』に引きこもる瀬良さんに問いかけられるのはなんだか不思議な気がする。

 今さらながら、瀬良さんも私の先輩なんだなあって思ったり。

 そういえばまだ聞いてなかったけど、おいくつなんだろう。


「まあまあ慣れました。先輩にも恵まれてますし」

 私は他の先輩がたに対してよりも率直に答え、その後でさらに本音を言い添える。

「正直、製作に行きたかったなって気持ちはまだありますけどね」

「物好きですね、つくづく」

 瀬良さんが笑った。その笑い方から、いつぞやよりは卑屈さが薄れているように思えたのは気のせいだろうか。

「でも、俺も青戸さんが制作の新人だったらなって思ったことあります」

 そう続けてくれたので、私は勢い込んで食いついた。

「だったらよかったですよね! 私も瀬良さんからお仕事教わりたかったです!」

「いや、それだと俺が仕事集中できるかわかんなかったですけども」

 そこで瀬良さんが肩を竦める。

 視線を街路樹が並ぶ道の先に投げて、ふとぼやいた。

「来年度は製作に新人が来るらしいんですよ。なんか俺に新人指導をさせようって話が持ち上がってるらしくて……嫌だなあ。来年度も引きこもっていたいのに」

 本当に憂鬱そうに呻いている。

「瀬良さんって何年目なんですか?」

「来年度で五年目です。なので、頃合いだろうっていう人がいて……」

 ということは瀬良さん、大卒だったら二十五、六歳くらいかな。見えないなあ。

 思ったより年上かもしれない相手に、私、けっこう失礼なこと言ってたかな。

「でも瀬良さん、教え上手じゃないですか。ほら、私に指導してくれた時だって」

 バレンタインにチョコレートケーキのサンプル作りを教えてくれた。あの時のことを思い出して告げると、瀬良さんは困ったような顔をする。

「だって、あれは……」

 そうして何か言いかけて、でも結局飲み込んでしまって、代わりにちょっとだけ笑ってみせた。

「青戸さんがそう言ってくれるなら、がんばります」


 気がつくと街路樹のコブシも白い花を咲かせていて、春の始まりを匂わせている。

 まだまだコートは手放せないし、瀬良さんも例の社名入りブルゾンを着ている。だけど直にもっと暖かくなって、四月がやってくるんだろう。

 まだ見ぬ新人さんと瀬良さんは上手くやれるだろうか。

 がんばる、と言った瀬良さんを、私も応援したいと思う。それともちろん、『喫茶店』のオープンの方も。

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