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恋の贋作チョコレート(1)

 二月に入ると、デパ地下はチョコレート売り場になる。

 トリュフ、ブラウニー、フォンダンショコラにザッハトルテ――どれもこれも見るからに美味しそうだ。

 その美味しさを引き立てるのに一役買っているのが、我が社の食品サンプルだった。


「ほら、あれもうちの製品ですよ!」

 ガラスケースに展示されたサンプルを指差し、私は思わず声を上げる。

 本物に勝るとも劣らぬ美しさで佇むケーキは、お客様の購買意欲を掻き立てる素晴らしい出来映えだった。

「はいはい、今日はチョコを見に来たんだから」

 一緒に来ていた朝比奈(あさひな)さんが苦笑する。

「でも自社製品のその後も気になりますし」

 私が反論しても、彼女は関心なさそうに小首を傾げるばかりだ。

「気にならないけど……というより、見てわかるの?」

「そりゃあ。我が社のはクオリティからして違いますからね」

 ケーキのイチゴにしても一つ一つ大きさが異なるというこだわり、発色の良さ、そして何より食欲をそそるつや感!

 このクオリティに惹かれたんだってことは志望動機にもちゃんと書いた。

「すごいね、青戸(あおと)さん」

 朝比奈さんは感心したのか呆れたのか、とにかく首を竦める。

「本当は製作希望だっただけあるね」

「結局、事務に配属されましたけどね」

 私も残念な思いで苦笑した。


 我が社は主に食品サンプルの製造販売を手がけている。

 食品サンプル大好きだった就活中の私は、出されていた採用情報に一も二もなく飛びついた。

 ところが人事はこんな私をどうしてか『デスクワークに向いてる』と判断したらしい。第一志望の製作部には行かせてもらえず、事務員として勤務することになってしまった。

 それでも毎日、大好きな食品サンプルを見られるから満足なんだけど――入社一年目が終わろうとする今でも、作る方に回りたかった気持ちは燻っている。


 先輩の朝比奈さんと一緒にデパ地下に来たのも、事務員としての雑務の一環だ。

 来たるバレンタインデーに向けて女子社員からお金を集め、男子社員に配るチョコを買いに来た。

 小さな会社なので一人一人にチョコを配る予定になっていて、私たちは美味しそうなチョコブラウニーを人数分買い求めた。


 そして買い物が終わると、朝比奈さんが切り出した。

「青戸さん、チョコを配る時のことなんだけど」

 両手を合わせ、申し訳なさそうに続ける。

「手分けして配るでしょ? 私が営業部回るから、製作部はお願いしていいかな」

「いいですけど」

 私が頷けば、彼女は途端にほっとしたようだ。

「よかった! 私、どうしても瀬良(せら)さんが怖くて……青戸さんが渡してくれるならすごく助かる!」

 朝比奈さんは、製作の瀬良さんに対してだけは無遠慮な評価をする。

 むしろそれは朝比奈さんに限った話じゃなかった。

「瀬良さん、そんなに怖いですか?」

 私が疑問を呈すれば、朝比奈さんは眉を顰めた。

「怖いよ! いつもにたにた笑ってて気持ち悪いし……」

 実際、瀬良さんの口元にはいつも微かな笑みが浮かんでいる。

 それは頑張って肯定的に見ようとしても『薄ら笑い』としか言いようがなく、社員のほとんどはあの人を気味悪がっている。

 私も一年目の新人だし、瀬良さんとはこれまであまり話したことがない。少なくとも他の部署の人間と気さくに話すタイプではないようだった。

「……そうなんですかね」

 だから瀬良さんを庇えず、先輩に話を合わせるしかなかった。


 バレンタインデー当日、私は終業後に製作部へと足を向ける。

「女子社員を代表して、チョコのお届けでーす」

 声をかけながらチョコを配ると、製作の皆さんは恥ずかしそうにしながらも受け取ってくれた。

「手渡しで貰うと本命かなって気になるね」

「しかも若くて可愛い新人さんだしねえ」

「喜んでもらえてよかったです!」

 これも一年目の特権ってやつだろうか。相好を崩す皆さんを眺めて、喜びに浸ったのも束の間。

 全員に配り終えたと思いきや、人数分仕分けたはずのチョコが一つ余っていた。

「あれ? 今日って欠勤の方いましたっけ?」

 私が問うと、皆さんの間には苦笑いのさざ波が広がる。

「ああ……瀬良くんが来てないからな」

 そういえば、あの人の姿を見ていない。

「瀬良さん、お休みですか?」

「いや、いるんだよ。『瀬良ゾーン』に」


 瀬良ゾーンとは。

 製作部の奥の奥にある、スチール棚で囲った壁際の小さなスペースだそうだ。

 そこには瀬良さん専用の作業デスクがあり、彼はいつもそこに引きこもって黙々と作業をしているらしい。


 私も噂には聞いていたけど、足を踏み入れるのは初めてだった。

「し、失礼しまーす」

 背の高いスチール棚のせいで照明も届かない影の中、机に向かう瀬良さんの後ろ姿が見える。

 ひょろりと痩せた身体に作業着を着て、髪はくせっ毛なのかいつもぼさぼさだ。デスクスタンドの明かりを頼りに、何か細かな作業に夢中になっているようだった。

「瀬良さん、ちょっとだけいいですか?」

 恐る恐る声をかけると、瀬良さんは振り向かずに答えた。

「誰?」

「あ、私、事務の青戸です」

「何の用ですか?」

 会話の間も瀬良さんは手を止めない。何を作ってるんだろう。

「バレンタインのチョコを配りに来たんですけど……」

 私の言葉に、彼の肩がぴくりと動く。

「これだけ終わらせるんで待っててください」

 どうやら、受け取っては貰えるみたいだ。

「わかりました」

 見られていないのに私は頷き、瀬良さんの作業が終わるのを待つことにする。


 それにしても、初めて入る瀬良ゾーンは壮観な眺めだった。

 スチール棚はただのパーテーション代わりと思いきや、みっしりと食品サンプルの完成品が並んでいる。どれもこれも本物と見まごう出来映えで、これらは全て瀬良さんが作ったものだとわかる。

 瀬良さん自身の評判とは裏腹に、製作技術は社内でもずば抜けていた。彼が作る食品サンプルの完成度は群を抜いていて、毎年行われる社内コンペでも常にトップクラスの成績を収めている。我が社の製品のクオリティの高さは、彼の技術力が底上げしているからでもあるんだと思う。


 瀬良さんは食べ物の造形を再現する技術力もさることながら、観察眼も優れている。

 例えば棚に収められた寿司桶には、お寿司一貫一貫の違いがとことん表現されていた。

 マグロやサーモンは脂が乗ってつややかに、イカは新鮮そうに透き通らせて、アナゴは焼き目まで美味しそうに、いなり寿司はジューシーに――どれも見ているだけでお腹が空いてくる。

 それからパンケーキのサンプルは、今まさにシロップがかけられるところで時が止められていた。

 そのシロップのシズル感はもちろん、ふわふわの生地もアイスの中の気泡や氷の粒も、添えられたフルーツの瑞々しさまで完璧な再現具合だ。

 食品サンプル好きの私としては、瀬良さんの技術力は尊敬ものだ。

 皆が言うほど気持ち悪いとは思えないんだけど――話したことないから断言はできないけど。


 彼が今、何を作っているかも気になる。

 どうせ手持ち無沙汰だった。私は背伸びをして、背後から瀬良さんの手元を覗き込んでみる。

 デスクスタンドの光の中、瀬良さんの長い指先がつまんでいるのは青々としたミントの葉だ。

 デザートに載せるものだろうか。皺の入り方から葉の細かなぎざぎざまで本物みたいなその葉に、細筆で丁寧に色をつけている。筆先の動きの繊細さといったら、見ているこっちまで息を止めたくなるほどだった。


 やがて瀬良さんが筆を置き、私は止めていた息をつく。

 途端に彼の座る椅子が軋んで、勢いよく振り返られた。

「びっくりした。背後に立たないでもらえます?」

「わ、ごめんなさい!」

 慌てて飛びのきつつ、言い訳がましく言い添える。

「つい見入っちゃって……それ、ミントですよね?」

「ええ、まあ」

「本物そっくりですごいなって思ってたんです。皺とか、縁がぎざぎざしてるところとか。こうやって作ってるんですね」

 製作現場をこんなに間近で見せてもらったこともない。感動する私に、瀬良さんは早口になって語を継ぐ。

「それだけじゃないです。このミント、実はグレープフルーツミントなんですよ」

 そして得意そうに唇を歪めた。

「この葉をよく見てください。うっすらと毛が生えているでしょう。これも実物そのものなんです」

 そしてつまんだミントを指差したので、私は身を屈めて顔を近づける。

 確かに、うっすらと柔らかそうな毛で覆われているのが見えた。

「ここまで追及してこそ食品サンプルってものです。わかります?」

「へえ、突き詰めてるんですね……!」

 こういうこだわりもまた、瀬良さんの技術力を支えているのだろう。私は感心した。

「面白いなあ、もっと見ていたかったです」

 一方、語り終えた瀬良さんは薄ら笑いを浮かべる。 

「聞いてましたけど変な人ですね、青戸さんも」

 やぶからぼうに言われて、さすがに絶句した。

「えっと、そうですかね」

「そうですね。うちの製品好きなんでしょ?」

 表情はにやにやと、決して誉めているようではない。

 でも声に嘲りの色はなく、言われるほど気持ち悪さは感じなかった。

「はい。食品サンプル大好きなんです」

 私の答えを聞いて、彼はふんと鼻を鳴らす。

「ますます変な人だ」

「そうでしょうか。本当は製作に回りたかったんですけど」

「ああ、それは残念でしたね」

 瀬良さんはそこで小さく顎を引いた。

「青戸さん、作業着似合いそうでしたのに」

「えっ、そこですか?」

 意外な冗談に私は思わず笑ったけど、瀬良さん本人は一切笑わなかった。

「ええ」


 どうやらボケではなかったらしい。

 気持ち悪くはないけど――とっつきづらさはあるかな、うん。


 ともかくも、瀬良さんの作業も一段落したようだ。

 私は早速持ってきたチョコレートを差し出した。

「お仕事中にすみませんでした。これ、チョコレートです」

「どうも」

 瀬良さんは猫が匂いを嗅ぐような慎重さで受け取った。

 そして有名洋菓子店の包装紙をためつすがめつした後、じろりと私を見上げる。

「義理ですか?」

 私は即答する。

「もちろんです」

「うわ……マジレスされた……」

 たちまち彼は呆れたように天を仰いだ。


 ここは私にボケて欲しかったらしい。

 そんなこと、急に言われても困る。


「何て言えばよかったんですか」

 思わず突っ込んだら、瀬良さんはまたにやにやと笑んだ。

「本命だって言ったら全力で釣られましたよ」

「釣るつもりないですから」

「ですよねー。こんなキモオタ釣ったところでねー」

 そうして自嘲気味に肩を竦めるから、本当にとっつきにくいなと思いつつ釣られてあげた。

「瀬良さん、別に気持ち悪くないですよ」

 私が告げた途端、瀬良さんの歪んだ口元が微かに引きつる。

「……は?」

「正直とっつきにくいし面倒くさいとは思いますけど」

「ディスりますね」

「でも気持ち悪くはないです」

 茶化そうとする彼を制するように言い切って、それから私は付け加える。

「むしろ製品へのこだわりすごくて、改めて尊敬しました。私が製作部に配属されてたら、毎日瀬良さんの作業を見られたのに残念です」

 なぜか、瀬良さんの口元から笑みが消える。

 警戒するみたいに私を睨む表情が不審そうだ。

「本当に変な人だな」

 職場に『瀬良ゾーン』なんて作ってる人に言われるのは不本意だ。

「瀬良さんに言われたくはないです」

 私が笑って応じると、瀬良さんは腑に落ちた様子だった。

「確かに」

 そこは納得するんだ。変な人。

「じゃあ、お邪魔しました」

 用も済んだし、私は頭を下げて瀬良ゾーンから脱出しようとした。

 ところがそこで、

「青戸さん」

 瀬良さんが呼びとめてくる。


 振り返ると、むっつりといやに不機嫌そうな彼がいた。

 そのままの顔で言われた。

「そんなに好きならこれ、あげますよ」

 突き出されたのは剥き出しのチョコレート――いや、チョコレートの食品サンプルだ。

 チョコクリームを挟んだスポンジにチョコレートをコーティングしたそのケーキは、お皿に載せられていたら真贋見極められなかったに違いない。そのくらいスポンジはふわふわに見えたし、チョコレートはなめらかな光沢があって、かじりついたらぱりぱりと音がしそうだった。それ以外のデコレーションはなく、ケーキとしては実にシンプルだ。

「作りたいなら自分でデコレーションすればいいですよ」

 瀬良さんが言うので、私は恐る恐る聞き返す。

「貰っちゃっていいんですか?」

「どうせ失敗作なんで」

「ありがとうございます。試してみます」

 私はありがたくチョコケーキを受け取った。

 すると瀬良さんは溜息をついてから、続ける。

「道具とかなければ、暇な時にでも来てくれれば貸します」

「え……」

「終業後に居残るのが嫌じゃなければですけどね。俺も業務中は暇じゃないんで」

 それはつまり、ここに来て、サンプル作りを試してもいいってことだろうか。

 その技術を教えてもらえたりとか――だとしたら、すごい!

「……いいんですか?」

「青戸さんこそいいんですか、こんな変人野郎に誘われて」

「全然いいです。よろしくお願いします!」

 私は全力で食いついた。

 あまりにも全力すぎたのか、瀬良さんは自分で誘っておきながら戸惑ったようだ。

「知りませんよ、俺とつるんで青戸さんまで気持ち悪がられても」

「そんなことないです」

 きっぱりと否定してから、感謝を込めて笑いかける。

「瀬良さんの都合のいい日に声かけてください」

「……わかりました」

 彼はなぜか、不承不承といった調子で頷いた。

 やっぱりとっつきにくい人だな。でも、悪い人ではなさそうだ。

 それに滅多にない機会を貰ってしまった。すごく楽しみだ!


 私は貰ったチョコを手に立ち去り――かけて、まだこちらを見ている彼に尋ねる。

「瀬良さん、これって本命ですか?」

 意趣返しの問いに、瀬良さんは思い出したように薄ら笑いを浮かべた。

「だったら困るでしょ、こんなキモオタに好かれても」

「気持ち悪くないですって」

 あまりの自虐ぶりに笑いつつ、今度こそ瀬良ゾーンから抜け出した。

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