ミズムシイタルコ(2)
古民家の外に一歩踏み出した僕は,吸い込んだ冷たい空気を,ため息として外に吐き出す。
相変わらず倫瑠はムチャ振りが過ぎる。
ただ漠然と「災厄の正体を突き止めろ」と言われたところで,手がかりは何もないのだから,そう簡単に見つかるはずがない
…と思っていたが,意外とそうでもなかった。
古民家から見下ろせる位置にある海岸に,人だかりができていた。
村には街灯の一つすら存在していないため,暗闇の中,人々が手に持つ松明の灯りがあまりにも目立っていた。
老人-早寝早起きの生き物が人口の大半を占めるこの村で,こんな深夜に人が集まるとは尋常ではない。
僕は緩やかな坂を小走りで下り,砂浜へと向かった。
浜辺へと足を踏み入れたあたりから,ただのザワザワであった人だかりの声が,ハッキリとした言葉として聞こえてくる。
「なんてこった…」
「神の怒りを買ったんじゃ…」
「神」という単語が,僕の思考を釘付けにする。
この村に調査に来た目的,そして,僕がいくら一生懸命に聞き出そうとしても誰も教えてくれなかったもの,それが神である。
倫瑠の嗅覚は正しかったのかもしれない。
人だかりの中には,この村の海神伝説の謎を解き明かす何かがきっと存在している。
僕はようやく人だかりの最後方に到達した。過疎村の人口をすべて集めたんじゃないかと疑ってしまうほどの大きな円にはほとんど隙間がない。
僕は老人の骨が折れないように最大限の配慮はしつつも,円の中心へと押し入っていった。
「え…」
心臓が止まりかけた。
人だかりの中心にあったのは,なんと横向きに伏した男性の死体だった。
運が悪かったことに,僕が飛び出したのはちょうどその男性と正対する位置だった。
全開でありつつも力の全くない瞳が,男性が死に方が普通ではないことを物語っている。
「これは溺死じゃな…」
僕のすぐ背後にいた老婆が呟く。
-なるほど。これは溺死体か。
たしかに苦悶の表情を浮かべている一方で,死体には外傷が一つもない。目から,耳から,鼻から,口から入った水が男性を死に至らしめたのだと考えれば,この死に様に説明がつく。
-はて,この死体は一体誰の死体だろうか。
この村に滞在を初めてまだ間もないためか,目の前で事切れている男性には見覚えがない。
男性の年齢はおそらく30代かそこらだろう。この村の人口構成は,「止まれ」の標識のように見事な逆ピラミッド型である。30代の村人などほとんどいない。一度会ったのならば必ず印象に残っているはずであるから,おそらく僕はこの男性と会ったことがない。
「この男,誰かね?」
「知らんなあ。村の者じゃないのう」
ふいに耳に入ってきた会話から,男性と面識がないのは,僕だけではないということが分かった。
言われてみれば,この男性はスキニージーンズを履いている。
この村の人のスタンダードファッションはモンペである。都会的感覚を履いたこの男性がこの村の住民であるはずがない。
僕は首を傾げる。
果たしてよそ者の溺死体が海岸に打ち上げられたところで,それはこの村の「災厄」とまで言えるのだろうか。
古来からの村というものは,概して閉鎖的なコミュニティーである。
村人同士のつながりは強い反面,よそ者に対しては徹底的に冷たい。言ってしまえば,今目の前で横たわる男性の死など,この村の人にとってはどうでもいいことであるはずである。
この男性の死が「災厄」であるとすれば,それはこの男性の死亡そのもの自体とは別の所以が存在しているはずだ。
そのとき,僕はとんでもないものを見つけてしまった。
そんなはずはない,と思わず自分の目を疑う。
それは,推理小説においてはよく死体に付随して登場するが,現実世界ではまずお目にかかれないものである。
だらんと伸びた男性の腕の先にあるもの。
「ダイイングメッセージ…」
ダイイングメッセージ-殺人事件の被害者が死に際に犯人を糾弾するために残す最期の言葉。
それは単なる空想上の産物ではなかったのか。
砂浜にくっきりと書かれた文字が,村人が手に持った松明によって照らされ,判読可能となる。
「ミズムシイタルコ」
それは果たして固有名詞なのか,それとも概念なのか,僕には皆目検討がつかないカタカナの羅列だった。
今まで悪ふざけが過ぎた本作ですが,無事,人を殺すことができました!
推理小説は,人を殺してからスタートみたいなところがあるので,菱川は「早く殺したい。早く殺したい。一刻も早く」という焦燥感の中にいたわけです。
ようやく人を殺せたのでホッとしました。これからどんどん殺していきますエヘヘ
さて,菱川は三連休を使って四国に旅行に来ています。
同行者が執筆に理解のある方なので(というか,同行者も趣味で小説を書いている人なので),旅行中も通常通り投稿します。よろしくお願いします!