帰り道
プシューッ
缶ビールが労いの音を立てる。
缶の口から溢れそうになる泡に口をつけた倫瑠は,「ああ,最高」とオジさんのような低い声を出した。
倫瑠は隣の席にいる僕が大の酒好きであることを知っているはずである。それにもかかわらず,倫瑠はあたかも一人旅をしているかの如く,車内販売でビールを一本だけ注文し,帰りの新幹線で一人で酒盛りを始めたのである。外に出たところで引きこもり気質は変わらないらしい。
僕はカートを引くお姉さんを呼び止めると,倫瑠と同じビールを注文した。
「倫瑠さん」
倫瑠が,知らない男性に突然声をかけられたかのような怪訝な目で僕を見る。
「倫瑠さん,本当に興治さんと熊蔵さんを見逃して良かったんですか?」
「いいのよ。私はファンを大切にするタイプだから」
倫瑠が本音なのかふざけているのか分からない返答をする。
「もしも,村人の中に倫瑠さんに投票しない人がいたらどうするつもりだったんですか?」
「村人にはあんたみたいなロリコンはいないわよ」
倫瑠に冷たい目を向けられるのは慣れっこだったが,僕が莉李ちゃんに投票したことを知って以来,倫瑠の目の冷たさは氷点下を切っていた。
「もしも,の話です」
倫瑠が,あんたバカ,と言わんばかりの深いため息をつく。
「そのもしもはありえないわ。村人が私に投票しないことなんて,万が一にも億が一にもありえないの」
「大した自信ですね…っ痛…」
倫瑠がピンヒールのかかとが,僕のつま先を襲った。
「別に私が自意識過剰になってるわけじゃないから。これもちゃんとした推理に基づいているのよ」
「推理?」
「ええ。この村の美少女総選挙は,単にどの女の子が一番可愛いのかを決めるのではない。次のイタルコの巫女を誰にするのかを決めるものよ。ミズムシイタルコの祟りでどんどん死人が出ているときにイタルコの巫女になることの意味は分かるわよね?」
「イタルコの巫女に就任して早々,生贄に捧げられてしまいますね」
だからこそ,倫瑠は「死にたくないもん」と言ってこの村一番の美少女の座を明け渡したのだ。
「そうよ。もちろん,村人は今回の総選挙の意味がよく分かっていた。生贄決めの総選挙だ,って。だから村人は莉李ちゃんに投票するはずがないのよ。貴重な村の若い娘,しかも5歳児でまだまだ未来のある子を生贄に捧げたくはないからね」
「なるほど…。でも,村人の中には倫瑠さんのルックスに騙されて倫瑠さんに心底惚れてそうな人もいましたけど,倫瑠さんが生贄になるのはいいのですか?」
「ルックスに騙されて?」
「撤回します。騙されてではないです,惑わされてです」
「どっちにしろ若干のdisりが入ってるからね? まあいいわ。ちなみに今のあんたの質問は愚問よ。そもそも私は最初から生贄要員だから」
「どういう意味ですか?」
倫瑠がビールをグイっと煽る。
「矢板が殺されたとき,村長が私たちを古民家から追い出しに来たわよね?」
「そんなこともありましたね」
「あのとき,村長は私の顔を見た途端に,『この村に残っていい』と態度を急変させたわよね?」
「ああ,たしかにそうでした」
あのときは倫瑠が魔法を使うとハッタリをかけたものの案の上奏功せず,部屋に無理やり押入られ,万事休すと思ったところで,倫瑠のルックスを知った村長が「美しい」と戯言を発した後で,倫瑠に滞在を許可したのであった。
「村長が急に手の平を返したのは,若くて綺麗な女性である私を生贄に利用しようとしたからよ。ミズムシイタルコのダイイングメッセージを残して溺死した矢板を見た村長は,ミズムシイタルコの怒りを鎮める必要があると感じていた。当然,生贄にならなければならないのは日菜姫ね。しかし,村長は,幼い頃から可愛がっている日菜姫に対して情があったため,日菜姫に死んで欲しくなかった。そこで悩んでいたところ,偶然、私という日菜姫以上の美少女を見つけたのよ」
倫瑠の発言に自意識過剰なものが多分に含まれていることはさておき,恐ろしい話である。村長の滞在許可には下心があったことには気が付いていたが,まさかそのような下心だったとは。
「あんたには話してなかったけど,あの後の村長の私へのアタックは激しかったんだから。留守だって言ってるのに古民家の戸をガンガンガンガン叩いて。おかげで本職に集中できなくて,ランクを2つも落としちゃったんだから」
なお、今倫瑠が言った「本職」は,民俗学者ではなく,ネトゲプレイヤーを指している。
「しかし,村長が私を生贄にする前に,熊蔵が日菜姫を海に沈めてしまった。さらにはそうこうしているうちに八津葉まで死んでしまった。村長はこれ以上村の娘を失うわけにはいかない,と判断し,総選挙の開催を宣言し,私に参加を要請したのよ」
なるほど。引きこもりの倫瑠が美少女総選挙に参加したのは、村長から直々に声がかかっていたからだったのか。
「総選挙に参加するのはめちゃくちゃダルかったんだけど,このままだと寝てる間にクロロホルムを嗅がされて無理やりに海に沈められかねないと思ったから,仕方なく村長の参加要請に応じることにしたの。村人総出の総選挙のステージで私が推理を披露して村人の目を覚まさせることが,生贄の連鎖を直ちにストップする唯一の方法だからね」
「村人でない倫瑠さんを生贄にだなんて,酷い話ですね…」
僕は率直な感想を漏らした。ただの色ボケだと思っていた村長に,まさかそんな邪悪な思惑があっただなんて。
「たしかに酷い話だけど,この村はずっとこうしてきたのよ」
「ん? どういう意味ですか?」
「この村の近隣の村の伝承を漁ったところ,『神隠し』についての話がたくさんあるのよ。しかも,神隠しに遭うのは大抵が村の若い娘なの」
「もしかして…」
「ええ,そうよ。この『神隠し』の伝承は実話に基づいている。今よりもはるかに海難事故が多かった昔,巳織村には生贄とする村の若い娘が不足していた。そこで近隣の村から誘拐することによって、若い娘を調達していたの」
なんとも恐ろしい話である。
「だから,この村の人々は生贄の儀式,さらにはミズムシイタルコの存在をよそ者に知られるわけにはいかないのよ。今まで自分たちが起こしてきた拉致事件がバレちゃうからね」
「そうだったんですね…」
これこそが,巳織村の人間が隠したがっていた,村の秘密の核心だったのである。倫瑠がこの話をステージではせず,帰りの新幹線まで持ち帰ったのは,倫瑠自身の身の安全を考えてのことだろう。ここまで知っていることがバレれば,マニフェストにおいて犯人の告発をしないことを約束していたとはいえ,口止めのために暗殺される可能性は十分にある。
「ふぅ」
倫瑠が缶を振る。中にプルトップが落ちているのか,それはカランコロンと音を立てた。いつも以上に倫瑠の飲むペースが早い気がする。
「残念だったなあ。私のシナリオだと全員が全員私に投票して,私の温情によって全員無罪放免のはずだったんだけどなあ」
つまり,倫瑠には,最初から誰に対しても罪を問う気がなかったのだ。
興治は再開発から村の伝統である漁業を守ろうとし,熊蔵は村のしきたりに粛々と従っただけである。たしかに動機には酌量の余地はある。しかし,倫瑠のことだから,倫瑠が彼らを警察に突き出したときに倫瑠自身が受けるであろう取り調べ等の手間を考えたのだろう。倫瑠は社会正義のために一肌脱ぐようなタイプではない。
「どこかのロリコンが空気を読まないで莉李ちゃんに入れちゃうから…」
「いや,ですから,それには深いわけが…」
「ロリコンは病気なんです,とかは言い訳にならないからね」
「そんな言い訳しませんよ!…っていうか,倫瑠さん,本気で僕を警察に突き出すんですか?」
倫瑠がニヤリと笑う。
「もちろん。公約だからね。それにロリコンは社会から排除しないと」
「ええええええええええ」
やはりこの女は悪魔である。この女と出会ってしまったことが運の尽きだったということに疑いはない。
ただし,と倫瑠が僕の肩を人差し指で突く。
「理由次第ね。私に入れなかったちゃんとした理由があるんだったら,今回は見逃してやってもいいわよ」
倫瑠には珍しい温情である。このチャンスを逃すわけにはいかない。とはいえ,僕が倫瑠に投票しなかった理由はできれば言いたくない。特に倫瑠本人には。
「いや…その…」
僕がお茶を濁していると,倫瑠はポケットからおもむろに携帯電話を取り出した。110番通報をしようとしているのだと僕の野生の勘が教えてくれた。
「待ってください! 恥ずかしいですけど言いますから! 」
僕は倫瑠から携帯電話を取り上げると,胸の鼓動をおさえるために大きく深呼吸をした。
「倫瑠さん,なんだかんだでこの村で居心地良さそうにしてましたし,総選挙でも観客からちやほやされてましたし,倫瑠さんは調子に乗りやすいタイプなので,このまま美少女ナンバーワンに選ばれたらこの村に永住するとか言い出しかねないと思ったんです。だから,倫瑠さんに投票しませんでした」
「ん? つまりどういうこと? もっと端的に話してくれない?」
「…つまり,僕はずっと倫瑠さんの助手でいたかったんです。倫瑠さんを巳織村に渡したくなかったんです」
「ふーん」
倫瑠が僕の顔を覗き込む。おそらく僕が嘘をついていないかをチェックするためだと思うが,その動作がむしろ僕をドギマギさせ,僕の挙動をおかしくする。
「よし,合格。あんたも無罪放免にするわ」
どうやら倫瑠様のお気に召したようだ。
よく見ると倫瑠の顔がほんのりと赤くなっている。アルコールの影響で,僕の臭い台詞も無礼講となったのかもしれない。
「そして、あんたのお望み通り,私の助手としての仕事をたくさんやらせてあげるわ。来週までに今回の巳織村調査について論文まとめてね」
「えええええええええ」
僕と倫瑠のペアで倫瑠が唯一担当している論文執筆作業まで僕に投げるとは何事だ。もはや僕は倫瑠の奴隷以外の何者でもない。
「任せたからね。もう私には何も質問しないで自力でやりなさい」
「えええ……っていうか,今回の生贄の件については書いた方がいいですか? 村人はこの伝統を必死で隠そうとしているのですが?」
今回の事件について警察に黙っていたとしても,論文で生贄の儀式について書いてしまえば,結局「巳織村の犯罪」について世に出回ってしまう。村人が望んでいない結果となってしまう。
「ちょっと,『私には何も質問しないで』って命じたそばから質問してこないでよね。全部あんたに任せたんだから,その点も含めて自分の頭で考えなさい」
投げやりな言葉の中に,倫瑠の優しさが隠されている。
生贄の儀式について触れなければ,海神ミズムシイタルコについて書くこともほとんどできない。よって,今回の調査を無駄とせず,学者としての倫瑠の名声を高めるためには,生贄の儀式について触れることがマストなのである。それにもかかわらず,全部任せる,と言ったということは,生贄には触れるな,と言ったに等しい。
「相変わらず,倫瑠さんはめちゃくちゃな人なんだから…」
僕は,記憶が新鮮なうちにと早速ペンとメモ帳を取り出すと,酒盛りを続ける倫瑠の隣で,アイデアをまとめ始めた。
(了)
皆様,拙作を最後までお読みいただきありがとうございました。
日常生活にゆとりがない中で書いていたこともあり,表現が練られていなかったり,ロジックが雑だったりということが目立ったとは思いますが,温かい目では見ずに,容赦無く指摘することによって菱川を育てていただければと思います。
本作は菱川にとって未知であり,なおかつ苦手な「連続殺人」を扱ったものです。
菱川は自称ミステリー作家ですが,物理トリックを書くのが超苦手で,主に動機をテーマの中心とした作品を生み出しています。
しかし,連続殺人では動機を書きにくいのです。
語弊をおそれずに言えば,連続殺人犯は頭のオカシイ人に違いありません。普通の人がやむにやまれぬ事情(たとえばDVを受けていた等)によって人を一人殺してしまうことはありえますが,普通の人が短期間に連続して殺人を起こすことはありえません。
どこか頭が欠落していて,殺人への感覚が麻痺している人でないと,連続殺人の犯人足りえないのです。換言すると,連続殺人犯が人を殺すことには動機がないのです。単に犯人が異常者だから起きるのが連続殺人であり,とりわけ,殺される側の事情は一切存在しません(無論,どうして犯人が異常者となってしまったのか,という意味での「動機」は存在してます)。
それでもどうしても動機を書きたかった菱川が思いついたアクロバットこそが,今作のトリックです。
4人を被害者とした連続殺人を,4件の単発事件に分解すれば,1件1件の動機や背景事情を丁寧に書けるじゃないか,頭のオカシイ人物を登場させる必要もないじゃないか,という塩梅です。
最後に次回作についてお話しします。
次回作に悩んだ菱川は,twitterを使って皆様のご意見を募りました。
菱川あいず@aizuaizuhishi
新作は今まで挑戦していないことに挑戦したい。さて何を書こうか
1 R18
2 その前に予告していた異世界転生書け
3 その前に早く妹萌えの次回作書け
4 その前にエタってる「ポンコツヒーローズ」書け
以上の4つの選択肢で投票していただいたところ,結果は以下のようになりました。
1 R18 56%
2 その前に予告していた異世界転生書け 17%
3 その前に早く妹萌えの次回作書け 4%
4 その前にエタってる「ポンコツヒーローズ」書け 23%
ということで,菱川はノクターンノベルズデビューします。
書くからには本気で書きます。AVの脚本を書くくらいのつもりで書きます(今のところに頭に浮かんでいるタイトルは「Re.ゼロから始まる夫婦生活」です。また運営に削除されそうですね)。
とはいえ,菱川の作品を読んでくださっている方には18歳未満の方もいるはずなので,もちろん,なろうに健全な作品をアップする作業も並行して行います。
冬の童話祭に出品する「姫様気付いて! スノーホワイト・ホロコースト」は数日中にアップします。
上の投票では人気がありませんでしたが,妹萌えの続編として,「この不思議過ぎる核武装は,俺の妹愛を強制させようとしている」という社会派小説(嘘)のアイデアもあります。
もちろん,「ポンコツヒーローズ」は完結させます(たしか2万字くらいストックがあった気が…)。
今後とも菱川あいずをよろしくお願いいたします!




