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美少女の役割(6)

「引き続きまして,第3の殺人です。第3の殺人の被害者は,松川栄さん。第2の殺人の被害者の松川日菜姫さんのお父さんです。この事件については,私の助手の絃次郎の重要な目撃証言があります。絃次郎が,死ぬ間際の栄さんに会っているのです」


 あの出来事は今でも忘れられない。日菜姫を失ったショックで泣き喚く栄,そして,その栄が放った衝撃の言葉。



「栄さんの死体が発見される約20分前,栄さんは,絃次郎にこう述べました。『あいつだけは絶対に許せない。あいつに地獄を見せてやる』と」


 あのときの,栄の様子は尋常じんじょうではなかった。温和なはずの人柄は捨て去られ,人間以外の何かが取り憑いているように見えた。



「栄さんは,大事な一人娘である日菜姫を殺されたことによって,復讐の鬼と化したのです。復讐の相手である『あいつ』とは,もちろん,栄さんの反対を無視し,日菜姫さんを生贄として海に沈めた熊蔵さんでしょう。栄さんには、死体が浜辺で発見された理由は分かりませんでしたが、足首の跡から日菜姫さんが海に沈められたことは分かったため、熊蔵さんが犯人であると断定できました」


 栄が復讐しようとしたのは熊蔵だった。

 倫瑠の今までの推理からすれば当然の帰結である。とすれば,栄は熊蔵を殺そうとし,逆に返り討ちにあって殺されたということになるが,ここで数多あまたの疑問が浮かぶ。



「倫瑠さん! 栄が熊蔵に復讐しようとし,返り討ちにあったとしたならば,どうして栄は熊蔵の家の前でなく,栄の家の前で死んでいたのですか!? なぜ死因が溺死なのですか!? なぜミズムシイタルコのダイイングメッセージが残されていたのですか!?」


 久方ぶりに声を張り上げた僕に対して,倫瑠は,流しにまった洗い物を見るような,面倒くさそうな顔をした。



「絃次郎,あんたは素直さだけが取りだけど,最大の欠点もまた素直さね」


 倫瑠は呼吸をするように僕に悪態あくたいいた。



「たしかに,栄が熊蔵を殺そうとし,逆に熊蔵の反撃にあって殺されたのだとすると,今絃次郎が言ったような矛盾が生じます。ということはつまり,栄が熊蔵を殺そうとした,という推理は誤っているということです」


 僕には倫瑠の言っていることの方が矛盾しているように思えた。

 栄が熊蔵に復讐しようとしていたにもかかわらず,栄が熊蔵を殺そうとしていたわけではないというのは一体どういうことか。



「栄さんの置かれた立場はとても複雑なものでした。熊蔵さんが日菜姫さんを連れ出し,日菜姫さんを海に沈めた,ということから,熊蔵さんが日菜姫さんを殺したことは間違いありません。しかし,熊蔵さんは,決して利己的りこてき動機どうきで日菜姫さんを殺害したわけではありません。村のしきたりにのっとって,粛々と日菜姫さんを海に沈めただけなのです。栄さんが熊蔵さんを殺すことによって復讐を果たせる,というような単純な話ではないのです」


 たしかに単純ではない。仮に熊蔵が日菜姫を沈めなくとも,熊蔵以外の誰かが日菜姫を沈めたかもしれない。熊蔵はあくまでもこの村を代表しただけだともいえる。



「とはいえ,栄さんは熊蔵さんがどうしても許せなかった。悩んだ末に思いついたのは,目と目,歯と歯がガッチリと噛み合った復讐方法でした。その復讐方法を使えば,熊蔵さんを自分が置かれた立場と全く同じ立場に置くことができるのです」


 倫瑠の次の一言に,僕は度肝を抜かれた。



「復讐のため,栄さんは自殺しました」


「え!??」


 声を張り上げたのは僕だけではない。会場中の村人にとって,栄が自ら命を絶ったという推理は,予想だにしていなかったものであった。

 その様子を見て,倫瑠は満足げな顔をする。



「日菜姫さんが殺された今,妙齢みょうれいの村娘は八津葉さん一人しかいませんでした。八津葉さんは日菜姫さんのように顔は整っていませんでしたが,ライバルがいなかったため,八津葉さんがこの村一番の美少女となったのです。無論,莉李ちゃんを推す声もあるかとは思いますが,それは一部のマニアに限られるでしょう」


 あの不細工ぶさいくな八津葉が「美少女」だなんて,鼻で笑いたくなる。しかし,この村の中での相対評価ならば,ババアやクソババアよりは八津葉の方がまだマシであることは疑いない。それに,なんとなくだが,ロリコン人口よりもおっぱい星人人口の方が多い気がするので,八津葉が莉李ちゃんより人気があるというのもその通りだろう。



「よって,日菜姫さんの生贄によってもなおミズムシイタルコの怒りが鎮まらなかったとすれば,次に生贄にならなければならないのは八津葉さんということになる。栄さんは,自分がミズムシイタルコによって殺されたかのように演出することによって,八津葉さんをミズムシイタルコの生贄にすることにしたのです」


 復讐とは,自分が味わった悲しみを,相手にも同じように味わわせることである。

 とすれば,栄の思いついた復讐は理想的だ。

 栄の味わった悲しみは,村のしきたりに基づき,自らの娘を殺されてしまったことであり,栄が熊蔵に味わわせようとした悲しみもまた,村のしきたりに基づき,自らの娘を殺させることであり,2つの悲しみはピッタリと重なるのだから。



「無論,村人は,日菜姫さんの死体がイタルコ岩の付近ではなく浜辺で発見されたことから,日菜姫さんが生贄に捧げられたとは思っていません。別に興治さんが死ななくたって,自然と八津葉さんを生贄とする流れとなったでしょう。しかし,熊蔵さんは違う。自らが日菜姫さんを沈めたのですから,当然に日菜姫さんが生贄にされた事実を知っている。つまり,熊蔵さんは,栄さんが死ぬまでは,すでに日菜姫さんが生贄に捧げられているという事実を暴露することによって,八津葉さんを生贄に捧げることが阻止できたのです。そのため,栄さんの自殺は,熊蔵さんを対象としたメッセージといえます」


 倫瑠が細い指を2本立てる。



「栄さんが自らの死をミズムシイタルコの仕業に見せかけるためには,2つのハードルをクリアすることが必要でした。一つ目は『ミズムシイタルコ』というダイイングメッセージを残すこと。二つ目は陸地で溺死すること。一つ目のハードルはそれほど困難でありません。死ぬ前に,地面に字を書くだけですから」


 僕は,栄の死体のそばにあった『ミズムシイタルコ』の文字を思い出す。それは地面をえぐるようにして,くっきりと書かれていた。ダイイングメッセージが消えてしまったり見逃されたりしないように工夫をしたということだろう。



「しかし,二つ目のハードルは簡単ではありません。それどころか,常識的に考えて不可能だと言えるでしょう。通常は,溺死した後に誰かに運んでもらわない限り,溺死体が陸地に現れることはありえません。しかし,栄さんの強い憎しみが,不可能を可能にしたのです」


 倫瑠が持ち出したのは,僕が小学生の頃,プールの授業の前に担任の先生から聞かされた「脅し」だった。



「人間,コップ1杯の水があれば溺れることができるんです。栄さんはこれを実践じっせんすることによって,海のない場所で溺死することに成功しました」


 呆気にとられる会場を置いてきぼりにし,倫瑠は続ける。



「栄さんは,自宅に戻ると,飲み水用に貯えてた真水をひたすら飲み続けました。これ以上飲めないというくらいに。そこからさらに水を流し込み,口の中を飽和させると,吐き出さないように手で口を押さえながら,家の外に出ました。そして,地面に倒れこみ,自らが溺死するまでその状態を保ったのです」


 無理だ。そんなことできるはずがない。呼吸ができない苦しさに耐えられず,途中で水を吐き出してしまうに決まっている。

 生理的欲求にも逆らい,死の恐怖にも逆らい,苦しみの中で徐々に自らの意識が遠のいていくのを待つことなど,常人のなせる業ではない。それは,理論上はありえても,現実ではありえない自殺法だ。



「私の助手が,『そんなのありえない』って顔をしていますね。たしかにこんな死に方は普通はできません。大切な一人娘を失ったことによる絶望,そして大切な一人娘を奪った熊蔵さんへの怒り。普通ではありえない強い感情が,不可能を可能にしたのです。無論,私もそこまで強い感情を抱いたことがありませんので,私も思います。そんなことはありえない,不可能だ,って」


 復讐のために立ち上がったときの,栄の鬼気きき迫る様子が想起される。日菜姫を失った段階で,栄は人間であることをやめたということかもしれない。

 水を口に含んだ栄の頭にあったことは,日菜姫のために復讐するという一心のみであり,生きたい,楽になりたいという人間として当然の欲求はとっくに捨ててあったのだろう。



「父親という生き物は,愛する娘のためだったら何でもできるのかもしれませんね」


 倫瑠は,倫瑠らしくない情緒的じょうちょてきなセリフで,第3の事件の推理を締めくくった。








 あと3話程度で完結の予定です。

 菱川もそうですが,謎解きは一気に読みたいというご要望が読者様にあると思い,かなり無理して更新ペースを上げています。実は今回の投稿でストックが尽きてしまったのですが,ちょっと無理して完結まで突っ走りたいと思います。


 後書きでふざける余裕がなくて申し訳ありません。根が真面目なことがバレてしまいますね。

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