美少女の役割(5)
「ちょっと待っとくれ!」
村長が久しぶりに口を挟んだ。
「日菜姫の死体が見つかったのは浜辺じゃ。学者さんの言う通りじゃったら,日菜姫の死体は海に沈んでなきゃおかしいはずじゃろ。矛盾しとる」
村長の指摘はごもっともである。イタルコ岩の付近から波打ち際までは1キロメートル近く,さらに波打ち際から日菜姫の死体までの距離も50メートル以上あった。足を縛られていた日菜姫が浜辺まで移動できるはずがないし,また,阿久津も指摘していた通り,波の力によって日菜姫の死体が運ばれたということもありえないのである。倫瑠の推理は,客観的な状況に反している。
「『探偵の推理は大人しく聞け』ってさっき言わなかったかしら? 話の途中で口を挟まないでくれない?」
さらに舌打ちで追い討ちをかけられ,村長は縮こまった。曲がりなりにもこの村で一番偉い人間に対して,このように不遜極まりない態度をとれることは,善し悪しを措くとして,倫瑠のすごいところだと思う。
観客用に柔らかく加工された倫瑠の声が,再度耳に届く。
「別に超常現象が起きたわけではありませんし,何も矛盾はしていません。簡単な話です。日菜姫さんは,溺死させられた後,何者かに引き揚げられ,陸地に戻されたのです」
意味が分からなかった。たしかに物理的に難点がない,という意味では簡単な話かもしれない。
しかし,動機が分からない。海に沈めた人間を,死亡後に引き揚げなければならない理由などあるのだろうか。
「もちろん,日菜姫さんの死体を引き揚げたのは,熊蔵さんとは別の村人です。ミズムシイタルコが求めているのは美少女の出汁ではなく,美少女の身です。一度捧げた日菜姫さんを取り返す行為は,ミズムシイタルコの怒りをさらに深めるものと言えるかもしれません。熊蔵さんがそんなことをするはずがありません」
だとしたら,一体誰が,何のために日菜姫の死体を海から引き揚げたのか。
「熊蔵さんが日菜姫さんを海に沈めたのは,熊蔵さんが,矢板さんの死がミズムシイタルコの仕業だと信じていたからです。他方,日菜姫さんの死体を陸地に戻した人は,矢板さんの死がミズムシイタルコによってもたらされたものだと信じていなかった。なぜなら,その人は,興治さんが矢板さんを殺害した瞬間を目撃していたから。そうですよね。阿久津さん」
倫瑠は船着場の主を名指しした。村人の視線が一斉に向いた先で,阿久津は神妙な面持ちをしていた。
「阿久津さんは港の船の管理人として,浜辺の近くの小屋で寝起きをし,矢板さんが殺された付近の浜辺を常に見張っています。そのため,阿久津さんは,偶然,早朝の,矢板さんの殺害場面も目撃していたのです」
阿久津は神妙な面持ちを保ったままである。
「後に,矢板さんの死がミズムシイタルコのせいになっていることを知った阿久津さんは大変驚いたことでしょう。阿久津さんは,矢板さん殺しの犯人が興治さんであることを知っていましたから。慌てて興治さんに事情を問い詰めました。興治さんの説明によって,阿久津さんは,矢板がこの村の漁業を破壊する事業を持ち込もうとしていた人間であること,この事業を止めるために興治さんが事件をミズムシイタルコの祟りに見せかけたことを知りました。阿久津さんは興治さんの説明に納得し,興治さんを真犯人として告発することはしないこととしました」
僕は浜辺での阿久津との会話を思い出す。阿久津は,ミズムシイタルコによる犯行かどうかについては分からない,と留保した一方,矢板については,祟りによって殺されても仕方がない存在だ,ということを述べていた。今思い返してみれば,興治による殺人の真相を知っていたからこその発言である。
「しかし、阿久津さんは,翌日,再び決定的な場面を目撃してしまいました。今度は,熊蔵さんが日菜姫さんを連れ,木船に乗り込む場面,そして,数十分後に,熊蔵さん一人が木船に乗って帰って来た場面を目撃したのです。日菜姫さんはイタルコの巫女ですから,阿久津さんはすぐに直感しました。日菜姫さんが生贄としてイタルコ岩の麓に沈められてしまったのだと」
「つまり,阿久津は日菜姫を助けに行ったということかのう。日菜姫を海から引き揚げ,浜辺まで連れて行ったものの,もう手遅れじゃったということかのう」
村長が懲りずにまた口出しをする。倫瑠は,村長の話が終わらないうちに「違う」とシャットアウトした。
「イタルコ岩から港までは木船で移動すると10分以上かかる距離にあります。さらに,阿久津さんが,沈められた日菜姫さんを素潜りで見つけ出し,それを引き揚げるまでの時間も考えれば,阿久津さんが日菜姫さんを船に引き揚げるまでに30分以上の時間がかかります。日菜姫さんが生存している確率はゼロです」
「じゃあ,阿久津はなんのために日菜姫を引き揚げたんじゃ」
「その理由については,私の推理を述べても良いのですが,本人に直接聞いた方が確実でしょう。阿久津さん,ステージに上がってきてください」
阿久津は倫瑠の指示に素直に従った。そのことは,今までの倫瑠の推理が正しいこと,そして,阿久津が,自分が口を結んでいても結局倫瑠に推理されてしまうだろうと観念していたことの証左だった。
阿久津がステージに上がると,倫瑠の目での指示に従い,村長が阿久津にマイクを引き継いだ。
阿久津の抑揚のない声がマイクに乗る。
「わしは,生贄の儀式がよそ者にバレるのが嫌じゃったんじゃ」
倫瑠が大きく頷く。おそらく,阿久津の回答は倫瑠の予想通りだったのだろう。
「興治は,よそ者の死をミズムシイタルコの祟りに見せかければ,この海を破壊する事業は止まると言っておった。しかし,そうはならなかったんじゃ。よそ者が死んだ翌日にも,調査船は来ておった」
「『調査船』とは何かについて説明してもらえますか?」
「その,ハイラル・エナジーとやらの船じゃ。最近は毎日のようにこの村の海に来ておった。興治によれば,海底の地形を調べとるらしい」
「ありがとうございます。調査船が海底の地形を調べていたのは,ハイラル・エナジーが,メタンハイドレート採掘のための港を,海を埋め立てて作る予定だからでしょう」
その調査船ならば,僕も見ている。
浜辺で阿久津と話しているに見た,「普通の船」がそれである。
あの日は矢板が死んだ翌日だった。興治の期待に反し,矢板が死んだ後にもハイラル・エナジーによる調査が中断しなかったわけだが,僕はそれもやむをえないと思う。そもそもハイラル・エナジーが矢板の死の事実を把握していなかった可能性もあるし,仮に死の事実を把握していても,ミズムシイタルコの祟りという意味合いは,ハイラル・エナジーには伝わりにくい。
「調査船は,イタルコ岩の付近にも現れとった。わしは,調査船に日菜姫の死体を見つけられることを恐れたんじゃ」
「なるほど。イタルコ岩にはたくさんの美少女が捧げられています。しかし,気象予報の技術が発達した近年は,村の船が海難事故に遭うことはほとんどなかったはずですから,日菜姫さんは久々の生贄だったと推測されます。過去に捧げられた女性の亡骸は,海底の生物によってすでに分解されており,原形をとどめていないでしょう。しかし,日菜姫さんの死体はまだ新しく,一見して人間の死骸だと分かってしまう」
「そうじゃ」
「調査船によって,少女の水死体が見つかれば,今度は事件の捜査として,警察が,イタルコ岩の周辺を調べることになるでしょう。そうなれば,現在のDNA鑑定等の技術によって,過去に生贄となった女性の死骸が他にも大量にあることが判明し,この村のしきたりが白日に晒されることになりかねません。このことを恐れ,阿久津さんは日菜姫さんの死体を持ち帰ったんですよね?」
「そうじゃ。学者さんの言う通りじゃ」
「なぜ,阿久津さんは,そこまでしてこの村のしきたりをよそ者に隠したかったのですか?」
イタルコ岩のそばから女性の死骸が大量に見つかれば,間違いなく大きなニュースとなる。ワイドショーの格好の餌となることも間違いはない。とはいえ,阿久津は単なる一村人であり,事件の関係者ではない。わざわざ船を出し,死体を引き揚げてまで,生贄の儀式を隠蔽する動機が阿久津にあるのかといえば,たしかに疑問である。
阿久津は少し悩んだ後,マイクがかろうじて拾えるくらいの小さな声で答えた。
「生贄はこの村にとって必要不可欠な儀式じゃ。この儀式によって,この村は悲惨な海難事故を乗り越え,正気を保ってきた。じゃが,よそ者から見れば,これは歴とした殺人であり,犯罪じゃ」
「そうですね」
「生贄はこの村人全員の同意に基づき,この村人全員のために行われとる。じゃから,村人全員が犯罪者なんじゃ。今生きとる村人だけじゃない。わしらの先祖も犯罪者じゃ。じゃから,よそ者に知られるわけにはいかんかった」
つまり,罪の意識か。
しかも,この罪の意識は阿久津だけでなく,世代を超えた村人全員に共有されている。この村の住人が,揃いも揃って生贄の儀式,そしてそれと密接に関連した存在であるミズムシイタルコについて,よそ者の僕や倫瑠に語りたがらなかった理由がようやく分かった気がした。
「最後にもう一つだけ確認させてください。持ち帰った日菜姫さんの死体を浜辺に放置したことに理由はあるのですか?」
「ない。日菜姫の死体を引き揚げたはいいものの,それをどこにやるかについては全く考えとらんかった。浜辺で悩んどったんじゃが,こっちの方に向かって歩いてくる三島が見えたんで,わしはその場に死体を捨てたんじゃ」
三島のジイさんは,日菜姫の死体の第一発見者である。
僕には一つ腑に落ちることがあった。熊蔵のアリバイについてである。
三島のジイさんは30分間隔で浜辺を通ったが,往路では死体を見かけず,復路では死体を見かけた。その30分の間に日菜姫が殺されたのであれば,たしかに熊蔵にはアリバイがあることになる。
しかし,実際にはその30分の間に起きたことは,すでに熊蔵によって殺された日菜姫の死体を,阿久津が浜辺に捨てただけだったのである。日菜姫が殺された時刻と日菜姫の死体が捨てられた時刻とのギャップが,熊蔵の意図しない形で,アリバイトリックを生み出したのである。
「死体を運んでいるところを見られると色々と厄介ですからね。せっかく捧げた生贄を引き揚げるという神への背徳を正当化するためには,矢板の死がミズムシイタルコの手によるものではないことを説明しなければならない。そうすれば,ハイラル・エナジーの計画を止めるために興治さんが偽造したダイイングメッセージが台無しになっていまいます。ご協力ありがとうございました。阿久津さん,席に戻っていいですよ」
倫瑠は,長年の付き合いである僕が初めて見た柔和な笑顔で阿久津が客席に戻るのを見送った。
「つまり,第2の殺人がミズムシイタルコの仕業とみなされてしまったのは,単なる偶然ということです。溺死体が陸地で見つかるという点がたまたま一致してしまったがゆえに第1の事件と同視されてしまっただけということです。以上が第2の事件の真相です」
仕事中にこっそり投稿しているので,後書きはお休みします。ごめんなさい。




