美少女の役割(4)
興治の低音の嗚咽だけを残して静まり返った会場で,倫瑠はあっけらかんとした表情で,次の話を繰り出した。
「次は第2の事件の犯人当てをしましょう。第2の事件の被害者は松川日菜姫さんです」
僕の大切な日菜姫の命を奪い去った第2の事件。
この事件の犯人が興治じゃないとすれば,一体誰なのか。僕はこの事件の犯人だけは絶対に許すことができない。
「日菜姫さんがなぜ死ななければならなかったのか。それは,日菜姫さんが美少女だったからです」
美少女は同性から羨まれる属性である。しかし,美少女ゆえに事件に巻き込まれるという事態は巷に溢れている。
美少女は人々の欲望の対象になるからである。言うまでもなく,美少女ゆえに巻き込まれる事件の典型は性犯罪だ。やはり日菜姫は,誰かに無理やり貞操を奪われた上に殺害されてしまったということだろうか。
倫瑠の推理は,僕の想像とは少しも掠らないものだった。
「先ほど述べた通り,この村一番の美少女にはとある役割があります。それは,ミズムシイタルコの怒りを鎮めることです。日菜姫さんはその役割を果たすため,生贄にされたのです」
生贄-神様を満足させるために生者の命を捧げる儀。
美少女を生贄にするという風習を聞いたのは初めてではない。ただ,それが現代の日本で残っているだなんて。
「この村の港からは,海面から顔を覗かせる大きな岩が見えます。鉄塔のように縦長に伸びた岩が。調べたところによると,あの岩は通称「イタルコ岩」というそうですね。そうです。ミズムシイタルコの『イタルコ』です」
倫瑠はあたかもその岩を見たことがあるかのように話しているが,実際は僕の報告を受けただけである。僕が亜久津に繰り返し質問しても名前を教えてくれなかったあの巨岩には,やはり名前があったらしい。しかも,海神を冠した名前が。
「ミズムシイタルコが怒ったとき,イタルコ岩の麓に,この村一番の美少女を沈め,ミズムシイタルコに捧げる。それによってミズムシイタルコの怒りを鎮め,翌日以降の大漁を祈願する。これがこの村のしきたりなんです」
倫瑠はイタルコ岩を鉄塔に例えたが,実際は墓石ではないか。あの岩の麓には過去に生贄となった多くの美少女が眠っているのだから。
「興治さんの思惑通り,村の人々は,矢板の死をミズムシイタルコの祟りとして捉えました。ミズムシイタルコによる天罰だと。このことは,メタンハイドレート計画を廃止に追い込むという意味では十分な布石となったはずです。しかし,同時に興治さんが見落としていた副作用が起こってしまった。それが,日菜姫さんを生贄に捧げようという動きなのです。この村で一番の美少女が『イタルコの巫女』となり,神の怒りを鎮めることになっていますから」
僕は大きな勘違いをしていたようだ。
この村において,巫女は単なる萌え属性ではなかったのだ。文字通り神に身を捧げなければならない身だったのだ。
そういえば,日菜姫の巫女舞は神様の前でしか披露されないという話があった。「イタルコの巫女」の巫女舞も,おそらく海神の怒りを鎮めるための手段なのだろう。そして,舞では鎮めることのできない特別な怒り,たとえば死亡事案の発生の場合には,その身を捧げるしかないということだろう。
「なぜじゃ! なぜ学者さんはこの村のしきたりを知っとるんじゃ!?」
村長が倫瑠に掴みかかった。
「この村のしきたりはよそ者には内緒のはずじゃ!」
倫瑠はいともたやすく村長の腕を振り払う。
「民俗学者をなめないでください。この村がミズムシイタルコをタブー化している理由について考えたのです。なぜ,この村の人は,外の人間に対してここまで必死にミズムシイタルコの存在を隠そうとしているのかと。そこから,ミズムシイタルコには,村の外から非難される要素があるのだろうと想像しました。さらにそこから生贄の儀を連想することは難しくはありませんでした。村の外の,文明の発達した社会からとんでもなく野蛮なしきたりがこの村に存在しているのだろうと」
「く…くそ…」
村長は悪態を吐くと,再び黙り込んでしまった。
僕の目から見ても,この村の人間は露骨なまでにミズムシイタルコの存在を隠そうとしていた。ただ,倫瑠のように,そのことと生贄の儀とを結びつけることはできなかった。倫瑠の頭脳はズバ抜けている。引きこもり癖さえ直せば,日本史上に残る学者となれたはずである。
「いい? 探偵の推理は大人しく聞きなさい」
倫瑠が冷たい目を向けても,村長は暗い表情をしたままだった。村の秘密が暴露されようとしている中,マゾフェミニスト的性癖は身を潜めている。
倫瑠はターンするようにして客席に向き直った。
「推理を続けます。日菜姫さんは生贄として海に沈められました。問題は,誰が日菜姫さんを沈めたかです。これは烏丸熊蔵で間違いないでしょう」
僕は振り返り,客席の後方を見遣る。客席は後方まで隙間なく人が詰まっていたものの,人間離れした身長の熊蔵はすぐに見つかった。
生贄を「殺人」と称するのかはともかく,日菜姫を死に追いやったのはやはり熊蔵だったのだ。
「日菜姫さんを沈めたのが熊蔵さんである何よりの根拠は,日菜姫さんが殺害される前夜の,松川家でのやりとりです。たまたま同席した私の助手の証言によれば,熊蔵さんは涙を流す日菜姫さんに対して,こう言いました。『今日の俺の話は分かったな? 待ってるからな。ちゃんと来いよ』と。私の助手はそれ以前のやりとりには立ち会っていませんので,この発言がどういう文脈でなされたのかということについては推測するしかありません」
僕はこの発言の前提には,熊蔵と日菜姫との間の性交渉の約束があったものと邪推した。しかし,倫瑠が描き出した絵は,それとはまるで異なっていた。
「矢板さんがミズムシイタルコのダイイングメッセージを残して溺死した事態を,熊蔵さんは,素直に,ミズムシイタルコの祟りのせいだと断定した。そこで,村のしきたりに従い,ミズムシイタルコの怒りを鎮めるために,『イタルコの巫女』である日菜姫さんをイタルコ岩に奉じなければならないと考えました。ゆえに,日菜姫を連れ出すために松川家を訪問しました」
熊蔵は倫瑠の話に頷くことも首を振ることもなく,ただ呆然と立ち尽くしていた。完全に魂が抜けてしまっている。
「熊蔵さんが日菜姫さんと栄さんに対し,日菜姫さんを生贄に捧げることを提案しました。しかし,これには栄さんが強く反発しました。『今回の件はミズムシイタルコの怒りであるかどうかは分からない。娘を生贄に捧げる必要はない』というようなことを言ったのだと予想されます」
ミズムシイタルコの怒りの前例は,津波や高潮,海難事故といったものに尽きていたはずだ。陸地で人が溺死させられるなどといった事態は前代未聞である。それをミズムシイタルコの怒りと解釈するかどうかは人によって分かれうる。
それに何より,栄は大事な一人娘を死なせたくなかったはずだ。たとえそれが村のしきたりだとしても,村八分を覚悟で反抗してもおかしくない。人間の感情というのはそういうものである。
「結局,その場は熊蔵さんと栄さんの押し問答に終始しました。そのやりとりを見ていた日菜姫さんは,村のために命を捧げなければならないということも,父親が自分の命を必死に守ろうとしていることも,ともに痛感したことでしょう。板挟みになった日菜姫さんは,その場で黙り込み,目を潤ますしかなかったのです」
熊蔵の来訪によって,昨日までの日常は不可能となり,育った村を裏切るか,それとも自分が死ぬかの二択を迫られたのである。そのときの日菜姫の気持ちは想像を絶する。
「熊蔵さんは,日菜姫さんに,生贄となるため,明け方に港に来るように言いました。私の助手が聞いた『今日の俺の話は分かったな? 待ってるからな。ちゃんと来いよ』という台詞は,このことを指していたのでしょう。熊蔵さんが帰宅した後,日菜姫さんは栄さんにこのように告げたのだと思います。『私,生贄にはならないから』と。その言葉を聞いて安心し,栄さんは床に就きました。しかし,日菜姫さんのこの言葉は嘘だった。約束の時間に,日菜姫さんは寝ている父親を起こさないようにそっと家を出ると,熊蔵さんのいる浜辺に向かいました」
あくまでも倫瑠の推測の話である。しかし,僕はこれが真実であったと確信する。実に日菜姫らしい,心優しい日菜姫らしい選択だ。日菜姫は村のための自己犠牲を選んだのだ。止める余地を与えないことによって,父親になるべく罪悪感を負わせないような方法で。
「熊蔵さんは日菜姫さんを木船に乗せ,イタルコ岩の麓にまで連れて行きました。そこで,日菜姫さんの両足首を縄で縛り,そこに重りをつけ,日菜姫さんを海に投げ入れました。そのようにして日菜姫さんをミズムシイタルコに奉納したのです」
熊蔵は終始俯いたままであった。これから口を開くような気配もない。この様子が,倫瑠の推理が的中していることを露骨に示していた。
僕は複雑な気持ちだった。
日菜姫を殺した犯人を誰か一人に定めるとすれば,それは熊蔵になるのだろう。
しかし,日菜姫を殺したのは熊蔵だけではない。きっかけを作ったのは,ミズムシイタルコの祟りに見立てて矢板を殺害した興治であるし,日菜姫は村のために生贄になったのだから,日菜姫を殺したのはこの村全体とも言える。それに,日菜姫自身も生贄になることに同意していたのである。熊蔵は憎い。しかし,熊蔵だけを責めるのは間違っているように思う。
拙作に感想を寄せてくださった空見未澄様,ありがとうございます。
空見様は,なろうにおいて,青春小説の「スクールアイドルになれなかった彼女と呪われた男」という作品を完結させております。
菱川がドルヲタであるという事情とは関係なしに,この作品は菱川の心を捉えて離さないものです。はじめてこの作品を読んだときには感動のあまり超長文の感想と,「蜜葉ちゃん(登場人物)のパンツの色って何色!?」というDMを空見様に送りつけてしまいました。それくらいに優れた作品です←




