船着場の老人(1)
ピシャリと閉められ,鍵まで閉められた烏丸の家の戸の前で,僕は悶絶していた。世の中には時が解決する問題とそうでもない問題とがあるが,これに関しては明らかに前者である。時間の経過を待つ以外にはどうしようもない。
しばらく経ち,ようやく回復した僕は,日菜姫の家に行くこととした。
追い出されたとはいえ,一応は烏丸の家を来訪したという実績ができたので,倫瑠も文句は言えないはずである。
日菜姫の家は,海岸沿いにあり,行く途中に例の浜辺を横切ることになる。
日菜姫に会いに行くことも使命であるが,事件の謎を解き,海神の謎を解くこともまた僕の使命である。どちらが大事な使命かといえば,もちろん日菜姫に会いに行くことであるが,デザートは最後にとっておいた方がよい。僕は,砂浜の方へと足を踏み入れた。
深夜の喧騒が嘘だったかのように,人だかりは解消されており,浜辺には人っ子一人いなかった。
僕は死体が横たわっていた場所まで近づく。死体は片付けられており,「ミズムシイタルコ」のダイイングメッセージも消されていた。この辺鄙な村にも,年老いて機動力はないとはいえ,一応駐在がいる。彼が死体等を処理をしたのだろう。
ウミネコの鳴く声だけが響くのどかな村である。この村に殺人事件は似つかわしくない。
冬晴れの空に燦然と輝く太陽の光を浴びながら,僕は,昨日見た光景はすべて夢だったのかもしれない,と思い始めていた。
「あんちゃん,そこで何してるんじゃ?」
浜辺には自分以外は誰もいないと思っていたため,突然聞こえてきた声に驚く。声の主である老人は,僕から300メートルくらい離れた位置にいた。老人が立っている足場は,海に突き出しており,周りに木船が繋がれていることから,さしづめ船着場といったところだろう。
僕が答えに悩んでいるうちに,老人は大股歩きで,あっという間に僕の目の前まで詰めた。
「あんちゃん,答えな」
老人の年齢は,この村の人の平均年齢である70歳前後,といったところだろうか。小太りで,履いているものは,無論モンペである。
いきなり事件について聞くと警戒されると思った僕は,質問を質問で返すことにした。
「お父さん,こんなところで何をしているんですか?」
「わしか? 見てのとおり,船着場で働いとる。漁師の船を管理しとるんじゃ」
老人は,先ほどまでいた足場の方を指差す。そこにある5艘の木船はいずれもエンジンを積んでいるわけでなく,カヌーに毛が生えたようなものである。
「この近くの小屋に住んでおってな。船を見張っとるんじゃ。あんちゃんは何しとるんじゃ?」
「僕は宍戸絃次郎といいます。この村に調査に来ている民俗学者の助手です。お父さん,お名前は?」
「わしか? わしは阿久津三郎じゃ」
阿久津は歯がほとんどない割には滑舌がよい。あくまでも、歯がほとんどない割には,であるが。
「阿久津さん,先ほど『漁師の船』と言っていましたが,この村には今もたくさんの漁師がいるんですか?」
「もちろんじゃ。宍戸さんも見て分かるじゃろう。この海は青く透きとおっとる。魚もたくさんおる」
阿久津の言うとおり,海は,ペンキでも落としたかのように綺麗な青色をしている。都会ではまずお目にかかれない光景だが,人間の活動によって汚染される前の海は,どこもこれくらいに綺麗だったのかもしれない。
「阿久津さん,あれは何ですか?」
「岩じゃ」
滑稽なやりとりに見えるかもしれないが,阿久津には悪気はない。僕はたしかに岩を指差して,「あれは何ですか?」と質問したのである。もっとも,広々とした海に一本だけ角のように突き出た大きな岩は,きっとただの岩ではない。茅ヶ崎の「エボシ岩」のように,何か名前があるはずである。
「名前はないんですか?」
「岩じゃ」
「いや…その…」
僕が質問の方法を考えあぐねていると,逆に阿久津が質問してきた。
「宍戸さん,さっき,民俗学者と言っとったか?」
「え?…あ,はい。僕は民俗学者の助手です」
「じゃあ,宍戸さんは,神様の存在を信じるんか?」
阿久津は民俗学の研究対象に神様が含まれることを知っているようだ。とはいえ,阿久津の質問は,民俗学者に投げかけるのに相応しいものではない。なぜなら,民俗学は神学でもなければオカルト研究でもないからである。
民俗学が,神様,妖怪といった超自然的なものを研究対象とし,事例を集めるのは,不思議なことを蒐集することそれ自体に目的があるからではない。不思議なことを生み出す側への興味こそが,民俗学研究の原動力なのである。
つまり,民俗学者は,昔の庶民の思考様式・生活様式を知るために,昔の庶民が信仰していた神様や妖怪を研究するということだ。
たとえば,日本でもっともポピュラーな妖怪に河童がいる。
頭にお皿があり,手に水かきがある妖怪である。
民俗学では,なぜ庶民がこのような妖怪を想像するようになったのかを研究する。すると,たとえば河童が出現したとされる川の付近には渡来人がいた可能性が見つかる。ここから,庶民は,村と交わることなく川辺で生活する外国人を恐れ,河童を想像したのではないか、頭の皿は,渡来人が陶器の技術を日本に持ち込んだことからの連想ではないか,といった仮説が立てられる。
もしくは,河童が出現したとされる川の近辺の村に,間引き,すなわち,人口を増やさないために赤子を川に流して殺す,という風習が存在することが見つかることがある。赤子の未発達の指は,たしかに水かきのように見えるため,ここから,河童の正体は間引された赤子ではないか,という推理ができる。
すなわち,妖怪の裏側には,妖怪を想像するにいたった当時の人々の恐怖心が存在する。
それを突き止めることにより,当時の人々の風習や考え方,生活環境を知ることが民俗学の目的なのである。
話が逸れたが,とにかく,民俗学者は,超自然的なものそのものを研究対象にしているわけではない。なので,神様が存在するのかしないのかについて真剣に考えたこともない。
昨日は更新をサボってしまい,申し訳ありません。
本話が極めて難産であったためです。最終的に河童の説明をすることになりましたが,元々かまいたちだったり,座敷童だったりしました。説明対象が二転三転し,何度も書き直しました。本編とほとんど関係のない部分なのですが,菱川がうんちくを披露したいがために…(苦笑)
さて,本作に感想を寄せてくださったEITO8×8様,ありがとうございました。
EITO8×8様は,「六六六黒協会-ロクミツクロキョウカイ」という作品をなろうで連載しています。
この作品は,願い事を叶えてくれるといわれる教会を起点として繰り広げられる人間ドラマを扱ったファンタジー作品です。
この作品はいくつかのショートストーリーで構成されているのです。たとえば,一つ目のストーリーでは,保育士の女性が,恋人を略奪した女性の死を願うのですが,その後,全く予想もしていなかった心の動きがあり,事態はあらぬ方向へと展開します。
EITO8×8様は,ストーリー巧者だな,と感じます。一つ一つのショートストーリー,そして,全体のストーリーの展開が非常に練られており,ページをめくる手を次へ次へと進ませます。
また,EITO8×8様は悪魔専門家であり,今作も悪魔エッセンスが満載です。
菱川は自称アイドル専門家なのですが,アイドルをテーマにした小説をはるか昔に書き,超低評価をいただいております。