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ミズムシイタルコ(3)

 初めて死体を間近で見たショックと興奮がめぬまま,古民家に戻った僕は,倫瑠に浜辺で起こっていることについて報告した。


 

 最初は1割の集中力を僕の報告,残り9割の集中力をネトゲに向けていた倫瑠だったが,話がダイイングメッセージの下りになると,ついにディスプレイから目を離し,助手の方を振り返った。


 久しぶりに倫瑠と目と目が合った僕は,倫瑠の無駄に優れたルックスに心が乱されそうになる。



「絃次郎,いい仕事するじゃない」


 倫瑠が僕のことをめるのは,何年ぶりだろうか。

 僕は自分の顔が紅潮こうちょうしていることに気が付く。日頃がツンのオンパレードであるため,たった1度のデレの破壊力がハンパない。



「ミズムシイタルコねえ…」


「倫瑠さん,ミズムシイタルコを知っているんですか?」


「知ってるわけないじゃない,バカ」


 倫瑠のデレタイムは一瞬で終わった。



「でも,既存きぞんの知識から未知みちのものを推測するのが学者の本分ほんぶんよ」


「ふーん,なるほど」


「あんた,ミズムシイタルコ,という言葉から何か連想するものはない?」


「うーん…安直あんちょくですが,水虫みずむしを連想しますね。足にできるかゆいやつ」


「安直すぎて話にならないわ」


 だから,最初に「安直ですが」と断ったではないか。

 倫瑠の毒舌どくぜつには慣れてるとはいえ,流石に頭に来た。



「あんた,ヒルコくらいは知ってるわよね?」


「えーっと,たしか,イザナギとイザナミの最初の子供ですよね?」


「そうね。失敗作として、生まれてすぐに海に流された不浄ふじょうの子供ね」


 ヒルコの話が登場するのは古事記こじきである。

 712年に作られた古事記は,天地てんちの始まりから推古天皇の時代までの歴史を記したものであるが,内容はほぼ神話である。

 創世記の神々の活躍譚かつやくたん痴話話ちわばなしがふんだんに詰まったこの古典は,後世こうせいに多大な影響を与えた。

 伊勢神宮いせじんぐうまつられている天照大御神あまてらすのおおみかみを始め,現在日本各地で祀られている神々は,古事記が出自しゅつじであることが多いことからもその影響をはかることができる。

 

 そして,ヒルコも例に漏れず,古事記発,全国展開中の神様である。イザナギとイザナミの子というサラブレッドであるにもかかわず、()()としてすぐ捨てられた、という訳ありの出自ながら、日本のあらゆる地域で神様として祀られている。

 


「で,倫瑠さん,ヒルコとミズムシイタルコがどう関係するんですか?」


「絃次郎,ヒルコを漢字で書くと?」


「え? えーっと,うーんっと,なんでしたっけ?」


「バカ」


 倫瑠の細い腕が伸び,僕の股間こかん…をけ,僕のズボンのポケットに入っていたメモ帳を分捕ぶんどった。

 倫瑠は,僕の許可を得ることなく,乱暴にページを破りとる。倫瑠が,助手の物は自分の物だと考えていることには微塵みじんも疑いがない。

 

 倫瑠が紙片にペンを走らせる。

 無論,そのペンも,僕のメモ帳に付属ふぞくしていた,僕の物である。



水蛭子ひるこ


 性格を反映した倫瑠の乱雑らんざつな字を見て,僕は思い出す。

 

 その通りだ。ヒルコは漢字で書くと「水蛭子」である。


 ちなみに、ひるとは,人の血を吸うナメクジみたいな見た目の生き物である。一説によれば,ヒルコが生まれてすぐに海に流されてしまったのは,ヒルコが奇形児きけいじであり,蛭のように手足が欠損けっそんしていたからとのことだ。



「で,倫瑠さん,ヒルコの漢字がどうかしましたか?」


「大バカ者。少しは自分の頭で考えなさい」


 倫瑠は僕をののしりながら,紙片に3本の斜線しゃせんを引いた。


 それを見て,僕は感心する。



「水/虫/至/子」


 水蛭子という漢字を分解すると,たしかに水虫至子,つまりミズムシイタルコになるのである。



「おそらくミズムシイタルコは,この村に伝わってきたヒルコね。この村の人間はバカだったから,「水蛭子」という漢字が正しく読めなかったんだと思う。だから,無理やりミズムシイタルコと読んだ。その誤読ごどくのまま,ヒルコはこの村に定着したんでしょうね」


 伝承でんしょうの際に名前が変わって伝わるということはよくあることである。

 たとえば,柳田國男やなぎたくにおの「妖怪談義ようかいだんぎ」によれば,秋田のナマハゲは,元々「なもみぎ」だったそうだ。

 「なもみ」とは,火だこのことである。寒い冬に外で働かず,火だこができるくらいに囲炉裏いろりの前にずっといるなまけ者の「なもみ」を剥がし,らしめる妖怪ようかいが「なもみ剥ぎ」であり,それが後世に伝わるうちになまって、現在のナマハゲとなったということだ。


 民俗学からは離れるが,間違いによって名前が伝わってしまった例として著名なのは,動物園で人気の有袋類ゆうたいるい,カンガルーにまつわる逸話(いつわ)だろう。


 オーストラリアに上陸したイギリス人が,見慣れない動物を目の当たりにし,現地のアボリジニに,「あの動物は何というのか?」と質問した。

 それに対し,アボリジニは「カンガルー」と返答した。しかし,実は「カンガルー」とは現地の言葉で「分からない」という意味であり,動物の名前を指した言葉ではなかった,という話である。


 倫瑠は「この村の人間はバカだったから」と毒付いたが,所詮しょせん名前の伝承なんてそんなものなのである。ヒルコがミズムシイタルコに変わることは十分にありえる話だ。


 ちょっと待てよ。ミズムシイタルコが元々ヒルコだったということは…



「倫瑠さん,もしかして…」


「ええ,そうよ。ミズムシイタルコこそが私たちが求めていたこの村の海神よ」


 ヒルコは,生まれてすぐに海に流されたということもあり,海の神様として現代に伝わっている。海からの漂流物ひょうりゅうぶつがヒルコ信仰の対象となっている例は枚挙まいきょにいとまがない。


 ということは,ヒルコと同一の存在であるミズムシイタルコも当然に海神ということになる。



 はからずして,倫瑠と僕は海神伝説の謎の核心に迫っていたのだ。


 倫瑠が珍しく僕をめた理由がようやく分かった。







 本作に感想をくださったすぎま様,ありがとうございました。

 

 すぎま様は,なろうにおいて,「惰性転生【スロウス・サンサーラ】」という作品を連載しています。

 すぎま様の文章は,短文で,しかも文法に狂いがないので,とても読みやすいです。そして,この作品のストーリーは,いわゆる「なろうテンプレ」を随所に使いつつも,とりわけ冒頭のシーンには作者様の個性が表れています。


 僕は,「なろうテンプレ」はフィギュアスケートでいうところのショートプログラムのようなものだと思っていて,その中でのストーリー・表現などを磨き,競い合うことはとても興のあることだと考えています。他方,なろうには「なろうテンプレ」以外のフリープログラムの作品も多く存在していて,それらの作品は,「なろうテンプレ」とは別の場で磨き,競い合っているのかな,と。


 

 本作が,謎解きパートまで作品の全容が見えてこない構成になっているためか,皆様からなかなかご感想をいただけず,後書きに書くことが尽きて困っています( ;´Д`)

 ネタに困った僕が,大学生時代に病的なロリコンだった話とかを後書きにツラツラ書き出す前に,皆様からご感想が届くことを切に願います。

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