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第8話

加賀美はソファの背もたれの上に左腕を伸ばして置くと、豪華なシャンデリアが垂れ下がっている天井を見上げた。相変わらずいやらしい笑みを絶やすことなくニタニタし、電話の向こうにいる人物からの返答を待っていた。ガラスを1つ隔てた向こうにある中庭のプールからは子供たちが騒ぐ甲高い悲鳴に似た歓声が響いてきていた。


「一晩でいいんだがね・・・」


相手の沈黙に耐えられなかったのか、念を押すようにそう言う加賀美。


『やはりそれは困る!あ、いや、困りますよぉ!』

「たとえそれが未来さんの為でも、かな?確実に今後は優待されるわけだし」


うろたえる相手の言葉を楽しんでいるかのようにそう言うと、出っ張ったアゴを一撫でする。


『少し・・・考える時間を下さい』

「1時間待ちましょう、またこちらから連絡する。では、良い返事を期待してますよ、金村社長」


そう言うと携帯を切り、ポケットにしまい込んだ。加賀美は再び天井を仰ぐように見やると薄く微笑み、元から細い目をますます細めて何かを想像するような表情をするのだった。


「さて、どうする、金村?」


クククと喉を鳴らして低く笑うと、加賀美はそのまま眠るように目を閉じるのだった。



やや小高い丘となっているそこは木で覆われた林のようになっており、車ではもう進めないほどの細い道とは呼べない空間が若干あるものとなっていた。かすかに聞こえる波の音と、ここまで来る途中の景色から海が近いことはわかっている。だがせわしなく、まるで競い合うかのようにやかましく鳴くセミの声のせいで距離感がまるでつかめなかった。木と木の間は人1人が通れるほど見事に開いており、それが砂浜まで続いていると星は説明した。たしかに足下を見れば茶色い土に混じって白い砂が確認できる。暑い日差しは木の葉がある程度防いでくれており、風が無くともややしのげる程度の暑さに抑えてくれていた。先導する星にぴたりとくっついて続く未来は足下の砂が白みを強めていくのを見やり、胸がわくわくするのを必死で押さえながら前へと進んでいくのだった。やがてその林を抜けるという所まで来ると、今度は未来の背の高さぐらいまで伸びた雑草によって視界を遮られてしまった。背の高い星にとっては苦にならなくとも、未来にとってはうっとおしい事この上ない。四苦八苦しながら進む未来は目の前で立ち止まっている星を認めてやや足早にそこへと向かう。最後の雑草をかき分けて林を抜けた瞬間、未来は目の前に広がる信じられない光景にもはや言葉を失った。眼下にはまっ白砂浜、そして、その向こうに見える海の色は鮮やかなエメラルドグリーンなのだ。今までは緑がかった青といった海の色だったが、ここは違う。随分沖の方まで行かなければ青にはなっていないのだ。外国の海を思わせるこの見事な海の色に、未来の表情は驚きで満たされていた。右手奥には小さな岩のかたまりのごとき島が2つあるのみで、あとは海と空しかない。雲も少なく、人気もない。


「名もない砂浜だ。知っている人は知っている波島で一番の砂浜」


言いながら丘を下って行く星はもはや砂浜と同じ足場に気をつけながらよろよろ歩く未来に向かって手を差し出した。何気ないその仕草に対し、素直に手を差し出した未来は星に手を引かれながらゆっくりとその丘を下っていった。見渡す限りの白い砂浜は緑豊かな原生林の緑に囲まれている。目の前に広がる美しい海の色に見とれる未来は平らになった白い砂浜の上に降り立つと、心地よい風を受けて子供のような笑顔を見せた。


「波打ち際まで行くかい?」


その言葉に力強くうなずいた未来はゆっくりと歩みを進めていった。やがてもうすぐ白い波が泡立つ海と砂浜との境目に来た時、不意に星が立ち止まった。


「足だけでも浸かるといい」


言いながら靴と靴下を脱ぐ星に、未来もまたサンダルを脱ぎ捨てた。太陽の光を浴びて熱を持った砂浜は熱く、足の裏を焼くようにして裸足を拒む砂浜を小走りに駆けていく未来は白い波打ち際へと飛び込んでいった。星は笑顔でそれを見送ると自分もまた海へと駆けだした。やってくる波に足が冷まされ、照りつける太陽の暑さすら無くしてくれるような気持ちになっていく。ふぅと息をついてまぶしい空を見上げる星の方を未来が見やった。風に飛びそうになる麦わら帽子を右手で押さえ、ひるがえるように揺れるワンピースのすそをやや前屈みになりながら左手で押さえる未来はとびっきりの笑顔で星を見ていた。今まで撮ったどの写真集にもないその自然な、そして愛らしい笑顔を、ついこの間まで自分を知らなかった人物に見せている。星はこの時の未来の笑顔を、この先何十年と忘れることはなかった。それはそんな笑顔だった。


「デジカメ、持ってくればよかったなぁ・・・」


水平線をぐるりと見やりながらそう言う未来に近づく星は小さな微笑を浮かべて同じ景色を見やった。風が前髪と、そして首の後で縛ったおさげを揺らしている。スマホであってもこうまで綺麗な自然の色合いが出せないことに口を尖らせる未来を見て、星は少し微笑んだ。


「前にここで撮った写真があるから、明日にでも持ってきてあげるよ」


腰に手をやって景色を楽しむ星はそう言うとまばゆい太陽を見上げた。そんな星を見上げる未来の表情は優しさに満ちあふれ、まるで星に恋する乙女のそれに近かった。


「忘れないでね?」

「ああ」


未来は手を腰の辺りで組むとやや大股で水の感触を楽しむかのように砂浜と平行に歩き始めた。そんな未来の背中を見ながら、ここへ連れてきた事を嬉しく思うのだった。



まだ電話を切ってから30分ほどしか経っていない。相変わらず同じソファに腰掛けている加賀美はうつらうつらとしながら約束の時間を待っていたのだが、不意に鳴り響いた自分の携帯の呼び出し音に驚きつつも冷静に相手を確認した。


「早いな・・・」


独りそうつぶやくと折り畳まれた携帯を開き、電話を繋げる。


「もしもし?」

『金村です・・・・先ほどの件、了承します』


金村の声は暗く、声自体も小さかった。加賀美は満足そうな笑みを見せると電話を持ち直した。


「では、手はずは整える。実はもうホテルに来ているのでね・・・」


電話の向こうで絶句する金村の反応を楽しみながら、加賀美は自分が用意したシナリオを話して聞かせるのだった。



空が徐々に赤みを見せ始めた頃、星と未来は白い砂浜に打ち上げられた流木をベンチ代わりに腰掛けていた。ひとしきり海の水で楽しんだあと、たまたま見つけたこの木で休憩を取っていたのだ。未来はここの景色に飽きることなくただただエメラルドグリーンの海、真っ青な空、そして心地よい風に五感全てをゆだねていた。


「悠斗さんが言ってた・・・いつか引退したら、ここに住みたいって。その時はそんな先のこと、考えられなかったけど・・・ここを見ちゃうと、私もそう思う」


未来はうっとりとした目で、徐々に赤みを帯びていく空に目をやった。


「引退は早すぎるだろ?」


苦笑混じりにそう言う星は膝の上に腕を置き、目の前の海に視線を走らせる。そんな星の言葉に自嘲気味の笑みを見せる未来。


「そうね、まだ夢にはほど遠いもの・・・」

「夢、か」

「私ね、アカデミー賞を取りたいの」


これまで誰にも言わずにいた自分の夢をさらりと言うことができるのも、この開放的な海と空を見ているせいかも知れないと思った。いや、それ以前にこうもバカげた夢を、星ならばきっと笑わないと確信していたからかもしれない。


「そうか、デッカイ夢だな・・・引退なんて考えてる場合じゃない」


星は未来を見ながらそう言った。その表情は真剣であり、笑みも浮かんでいないし、バカにしたような口調でもなかった。未来の語った夢をまっすぐに受け止め、そして真剣に言葉を返したのだ。


「そう、私にはデッカイ夢があるの・・・だから、その夢を叶える時までは決して立ち止まらない・・・何があっても」


決意にも似た言葉に星は小さな笑みを浮かべて見せた。それは未来をバカにした笑いではない。大きく夢を語り、その決意をはっきり口にできる事への憧れに似た感情からきたものだった。


「なら立ち止まらずに行けばいい・・・」

「黒崎さんも、ね?」


首を傾けながら笑顔でそう言う未来に、星は苦笑を返した。


「そうだな・・・ようやく見つけた夢だし、必ずそこまで行くさ」


目を細め、水平線を見やるその表情にはその夢を叶えるという決意とは別の何かが浮かんでいた。未来は緑と過去を語っていた星の事を思い出し、意を決してその事を聞いてみることにした。前から気にはなっていた事でもあり、今なら星も答えてくれそうな気がしたのだ。


「黒崎さんは、ご両親は?」


そうたずねてから、しばらく沈黙が2人の間に流れていく。やはり過去のことを話したがらないと言っていた紫杏の言葉通り口を閉ざしてしまったかと思った矢先、おもむろに星は自分の過去を語り始めた。


「お袋は、オレが幼稚園の時に病気で死んだ。オヤジも10歳の時に事故で・・・そこからは叔父さんに引き取られて生きてきた」

「ご、ごめんなさい・・・・なんか聞いちゃいけなかったね・・・」


星が過去を語りたがらなかった理由を知ってしまったような気がした未来はあわててそう謝ったが、星は優しい微笑を浮かべて未来を見やった。


「いや、いいさ・・・お袋が死んで、小学校にあがってさ、友達が言うんだ、『お母さんのなんとかの料理がうまい』とかさ・・・オレはそういうのなかったからくやしくて自分で作ってやったのさ。それが今こうしているきっかけなんだ」

「味は?」

「激マズ。さらに悔しくなって料理を勉強したらこれが楽しくてな・・・でもそれもオヤジが死ぬまでだった」


そう言うと、星はしばらく黙り込んだ。未来も何を言っていいやらわからずに海を見るしかなかった。赤みを帯びていく空が本来の青に混ざり、幻想的な色合いを見せ始めている。


「叔父さん家に引き取られたんだけど・・・そこは自分の居場所じゃないような気がずっとしてた・・・だから、家に帰らなくなって・・・俗に言う不良になってた」


しばらくの沈黙を破った星の言葉に、緑としていた会話を思い出す未来。


「そこで緑さんと出会ったんだ?」

「まぁな・・・彼女とは2度しか面識はなかった。1度目は敵みたいな、2度目は・・・オレが渋谷をまとめることになった時だった」


そうどこか感情を込めて言い切った星は静かに目を閉じた、そして、未来にその頃の事を話して聞かせるのだった。



渋谷を治めるチーム『渋谷クローサー』の頭を倒したのは偶然に他ならない。ただ渋谷の街で因縁をつけられた星がそのメンバーを倒し、舎弟をやられてやってきた頭をもあっさり倒したのだ。自動的に頭を倒したことでチームから狙われた星だったが、逆に襲い来るヤツらを全員叩きのめし、チームを率いる事になったのだ。世の中全てに退屈していた星は今の立場に満足し、渋谷クローサーの3代目総長になることにした。そして就任2日目、星はある女から呼び出しを受けた。その女はちまたで『冷血の魔女』と呼ばれ、恐れられている人物であったが、星はそんな魔女すら倒す自身があった。幼い頃に父親から仕込まれた空手、特に蹴り技は無敵を誇り、今までその蹴りのみで倒してきた人数は両手の指では足りない程だ。すでに何人かの女性と体の関係をもっていた星はある程度の期待をしながら女についていく。カミソリを武器に男すら軽々倒すその魔女すら、星にとっては敵ではないと思えた。実際、直接戦った事はなかったが、昔ケンカがらみで出会った事があった時からそう思っていた。


「どこまで行く?」

「そこよ」


後ろから声をかけた星を振り返る事無くそう答えた女は、作りかけで廃棄されたビルの一角へと入っていった。無機質なコンクリートからは鉄骨がせり出し、明らかに廃墟である事を物語っている。手すりと壁のない階段を上がり、2階へ向かう女に続く星は、その2階から言いしれない気配を感じて息を飲んだ。どこか息苦しく、喉が乾く。明らかにその気配を感じてから緊張している自分に気付き、かぶりを振った。そんな星をチラッと見た女は冷たい笑みを浮かべると2階に上り、階段の前に立ち止まって星を待った。


「あの人がお呼びよ」


女に言われたその人物はビルの闇に紛れてよく見えない。だが圧倒的威圧感からそこにいる人物が自分より遙かに強い事はわかっていた。いや、その人物だけではない。その周囲を取り囲むようにして座っている4人の男からも、殺気に似たドス黒い気配が流れてきている。


「さぁ、行きなさい」


そう言うと女はツカツカと進み、一番右端にいる短い髪に赤い3連ピアスの男の膝の上に座った。男は女を背後から抱きしめる様にし、片手は明らかに女の豊かな胸に手をやり、その感触を楽しみはじめた。星は息をのんでその様子を見ていたが、さっき言われた通りに前に進むと中央のがれきに腰を下ろしている男の前まで歩み出た。


「ようこそ、渋谷の3代目」


低い声の主はどこか楽しそうである。星は無意識につばを飲むとその男を見上げるようにした。膝の上に無造作に置かれた腕は丸太と言うべき太さであり、盛り上がった筋肉はボディビルダーのそれに似ている。肩の筋肉もせり上がり、首も普通の人の太股ほどあった。見事なまでのスキンヘッドに高めの鼻、そして細めの目。口元は常に笑う感じに開いており、星を見下ろす表情は実に楽しそうであった。だが、その全身から発せられる気迫は星を金縛りにし、心と体に恐怖を植え付ける。


「オレは久我、久我晴海くがはるみ。まぁ親しみを込めて『キング』とでも呼んでくれや」


はちきれんばかりのTシャツにとび職のようなズボン。人なつっこい笑顔を浮かべるその表情にも殺気が込められているのがわかる。


「渋谷、お前に任せるわ。まぁ品川や新宿もまとめさせてる連中と仲良くやってくれ・・・モメ事は好きだが、オレの耳に入らないようにやってくれよな。ここにいる4人はオレの友。さらにコイツら以外に7人のしもべがいるしさ、何かやらかしたらその7人の誰かにお仕置きしてもらうから」


鼻をほじりながらそう言う仕草にすら隙がない。星は直立不動のまま今の言葉にうなずくしかなかった。


「じゃぁそういうこった・・・もーいいよ、帰ってもらって」


もはや星に興味を無くしたのか、素っ気なくそう言うと今度は耳をほじりだした。星は無意識に礼をすると『キング』に背を向けた。今すぐここから立ち去りたいと心の底からそう願っていた。


「緑、送っていってやれ・・・こいつ、階段でこけるかもしれんから」


『冷血の魔女』を抱いていた男はそう言うと、小さくバカにするように笑った。だが、今の星に彼を睨み返す事は出来ない。少なくとも自分の腕に自身がある星だが、ここにいる5人には絶対にかなわないと本能が告げている。逆に早くここから逃げろと命令を出しているのだ。緑は渋々立ち上がると小さなため息をついてから男にキスをした。それは見ていて恥ずかしくなるほど濃厚なものであり、まるで星に見せつけているかのようである。名残惜しそうに唇を離した緑はめんどくさそうに頭をかきながら星の横に並んだ。


「あー、そうそう。この地位まで上がってきたけりゃ遠慮はいらねぇ・・・いつでも来な。オレは強いヤツにしか興味ないけどね。でもま、そんときゃ命捨てる覚悟でおいで」


相変わらず笑顔でそう言うと軽く手を振る『キング』し、星は強ばった表情で再度礼をした。緑はそんな星をアゴで進むよう指示すると、自分はさっさと階段を下り始めた。


「『キング』、ビビらせすぎだぜ・・・」


冷たいコンクリートの上に寝そべりながら、左端にいる長髪の男が笑いながらそう言った。その髪は紫色であり、街を歩けばいくら東京とはいえ目立って仕方がないだろう。


「そうか?まぁ、そうかもな・・・・」


『キング』はそう言うと小さく喉を鳴らして笑った。その笑い声すらも、今の星には届いていなかった。ビルを出るまで緊張感を解けなかった星はねっとりと全身を包み込むような大量の汗に今更ながら気付いた。額からも汗を流し、顔色も唇もどこか青い。


「じゃぁね、渋谷。あー、名前は黒崎星・・・だったかな?」


緑は小馬鹿にするようにそう言うと、小さく笑ってみせる。星は精一杯の強がりで緑を睨むと、額の汗をぬぐった。


「あれが『キング』か・・・噂以上の人物だった」

「でしょうね。少しばかり強いからって調子に乗らない事ね・・・私の彼氏、キング四天王最強の大野木っていうの、知ってる?」


わざわざ自分の彼氏を自慢するような口調だったが、もはや星は何も言えなかった。『キング』に関する噂、その側近たる四天王の噂も聞いている。特にその大野木に関しては嘘か真か『2秒先の未来』が見えるため、こちらの攻撃は全く当たらないことで有名だった。


「知ってるさ・・・オレは自分の街で面白おかしくやるだけだ」


そう感情の無い声で言うと、星は高笑いする緑を残してその場を立ち去ったのだった。



「緑とはそれっきりだった」


星はそう言うと小さくため息をついた。うち寄せる波の音が過去に戻りつつあった意識を現在へと引き戻してくれているように思える。


「そして、その半年後、オレは負けて全てを失った・・・・」



降りしきる雨の中、星はいうことをきかない体をなんとか揺り動かし、崩れかけたレンガの壁に手をついて何とか立ち上がると肩で息をした。先ほど『ヤンキー狩り』から受けたダメージは思いのほか深く、いまだに頭がぐらぐらする。倒れ込む自分の配下の者は全く動けないようで、もはや立ち上がった星を見る余裕もない。


「黒崎・・・お前・・・」


路地から現れたのはスキンヘッドにアゴヒゲを申し訳程度にはやした背の低い男だった。見た感じ20代後半なのだが、星と同じ17歳である。その小柄な男は星との間合いを3メートルは開けたままたたずみ、あきれたような表情をしていた。キングに憧れてしたというそのスキンヘッドは雨の滴をしたたらせている。


「『ヤンキー狩り』にやられたって?話にならねーな!」


言いながら突進してきた男はもはや立っているのがやっとの星目がけて跳び蹴りを喰らわした。ダメージが残る星はかわすこともブロックすることもできずにモロに胸にその蹴りを受けて大きく吹き飛んだ。雨に濡れたドロを巻き上げ、転がるように倒れる星は起きあがる事も出来ずに苦悶の表情を浮かべるしかなかった。それでもなんとか起きあがろうと星は腕に力を込める。だが男に背中を踏みしめられ、悶絶の声を上げた。


「黒崎ぃ~・・・・成り上がりにはもってこいの末路だなぁ・・・今からオレが渋谷のボスだ」


ぐりぐりと背中を足でこねられながら、星は反撃のチャンスをうかがった。だが、やはり体が満足に動かない。


「おう!今日からオレがボスだ」


わらわらと路地からやって来たクローサーのメンバーは今の状況が飲み込めずに混乱しているようだった。そんな彼らに星を踏みしめた男が高らかに宣言をし、これによって星は渋谷での全ての地位を奪われたのだった。



「結局成り上がりのオレにはふさわしい末路だったわけだ・・・」

「でも、また取り返せば・・・よかったんじゃ・・・」


遠くを見ながらそう話す星に、未来は戸惑いながらそう言った。予想を遙かに超えたその過去に、アイドルとして華やかな世界だけを見てきた未来にとってそれは想像すらできない、いわばドラマやマンガの中の世界に等しいのだ。


「そうしたかったんだが、オレを倒したヤンキー狩りは東京の主要都市のボス全てを倒していったんだ・・・オレがもう1度のし上がるにはそいつを倒すしかなかったわけだが、それが無理な事は俺自身が一番よく知っている。だが、まさかそいつが『キング』を倒すなんて・・・」


握った拳に力を入れる星は足下の白い砂に目をやった。実力の違いは最初の戦いでわかっていた。あの男は殺す気で放った自分の蹴りを難なくかわした上に、明らかに本気でない蹴りで自分を倒したのだ。


「結局、何をしていいかわからずに街をさまよっていたオレは、オーナーに出会ったんだ」



自暴自棄になりながらも、星は何も出来ずにいた。ちまたでは『ヤンキー狩り』の噂で持ちきりとなっていた。すでに渋谷、新宿、品川のチームリーダーが倒され、彼らによって保たれていた街の秩序は徐々に崩壊しつつある。麻薬や売春、援助交際といった事に関してチームが仕切り、支配していたのだが、チーム自体が崩壊していく中、それすら無意味となっていたのだ。星は徐々に荒れていく渋谷の街を見るのがつらく感じる時もあったのだが、だからといって家に帰る気力もなく、ただ街をブラブラするしかなかった。しかしやがてそれすらチームよって許されず、星はチーム自体が崩壊した新宿へと逃げるように立ち去っていった。居候している叔父の家に帰ってもよかったのだが、やはり本当の家族ではないためにお互いに気兼ねをしてしまい、星はどこか居心地の悪さを感じていたのだった。結局新宿でもケンカをしてしまい、星は唇の端から血を流しながら人通りの少ないビジネス街のビルにもたれながら雲がかった月を見上げていた。その目には光が無く、全くの無気力状態となっている。そんな星の視線を遮るかのように、1人の男が座り込む星を覗き込むようにして身を屈ませた。


「ヤクでもやってんのか?」


虚ろな目だけを動かし、話しかけてきた男を見やる星。月明かりの逆光ながらその顔ははっきり見える。右目だけを開いた40代ぐらいの男であり、腕も太く、体も大きい。見た感じやくざな風貌だが、着ている服はいたってシンプルであった。白髪混じりの髪をオールバックにし、アゴには白いヒゲが見えている。


「最近はこんなガキが増えたな・・・ま、1人じゃ何も出来ない集団が崩壊すりゃぁ仕方ないかな」

「1人じゃ何もできない、だと?」


男の言葉が気に入らなかったのか、イライラする自分を押さえきれなくなったのか、星はフラつきながら立ち上がると不意に回し蹴りを放った。ついさっきも4人相手にこの蹴りでのしてきたところだ。思わぬ反撃を顔面に受けたとはいえ、それはダメージにすらなっていない。不意打ちで、しかも自慢の蹴りを放った星だったが、この男はその蹴りを軽々掴んでしまった。つぶられた左目を考えて右足で男の左顔面を狙ったのだが、男はその蹴りを見ることもなく易々とキャッチしてみせたのだ。驚く星はその手を振りほどこうとしたが、逆に腹部に強烈な打撃を受け、一瞬にして意識が吹き飛んでしまった。倒れ込む星を支えた片目の男は小さく微笑みながら軽々と星を肩に担ぐと、そのまま夜の闇へと消えていくのだった。



鼻をくすぐるいい匂いに、星は重い瞼をゆっくりと開いていった。徐々に開けていく視界には見慣れぬシミだらけの天井がぼんやりと飛び込んできているのみで意識はまだはっきりしていない。ここがどこかもわからないのだが、今が朝であることは認識できた。電気にはない明るさが部屋中を満たしており、その光は徐々に星の意識をはっきりさせていった。


『オレ、確か・・・・昨日・・・・』


ぼんやりとしていた意識がはっきりした瞬間、星はガバッと勢いよく起きあがるとまず自分の体をチェックした。服はそのままで、怪我らしいものもない。痛むのは昨夜喰らわされた腹部への打撃からくるものだけである。そこでようやく全てを思い出した星はかけられていた布団を蹴り上げると立ち上がり、きょろきょろと今いる部屋を見渡した。だが何もない。畳4畳程度の広さの部屋に、家具どころか荷物1つないのだ。少しばかり不安にかられた星がいい匂いのする台所とおぼしき部屋へ向かうと、そこには昨日出会ったあのガタイのいいオールバックの男が鍋の中身をかきまぜている姿があった。


「おい、おっさん」


名も知らぬ男にそう声をかけたが男は振り向こうともしない。すぐ脇に置いてあるおたまを手に取り、鍋の中身を少しすくうと、その味を噛みしめるように口の中で転がした。


「朝飯できたぞ、そこに座れ」


男は無造作に鍋の中身のみそ汁をすくうとお椀の中に入れていく。それを木製の古ぼけた小さめのテーブルに置くと今度はご飯をよそってテーブルの上に置いた。すでにテーブルの上には魚の焼き物と卵焼きも置かれており、そこからいい匂いが漂ってきていたようだった。星は男の動作を黙って見ていたが、男が星を無視して椅子に腰掛けて手を合わせるようにし、美味そうにご飯を食べるのを見た瞬間、星のお腹は周囲に丸聞こえになるほどの音をたてて空腹を知らせる合図を送った。男はそれを聞いても表情一つ変えずに朝ご飯をたいらげていく。とうとう空腹には勝てなくなった星はドカッと椅子に座るとおもむろに箸を取った。そして軽く頭を下げるとまず一番美味そうに見えたみそ汁を口にする。幼い頃から料理に興味を持ち、料理に関してはかなりの自信をもっていた星だったがこの味には驚きを隠せなかった。濃さも絶妙ならその味もまたどこか懐かしい感じを見事に表現している。ただただ呆然とみそ汁を見つめる星は目の前で意味ありげに微笑む男の視線にすら気付かないでいた。


「料理がわかるとみえる」


男はそう言うと魚を噛みしめた。その言葉に男を見た星はややふてくされた表情を浮かべたものの、あっという間に全てのおかずをたいらげてしまった。今までこんな美味しい朝ご飯を食べた記憶はほとんどない。それほどまでにこの男の腕前は素晴らしく、星はただ感心するしかなかった。


「名前は?」

「・・・黒崎、黒崎星」

「フン、お前がクローサーのリーダーか・・・」


唐突にそう言った男は食事を終え、満足そうな表情でお茶をすすった。


「今は違う」


素っ気なく視線を外しながらそう言う星は椅子の上であぐらをかいた。


「らしいな・・・・『ヤンキー狩り』にやられたんだろ?あいつはバケモノだ・・・お前らじゃどうやっても勝てねぇさ」

「アイツを知ってるのか?」

「いや・・・ケンカしてる所を何度か見た。ありゃぁ多分・・・木戸のこせがれ、いや、孫ってとこだなぁ・・・懐かしい・・・木戸無明流きどむみょうりゅうとはな」


天井を見上げる仕草を取りながら星には理解不能な独り言を言った。星は眉を曇らせて男を見るが、男は星を無視しておもむろに立ち上がると片づけを始める。


「もう帰っていいぞ」


男は振り返らずに腕まくりをし、太い腕を露出させながらそう言った。だが星は何故自分をここへ連れてきたかすら知らない上にこの男が何者かすら知らないのだ。帰れと言われてそう簡単には帰れない。


「あんたは?」

「名前か?青島玄吾、ただのジジィだ」


全く振り返らずに星の分も洗っていく玄吾の後ろ姿を見ながら、星はこのまま帰るべきかどうかを悩んでいた。いつもの彼ならさっさと引き上げていただろう。だが、何故かわからないのだがこの玄吾という男に興味を持ったのだ。


「コックか?」

「ん?ん~・・・まぁな。もうじきオーナーになる。南の外れにある島で店を任される事になってな」


全ての洗い物を終えた玄吾は腰の位置にぶら下げられたタオルで水のついた手を拭くと再度椅子に腰掛けた。相変わらず立ったままの星を見上げる玄吾は座るようアゴで椅子を指す。


「帰る場所なんて、ねぇよ」

「じゃぁここで留守番してろ。オレは今から出かけなきゃイカン・・・・帰るなら勝手に帰っていい、鍵はそこだ、ワシは合い鍵持って出るからよ」


星はこの玄吾が全くわからなかった。出会って間もない、名前しか知らない男に家を任せると言ってるのだ。星が金品や現金を奪って逃げる事など頭に無いかのようなその言葉にその意図が計りかねないのだ。だがすでに玄吾は立ち上がり、いそいそと着替え始めている。しばらく考え込んでいた星が上半身裸になった玄吾の背中を見た瞬間、星は目を見開いて驚いた。その背中には龍がいるのだ。正確には龍の刺青がしてあるのだ。肩から腰まで、背中一面に描かれたその龍の刺青が玄吾の正体を明かしてくれた。


「おっさん・・・ヤクザなのか?」

「元、な。半年以上前に辞めたよ」

「どこの組だった?」

「んなこたぁお前に関係ねぇだろ」


白いシャツを着込み、その上から黒いジャケットを羽織った玄吾はタンスの脇にあった小さなテーブルの上から革製の鞄を取るとそのまま玄関へと向かい、そそくさと出ていってしまった。1人残された星はどうしていいかわからずに椅子に腰かけるしかなかった。結局その日玄吾が戻ってきたのは、夜の9時を回ってからだった。

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