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第7話

いつよりも早く朝食を済ませた清は未来の後を追うべく、フリーダムを出たその足でエントランスをくぐり外へと飛び出した。とりあえず海岸へ行こうと思い、ホテルの裏側へ向かおうとしたが、そこで中庭を通ればより早くそこへ行けることと思い出し、あわてて元来た正面玄関をくぐろうとした。


「なにえらくあわててんだ?」


だが後ろから不意に声をかけられた清は出足をくじかれたように前につんのめりながらどうにかコケずに体勢を整えた。振り返ったそこに立っていたのは派手なピンク色を基調としたアロハを着込み、茶色いサングラスをかけた玄吾であった。普段からヤクザのような風貌の玄吾がこういった格好をすればまさにヤクザそのものである。やや怯えつつも挨拶をした清はサングラスを取る玄吾に未来を見なかったかを聞くことにした。


「あの、うちの赤瀬を見なかったですか?」

「なぁんだ、彼女を捜してんのか?ワシは今さっき来たトコだが、この辺じゃ見なかったな・・・浜の方にいるんじゃねぇかい?」


額の汗を拭うようにしながらオールバックの髪を撫でる玄吾は清にわからぬよう小さく口の端を吊り上げていた。


「そうですか・・・電話してみっかなぁ・・・」

「なんだ、今日は休みか?」

「あ、はい、オフなんですよ」


ゴツイ体で前に立たれた上に太い腕を組まれてはいくら玄吾を知っている清でも怯えてしまうのは無理もない。しかも片目の放つ光と鋭さは半端ではないのだ。


「休みぐらい自由にしてやれ・・・なぁに、じきに戻ってくるさ、たかだか散歩だろ?」


顔を覗き込むようにしてそう言われてはうなずくしかない。それにせっかくの休みを散歩でしか過ごせないのだ、1人にしてやってもいいだろう。清は昼からホテルのカジノに未来を誘おうと考え、玄吾の言葉にうなずいた。そのまま清は玄吾に別れを告げ、1人でカジノに向かったのだった。その背中を見送る玄吾の口がにんまりとしたものに変化するのを、誰も知らなかった。


「ヤツにとってもせっかくの美女とのドライブだ、楽しませてやるのが親心ってもんかな?」


誰に問うでもなく嬉しそうにそう言うと、笑みを浮かべたまま正面玄関をくぐる玄吾だった。



黒いサングラスは濃く、その下にある目がどういったものなのかは全くわからないほどであった。やや出っ張ったアゴと高い鼻は日本人離れした顔つきとなっていたのだが、背は低く、寸胴だ。その上、中年太りのせいか下っ腹も張り出しており、屋根付きのバスターミナルの椅子に腰掛け、流れる汗をハンカチで何度も拭いながら時折せわしなく貧乏揺すりをしているその男は目当てのバスが来るのをじっと待っているのだった。そして待つこと10分あまり、そのバスはやって来た。『波島ホテル正面玄関前』と表示された行き先を見た男は日陰でやや冷たいアスファルトの上に置いていた大きめのバッグを手に持つと、乗り口に向かって1歩踏み出した。その口元には小さな笑みが浮かんでいる。やがて熱気をともなって目の前に停車したバスの扉が開き、男はその笑みを消すことなく冷房の良く利いたバスの車内へと乗り込むのだった。



沖の方へと伸びた防波堤の出っ張りは2本あり、うち1つの舳先にはテトラポットがいくつも確認できた。小さな漁船がわずかばかり停泊しているのみで、未来が知るどの港よりも小さなその漁港はそれでも多くの漁師などで賑わっていた。もちろん、仕入れや競りの時間はとっくに終わっている。この早朝の競りには料理長である玄吾自らが足を運び、品定めをして仕入れてきていた。せいは夜ではなく、早朝にあげられた魚や海産物を見に来ており、実際は貝や昆布などを仕入れに来たのだった。それでもまだ多くの魚が氷を敷き詰められた白い発泡スチロールの上に並べられており、未来は物珍しそうにしゃがみ込みながらそれら大きな魚を真剣な面もちで見入っていた。星は目当ての貝を少し離れた場所で品定めをしていたが、どうやらすぐに話もまとまり、漁師が発泡スチロールをより分けて手渡しの準備を始めていた。


「感想は?」


立ち上がり、近づいてきた星に気付いた未来がそっちを見た時に星がそう質問を投げた。


「こういうとこ初めてだから・・・なんか新鮮っていうか・・・」

「後はあっちの小さな建物に行っておしまいだ・・・時間もあるし、この辺も散歩してみるか?」

「うん」


素直にうなずく未来の笑顔を見た星は一瞬ドキッとしたが、それを顔に出すこともなくただうなずくだけだった。だが、背後から近づいてくる靴音に別の意味でドキッとした星は腰に手を当てながらゆっくりと後を振り返った。


「よぉ、なんだ、今日は女連れか?紫杏といつまでもくっつかないと思ったら・・・なるほど、こんなすんげーべっぴんの彼女がいたわけだな」


靴音でその人物を見切っていたのか、振り返える前から怪訝な顔をしていた星はやや疲れた表情を見せながら大きなため息をついてみせた。未来は男が方言まじりだったせいかいまいちよく言葉が理解できなかったが、言っている事は感覚で理解できていた。


「飯島さん・・・彼女はそんなんじゃないですよ」


詳しい説明もなしにそう言う星は少し怒ったような目で飯島を見やった。星と同じくやや細身でありながら、シャツからのぞく腕は筋肉質である。


「まぁいいさ・・・じゃぁな星、俺は帰って寝るわ」

「いちいち俺に言わなくてもいいって」


そう言われた飯島は豪快な笑い声を残して小さなプレハブ小屋に向かって歩いていくのだった。星はため混じりながらもお疲れさまとその背中に投げかけ、飯島は振り返る事無く片手を挙げてそれに応えたのだった。


「星!準備OKだ!積み込んでくれや!」


先ほど星が貝を仕入れるために話をしていた男が大声でそう叫ぶ。短い髪を逆立て、ガタイのいい風貌は海の男をイメージするにはもってこいの体つきをしていた。星はその男の方へと歩き出し、未来もその後に続いていった。その未来に気付いた男は少々驚いた顔を見せたものの、何も言わずにビニールでくるまれた2つの大きな発泡スチロール箱を星に差し出した。星はそれを受け取ると一旦足下に置き、続いて男が差し出した伝票にサインをするのだった。


「彼女、初めて見る顔だね?おはようさん!」

「おはようございます」


その男の人懐っこい笑顔につられてか、自然に気持ちよい挨拶を返す未来に星は小さな笑みを浮かべて見せた。その星がサインを終えて伝票を返すと、男は目を細めながら意味ありげに微笑していた。


「何?」

「星も隅に置けないなぁ・・・紫杏ちゃん以外にこんな美人が・・・・美人・・・ってま、まさか・・・嘘!」


先ほどの男、飯島は未来に気付かなかったが、どうやらこの男は気付いたようだ。震える指で未来を指しながら口をパクパク、目をシロクロさせている。星はあわてた様子で男の横に立つといまだパクパクしている口をそっと押さえ、耳元でささやいた。


「灰原さん・・・実は彼女、今日はオフで、島を案内してるんですよ・・・騒がれたら困るんです」


大きな目をさらに大きくぎょろりとさせた灰原を見た未来は小さく笑っている。灰原は日に焼けて真っ黒な顔の中で白目をクリクリ動かしながら星と未来を交互に見やった。そしてその説明に納得したのかうなずくと、口を押さえている星の手を引き剥がすようにしたのだった。


「わかった・・・でもなんで星が?」

「私がお願いしたんです・・・ホテルの近所を散歩しようと思ったんですけど、そこでたまたま出会ったもので」


笑顔で、だが小声でそう説明する未来は灰原の横に立つ星をチラチラ見ながらそう説明をした。そんな未来の仕草にニンマリとした笑みを浮かべた灰原は目線を逸らす星を横目で見やった。


「そういう事だから、じゃぁ、ありがと」


商品をかかえるように持ち上げた星は愛想もなくそう言うと、未来をうながして車の方へと向かって歩き出した。そんな星に戸惑いつつも灰原におじぎをした未来はあわててその後に続いて駆け出すのだった。


「ありゃぁ・・・もしかするとスキャンダルに発展するかもな。って事はこのまま行けばアイドルが嫁さんになるのか?うらやましい話だなぁ、おい」


余計な心配をしつつ2人の背中を見送る灰原は小さな笑みを浮かべたまま後片づけを始めるのだった。



防波堤の端まで来た未来はそこから見える景色を堪能していた。ちょうど入り江になった港口は山の緑も鮮やかであり、海と山と空が見事に融合した素晴らしい景観を提供してくれていた。そのまま麦わら帽子を気にしつつ背伸びをしてみせる。優しい風がワンピースの裾を少し浮かせたが、それ以上のいたずらはしなかった。うち寄せる波はちゃぱちゃぱと鳴り、そこに目をやれば小さなカニが数匹せわしなく足を動かしてそう深くはない海底へと潜って行くのが見える。下着を気にしつつしゃがみ込む未来はそんなカニの動きを微笑ましく眺めているのみである。


「暑いだろ?」


後ろからやってきた星は額の汗を軽く拭う仕草をしながら未来の真横に立って小さなため息を漏らした。


「風があるから・・・この島はどこも綺麗ね」


立ち上がりながらそう言う未来の笑顔に一瞬胸の動悸が大きくなるのを感じた星だが、それはすぐに収まってしまった。


「暑さに強いんだな」


まばゆい光を反射させる十字架のピアスを揺らしながら、星はぐるりと入り江を一望した。


「都会の暑さとは違ってカラッとしてるから。それに私、夏、好きだから」


くったくのない笑みがその言葉の正直さを証明していた。


「冷凍モンを持って帰るから、そろそろ行くぞ」


そう言うと入り江に背を向ける星はゆっくり港の方へ向かって歩き始める。未来は名残惜しそうにしながらももう一度入り江を振り返り、その景色を目に焼き付けてから小走りに星の後を追うのだった。2人はすぐに車に乗り込むと手を振る漁師たちに会釈をしながら港を後にした。太陽が高くなってきたせいか、日陰に置いてあったにも関わらず車の中はかなり暑くなってしまっていた。


「魚が蒸し焼きになっちまうから急ぐぜ」

「そうなったらすぐに食べられるね」

「俺が焼くよりいい感じに仕上がるかもな」


未来の冗談を冗談で返しながら、星は来た時よりもややスピードを上げつつホテルへ向かって車を走らせるのだった。スピードが増せば車内に飛び込んでくる風も増す。未来は髪をなびかせながら行きとは逆の広大な緑豊かな土地を目にしていた。この島は空や海といった青が綺麗なだけではない。夏を謳歌し、残り短い命の限りに泣き続けるセミがいる森や林、大地もまた美しいのだ。


「昼からはどうするんだ?」


ラジオも鳴っていない、カーステレオも全く音を発していない車内にはやや悲鳴をあげつつあるような車のエンジン音と飛び込んでくる風の音しかしていない。真横の運転席から質問を投げる低い星の声も未来の耳にははっきりととらえることが出来た。


「まだ決めてない・・・どうしようかなぁ・・・カジノでも行こうかな」


ややシートに沈み込むようにながらそう言う未来に対し、星はフンと小さく鼻を鳴らして見せた。一応自分はこの買い出しが終われば全くのフリーになるのだが、家に帰るのも面倒なため仕込みを手伝おうと思っていたのだ。


「島・・・見たいんだろ?」

「うん、でもまぁ、いいかなって」


屈託無く笑う未来に島を案内してやろうかとも思った星だが、あまり人と触れあうこと自体が苦手な星はその言葉をグッと飲み込んだ。


「あの、込み入った事聞いていいかな?」


どこか言いにくそうにそうたずねる未来は上目遣いで星を見やった。


「ああ、いいよ」

「あの・・・緑さんから聞いたんだけど、昔は不良だったって・・・ホント?」


膝の上で組んだ手をせわしなく動かす仕草を一瞬横目で見た星は前方の赤信号を確認してブレーキを踏むと徐々に車のスピードを落としにかかる。


「ああ、本当だ」

「そう・・・ですか・・」


まだ何かを聞きたそうにしている未来だが、星はそれ以上何も言わなかった。いや、未来にはわかっていたのだ、星がそれ以上何も言わないであろうことは。いつも一緒にいる紫杏ですら星の過去を知らないと言っていた。つまり星は過去を語りたがらないということだ。同じような過去を持ち、また接点を持っている緑だからこそああいった昔話という形で話をしたに過ぎない。未来は窓の外に視線を移すと、自分でもわからないまま少し悲しい目をするのだった。



最初に止めてあった場所に車を置いた星は発泡スチロールの箱を肩に担ぎ、残った片手でナイロン袋を持ちながら勝手口へと入っていった。別にすることもない未来は星の後についていくのだが、その星は振り返ることもせず、黙々と狭く薄暗い廊下を進んでいった。その先は厨房の裏口へと続いており、中に入った星をオーナー、紫杏、そして3人のコックが出迎えた。


「これ、冷凍よろしく」


くすんだ銀色のステンレスで出来たテーブルの上に荷物を無造作に置くと、星は後ろを振り返った。人の気配と星の視線にそっちを向いた紫杏は驚きの顔をし、コックたちは呆気に取られた顔をする。事情を知っている玄吾だけが口の端をやや上げて魚をさばいていた。


「昼飯、食っていけばいい。おいで」


そう言われた未来は周りの視線に少々困った顔をしていたが、軽く挨拶しながら星の横へとやって来た。


「Aランチ2つ、頼む」


星と同じぐらいの年に見える若いコックにそう言うと、厨房を出てレストランフロアに向かって歩き始めた。そんな星の腕をひっつかむようにして動きを止めさせた紫杏に対し怪訝な顔をする星は先にレストランの適当な席に座っておくよう言い、そう言われた未来はすまなさそうにしながらうなずくと厨房を後にした。


「なんだよ?」


未来が姿を消してすぐに腕を引き剥がすようにした星は睨み付けるようにして紫杏を見下ろした。


「なんで一緒なわけ?」


腕組みして睨み返しながら見上げる紫杏は未来と一緒にいたことが気に入らないと顔に書いてある。


「出かける時に会って、一緒に連れてけって言うから行っただけだ・・・んで、昼前だし、飯ぐらい食わせてやろうとも思っただけさ」


時刻は11時40分。実際未来はお腹が空いていた。窓際の席に1人ポツンと座る未来の後ろ姿を見ていたコックが星への羨ましさからか小さなため息をついてみせる。


「私がついていくって言ったらいらないって言ったくせにさ・・・」

「お前は仕事があるだろうが。いいからウダウダ言ってねぇでさっさと水持ってこい!」


そうきつい口調で言うと、星は厨房を後にしようと歩き始めた。


「相手は、赤瀬未来はアイドルなのよ?」


ふてくされたようにそう言う紫杏の言葉に歩みを止めた星は紫杏に背中を見せたまま小さなため息をついた。


「お前はここのアイドルだろ?それに別にお前と付き合ってるわけじゃねぇ・・・どうしようが俺の勝手だ」


落ち着いた口調でそう言い残し、星は厨房を後にした。紫杏は席に着く星を睨むようにしていたが、やや雑な動作でコップに水を入れると2人が座る席に向かって出ていってしまった。ピーンと緊張した厨房では皆手を止めて3人の様子をうかがっている。


「さっさとしねぇか・・・エビフライ、揚がるぞ」


ドスの効いた声でそう言うと、皿の上にエビフライを盛りつける。すかさず1人のコックがサラダとなるレタスを切り、素早くその皿に盛りつけていった。ハンバーグを作っていたコックもあわてて作業に戻った。そんなあわただしい厨房に戻ってきた紫杏はトレイにライスの皿を置くと少し目を伏せがちに玄吾の方を見やった。紫杏はさっきの玄吾の表情を見逃さなかったのだ。


「知ってたんですね?」

「出ていくのを見ただけだ。それに実際乗せてったのは星だからな」


盛りつけを終えた玄吾は珍しく優しい目でそう言うと睨み付ける紫杏に対し小さな笑みを浮かべるのだった。



「紫杏さん、怒ってました?」


さっきまでのタメ口が嘘のように元の口調に戻った未来は顔を伏せがちにそう言った。紫杏が星を好いているのは本人から聞いて知っている。好きになってもいいとは言われたが、実際自分の知らない時間を他の女性と過ごしていれば心配にはなるだろう。


「ああ。でも関係ないよ」


普段と変わらぬ無表情でそう言う星からは何の感情も読みとれなかった。


「でも紫杏さんの気持ち、わかるから」

「俺を好きになるのは勝手だ・・・けど、付き合ってもない女にとやかく言われたくはない」


非常に感情のこもっていない声色だけに、未来は星を冷たく感じてしまった。


「もっとオメェは広い視野で物事見ろっていつも言ってるだろ?」


何故かウェイトレスの紫杏ではなく、オーナーの玄吾が料理を運んできた。それに驚いたのは未来だけでなく、星も同じであった。


「あの野郎、職務放棄かよ」

「いや、無理矢理ワシが代わったんだ・・・美人と会話がしたくてなぁ」


そう言うといかつい顔に似合わぬにんまりした笑顔を見せる玄吾。星はため息をつくと目の前に出されたエビフライを口にした。


「昼からはどうするんだい?」


目の前に置かれた料理に目を輝かす未来に優しい口調で問いかける玄吾は味を確かめるようにエビフライを噛みしめる星を横目で見やった。やはり自分が揚げたものとは違うと痛感させられる星。その仕上がり方、味は格別に美味かった。


「まだ決めてないんですけど・・・カジノにでも行こうかなぁって思ってます」


はきはきした返事が以前から気に入っている玄吾は口の端を吊り上げて笑みを浮かべると、窓の外に見える海と空の青へと目をやった。


「この辺も綺麗だが、島の正反対には一番綺麗な景色を見せてくれる秘密の場所があるんだ」

「そうなんですか?うわぁ・・・行きたいなぁ」

「本当なら連れてってやりたいんだが・・・今日はダメなんでな。だから・・・」


そこで言葉をさえぎると、不意に星の肩にその大きな手の平を無造作に置いた。


「こいつを1日貸してやる・・・連れてってもらうといい」


その言葉に星は明らかに不満な顔をし、未来もまた複雑な表情を浮かべた。


「何で俺なんスか?」

「暇だろ?しかもこれは命令だ、ワシの命令には逆らわないってのがここの常識だよなぁ、うん?」


睨む星の視線を涼しげにかわす玄吾。星はあからさまにため息をつくとガツガツとライスを口に入れていく。


「でも、悪いし」

「いいんだ。そこはワシとこいつしか知らねぇ場所だからな」

「はぁ・・・」


さっきの星の口調から気が重い未来はどうしたものかと途方に暮れてしまった。だが玄吾の表情はゆるく、どこか余裕すら感じられた。


「わかったよ・・・俺も最近行ってないし・・・行くとするか」


尻尾だけとなったエビフライを突っつきながらそう言う星は未来をチラリと見てから玄吾を見上げた。


「素直じゃねぇんだよ、お前は・・・・」

「うるせぇよ」


悪態をつく星を無視して未来の横に立った玄吾は嬉しいながらもどこか複雑な心境を顔で表している未来の肩にそっと手を置いてうなずいた。


「コイツはバカだから自分をうまく表現できない・・・芝居でもいいからできるように教えてやってくれ」


一生開かない左目を閉じたまま全く意味のないウィンクをした玄吾に、思わず笑顔になる未来は丁寧に礼を言った。星は口元に小さな笑みを浮かべてレタスをついばんでいたが、自分を見る玄吾の視線を感じてその笑みをかき消してしまった。


「星、ワシの車使え。じゃぁな、美人さん。こいつの事、頼んだぜ」

「はい!」


元気良くそう返事をする未来に満面の笑みを見せた玄吾は帰り際に星の背中を軽く叩いたが、星は何も言わずに水を飲んでいた。


「ゆっくり食べるといい・・時間はあるしな」


ほとんど食事を終えている星の皿を見てあわてる未来にそう言うと、星は窓の外の景色に目をやるのだった。



青い車体の4WDが目の前に止まるのを、未来はどこかぼんやり見ていた。無論運転しているのは星であり、この車は玄吾の物である。低いエンジン音も快適であり、午前中漁港へ行った際に乗ったレストランのワゴン車とは比べ物にならないほど中も外も綺麗であった。素早く広い助手席に乗り込んだ未来はカーステレオから流れる地元のラジオ番組を聞きながらシートベルト締める。


「本当に迷惑じゃないんですか?」


レストランを出てからずっと曇った表情をしていた未来は車に乗ってもそれを崩さないでいる。さっきの星の口調から案内を渋っていると思っている未来を見た星は珍しく苦笑を漏らした。


「命令されるのが嫌いなだけさ。嫌な気持ちにさせたのなら謝る、ゴメン。まぁ、俺も暇だし、いいかなって思ってたから」


どこかばつが悪そうに頭を掻きながらそういう星は照れた表情で前を向いたままであった。その仕草が妙に子供っぽく見えた未来の顔に笑顔が戻る。そんな未来の笑顔にますます照れた顔をする星はオートマチック車である4WDのギアをドライブに入れ、車を滑らせるようにして軽快に発進させた。


「大体1時間ぐらいのドライブだから」

「はい」


透き通るのような声で元気良く返事をした未来にうなずく星はやや速度を速めながら車を走らせていく。この車にはしっかりクーラーが付いており、暑かった車内は徐々にだが快適な温度へと確実に変化していった。窓の外を流れる景色は海をメインに島の緑が手前に見える絶景である。しばらく未来はその景色に見とれていた。


「切り取って持って帰りたいだろ?」


不意にそう言われた未来は少し顔を傾けて自分を見ている星の方を振り向いた。


「俺はもう東京へ帰るつもりは無いけど、いつかこの島を離れる事になったら、そうして持って行きたいって思うよ。それぐらい、ここは素晴らしいから」


珍しく気持ちを込めてそう言う星をどこかまぶしそうに見た未来は小さくうなずいた。


「そうね・・・持って帰りたい」


未来はあらためて目の前に広がる景色を見てからそう言った。


「でも無理だから目に焼き付けておくわ・・・」

「今から行く場所、そこのを焼き付けておけばいい」


星のその言葉に、これから行く場所がどれほど素晴らしいか想像すらできない未来は目を輝かせながら胸をときめかせた。


「黒崎さん、いつかこの島、出ちゃうんですか?」


ふと何気にさっきの言葉が気になった未来は何も考えずにそうたずねた。普通ならそういう自分に関する質問は無視する星なのだったが、純粋に、深い意味もないとわかる未来の態度に苦笑を漏らしながらそれに答える事にした。


「オーナーの元で腕磨いて、いつかは自分の店を持ちたいって思ってるから。できればこういった南の島でね」


今まで誰にも話した事がない自分の夢、それを身近にいる紫杏や玄吾ではなく未来に話した自分を不思議に感じた星だったが、別に悪い気はしなかった。未来もまた笑顔を返し、その夢が叶う事を願っていると星に返すのだった。



ロビーに人は少なく、その男はタバコの煙を揺らしながらそのやや出っ張ったアゴを一撫でしてみせた。その口元には絶えず笑みが浮かんでいる。それもどこか変質者的な下卑たものである。チラリと壁に掛けられた金縁の豪華な時計を見やった男は胸のポケットから携帯電話を取り出すと、その短く太い指をせわしなく動かしてどこかへ電話をかけはじめた。そしてその電話を耳に当てるとひときわいやらしい笑みを浮かべるのだった。品性のかけらも見あたらない顔つきにいやしい笑み、そして細い目はホテルの従業員の不信感をあおるには十分すぎる物だった。


「あぁ、金村さん?私ですよ、加賀美です、加賀美銀三」


たったそれだけの言葉だったが、相手より自分の方が立場が上だと明らかにわかる口調であった。そのままやや短めの足を組むとガラスの灰皿にタバコをもみ消しながら話を続けた。その顔はますます卑しい笑みが強くなっていた。


『あぁ、社長!お世話になっております』


電話の向こうの相手はそう丁寧な口調で言葉を返した。今の言葉から加賀美の方が電話の相手である金村よりも地位的にも上だと証明された。


「じつは折り入って頼みがあるんですわ」


深くソファに身を沈めた加賀美は目だけをギョロっと動かして周囲に人がいないかを確かめるようにしてみせた。


『はぁ、社長には懇意にしていただいてますし、今回の映画の件でもお世話になってますのでお力にはなりたいですが・・・で、どのような?』


その言葉を聞いた加賀美は笑みを消すことなくさらに鋭く目を細め、さっきまでとは違う声色で、そして声を潜めて話を切りだした。



「この辺はまだ開発が十分じゃないから、地域住民から国へ自然保護を要求してるんだ」


景色に見とれている未来を横目にそう説明をした星は目的地が近いことを周囲の景色で確認した。相変わらず入道雲が大きくせり出し、青い空と青い海の境目を演出している。未来は目の前に見える山の緑に目を移しつつ星の言葉にうなずいて見せた。なんでもかんでも開発するのではなく、ありのままの自然を残すことがいかに大切かを教えてくれるその景色に、未来はただただ見とれるだけであった。


「あの山の向こう側が目的地だ」


星はそう言うとやや上り坂になっている道路を行く車のアクセルをやや強めに踏んだ。エンジンの音が大きくなり、パワーが増したことを告げる。ここまでの道程であまり星とは会話していない未来だったが、運転している星から流れてくる雰囲気は穏やかであり、いつもと違うその雰囲気に少し胸が高鳴るのを感じていた。


「山の向こう側は、海?」


その高鳴りを隠すようにそう問いかけた未来に、人気アイドルとはかけ離れた雰囲気を感じた星は所詮アイドルも年相応の女性である事を改めて認識した。一度ロケ現場を目撃した際に感じたものとは180度違う面を見せている今の未来こそが本当の未来であり、仕事をしている未来こそが作られたキャラクターではないのかと思うほど普段の未来は素朴すぎる。それは当たり前の事なのだが、やはり芸能人として考えれば悠斗のようなやや人をバカにしたような態度と言動を持ってこそ芸能人だと思っていた星は知らず知らずのうちに未来に対しては普通の女の子として接していたのだ。そしてそれこそが未来が星に心を許している原因なのだと、星も未来もまだ気付いてはいなかった。


「海だ。まぁ、今までとはちょっとばかり違う海だけどね」


星は前を向いたままそう答えると小さな微笑を浮かべて見せた。


『なんでかな?この人といるとすごく落ち着く・・・』


未来はそう思いながらその微笑に好感を得ていた。


「この坂を下りて山を迂回する海岸線に出れば腰抜かすかもな」


星はまだ少々上り坂となっている道を行きながらそう言った。未来はその言葉に胸をわくわくさせると同時に、そのわくわく感とは違うときめきを感じ始めるのだった。



「そういえば、未来ちゃん、見ませんでした?」


ピラフを頬張っていた清は通りかかった紫杏を捕まえてそうたずねた。午前中はカジノでそれなりに儲けた清はそのまま午後からもカジノで楽しむつもりだった。だがお腹が空いたのでとりあえず中断し、フリーダムにやって来たのだが相変わらず未来の姿はなく、何の連絡もない。とりあえずピラフを注文してから未来の携帯に連絡を取ろうとしたのだがこれが繋がらない。やや心配になりつつもどうしようもない清はまず情報を集めようと紫杏に聞いてみたのだ。


「さぁ・・・星と一緒みたいですけど、どこにいるかは知りません。オーナーなら知ってるかもしれないけど」


ややとげとげしい口調で素っ気なくそう言った紫杏は憮然とした表情のままさっさと厨房へと消えていってしまった。そんな紫杏を困った顔をしながら見送る清は玄吾に話を聞いてみようと思い、急いでピラフを平らげると厨房の方へと向かおうとした。


「白木さん、何やってんの?」


フリーダムには清以外の客はいなかった。だからこそ、こうまで大胆な行動がとれたのだが、さすがに背後から名前を呼ばれては心臓が痛むほど激しい動悸がし、一瞬にしてのどが渇いてしまった。恐る恐る振り返る清が見た物は、腰に手を当てて首を傾げている悠斗と、その背後で同じように何事かと自分を見ている緑の姿であった。


「あ、いや、料理長さんに聞きたいことがあったもんで・・・」


しどろもどろになりながらそう言う清は引きつった、しかも作った笑顔を振りまいており、ますます2人に不信感を植え付ける結果となってしまった。


「下着ドロに入る人みたいだったわよ?」

「マジ、そう見えた」


確かにやや前屈みでどこか抜き足の体勢だったと自分でも思う。さすがに苦笑いするしかない清は恥ずかしい思いをなるべく表情に出さないようにするのがやっとだった。


「何やってんだ?」


急に背後から低い声でそう言われた清は飛び上がらんばかりに驚き、物凄い勢いで後ろを振り返った。そこに立っていたのは隻眼の眼光も鋭い玄吾であり、緑と悠斗は頭を上げて挨拶をしたが、清はあまりの驚きように声も出せない状態にあった。そんな清に小さな笑みを見せた玄吾は太い腕を窮屈そうに組むとやや怖い感じの笑顔を見せた。


「ワシに用かい?紫杏がそんな事を言ってたが・・・」


その言葉に我に返ったのか、清は自分を落ち着かせる為に大きく息を吸い込むと、ややゆっくりした口調で質問を投げかけた。


「未来ちゃん、どこに行ったかオーナーならご存じと聞いたのですが・・・」


その言葉に悠斗もまた即座に反応した。


「あぁ、彼女なら星と一緒に観光中だ。案内を頼まれてなぁ・・・」

「で、今どこに?」


よりにもよってあの男と2人きりとは思わなかった清はさっきまでとはうって変わってあわてた口調でそうまくしたてるようにたずねた。もちろん悠斗の心中も穏やかではなく、身を乗り出して玄吾の返事を待った。


「さぁなぁ・・・島を案内しとるから、どこかは知らん。島の奥に行けば携帯も繋がらんだろう。まぁ、所詮は男と女だ、案外うまくヤっとるかもな?」


意味ありげにそう言い放つと窓の外に見える海と空を見やった。もはや心中穏やかではない清と悠斗は頭の中で良からぬ妄想を爆発させていた。緑は小さく噴き出すように笑うと近くの席に腰掛け、ニヤッとした笑いを浮かべたまま玄吾と同じく外の景色に目をやった。


「あれほど連絡しろって言ったのに・・・」

「心配ないわよ、相手があの黒崎ならね・・・」


ぼんやりと景色を見ながらそう言う緑に全員の注目が集中した。


「何を根拠に?」


やや怒りを含んでそう言う清を見る緑の目はいたって冷静であり、その目がますます清の怒りに火を注いでいった。


「あいつとはあんまり付き合いってのはなかったけど、そういうことができる人間じゃないのは確かね」

「けど、嬉しそうに出ていったぜ、2人ともな」


どうも感情をむき出しにしている清をあおることが楽しくなってしまった玄吾はニヤリとしながらそうちゃちゃを入れる。清は玄吾を睨むと携帯を取りだし、メモリーから番号を呼び出してかけてみた。だがやはり電波が届かない場所にいるのかいっこうに繋がらない。


「まぁ、あいつもその気って事は彼女もその気って事かもな?」

「それは困ります!」


携帯を握りつぶさないとばかりに拳を握って反論する清の顔は真っ赤であり、それはマネージャーという責務を超えた感情が有ることを雄弁に物語っていた。


「バカヤロウ!困るのはオレだよ!」


清の肩を掴みながらそう言う悠斗。2人は睨み合うようにしており、それを見やる玄吾は楽しそうであり、緑はやれやれといった感じで静観していた。


「どうでもいいけどさっさと座ってくんない?」


玄吾の後ろに隠れて見えなかったのか、あわてて振り返る玄吾のその背後から腕組みして全員を睨み付ける紫杏の姿があった。紫杏は緑の座っている席に黙って進むといつも通りお水を2つ置いて注文を取るべく伝票を取り出した。


「私、ピラフね」


緑は景色を見ながらそう言い、紫杏はそれを伝票に書き記す。


「あ、じゃぁ、オレも」

「ピラフ2つですね。オーナー、ピラフ2つ!」


別に怒っている風でもないのだが、どこか威圧感を感じてしまう。玄吾はおうと答えるとそそくさと厨房に戻っていった。一気に熱が冷めてしまった清は頭を掻きながら自分の席へと戻り、それを見た悠斗も緑の前に腰を下ろした。


「心配ないですよ。星はそういうとこきっちりしてるし、未来もそう。心配するのは勝手だけど、信じてあげたら?」


控えの伝票を切り取ってテーブルに置きながらまるで独り言のようにそう言い残し、紫杏は厨房に消えていった。さすがにそう言われれば信じるしかなく、清も悠斗もややうつむくようにして何かを考える仕草を取った。


「やるわね、彼女・・・・自分が一番心中穏やかでないはずなのにさ。昔の私みたいに、けなげね」


フッと吐息を漏らしながら、どこか酔いしれるようにそうつぶやく緑に悠斗は引きつった顔をして見せた。


「それはそうと、悠斗・・・・なんでアンタが困るのか、ちゃぁんとしっかり説明してもらうわよ?」


景色を見たまま声色も変えずにそう言う緑の言葉に恐怖を覚えた悠斗は引きつった顔を青ざめさせながら水を口に含むのだった。

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