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第4話

この暑い南の島にあって何故この車にはクーラーがついていないのかと常々思っていた紫杏しあんは開け放たれた窓枠に肘をついてぼんやりと前を眺めていた。さっきの砂浜からホテルまでは40分程度の道程だが、周囲に太陽を遮る物がないために真上から容赦なく降り注ぐ日差しはフロントガラスを通じて車内を直撃していた。たしかに窓から風は吹き込んできているが、それは涼しい風であり、冷たい空気で車内を満たすようなものではなかった。元々この島の人間でない紫杏にとって、やってきた当初はその暑さに参ったものだった。だがここへきて3年、さすがに暑さにも慣れてはいたのだが、それとこれとは全くの別物であった。


「茶木さんに言って車借りればよかったのに・・・」


ふてくされたようにそう言いながら額の汗を拭う紫杏を横目で見た星だったが、それも一瞬の事ですぐに視線を前にやってしまった。


「アレはホテルのだ。これはウチのだ」


普段から必要最低限の言葉しか話さないせいを知っているとはいえ、こう暑くていらついている時にはカチーンと来るものだ。


「いちいち言わなくてもわかってる!それより、さっきの女の人、知り合いだったんだ?」


シートに沈み込むようにしてみせながらそう言う紫杏の視線を無視しながら交差点を左に折れる。はなっから答えを期待していない紫杏は鼻息を漏らすと窓の外の景色に目をやった。空に居座る巨大な白い入道雲は相変わらず天の頂上に迫らんと伸びているように見える。


「昔の知り合いだ。ここへ来る前のな・・・バカやってた頃の知り合いさ」


下げられた窓ガラスの上に腕を置きながら左手1本で運転する星はどこか遠い目をしているように見えた。珍しく昔の事を話す星に驚いた顔をしてみせる紫杏だが、そんな紫杏の事など無視するかのように星は前を向いたままだ。ヤシの木が立ち並ぶ対面車線の道路を軽快に飛ばすワゴンは道のりの半分を消化しようとしていた。


「昔は、バカやってたんだ?」


昔の事、特にこの島に来る前の事をあまり話さない星のさっきの言葉に興味をそそられた紫杏だったが、その後ホテルに帰り着くまでの道程で星はほとんど話をしなかった。昔を詮索されるのは紫杏にとっても嫌な事なため、それっきりその話をしなかったせいもある。とにかく無事ホテルに戻った2人はそのままレストランに戻るといつも通りの仕事をこなすのだった。



その日の撮影は順調に終わり、一行は撮影現場近くの料理屋で夕食をとった。撮影はこの後3日連続で行われ、1日のインターバルを置いて最終日までの2日の合計5日間残っていた。その初日たる今日はこの間のようなバカ騒ぎはなしに静かに地元の料理と酒を楽しむ程度に終わった。島に来てからいろいろな料理を食べているが、未来にとってはフリーダムの料理が一番美味しいと言い切れた。ホテル特有の豪華な料理ではない、どちらかといえば庶民的な味付けや盛り付け方をしているフリーダムの料理は懐かしさと驚きを提供してくれているのだ。とはいえ、ここで食べた料理にも満足している未来はこのロケに来てからの食べっぷりに対してのスタイル保持に関して少々の危機感は抱いていたのだが、やはり開放的な気分と美味しい料理には勝てないでいた。実際、この島にやってきてからもアイドルとしての体型を保つためのダイエット運動は毎夜欠かさずに行っている。つらい減量も嫌だが、ここの美味しい料理を食べられないという事も嫌なのだ。とにかく、食事を終えた一行がホテルに戻ったのは午後9時半頃であった。ほろ酔いのスタッフに手を振って別れた未来は部屋に戻るとすぐにお風呂の支度をしていそいそと大浴場へと向かった。1日の疲れを取るにはやはり大きなお風呂が一番なのだ。一応一言声をかけておこうと思って清の部屋をノックしたのだが、シャワーでも浴びているのか返事はなかった。仕方なくさっさと行ってさっさと戻って来ようとエレベーターに乗り込んだ未来はなるべく他の客に出くわさないように気をつけながら大浴場へと向かったのだった。



時間のせいか、未来とおばあさんの2人だけの大浴場はまたもや貸し切りのようであった。とりあえず1日の疲れを癒すため、広いお風呂にゆっくり浸かり、体も心もリフレッシュさせた未来の入浴時間は滅多にない長い時間の約40分程度となり、当初の予定を大幅にオーバーしてしまっていた。脱衣所の時計を見てあわてて着替えを済ませた未来は部屋に近い場所に位置するエレベーターに向かったのだが、そこにはサーファーとおぼしき若い、いかにも軽そうな男性客が3、4人いたために仕方なく大きなエレベーターホールへと向かうことにした。そしてちょうどロビーを横切ろうとしたその時、プールのある中庭に続くドアに向かって歩く一組の男女に目を留めた未来は思わず近くにあった大きな白い柱の陰に身を潜めた。この間からこういうことばかりしている自分に対して少し嫌な気持ちになっていたが、今は好奇心の方が勝っているせいかそういった意識はすぐにかき消えてしまった。そうしているうちに男女はガラスの扉をくぐって中庭に出ていった。見つからないようにそっと後をつける未来がドアのノブに手をかけたその瞬間、何者かがその未来の手をいきなり掴んできた。キャッと小さな悲鳴をあげるのと、とっさに掴まれた手を引くのとはほぼ同時であった。


「静かに、未来ちゃん!オレだよ・・・」


驚く未来を静かな口調で諭すのは人差し指を口に当てて外の様子をうかがう悠斗だった。悠斗はそっと外の様子をうかがいつつも未来の手を掴んだままそっとドアを開く。


「ついさっき、たまたま緑さんが部屋を出るのを見てね・・・これは昼間のヤツと会うなってピ~ンときたのさ!」


身を屈めた体勢になり、ドアを半開きにして2人が去っていったと思われる方を覗くようにしてからゆっくりと立ち上がった悠斗は未来の手を握った状態で音をたてないようにしながら慎重に中庭へと出るのだった。どうやら2人はプールの向こう、この間紫杏と星が話をしていたあの白い屋根付きのベンチに向かったようだ。


「しかし未来ちゃんもやるねぇ」


いたずらな笑みを浮かべてそう言う悠斗は明らかに風呂上がりと分かる未来の体をなめるように下から上に視線を動かした。白いTシャツから薄い水色のブラが透けている。下は膝丈まである紺色の短パン姿の未来は風呂上がりとあって何ともいえない妖艶な色気と、シャンプーのいい匂いをかもしだしていた。そんなやらしい悠斗の視線から逃れるためか、握られていた手をそっと放すと、屈んだままの状態で器用にプールサイドを素早い動きで駆け抜けていった。悠斗は誰に見せるでもなく大げさに肩をすくめてみせると、未来同様身をかがめて一気に駆け抜けていった。未来は先日、同じように盗み見していた植木の陰に身を潜ませていた。後からやって来た悠斗もその横にしゃがみこむと、2人は同時にベンチのある方へと頭だけ、正確には鼻の頭ぐらいまでを出して2人の様子をうかがうようにしてみせる。星と緑は少し距離を置いて、様子を見ている2人に背を向ける格好で同じベンチに腰掛けていた。



「そうか、アイドルのマネージャーか」

「そう。本当は事務員募集で入ったんだけどね」


うつむき加減でそう言う緑に持ってきていた缶ビールを手渡す星は小さな笑みを浮かべていた。2人が初めて出会ったのは7年前、元々対立していた勢力に属していた時に敵同士という関係で知り合ったのだ。


「まさかまともな職についてるとは思わなかったぜ」


ビールの栓を開ける音を響かせながら、星はそうつぶやくように言った。


「それはお互いさま!」


こちらもビールを開けると、一口飲んで笑顔を浮かべた。ついさっき厨房の冷蔵庫から出したばかりなのでキンキンに冷えており、暑い夜に喉を潤すにはもってこいの素材であった。


久我晴海くがはるみがやられたって噂は、こっちに来てから風の便りで聞いた」


一口ビールをあおってからそう切り出した星の言葉に、何故か緑は噴き出すような笑いを起こした。別に笑うような話題でも、笑わすような言葉も言わなかったと思う星は怪訝な顔を緑に向けたが、すぐにそれは無表情になって前を向いてしまうのだった。


「今時『彼』を本名で呼ぶ人は、あんたぐらいなものね・・・」


缶を口に当てながらそう言う緑は緩んだ頬をしたまま、まるでそっぽを向くようにしている星を覗き込むようにして見せた。だが星はそんな緑に視線さえ送らずにじっと前を向いたままであった。


「『キング』か?誰がつけたかは知らないけど、アレはどっちかといえば『魔王』さ・・・・正直、あいつに素手で勝てる人間がいるとは思わなかった」

「私もよ・・・でも実際倒された。当時の私たちと同い年の男にね」


缶を両手で包み込むようにしながら、緑はその当時のことを鮮明に思い出していた。圧倒的優勢に相手を追いつめながらも、起死回生に放った相手の一撃で倒されたスキンヘッドの大男。誰もが想像すらできなかったその場面、その大男の背中が地面に着く瞬間。左腕を折られ、あばらすら数本折られた上にあちこち内出血で皮膚が青くなり、またあちこちから赤い血を流す17歳の少年が、人を超えた動きで人を超えた存在をうち倒したのだ。実際にその現場に居合わせてその目でその光景を見た緑にとって、それは信じられない衝撃的な事件であったのだ。


「喜怒哀楽の、『喜』の感情しかない『キング』が最後に見せた表情は・・・『恐怖』だったわ」

「で、『キング四天王』最強だったおたくの彼氏は?」

「『キング』を倒した『魔獣』の仲間、『戦慄の魔術師マジシャン』に倒されたわ・・・今では政府の保護観察下におかれた特別施設で暮らしてるみたいよ、よくは知らないけどね」


横でビールを飲み干す星を見ながら、緑はさっきとはうって変わった様子で素っ気なくそう答えた。別れた元彼氏に興味がないのか、はたまた何かもめ事があったかはわからない。星はそんな緑の心情を察したのか、それ以上何も言わなかった。


「ま、何にせよ、あの事件がきっかけでキングの組織は見事崩壊・・・みんなバラバラになって四天王全員、七武装セブンアームズの半分が施設送り。『キング』の残した物は結局、数々の伝説だけね。そして倒されたという事実だけ・・・」

「久我晴海を倒したその男は?」

「彼は今でも普通に暮らしてるんじゃないかな?『キング』を倒してその力と組織を引き継ぐ事もしなかったし。元々、『キング』を倒す目的は復讐だったみたいだし」

「『キング』は?」

「最後に受けた一撃が脳に大きな障害を与えたの。で、入院してるわ。もっとも、回復の見込みはなしだけどね」


緑はそう淡々と言うと小さなため息をついてからビールを飲み干し、空になった缶を握りつぶした。そんな緑を見た星は同じように缶を潰すと、ベンチの脇にそれを置くのだった。


「そうか・・・俺が街を離れてから、わずか半年足らずでそんなになっていたか」

「そうね・・・実際たった5人にこうまでされるなんて、誰も想像つかなかったし」

「5人・・・・か」


そうつぶやいた星を最後に2人はしばらく黙り込んでしまった。薄く細長い雲が三日月を横切っていく空には、夜空に満天の輝く星たちが綺麗な光を灯していた。その無数の星たちは都会において電気やネオンの明かりに負けてかすんでいる自らの存在をここぞとばかりにアピールしているように思える、それほどまでに美しい星空が降り注ぎそうな光をたたえていた。


「ちなみに、あんたを一撃で倒した少年、それが『キング』を倒した『魔獣』よ」


空を眺めていた星がその言葉に驚きの表情をして緑の方を振り仰いだ。不意に言った言葉とはいえ、ここまでの反応を見せると思ってもみなかった緑もまた驚きの表情を浮かべた。ただ、今、頭をよぎった事を口にしただけだったのだが、今の言葉は星の魂を揺さぶるほどに衝撃的であったのだ。


「まさか!あんな、普通のヤツが?確かに強かったが・・・あの久我を倒せるなんて・・・」


そう言うのが精一杯だったのか、星はうなだれるように頭を抱え込むようにしてしまった。


「でも、事実よ」


緑は冷たくそう言うと、きらめくのほしの中に流れる光を見つけるのだった。



その日は朝から雨がぱらついていた。行き交う人混みも色とりどりの傘のせいでさらに混み合っており、雨を避けるように雑居ビルの入り口の端に腰掛けていた星はただぼんやりと、無気力にそれを眺めているにすぎなかった。この渋谷を仕切る少年グループ『渋谷クローサー』のリーダーとして君臨して1年余り、この街では自分に逆らう者もなく、ただ退屈な日々を過ごしているにすぎない。だが、刺激はいくらでもある。実質関東地方を仕切っている久我晴海、その仲間たる四天王、そして、久我に忠誠を誓った7つの有名チームにケンカを売れば、それこそこんな退屈な日々とはすぐにでもさよならできる。だが、それは決して許されない行為である。彼ら12人は自分よりも遙かに実力が上なのだ。特に全てを仕切る『キング』と呼ばれる久我晴海の強さは常識を疑うほどであり、政府すら彼に自由を与える替わりに裏で動いてもらっているほどなのだ。外国人マフィアが賭けた懸賞金は10億円にものぼるという噂まであるそんな人物が仕切る軍団にケンカを売るほどバカではなかった。しかもこの渋谷を含めた都内の主要な街は全て『キング』によって配下に治められている。たかだかケンカが強いだけの自分がこうまで街を治める事が出来たのはたまたま当時のリーダーを得意の蹴り技で倒した結果に他ならない。それ以来、何人かの強者を倒しただけでこのチームのリーダーとなったのだ。17歳でこの街を仕切るのは歴代最年少と言われ、星自身もその記録には満足していた。止みそうで止まない雨を降らせる空を見上げ、胸ポケットからタバコを取り出した時、人混みを押しのけながら血相を変えてやってくる見慣れた顔を見ても、星は無表情でたばこに火をつける仕草を止めなかった。


「く、黒崎さん!助けてくれ!」

「うるせぇよ・・・ぎゃあぎゃあと」


めんどくさそうにそう言うと、17歳の未成年は見事な吸いっぷりでタバコの煙を揺らせた。


「高橋さんがやられた!しかも、そいつ、強すぎる!」


その言葉を聞いても眉一つ動かさない星はやや虚ろな目で人混みから助けを求める人物に視線をやった。


「たった一撃だ・・・あの高橋さんが、わけのわかんねぇガキに!」


大きなリアクションと声に行き交う通行人も何事かと自分たちを見ていた。だが、星の視線はある一点に注がれたまま全く動こうとはしない。さすがに怪訝な顔をしてみせる助けを呼びに来たその男がゆっくりと振り返ると、そこには傘をもさずにたたずむ一人の少年がいるのだった。鋭い目つきをし、全身から鬼気ともいえる殺気を放つその少年を見た矢先、助けを呼びに来た男は後ずさりして星の後ろに隠れるようにした。


「お前か・・・こんなひ弱そうなガキに高橋のバカ野郎が・・・女とヤリまくって腕が落ちたんだろうさ・・・」


やや長めの髪を掻き上げると左耳に十字架のピアスが姿を現す。長く伸びた髪で隠れていたその独特なピアスをジッと見つめていた少年に対し、めんどくさそうに立ち上がった星はアゴで自分について来いとうながした。その星は雑居ビルの脇にある暗い路地を進み、やや開けた路地裏へとやってきた。そこは破れたフェンスやら壊れたゴミ箱で埋もれたまさに不良たちのたまり場といわんばかりの陰気くさい場所だった。現に怪しげな、それでいてやばそうな若者たちがそこらへんに座ってニヤニヤしながらやってくる星と少年を見ているのだ。そして路地裏の真ん中で立ち止まった星に続いて、3メートル程の距離を置いて立ち止まる少年は相変わらず鋭い視線をその場にいる全員に送っていた。細身の体は星と変わらない。雨で濡れたせいか前髪は垂れ下がり、滴を落としていた。


「いつでもいいぜ。これはケンカだ、合図は・・・・ない!」


言いながら、星は一気に間合いを詰めて得意の右回し蹴りを少年のこみかみめがけて打ちつけた。だが、少年のこめかみに当たるべきその蹴りは宙を切り裂くのみであった。少年の身長はおそらく170センチそこそこ、対する星の身長181センチ。この身長差はそのまま手足のリーチの差となるのだ。だが、足が長い分、大振りの蹴りは避けられやすい。しかし、星の蹴りはそれを補って余りあるほどに鋭く、そして速いのだ。だが、現実に星の蹴りは当たっていない。鋭い蹴りが当たるその瞬間に、少年は星に対して背中を向けていた。のがさず動きを見ていた星には信じがたい事なのだが、少年は星が蹴りを放つのを見て、それからモーションを起こしていた。にも関わらずその速さの回し蹴りを何かの動きのついでとばかりに背中を見せながら身を屈ませて避けたのだ。そして次の瞬間、少年の体が一瞬にして目の前に迫ったのを見た時、星の左の側頭部に凄まじいまでの衝撃が叩き込まれた。まだ蹴りの途中の星よりも速いスピードで繰り出されたのは少年の後ろ飛び回し蹴り。しかも、その衝撃は自分より小柄の少年が放つものにしては威力がけた違いである。普通なら体が吹き飛ぶほどの威力なのだが、その蹴り自体の衝撃は100%星の体が吸収していた。現に星の体は1メートルも動いていないのだ。一瞬にして目の前を真っ暗にされた星は蹴りを放っているがため、震える軸足1本では体を支えきれなくなり、全身に衝撃を浴びる勢いで地面に倒れ伏してしまった。もはや思考ももがれ、体も動かない。徐々に失っていく意識の中、どこか遠くで大勢が何やら叫ぶ声を聞いたのだが、もはやそんな事などどうでも良かった。星はそのまま意識を失ってしまった。そのままどれぐらいの時間が経ったのか、全身を濡らす激しい雨に目を覚ました星は焦点の合わない目を懸命にこらしてみた。激しく降る雨がどこか心地よかったが、徐々にはっきりしてくる意識に身を起こした時、頭に衝撃が走る。左の側頭部に走るその鈍い痛みをこらえつつ、なんとか地面に座ることができた星はいまだにぼんやりしている意識がゆっくりとはっきりしてくるのを感じた。記憶をたどるように周囲を見回す星は、そこにある光景に言葉を失った。腕があり得ぬ方向に曲がっている者、ひん曲がった鼻から血を流す者、うめき声を上げる者など、その場にいた仲間が全員地面に倒れ伏しているのだ。


「そんな・・・あのガキがぁ!」


いまだふらつく体を怒りで奮い立たせた星だったが、何かに掴まらないと満足に立っていられない。倒れている7人を見ながら人の気配を感じて路地を見やると、そこには言葉を失ってただ立ちつくしている最初に助けを呼びに来たあの男がいるのだった。


「林・・・あいつは?」


林と呼ばれた男はゆっくりと星の方を見た。よく見れば、林の左腕は不自然な格好で垂れ下がっている。


「お前も?」


そう言葉を絞り出すのが精一杯の星は、フラフラしながら林に近づいた。


「あ、あ、あいつが、噂の『ヤンキー狩り』だったんだ・・・・・!」


つぶやくようにそう言うと、林は左腕を押さえたまま奇声を発しながら走り去ってしまった。星は自由に動かない体にもどかしさを感じつつも地面に座り込むしかできない自分を呪った。容赦なく打ち付ける雨はさらに激しさを増していき、うなだれるように座ることしか出来ない星の全身を痛いほどに濡らすのだった。



「あいつが、久我を倒した『魔獣』だった・・・だと?」


今でも鮮明に思い出すことができる当時の光景に、星は苦々しい表情を浮かべていた。あの後、星は街での権力を全て失った。たった1人の名も知れぬ少年に、しかもたった一撃で倒されたという事実が重くのしかかり、誰も自分に近寄っては来なかったのだ。結局チームでナンバー2の後藤によって渋谷クローサーは新たに組織されていたのだ。誰も自分を慕うこともなくなり、自分の居場所を無くした星はその後すさんだ生活を送る羽目になったのだ。


「『ヤンキー狩り』がいつしか『魔獣』になり、そしてそいつはあのミレニアムの千早兄弟、キング七武装の『麻薬王』神崎や『クラッシャー』岡本といった強敵を次々と倒していったの」

「お前の元彼氏、『2秒先の未来が見える』という大野木もそいつの仲間にやられたのか・・・」

「正確には四天王は全て『魔獣の四天王』に倒されたわ、全員ね」


短いスカートから露出する魅惑の太股をさらしながら、緑は足を組んで美しい夜空を見上げた。


魔術師マジシャンには、未来が見える彼でもたちうちできなかったわ。まさに変幻自在の動きで終始圧倒してた。開始早々に余裕こいて遊んでいなければ勝てたかもしれなかったけどね・・・でもそれは『キング』も同じかな」


緑は空を見たまま、ゆっくりと吐き出すようにそう言葉を発した。自分の目の前で展開された信じがたい光景。決して揺らぐことなどないと思われた『キングの王国』は、あっけなく崩壊したのだ。『キング』以外には負けないと信じてきた自分の彼氏も倒され、もはや人間ではないと思っていた『キング』も倒されてしまったのだ。実際その目でそれらを見ていた緑にとって、それは人生の転換期でもあった。


「その後、すぐに警察が来てね、みんな連れて行かれたわ。私もね・・・でもすぐに解放されたけど。結局1ヶ月待っても彼は戻ってこなかった・・・でも、私は正直ホッとしてた」


微笑を浮かべてそう言う緑に、星は何も言えずにただその横顔を見ていることしか出来ないでいた。キング四天王最強の男の彼女、自身も『冷血の魔女』と呼ばれる実力者でありながらその全てを一夜にして失ったのだ。政府すら保証したその王国の全てを失って何故ホッとしたのか、星にはよくわからない。何もしないでも誰も彼女に逆らわず、欲しい物は全て与えられてきたのに、だ。


「『魔獣』が何故ヤンキーを襲い、『キング』に挑戦したかわかる?」


不意に投げられたその質問に、星は静かに首を横に振った。さっき緑が言った『復讐』という言葉が頭に浮かんだが、その復讐の理由を知らないからだ。


「『キング』に殺された自分の彼女の仇を討つため。たったそれだけのために、あいつは『キング』に挑んだの。彼がどういう人物かも全て知った上でね」

「自分が殺されるかもしれないとわかっていながら?」


眉間にしわを寄せながらそう問う星に、緑は何とも言えない微笑をたたえたまま首を縦に振って見せた。自分なら、『キング』がどれだけ強いかを知っていながら戦いを挑む真似などしなかっただろう。実際に星は『キング』と対面したことがあったが、その恐るべき威圧感に喉はカラカラになり、身動き1つ取れないほどの恐怖を感じたものだった。間違ってもこの人物にだけは手を出してはならないと心の底から思えた程であった。


「『キング』に自分を狙う理由を聞かれてそう答えた『魔獣』に、私、羨ましいなぁって思ったの。たとえ自分がどうなろうとも仇を討ちたい、討ちに来たって、凄いじゃない?それに元カレは私を本当に愛してくれてはいなかったしね」

「だが、死んだ彼女がそれを望んでいたかどうかはわからないだろう?」

「でも、そこまで愛されていたんだよ?少なくとも、自分の彼女を簡単に『キング』に差し出したりしない・・・2度妊娠させても簡単に堕ろせなんて言わないよ・・・だから、羨ましかった」


緑は泣きそうな顔をしながらも涙を流さなかった。そんな緑を見て、星は複雑な心境に陥ってしまった。そのせいか、またしばらくの間沈黙が流れる。生暖かい風が2人の髪を揺らし始めたのは会話が途切れて5分ほど経った頃だった。


「いい風ねぇ」

「ああ、この島に来て、俺もそれを一番に感じた」

「でも黒崎がコックなんて、似合ってるのか、似合ってないのか・・・微妙~」


風が沈黙を押し流したのか、さっきまでの暗い雰囲気すらどこかへ行ったように、和やかな空気が2人をゆっくりと包み始めた。


「小さい頃から得意だったからな。全てを失った後、ひょんな事からスカウト受けてここへ来た。けど、ここでようやく生きる目的を見つけたんだ」

「私は普通に生きたくて、まぁ、ぶっちゃけ適当に事務職応募したらこうなったわ・・・人生ってわからんもんだねぇ~」


まるで人生経験豊富なおばあさんのような言葉にあきれたような笑いをこぼす星は少なからずそれに同意していた。あの雨の日に『魔獣』にやられていなければ、きっとあのまま目標もない退屈な日々を送っていただろう。だが、今は充実している。この緑溢れる大地と青い空と海。壮大な自然の中で、星は生きるという意味を見つけたのだ。そして場所は違えど、緑もまた生き甲斐を見つけたのだ。


「また乾杯したい気分だね」

「もう1本持ってくればよかったな」


そう言い、笑い合う2人はへこんでボロボロになった空き缶を当て合い、ささやかな乾杯をしたのだった。

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