日常1
夕方になり、客層も徐々に変わり始めたころ、俺のバイト時間は終了した。俺はスタッフルームに入り、ロッカーにエプロンを掛け、刹那さんとバイト仲間に「お疲れ様でした」と、声をかけ駐輪場に向かう。俺は自転車に乗り、いつもよりも重い踏み出しで家路を急ぐーー。
徹夜後のバイトは若いとはいえ正直堪えるものがある。
家に到着すると俺は「ただいま」と、だけ言って階段を上がり部屋に向かう。
こういう時はさっさと寝るのが、一番効果的だ。
俺は部屋のドアノブを回して扉を開く。そして、部屋に入った俺は疲労なんて一発でぶっ飛んでしまうシーンを目の辺りにした。
「えっ! し、志雄……」
思わず生唾を飲み込み、息をするのも忘れ、目を見開き、有り難い光景を凝視する。
「み、み、美咲……」
美咲は何故か、俺の部屋で下着姿になっている。足元にある服を見ると着替え中なのだと解るが、なんで俺の部屋で? 美咲の透き通るような白く綺麗な肌。スレンダーな身体のラインに、ピンク色のレースのブラとパンツ。フロントブラのホック部分は可愛らしいハートのデザインになっていて、美咲の小振りの胸を包み込んでいる。
「き、きゃぁーー!」
「わ、悪い!」
俺は慌てて、部屋から飛び出した。ドアを閉め、扉にもたれる。
「なんで、ノックしないのっ!」
ドア越しから美咲の声が聞こえた。
「わ、悪かったって……って、ここ俺の部屋だろ! なんでノックしなきゃならんのだ! 大体なんで俺の部屋で着替えてんだよ!」
「それは……その……」
言いづらそうに美咲は口篭る。それで、俺は予想が付いた。
「まさかとは思うが、お前、また買ったのか?」
扉越しに美咲に尋ねる。
「あはは……。えーっと、もう入ってもいいよ」
扉を開けて、再び部屋に入る。美咲はちゃんと服を着ていた。ただし、それは私服ではなくコスプレだ。ピンク色のメイド服に白いエプロンを着て、髪を左右に結びレースのカチューシャを付けていた。
美咲はアニメやギャルゲーだけでは、飽きたらず、コスプレまで幅を広げている。そのせいで、自分の部屋にあるクローゼットにコスプレ衣装が収まりきらなくなり、とうとう、俺の部屋にあるクローゼットまで侵食しだし、コスプレの衣装でいっぱいになりつつある。
スタイルの良い美咲は何を着ても似合うと思うが、今着ているメイド服は正直に言って、非常に残念だ……。けして似合わない訳じゃないが、このメイド服は巨乳の天然キャラじゃなければならない。
可哀想だが、それじゃあ、単なるメイドだ! キャラにはなりきれん! まぁ、んなことはどうでも良い。取り敢えず解っているが、一応訊いといてやるか。
「それいくらだ?」
美咲は顔を少し傾け右目を瞑り、右の一指し指を口元に近づけた。
「禁則事項です」
これは、アニメキャラのお決まりの台詞。
「これで満足か?」
俺は少し投げやりの気分で相手をした。
「志雄、今日はノリがわるいよ」
「疲れてんだよ……。第一、コスプレなら自分の部屋で楽しめよ」
「だって、衣装を持って移動が大変なんだもん……。こっちで楽しめば、あとはそこにしまうだけだし……」
美咲はクローゼットを指差す。
「お前なぁ……。どれだけ俺の部屋に服を持ち込む気だよ……」
「あはは……。あっ! 忘れてた! 志雄、ドキメモの事なんだけどね」
こいつは……。あからさまに話題を変えやがった……。
「ドキメモが、どうかしたか?」
と、訊き、俺はベッドに腰掛けた。
俺がベッドに腰掛けると美咲は当たり前のように隣に腰を下ろす。
「実はね。ドキメモ全ルート攻略しちゃった」
「はぇーなっ! つーか、あの後ずっとここでゲームしてたのか?」
「ううん。お昼はと外でランチ食べにいったよ。帰ってきてからは、自分の家で攻略してたしね。それに丁度このメイド服が届いたから早く着てみたくて」
美咲はくるんっと回る。スカートがふわりと浮くが中は見えそうでみえない。まぁ、さっき下着姿を見てしまっているのだが……。
「まったく、少しはコスプレも控えろよ。お前の衣装で俺はクローゼットが使えないんだからな」
「あはは。ごめんね」
「ったく……。ふぁー。眠い…」
俺は目をこする。
「志雄、眠いの?」
「ああ、昨日寝てないからな」
「でも、もう直ぐ晩御飯だよ」
「わかっちゃいるけど眠い……」
「志雄は仕方ないなぁー。はい、どうぞ」
美咲は再びベッドに腰掛て膝を叩く。
「いやまて! 俺は枕で寝るからそこをどけよ!」
「はぁーーー。せっかく私が膝枕してあげるって言ってるのに断るの?」
深く息を吐き、美咲は呆れる
。
「どう考えても可笑しいだろ! なんで幼馴染に膝枕させんだよ!」
「本当にいいの? メイドさんのコスプレの最中だよ! 『それ、なんてギャルゲー?』って突っ込まれるレベルなんだよ!」
「いや、しらねぇーよ! とにかく飯まで寝かせろって!」
「えーー。あっ! わかっちゃった! 志雄照れてるんでしょ?」
「照れてねぇって! マジ寝たいんだって、頼むよ」
俺は美咲の手を掴み美咲をベッドから退かそうとした丁度そのとき、部屋のドアが開き母親が入ってきた。
俺の母親はとても三十代後半には見えないくらい若くみえる。よく大学生に間違われナンパされるなんてしょちゅうだ! 長い黒髪を後ろで縛りポニーテールにしている。
「あっ! 志雄母……」
「……お邪魔だった?」
「待って! 何を勘違いしてやがる!」
「だってねぇ……寝たいとか、頼むとか?」
母さんは俺と美咲を交互に見て俺が掴んでる手に視線をとめる。
「ふざけんなっ! リアルで、んな馬鹿げた勘違いしてんじゃねぇって!
」
「わかってるわよ。冗談に決まってるでしょうが……。それよりも、美咲ちゃんのメイド服かわいいわねぇー」
「ありがとうございます。志雄がどうしても着てほしいって言うもんだから買っちゃいました」
「お、おい美咲!」
「ごめんね。ヘンタイの息子で」
「それは言わない約束です」
「あああ! 二人ともいい加減にしろよ!」
「ちょっと、からかいすぎたかしら?」
「あはは。そうかもしれないですね」
「んで、母さんは何の用だよ?」
「ああそうそう、ご飯できたから呼びにきたのよ」
「なら、そういってくれよ」
「美咲ちゃんのもあるから食べてきなさいね」
「はい。いつもすみません」
まったく、この二人は……。生まれたときからの付き合いがあるせいで、美咲は俺の母親を志雄母自分の母親をママと呼ぶ。それと母さんも、美咲が可愛いらしく実の娘のように大切にしている。美咲の親は仕事が忙しく両親ともに家に帰って来ない日が多い為、美咲はよく家で飯を食べている。っと、言っても美咲の親の夫婦仲は円満で同じ職場で働いているし、得になにか問題があるわけではない。
「志雄ーー早く行こうよ」
「ああ、いま行く」
俺は美咲にせかされ、俺はリビングに向かう。
リビングの扉を開けるとカレーの良い匂いが鼻腔を擽る。メイド服姿の美咲は母さんを手伝い器にカレーを盛り付け並べていく。俺は食卓の席に付き美咲に言う。
「美咲、俺は少しでいいぞ、食って寝るから」
「ダメだよ! ちゃんと食べてお風呂入ってからじゃないと」
「明日の朝に起きて入るからいいって」
「そんなこと言って、いつも起きないよね? 起こすのに苦労するのは私なんだからね!」
美咲は呆れた顔で、俺の前に最後の器を置くと母さんと美咲も席に着く。
「ぐっ!」
「あんたの負けよ。諦めて美咲ちゃんの言うこと聞きなさい」
三人で手を合わせ「いただきます」と言い、食事を始めた。
「なぁ美咲、明日はちゃんと起きるからさ、寝ちゃダメか?」
「ダーメ! そういって起きたことないし」
俺は諦めず、説得に応じるが一向に首を縦には振ってくれない。
「はぁー」
俺がうな垂れていると、不意に、母さんが思い出したかのように口を開いた。
「ああそうそう! 明日から暫くお父さんの所に行ってくるから、美咲ちゃん、志雄をお願いね」
「俺は留守番の出来ない子供かっ!」
「あんた自分で炊事出来るの?」
「無理です……」
「だから、美咲ちゃんに頼んでるんでしょう。お願いしても大丈夫?」
「私は構いませんけど、急ですね」
「そうなのよ。なんか、『至急きてくれー』って」
「用件聞いてねぇの?」
「まぁ、用件を言わないのはいつものことよ」
俺の親父は三年近く、家に帰って来ていない。理由は海外で教師をしてるらしい。詳しいことは俺は聞かされてないし、興味もない。昔はから俺は親父に「男は強くある者だ!」とか言われ続け、十年近く虐待レベルで散々しごかれた。しごかれなくなったのは親父の海外赴任が決まったお陰だ。親父が居なくなり俺は身体を鍛える事を止めて、平和な日常を堪能している。っといっても適度には身体を動かしている。
「それで、いつまで志雄父おとうさんの所にいるんですか?」
「そうねぇ……。気が向いたら帰ってくるわね」
「え?」
「おい! なんだそのいい加減!」
「だってねぇー たまには夫婦で居たいじゃないねぇ」
母さんは美咲に同意を求める。
「二人はラブラブですもんね」
「もぉ~美咲ちゃんたら! 分かってるわねぇー」
年甲斐も無く母さんは頬に手を沿え赤らめる。
「もう、勝手にしてくれ……」
俺は食器をシンクに置き、楽しそうに話す二人を放置し、大人しく風呂へ向かう。
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志雄がリビングを出て行き、暫くして美咲と母親は食事を終える。食器を運び二人仲良く流しに立ち、食器を洗う。
「美咲ちゃんは良いお嫁さんになるわね」
「もぉーそればっかりですよ」
「そうかしら? それで志雄とはどうなの?」
「べ、べつに志雄とはなにもないですよ! そ、その兄妹くらいにしか思ってないだろうし」
美咲の頬は桜色に紅潮し始める。志雄の母親がそれを見逃すわけも無く……。
「はぁーごめんね。あの甲斐性無しの鈍感息子……。まったく、誰に似たんだか……」
「あはは。気にしないでください。私は気にしてませんし」
母親と美咲が志雄の話をしている最中、志雄はパジャマ姿でリビングに入り、髪をくしゃくしゃと拭き、くしゃみを連発する。
「は、はくっしゅん! くしゅーん! ずずずっ」
「志雄、大丈夫?」
「ああ、なんか急にくしゃみが出ただけだから。いや、まてよ、もしかして……」
「もしかして?」
美咲は首を傾げた。
「こりゃー世界中の可愛い子が俺の噂をしてんだな」
母親がすかさず華麗なツッコミをいれた。
「おもに悪口をね」
「なんでだよ!」
志雄はギャグで言ったつもりだったが、美咲は呆れて後片付けに戻っていった。