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僕らの時代  作者: 西野了
8/21

登校日の事件

 翌日は登校日だった。

 野球部の祝勝会を兼ねた壮行式が体育館で行われた。館内の蒸し暑く粘りつくような空気は、僅かだが異様な雰囲気を含んでいた。それでも大多数の人たちは野球部の甲子園出場を単純に喜び、全国大会での活躍を期待しているようだ。

 僕は隣に座っているサイトーに声をかけた。

「なあ、昨日麻衣が言ったことは無視か」

「当たり前だろ、メディアだって麻衣ちゃんの言ったことについて何も報道していないだろ」サイトーは無愛想に答えた。珍しくサイトーもイラついていた。僕もその気持ちは理解できた。そして僕らの目の前で今行われている壮行式というものが、ものすごく嘘っぽく見えて仕方がなかった。

「でもさあ、ネット上じゃあ結構な騒ぎだよ」

 僕らの前に座っていた小藪が声をひそめて言った。

「中島ァ、渡辺のブスはどこいってんだ?」

 小藪の隣に座っている高橋は思いっきり不機嫌そうな顔で訊いてきた。

「昨日からケータイに電話しているけど、出ない」

 僕の答えに高橋は「ケッ、あのバカは!」と顔を歪めて吐き捨てた。その間、体育館のステージ前のフロアでは応援団による熱の入ったパフォーマンスが行われ、多くの生徒たちは徐々にその熱狂の渦に巻き込まれていった。

 僕にとって欺瞞に満ちた陳腐な見世物はおよそ一時間で終わった。

 教室に戻ると、担任の赤木が赤黒い顔をして僕らを睨んでいた。後ろの壁際には生徒指導の藤井までいた。藤井は例によって銀縁眼鏡の奥に潜んでいる疑り深い目で、生徒を一人ひとりチェックしている。昨日の麻衣の一件で教師たちは相当神経質になっていた。

 赤木は教壇に立つと険しい表情を浮かべ、座っている生徒たちを見回した。落ちこぼれと問題児ばかりの僕のクラスは、登校日といっても半数は出てこない。けれども昨日の麻衣の一件で汐崎はちゃんと登校していた。(彼女には昨夜、僕が電話した)

「おい、お前ら。俺は野球部に変なちょっかいを出すなと言ったよなあー」

 担任教師は声を押し殺して話し始めた。

「だが、このクラスのバカが一人、昨日大変なことをしでかした」

 赤木はどこに隠し持っていたのか、右手で竹刀を思いっきり教壇に叩きつけた。いつも平手で机を叩くときとは、比べものにならないくらい激しい音が教室に響き渡った。教室に暴力的な緊張が走った。

「先生、それはどういうことですか?」

 石井が右手をまっすぐ上げて、澄んだ声で質問した。

「石井、お前知らないのか?」

 赤木はあっけにとられた顔で問い返した。

「ハイ、知りませんけど」

 石井は平然と答えた。

 調子が狂った赤木はゴホッ、ゴホッとわざとらしい咳払いをし、竹刀で左手のひらを軽く叩きながら教壇をあちこちとうろついた。

「その、あれだ。石井、お前の前に座っている渡辺が昨日テレビで変なことを言ったんだよ!」

 教師とは思えない非論理的な説明に当然石井は首をかしげた。

「あーっ、えええっと、藤井君、代わりに説明してくれ」

 いつもコンビを組んでいる赤木から助けを求められた藤井は、なぜか嬉しそうに説明し始めた。

「ハイハイ、ではわたくしが説明しますぅ。石井さん、このクラスの渡辺麻衣さんがですねぇ、昨日野球部の応援に参加したのですよぉ。それでぇ、わが校が優勝を決めて、応援席にインタビュアーがきたのですけでねえ、そのとき偶然インタビューを受けた渡辺麻衣さんがぁ、この前亡くなった野球部員、田村君のことですがぁ、彼が死んだのは野球部のいじめが原因だということをぅ、カメラの目の前で言ったわけですねぇ」

「それって本当ですか?」石井の質問に「ウソに決まってるだろうがあー!」と赤木が激高しながら吼えた。

「石井! 渡辺は九九もできない漢字も書けない大バカだあ。あんな奴の言うことを信じる人間なんて、誰もおらんわ! あんな奴はどうせ退学だあ!」

 いつものように顔を赤黒く変色させたクラス担任は、竹刀を黒板や教壇、生徒の机にバンバン打ちつけながら僕らを威嚇した。もっともほとんどの生徒は彼の行動パターンを把握していたので、神妙な顔をしていながらも内心しらけきっていた。

「でも、田村は野球部の奴らに殺されたんだろ」

 高橋が糸のような目で赤木を睨みつけていた。前の席に小藪が驚いて振り返り「高橋君」と小声で言った。

「なんだとーっ、高橋ぃーっ」

 赤木は目を充血させながら、高橋を睨み返した。

「てめえ、担任なら少しはクラスの生徒のこと、考えやがれ! ボケ!」

「バーン!」

 高橋の机に竹刀が激しく打ちつけられた。その衝撃で竹刀の一部が壊れ、竹の破片が高橋の頬に刺さった。高橋は青白い顔をして、ゆらりと立ち上がった。

「高橋ぃ、お前も渡辺と仲良く退学するかあ?」

 赤木は左手で高橋の学生服の襟を掴み挑発した。そのとき突然「うっ」というくぐもった声が聞こえた。それと同時に、赤木の右手にあった竹刀が床に落ちた。赤木は苦悶の表情を浮かべ前かがみになり両手で股間を押さえた。

 高橋の左ひざが正確に赤木の股間を直撃していた。

「タ、カ、ハ、シィ。お前こんなことーっ」

 痛みと怒りのため小刻みに震えている赤黒い顔に、今度は右ストレートの拳がめり込んだ。

「うげっ」という言葉とともにメタボの中年教師はよたよたと後退し、教壇のところで派手な音を立ててひっくり返った。

「てめえ、ぶっ殺す!」

 高橋は三白眼を光らせながら、追撃の手を緩めようとしなかった。

「高橋君、ダメだよー」

 小藪が必死に高橋の胴に手を回しながら制止しようとしていた。

「赤木先生ぃ!」

 藤井も慌てて駆け寄ってきた。僕もサイトーも、そしてクラス中の人間が二人の周りに殺到した。

 仰向けにひっくり返った赤木の腹に馬乗りになった高橋は、なおも担任教師の顔面にパンチを浴びせようとした。丸尾や沖田、宮本たちは「やれやれー! やっちまえ!」と無責任にはやしたてていた。藤井は「高橋クーン、止めなさいーっ、止めなさいーっ」と言うだけで、オロオロするばかりだ。そんな狂乱の中、小藪だけが必死に高橋を止めようとした。しかし激高して両腕を無茶苦茶に振り回している高橋の右ひじが、カウンターで小藪の右頬に突き刺さった。「アッ」という声を発しながら、小柄な小藪は吹っ飛んだ。あわてて僕とサイトーは二人がかりで高橋を赤木から引き離そうとした。だけど痩せた高橋の身体のどこにそんな力があるのか、彼は激しく抵抗して赤木から引き離すことができない。

「パシィ!」 という乾いた音が響いた。興奮していた高橋が我に返った。高橋の目の前には、彼の左頬にビンタをくらわした汐崎が立っていた。

「そんな豚、殴る価値、ない」

 その言葉に周囲の野次馬たちから「オーッ」というどよめきが上がった。そして高橋の身体から急に力が抜けていった。

「フン」と言い残して、高橋は自分の席にもどりドカッと座った。

「赤木センセ、赤木センセ、大丈夫ですかーっ?」

 藤井は必死で赤木を抱きかかえようとした。けれども高橋の強烈なストレートをくらった赤木は意識が朦朧として、身体に力が入っていないようだった。目からは涙を流し、鼻から鼻血と鼻水を流し、口らは涎が垂れていた。

「アレッ! センセー、おしっこ漏らしてる」

 女子の誰かが叫ぶと、生徒が再び担任のまわりに集まってきた。

「あーっ、ホントだあ」

「ヤダー、お漏らししてるう」

「失禁だ、失禁。失禁教師!」

 その言葉にクラスの奴らは面白がって、口々に「失禁教師」「失禁教師」と言っては笑った。その間、藤井はなんとか赤木を引き起こそうとしていたが、体重が九十キロをゆうに超えている肉体を支えることはできなかった。

「おーい、誰か手を貸してくれませんか?」 彼は仕方なくこう叫んだ。

「えー、やだあ。赤木センセ、おしっこ漏らしてるしいー」

「臭い、臭い」

「おしっこくらいは自分で始末しましょう」

「俺ら、バカだから、おしっこの始末もわかりしぇーん」

「ギャハハハー」

「そのうち、うんち漏らすかもよ」

「小の次は大か」

「脱糞だ、脱糞教師!」

 クラスの誰もカマキリ藤井を助けようとはしなかった。それどころか、赤木の失禁をネタに「ダップンキョーシ」とか「シッキンオヤジ」とか言ってふざけあっていた。

「藤井先生」

 石井が赤木の横に片ひざをついて、担任教師の右腕を自分の肩にまわした。

「おおっ、石井さん、手伝ってくれるのですかぁ」

 藤井はこんなときでも、バカ丁寧な言い方をする。

 石井と藤井はそれぞれの肩に赤木の腕をまわして、ようやく立ち上がることができた。そしてよろよろと教室を出て行った。そのときクラスのほとんどの人間は石井圭に対して、異分子を見るような視線を投げつけていた。

 三人が出て行った後、クラスの人間は口々に石井を攻撃し始めた。

「ケッ、なんだあーアイツ」

「優等生づらしやがってよう」

「イヤな感じぃ」

「石井って変じゃない」

「変」

「変だよねーっ」

「石井ってカッコつけすぎじゃない?」

「ばっかじゃない」

 クラスの奴らは、自分が落ちこぼれだとか問題児だとか言って、他人と違うと主張している。だけど今の光景を見ると、こいつらも大多数で構成されている集団と同じ空気を吸っていたいだけなのだ。

 僕はそう思うとうんざりした。席に戻って汐崎の方を見ると、僕の視線を感じた彼女はあきれた顔をして苦笑いしていた。

 時が経つにつれて、教室を支配していた混沌とした雰囲気は薄れてきた。ようやくこの騒動も終わりつつあった。



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