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僕らの時代  作者: 西野了
7/21

サイト―の部屋でテレビを観ると・・・・・・

 猛暑の予感がする陽射しの中、僕は自転車を飛ばして家に帰った。滴り落ちる汗を拭きながらリビングルームに入ると、緑色のジャージ姿の姉がソファに寝転びぼんやりとテレビを見ていた。エアコンの冷気が急速に熱を含んだ僕の体を冷やした。

「母さんは?」

「知らない」

 姉は興味なさそうに言った。僕は冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、グラス入れて食卓の椅子に座った。それからオレンジジュースを半分ほど飲んだ。

「孝一、あなた、昨日どこ行ってたの?」

「へっ?」

「母さんが夜中までブツブツ言ってたわよ」

 僕はポケットから携帯電話を取り出して見ると、ディスプレイには母から着信履歴が何回も記されていた。先ほどもそのディスプレイを見ていたはずだが、汐崎との赤外線通信に心を奪われていて、そんなものは文字通り眼中になかった。そして僕は母からの着信を無視して携帯電話をポケットに戻した。

「友だちの家に泊まったんだよ」

「ふーん」

 姉はテレビ画面をつまらなそうに眺めていたが、突然ニヤッと笑った。

「女の子のところでしょ?」

 僕は今飲んだオレンジジュースが逆流しそうになった。

「大丈夫よ、母さんには言わないから」

 姉は茶色に染めたロングヘアーをかき上げながら楽しそうに言った。

 僕にとって以前の勝気で活発な姉よりも、今の姉の方に親しみが持てる。それは姉にとって迷惑な話なのだろうけど。だけど最近、姉といろんな話ができるようになったことは事実なのだ。その分、姉と母との会話はほとんどなくなっていった。父にいたっては、いったいいつ家にいるのかわからないくらい存在感がない。結局この家に住んでいる人間は便宜的に家族という形態をとっているにすぎない。(姉の裕子と僕の関係にしたっておそらくそんなものかもしれない)

 僕はそんなことを考えながら、昨夜の汐崎の言葉を思い出していた。

(駄目な子どもは親に見捨てられる)あのときの彼女の暗い瞳とアツコさんの優しい笑顔が僕の脳裏に交互に浮かんだ。

(アタシなんてどーせジャマものだからぁ!)

 いつだっただろうか、麻衣が怒ったような泣きそうな顔で叫んだ記憶が脳裏に甦ってきた。

 いったい僕たちはいつからこんなに孤独になってしまったのだろう? 気が付けば家族という絆は無くなってしまっている。いや、そもそも家族の絆なんてものは幻想で、僕たちはそれを信じ込まされていたのだろうか? それでもそんな脆弱な基盤の上に僕の日常は昨日、今日、明日と同じように繰り返されている。そんなことを考えると、僕の汐崎への想いや麻衣との長い付き合い、サイトーへの信頼―彼らとの繋がりも幻のように脆いものだと不安になる。

「ねえ、今日、高校野球の決勝戦ね」

 姉は新聞を斜めに読みながら僕に問いかけた。僕の思考は中断され、「ああ、そうだっけ」と答えた。



 僕は母が帰ってくる前に再び家を出た。顔を合わすと、またぐちぐちと文句を言われるからだ。最近の母は変にしつこくなっていて、同じことを何度も繰り返し言う。僕は一回言えばわかると言うのだけど、母は僕の言うことなど聞きはしない。自分の積もり積もったストレスを僕に対する説教という形で発散するだけだ。老いとはこういうことなのだろうか?

 僕はそんな気持ちを抱えながら、じりじりと暑さが増してきた夏の空気の中、自転車を走らせる。途中公園の木陰で休憩し、ポケットから携帯電話を取り出してサイトーにダイアルした。

「おーっ、久しぶり」

 相変わらず爽やかな声が聞こえてきた。こいつにはスランプとか無いのだろうか。ちょっとムカつく。

「サイトー、今日、野球の応援に行く?」

「いや、今日は行かない。小藪には誘われたけど」

「そっかあ」

「なに、ヒマだったら俺ん()、来いよ」

「じゃあ行くわ」

「青春を語ろうぜ」

「バーカ」

 僕は携帯電話をズボンのポケットにしまいながら、サイトーという存在の不思議さを思った。

 あいつの行動はいつも僕を裏切ったことはない。いや多分サイトーと関わった人間はみんなそう感じているはずだ。十六歳の高校生がなぜそんなことができるのだろう。

 そもそも何故あいつが僕や麻衣が通っている高校に入ったのだろうか? あいつの学力なら、いわゆる有名進学校と呼ばれる高校に余裕で入学できたはずだ。僕はそんな友人の不可解さを考えながら自転車のペダルを規則正しく回転させた。

 二十分後に僕はサイトーの屋敷に着いた。その馬鹿でかい家は古臭い日本建築様式のものだ。黒いインターホンを押すと「開いてるぞ」と人を安心させる低い声が返ってきた。渋い茶色の玄関戸を開けると、白い猫がちょこんと座っていた。

「おう、ゴロー、元気か?」

 ゴローという名の太った猫は、愛想のない水色の目で僕をじろっと見て、「にゃあ」と一言だけ答えた。

「相変わらず、ブヨブヨ太って駄目な奴だな」と僕はいつものようにゴローをけなすが、白猫は知らん顔をしてすましている。

 サイトー曰く「ゴローは罵詈雑言を浴びせられると喜ぶ変態猫だ」ということなので、僕はさらに攻撃を続けた。

「お前、猫は猫らしく縄張りのパトロールくらいしろよ。それともびびって外にでられないのか? このヘタレ猫!」

 しかしこの図太い肥満猫は何も感じていないようで、僕に向かって「んにゃぁ」とアリバイ的に答えるだけだ。

「お前は本当に役立たずだなあ。早く死んだ方が世のため人のためだぞ」

 それでもゴローはツーンとすましたままだ。

「ゴロー、お前は馬鹿だ!」

「にゃあ」

「馬鹿だ!」

「にゃ」

「早く死んでしまえ」

「んにあっー」

「保健所でお前を処分してもらおうか」

「・・・・・・」

「なんでそこは返事しないんだよ?}

 ゴローは僕との会話に疲れたのか、大きなあくびをして右耳の裏を後ろ足で不器用に掻き始めた。

「しかし、よくそんなに悪口が言えるなあ」

 サイトーは階段の真ん中あたりに腰を下ろして感心していた。カーキ色の半ズボンに白いTシャツという格好だが、いつものように爽やかだ。

「ストレスが溜まってんだよ」

「ふーん」

「それに、ゴローに悪口を言えって言ったのはサイトーだぜ」

「まあな。それより何か飲むか」

「冷たい麦茶をくれ」

 僕ののどは昨夜ビールを痛飲したことと炎天下に自転車で移動したことで、大量の水分を欲している。

「OK」

 サイトーはそう言うと階段を降りてキッチンに向かった。僕は勝手知ったる彼の部屋に入った。

 サイトーの部屋は畳部屋で広い。おまけに余計な家具がないので、自由に身体を動かせる。学習机と椅子、背の低い本棚が二つ、パソコン用デスク、コンパクトな洋服ダンス、クラシカルなステレオセット、木製ラックの上にテレビが一台、そして小さなちゃぶ台が主な家具だ。学習机の上には一年前亡くなった妹の写真立てがある。

 僕はちゃぶ台横の空いているスペースにゴロリと横になった。黒っぽい天井が見える。

 古ぼけた扇風機がブーンという音を出しながら、百八十度の回転を繰り返している。窓から薄いカーテンを揺らしながら風が入ってくる。背の高い木の葉が少しざわついている。

 ステレオのスピーカーからはバッハが静かに流れている。サイトー曰く「最近はバロックが一番いい。前はモーツァルトやベートーヴェンを聴いていたけど」とのことだが、僕は何のことだかわからない。その時は「ふーん」と答えただけだった。

「ほら、飲めよ」

 サイトーは透明なグラス二個と麦茶の入ったプラスチックの円筒をちゃぶ台に置いた。その円筒の中の麦茶はよく冷やされていて、プラスチックの表面にはすでに水滴が浮かび始めていた。

 僕は麦茶をグラスにいっぱい入れて、三秒間で全部飲んだ。頭の奥にキーンという鋭い痛みが走った。再び大の字に寝そべり天井を見る。サイトーは机に向かって何やら分厚い本を熱心に読んでいた。ザーッと窓際の木の葉が再びざわめいた。

 僕は昨夜、汐崎のマンションに泊まったことが信じられなかった。そこでビールをがぶ飲みして意識を失ってしまったこと。そして意識不明のまま彼女のマンションに泊まったこと。翌朝、汐崎とアツコさんと朝食をとったこと・・・・・・。すべてが僕の妄想の産物のようだ。しかしマンションを出る間際、汐崎が僕とケータイの番号とメールアドレスを交換したことも事実だった。僕のケータイのプライベート欄には彼女の名前と電話番号、メールアドレスがしっかりと記されている。

「中島、なに一人で笑っている?」

「えっ、なに!」

「男の思い出し笑いは不気味だぞ」

「ウルセー」

「さては汐崎涼子と何かいいことあったな」

「知らねーよ」

 こいつは頭がいいくせに第六感も鋭いイヤな奴だ。

「キスしたか?」

「するか、フン!」

 僕はこの手の話をサイトーにも麻衣にも小藪にも話していないのに、みんな僕が汐崎を好きなことを知っている。なぜだろう?

 僕たちはそんなとりとめのない話をダラダラと続けていた。そして気がつけば時刻は正午を過ぎていた。

「サイトー、カップ麺食うか?」

「焼きそばあるか?」

「あるぞ」

「おーっ、ご馳走だ、ご馳走だ」

 サイトーはインスタントの焼きそばが大好きなのだ。こいつはインスタント焼きそばの焦げたようなソースの辛さが、この世で一番美味いと真面目な顔をして言う。こいつも僕にとって理解不能な人間のひとりだ。

 ともかくサイトーはインスタント焼きそばを平らげ、僕はカップラーメンを食べた。

 それから僕は少しぬるくなった麦茶を飲み、テレビのリモコンのスイッチを押した。すでに高校野球の県大会決勝が始まっていた。

 僕とサイトーは見るとはなしに野球中継を見ていたが、そのうち熱心にテレビ画面を見つめていた。高校野球の異様な熱気とは恐ろしいものだ。

 試合は5イニングを終わって0対0の緊迫した投手戦だった。グランド整備で試合が中断したため、放送局のレポーターが双方の応援席でインタビューをしている。僕らの高校の応援席の中に、死んだ田村の遺影を抱えて座っている麻衣の姿が映し出された。

「ゲッ! あいつ、何してんだ?」

 僕は無邪気に応戦している麻衣を見て呆然となった。

「麻衣ちゃんらしくないな」

 サイトーが珍しく不安そうに呟いた。

「麻衣のやることは、いつもわけがわからない」

「いや、そうじゃなく」

「ん、どういうことだ?」

「麻衣ちゃんの表情、いつもと違うような気がする」

 僕はサイトーの言った意味がよくわからなかった。すでに映像は放送席に切り替わり、アナウンサーと解説者が興奮気味に今後の試合展開を予想していた。その予想はどちらが勝つかわからないという意味のないものだった。

 その無意味な予想が的中したのか、試合は終盤もつれた。最終回1点リードしていたわが母校だったが、逆転ホームランを打たれ敗色濃厚だった。だが少年漫画でもありえない神山の劇的な逆転サヨナラホームランが飛び出し、僕らの高校は甲子園行きを決めた。

「オーッ」

「スゲェ」

 僕もサイトーもそのドラマチックな幕切れに少々感動してしまった。いや、本当はかなり感動したのだ。当然スタンドの応援席も狂喜乱舞の様相を呈していた。テレビカメラは紙吹雪舞う中、抱き合って泣く女の子たちや雄たけびを上げる野球部員を映し出した。そして田村の遺影を抱えていた麻衣に女性インタビュアーがマイクを差し出した。感極まったように涙を流している麻衣は涙をぬぐいはっきりと言った。

「このタムラセンパイは、アソコにいる人たちにいじめられて殺されたんです! 野球部がセンパイを殺したんです!」

 女性インタビュアーは凍りつき、画面はすぐに放送席にもどった。しかしアナウンサーも解説者も動揺を隠し切れず空白の時間が数秒過ぎた。スタッフの指示があったのか、アナウンサーは慌てて「それでは今日の試合をハイライトで振り返ってみましょう」と言い、VTRが映し出された。

「麻衣、あいつーっ!」

 僕は幼馴染の思い切った行為に胸が痛んだ。

「麻衣ちゃん、ヤバイな・・・・・・」

 サイトーが深刻な表情を浮かべ独り言のように言った。

 テレビ画面では甲子園行きを決めたナインが応援席の方に向かって嬉しそうに走っていた。




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