麻衣の変身
高橋のナイフ騒動から一週間後、担任の赤木が転校生を紹介していた。
その転校生の背は麻衣より高く汐崎より低かった。痩せていて極端なショートカットで黒髪、赤いフレームの小さな眼鏡をかけている。鼻も口も小ぶりで下唇だけが厚かった。白いブラウスもチェックのスカートも転校前の学校のものだったけど、皺ひとつなかった。
一学期の終わりに転入してくるなんて、かなり訳アリだろうけど、この学校は不良や問題のある学生の最終処分場だからどんな奴でも受け入れるのだ。
「石井圭さんだ。席は渡辺の前だ。おい渡辺! お前は石井さんの世話役だ。この学校を案内してやれ。だけど変なこと教えるなよ」
赤木にしては上等なジョークだったので、珍しくクラスの数人がヘラヘラと笑った。麻衣はその反応に顔を歪ませ舌を突き出して答えた。
「渡辺さん、よろしくね」
石井の極めてまともなあいさつに麻衣はのけぞって驚いた。このクラスでこんな常識的な言い方をする人間はいない。サイトーは妙にすかした言い方だし、小藪は芸能レポーターみたいだし、高橋や丸尾たちにいたっては論外だ。(汐崎は無愛想だし)
「あ、あ、あーっ、ヨロシク。えっと、こっちがアタシのカレシのコーイチ。そ、そ、それからサイトークンにシオザキリョーコ。ついでにケイのとなりがオーニシ」
僕の前に座っている青白い顔をした大西がビクッと身体を震わした。こいつはよく学校を休むのだけれど、今日はたまたま登校していた。
「誰が彼氏だ!」僕は麻衣の変な紹介に慌てて反論した。だけど石井はニコッと笑い「みなさん、これからよろしくお願いします」と、あいさつをして静かに席についた。僕と麻衣はあっけにとられ、汐崎は相変わらずつまらなそうに窓の外を眺めていた。
その日の午前中、僕はぼんやりと昨夜の汐崎との会話を考えていた。するといつの間にか授業が終わっていた。そしてそのときまで眠っていた麻衣が突然ガバッっと起きて、急に鞄の中を何やら探し始めた。
「お弁当、お弁当」
意外なことに麻衣は料理が上手い。
「リョーコ、ケイチャンに食堂を案内してネ。アタシ、ちょっと用があるから」
麻衣は石井の世話をすることあっさり放棄して、弁当を抱え小走りに教室から出て行った。麻衣から突然転校生の世話をすることを押し付けられた汐崎は、「はぁ?」と驚いていた。すると石井はスタスタと一番後ろの席まで歩いて行って、こう言った。
「汐崎さん、いっしょにお昼ご飯どうですか? よかったら食堂を案内してもらえますか」
僕はこの教室で、こんなにまともな日本語を聞いたのはサイトーを除いて初めてだった。
「あ、あ、あ、えっと・・・・・・」
汐崎は困ったように僕とサイトーを見た。
「汐崎さん、今日はお弁当なのですか。それだったら仕方ありませんが」
「いや、あの、違うけど」
つい最近まで誰とも話さなかった汐崎が、しどろもどろに喋っているのはある意味不思議な光景だった。それを見てサイトーはニヤニヤ笑っている。僕の前の席にいる大西まで、チラッチラッと神経質な視線を二人に送っている。
「石井さん、僕らもいっしょに食堂に行くよ」僕は慌てて助け舟を出した。
「サイトーもいっしょに行こうぜ。今日は弁当じゃないだろ」
「おう!」サイトーは元気よく立ち上がった。
汐崎もしぶしぶ立ち上がり僕たちについてきた。僕が知る限り彼女は高校の食堂に行ったこともなければ、他の誰かと昼食をとったこともない。昼休みは大抵一人で自分の席に座ったままぼんやりと外を眺めている。たまにコンビニで買ったパンを食べ野菜ジュースを飲んでいることもあったけど。
僕たち四人が教室を出たところで小藪がついてきた。
「サイトー君、中島、食堂に行くの? あれれっ」
小籔はいっしょにいた石井と汐崎を見て、少しばかり怪訝な表情を浮かべた。
「何だか珍しいメンバーじゃねえか。汐崎、おめえも飯食いにいくのかよ」
例によって小藪の左肩に自分の右肘を乗っけて、高橋がニタニタ笑っている。
汐崎は高橋の挑発を「フン!」 と顔をそむけて無視した。すると石井は困った表情を浮かべ「汐崎さん、私と食堂にいくこと迷惑でしたか?」と訊いてきた。
「あっ、いや、別に」
汐崎はちょっと言いにくそうに答えた。
「おい中島、渡辺のブスがいねえじゃねえか。いつもおめえらにくっついてんのによぅ」
「麻衣は弁当もって、どっかへ行ったよ」
「ケッ、あのバカ、また誰か気に入った男ができたんじゃねーのかぁ。ちょっと前まで死んだ奴のことでへこんでたくせによ!」
高橋は吐き棄てるように言ったが、その言い分はもっともだと僕も思った。僕の幼馴染はよく理解不能な行動をする。
「高橋君は渡辺さんのことよく気にするけど、何かあるの?」小心者の小藪にしては大胆な発言だった。
高橋は一瞬無表情になり、そしていきなり「てめえーっ! 何言ったぁ!」と叫びながら小藪の首を両手でぐいっと絞めその小さな身体を持ち上げた。
「ううっ、ゴメン、ゴホゴホッ」
小柄な小藪は高橋の両手を引き離そうと身体をバタバタさせた。顔面もタコが茹で上がったように赤くなってきた。
僕は高橋の右手を軽く叩いて「もう、やめろよ」と言った。高橋は僕を見て隣のサイトーを見て、両手の力を緩めた。
「ゴホゴホゴホッ。はーぁ、高橋君ひどいよ」小藪は四つんばいになって、喉の奥からヒーヒーという耳障りな音を出しながら、何回も大きく息を吸い込んた。
「ざけんじゃねーぞ」高橋は小藪を見下ろしながらわめいた。どうやら奴は本気で怒っていたようだ。
この高校ではこんな暴力行為は些細なことだった。だけど免疫のない石井にとってはショックだったのではないかと、僕は彼女の表情を伺った。だが彼女は高橋の粗暴な振る舞いを見ても、別に動揺した様子を見せなかった。
僕たちは食堂の自動販売機で食券を買い、それぞれ注文した料理を白いトレーに載せ同じテーブルについた。僕はそのとき周囲の目がこちらに注がれていることに気づいた。それは転校前の制服を着ている石井の存在が注目されているのかと思ったが、そうではなかった。それらの視線は汐崎に注がれているのだ。(それから女子生徒がサイトーをチラッチラッと見ていたが)コンビニにいるときもそうだけど汐崎はどうしても目立ってしまう。
ガヤガヤとした雰囲気の中、汐崎は表情を変えずにミートソースのパスタを食べ始めた。その様子をサイトー、小藪、そして高橋までもが見ていた。
「みなさん、どうしたのですか?」
石井は不思議そうに、箸をつけずにぼんやりと汐崎を眺めている三人に問いかけた。その言葉に彼らははっと気づいたように食べ始めた。
「イヤダーッ、センパーイ!」
僕の後ろから聞き覚えのある甲高い声が聞こえた。振り向くと麻衣が僕らから三つ離れたテーブルの椅子に座っていた。そこで坊主頭の頑丈な身体をした数人の男子生徒たちと楽しそうに話している。
「ケッ! なんだあ、渡辺のブスは」
高橋は鋭い目で麻衣のいる方を睨みつけた。それから不味そうにうどんをすすり始めた。
「中島、渡辺さんといっしょにいるのは野球部の奴らだよ。渡辺さんの隣はドラフト候補の神山だし」
小藪も少しばかり不満そうに言った。
「麻衣はミーハーだからなあ」と僕は言いながらも、麻衣の行動に何かひっかかるものを感じた。
「野球部ってちょっと前、部員の人が事故で亡くなったのですよね」
転校してきたばかりの石井が小さな声だがはっきりとそう言った。
「えっ、石井さんも知っているの?」
小藪は周囲を警戒しながら、かすれた小さな声で訊き返した。
「少し前、テレビで校長先生の記者会見を見ました。それから新聞にも載っていました。やはり自分が転校する高校だから関心がありましたし」
石井の優等生的発言に僕も小藪も高橋もそしてサイトーまで感心してしまった。僕はどうしてこんなまともそうな女の子が、この高校に転校してきたのだろうと心の中で首をひねった。
その間も汐崎はひとりパスタをモグモグと食べていた。
「ねえ中島、サイトー君。渡辺さんは田村って人が死んだとき相当落ち込んだじゃない。それに野球部でイジメがあったとか言ってたでしょ。それなのにあの態度。どうしちゃったんだろ?」
小藪は麻衣と野球部員たちを見て不満そうに言った。
「ケッ! あのブスはバカだからそんなことすぐ忘れるんだよ。落ち込んだときも俺がサイトーに蹴られたあと、あのブスはサイトーに抱きついてキャーキャー言ってただろ」
「えっ、高橋君、サイトー君に蹴られたのですか?」
きつねうどんを食べ終え、ハンカチで口元をぬぐっていた石井が興味深そうに訊いてきた。(すでに高橋の名前を覚えている!)
「ハン! 大したことじゃねーよ。おい、石井。お前は転校したばかりでわかんねえだろうが、こいつらには気をつけろよ」
「こいつらって?」
高橋はそれには答えず、汐崎とサイトーに向けて尖った顎をしゃくった。石井はその意味がわからないのか首を少しひねった。
「人を見かけで判断するなよ。なあ、俺なんかより汐崎やサイトーの方が相当ヤバイぜ」
「えーっ、そうですか?」石井はきょとんとしてサイトーと汐崎を見た。
「小藪ぅ、こいつらはすぐ暴力を振るう危ない奴だよなあ」
「えーっ、でも」当然小藪は納得していなかった。サイトーは高橋の言い分を面白そうに聞いている。汐崎はまだモグモグとパスタを食べていた。
「へぇ、そうなのですか?」知的な雰囲気を持つ転校生は高橋の話を興味深そうに聞いていた。
そのとき「エーッ! ホントですかぁ。ウレシー」麻衣のはしゃいだ声が僕らのテーブルまで届いた。僕は麻衣がいるテーブルを見た。そこでは彼女のつくった弁当を野球部員たちが美味しそうに頬張っていた。気がつくとサイトーも小藪も高橋もそして汐崎さえも麻衣たちの様子を不思議そうに見ていた。
担任の赤木が言ったように、今年の野球部は強かった。超高校級スラッガー神山を中心とした打線の破壊力は県内随一だ。また試合中ベンチの中に田村の遺影を持ち込み、話題づくりにも抜け目がなかった。
母校の野球部の快進撃は、それほど野球に興味のない人間をも興奮の渦に巻き込んでいく。僕のクラスでも多くの人間が熱に浮かされたように応援に参加していった。あれほど野球部を嫌っていた丸尾も嬉々として応援バスに乗り込んでいたし、彼の取り巻きも当然のように同行していた。情報屋の小藪も決勝戦まで毎回応援に行っていたし、サイトーも二回ほど野球場に行っていた。
小藪の調査では野球部の応援に一度も参加していない人間は、このクラスでは四人だけだった。その四人は僕に汐崎に石井、そして高橋だった。(もっとも一学期が終わるまで、高校に来なくなった人間は数人いたけど・・・・・・)
麻衣は金色に近い茶髪を黒く染め直し、制服のスカートの長さも校則どおりに直した。そして応援席の最前列で一生懸命応援していた。僕はテレビで彼女を発見して仰天した。その姿はまさに熱い(鬱陶しい?)高校球児を必死で応援している可憐な女子高校生そのものだった。麻衣はマスメディアが求める女子高校生を見事に演出していた。




