12月の陽光
教室の時計を見ると午後4時30分を少し回っていた。学園祭の企画は4時までなので、僕らも「何でも占い喫茶」の後片付けを行っていた。もともと大した企画ではない。だから後片付けも既に終わりかけていた。
僕は何となくサイトーとの距離感をつかめないでいた。チラッチラッと彼を見ながら、どう話しかけようか、どう接しようか思いあぐねていた。けれどサイトーはそんな僕を気にする風もなく、颯爽と動き回っていた。あいつは後片付けの掃除も華麗にできるのだ。
教室内には僕らのグループ以外はもう誰も残ってなかった。他の奴らは「打ち上げだぁ!」とか言って何処かへ行ってしまった。それもこの企画で儲けたお金を持って。
「もうーっ、これぐらいで止めようよ」小藪が不平を漏らした時、ガラッと教室のドアが開いた。
「掃除は終わったところかな?」
野球部のブレザーを着た大西秀太は、教室をゆっくりと見渡しながらそう言った。僕の近くにいた汐崎は反射的に僕の後ろに移動した。麻衣は一瞬顔をしかめ奴を睨みつけた。
意外な訪問者はそんな周囲の反応を気にすることなく、机を拭いているサイトーの方へ歩み寄った。
「何か用ですか」サイトーの声は明らかに無愛想だった。
「斎藤君の手相見はよく当たるって評判だから、僕も見てもらおうかなってと思い、ここに来たのさ」
「もう学園祭の企画は終わりましたよ。それに僕の手相見なんていい加減なモノですよ」
「そうかな? 僕と君との仲じゃないか。ともかく僕の手相を見てくれない、お願いするよ」
(僕と君との仲?)その場所にいた僕らは驚いた。麻衣と小藪はもちろん僕の背中に隠れていた汐崎も呆然と彼ら二人を見つめていた。
「僕とあなたとの仲ってどういう意味ですか。そんな関係は何もない」
「おやおや、冷たいなあ。斎藤君、僕のストレートを完璧に打ったのは君だけだよ。それもバックスクリーンに」
「それは中学の話じゃないですか。それに野球の対戦相手だっただけでしょ」
「そうかな?」
「何ですか!」サイトーは明らかにイラついていた。僕はこんなサイトーを見たのは初めてだった。
「ゲーム終了後、『ナイスバッティング』と僕が声をかけたよね。そしたら斎藤君、君は嬉しそうに笑って僕に『ナイスピッチング』と言ってくれたじゃないか」
「誰だって褒められたら嬉しいでしょ。それにあれは儀礼的なものだし。それよりも、あなたはそんなことを言いに来たのですか?」
「ウーン・・・・・・」大西秀太は腕組みをすると何もない天井を見上げた。まるでスタジアムのマウンドから快晴の空を見上げているように。
「斎藤君、君がこの場所にいるとは驚きだ」
「エッ?」サイトーは意表を突かれたような顔をした。
「僕は君のことをよく覚えていた。それはホームランを打たれたってことだけじゃないけどね」
その言葉を聞いてサイトーは少しずつ冷静になってきた。僕らの周囲の空気も張り詰めたものが消えていき、呼吸が楽になってきた。だけど汐崎は相変わらず僕の背中に隠れて、僕の背中の制服を左手で固く握りしめていた。
「カオルってヤキューやってたんだぁ」麻衣がボソッと呟いた。
彼女の隣にいた小藪が「僕も初めて知った」と驚いていた。
僕たちはいったいサイトーの何を知っているのだろう。いつも僕たちが困った局面に立たされると、彼が颯爽と現れて鮮やかにその問題を解決してくれた。ハンサムで頭脳明晰でカッコよくて感じがよくて、いつも穏やかな微笑みを浮かべている男子高校生―だけどそれだけしかサイトーのことを僕たちは知らないのだ。(たまに悩んだ顔や熟慮している様子は見られるけど)
そして今、僕は彼に対するいろんな感情に翻弄され、その場に立ち尽くしていた。
「斎藤君、健一は何故死んでしまったか、その原因がわかるかな」
大西秀太の言葉に僕は現実に引き戻されてしまった。
だがサイトーは驚く様子もなく小藪が使っている机の上に腰を下ろした。そして名探偵が謎解きをするように顎に右手を当てた。
「あなたはそのこと訊くために、ここへ来たのですか」
大西秀太は無言で頷いた。
「僕はね、大抵のことは理解できる。それから自分の知りたいことがあれば、何故だが気を利かせてくれる人達がいて僕に教えてくれる。確かに全ての物事は移り変わっていくけど、そのことも分かっているつもりだ」
「だけど大西健一のことはわからないと」
「理解しているかもしれないし、理解していないかもしれない」
「それを僕に判断しろと?」
「ご明察」
この二人の会話はいつもスムーズだ。たった数回しか会っていないはずなのに、僕にはまるで仲の良い双子のように見えてしまう。
(大西健一が死を選んだ理由なんて誰がわかるのだろう?)
その答えに最も近くに居る人間が、この二人なのだろう。僕らはいつ二人が口を開くか待っていた。しかし二人はなかなか話し始めなかった。
その間ずっと汐崎は僕の制服を握りしめていた。
汐崎はこの場所から逃げ出したいのだと僕は思っていた。だけど、彼女はそれができない。僕にしても汐崎をこの場所から連れ出したかった。大西秀太から彼女を遠ざけたかった。でも、それができない。
「私は秀太の言うことに逆らうことができないのです」石井圭は予言していた。
大西健一はこの街から出て行くと言っていた。だが、この街の川の中で死んでしまった。
「ねえ斎藤君、生と死の違いは何処にあるのかな?」
サイトーは少しの間、その質問に答えなかった。
「生は死に含まれ、死は生に含まれていると云うことですか?」
大西秀太もしばらく沈黙を守った。
「健一は生と死の境界線が曖昧だった。この世界の否定的な感情や思考がダイレクトに彼の中に入って来たからね」
「それはあなたも同じでしょう」
「そういったネガティブなものをまともに受け止めてしまう人間と、それらを梃子に活用できる人間がいる。健一は残念だけど前者だった」
「そしてあなたは後者だと・・・・・・」
「君もそうだろ」
今、僕たちはこの世界の特別な部屋に居る、そんな気がしていた。僕たちは知らないうちに大西健一の呼吸のリズムに同調していた。いやそれはサイトーのリズムだったかもしれない。僕たち六人が一つの生命体のように繋がっていた。汐崎は相変わらず僕の制服を掴んでいたが、彼女の体のこわばりは消え去っていた。
「田村春生はあらゆるものを憎悪していた。どうして彼があれほどの憎しみを抱えていたかわからない。だけどね、斎藤君、憎しみがあるレベルを超えてしまうとその対象が外から内に変わってしまう。田村は自分が憎くて仕方がなかった」
「だからあなたがプールに誘った」
「さあ、どうかな・・・・・・」
僕はまた身体の奥底に黒い石があることを感じていた。その黒い石は鈍い光を放っていた。大西秀太とサイトーの対話は続いていたが、それはある一人の人間が自問自答しているように聞こえてしまう。
僕の背中を引っ張られる感覚があった。「どうした・・・・・・の?」汐崎の低い声が耳元で聞こえた。荒い息が静まっていく。
「僕としては健一に変わってほしかった。僕らのように成れると思っていた。しかし健一は中島君が気に入ってしまった。正確に言えば中島君のやり方が好きになってしまった」
「エッ!」その場の雰囲気にそぐわない声が、僕の声帯から飛び出た。
「僕としては、そんなに苦労して生きていく必要は感じないけどね」
大西秀太がため息をついた。
「もういいでしょう」
サイトーの言葉に大西秀太は背を向けた。
「ああ、それから少年院にいる高橋君に伝えておいてくれないか。神山先輩の傷は完治したと。それからやはりナイフに刺されると痛かったとも」
意外な来訪者は十一月の闇と共に消えてしまった。それでも汐崎は僕の服を掴んで離さなかった。僕が振り返ろうとするとサイトーと目が合った。
「中島も苦労するなあ」サイトーは笑っていた。
「チェ」奴は僕の黒い石まで見えているのだ。
一週間後、大西秀太はこの高校から姿を消した。正確には翌週の月曜日からだけど彼は文字通り消えてしまった。当然、学内は騒然となり様々な憶測が乱れ飛んだ。これだけ情報網が発達していても肝心なことはわからなかった。
十二月に入っても彼の消息はわからなかった。時間が経過しても彼にまつわる話は続いていた。
「しかし彼は情報操作も天才的だな」サイトーは呆れ顔をして呟いた。
テスト期間も終わり、のんびりした放課後だった。いつものメンバーでたわいもない話をしていると、岡本先生が周囲を伺いながら歩み寄ってきた。
「大西秀太君はボストンレッドソックスとマイナー契約したらしい。事実かどうかわからないけどね」彼女はそう伝えるとニコッと微笑んだ。
「アレッ、センセ、メガネ違う」
麻衣が岡本先生の顔を覗きこんだ。確かに眼鏡のフレームがいつもの野暮ったい黒ではなく深い赤色だった。
「どう? 少しは賢そうに見えるでしょ」
岡本先生は眼鏡のフレームを小さく動かした。
「センセ、誰かに似てる」
麻衣が一生懸命誰かを思い出そうとしていた。そう誰かに似ているのだ。サイトーも気づいたらしくニヤニヤ笑っている。
「サイトー、お前もニューヨークヤンキースの入団テストを受けてみれば」
「フフーン」奴は僕の冗談を受け流し、麻衣と小藪はポカンとしていた。
汐崎は眠そうな目をして外を眺めていた。
粉雪が舞っていた。バイトに行く道が寒くて辛い。
「シュータの奴がアメリカでピストルに撃たれたって、タカハシに言ってやろうかな」麻衣は何かの用を思い出したように教室から飛び出て行った。
「麻衣と高橋、仲良くなったなぁ。アイツらつきあっているのか」
するとサイトーと小藪が目配せしている。小藪がプッと吹き出している。何故だ?
腕時計を見るとバイト先に行く時刻だ。慌てて駐輪場に行くと汐崎が追いかけてきた。彼女はハアハアと息を吐きながら茶色い紙袋を僕に手渡した。紙袋の中にはグレーのマフラーがあった。
「まだ、こんな色しか編めないけど・・・・・・」
僕は首に灰色のマフラーを巻いた。
「俺、この色好きだし」
校庭に落ちていく雪は牡丹雪に変わっていた。
「汐崎、傘貸そうか?」
「・・・・・・」
僕はデイバッグから折りたたみ傘を出した。
「ホントに持ってる」汐崎は笑った。
「ヤバッ、バイトに遅れる!」僕が自転車を漕ぎ始めようとすると、左腕を抱きかかえられていた。
「今度の日曜、どっか行こう」
「エッ?」僕は少しぬかるんだ地面に足をつけた。
「だから、一緒に、どこか・・・・・・」
汐崎は怒った振りをして真っ直ぐ僕を見た。
「OK」
僕はペダルをゆっくり踏みながら答えた。
降っている雪は少なくなり、灰色の雲の隙間から冬の青い空が覗いている。
十二月の陽光が雲の端を白く照らしている。
風は僕の頬を切り裂くように冷たい。
振り返ると汐崎はまだ校庭で青い傘を広げて立っていた。




