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僕らの時代  作者: 西野了
20/21

僕の胸の奥にある黒い石

 汐崎が高校に姿を現したのは翌週末、学園祭当日だった。

 僕らの高校はスポーツエリート(?)校なので、全国大会常連の野球部やサッカー部は何だかよくわからない派手なイベントを開催していた。その集客数は凄い。文化系のコーラス部や演劇部も大ホールで多くの観客を集めている。(ブラスバンドは野球部の方へ行っている!)

 僕らのような問題児クラスはしょぼい企画でお茶を濁しているかといえば、そうでもないのだ。問題児は問題児なりにユニークな企画でかなり盛り上がっている。学校側も落ちこぼれ達を野放しにして問題が起きてしまうよりも、ある程度好き勝手にやらせた方がリスクが少なくなると判断したのだろう。

 僕のクラスは「何でも占い喫茶」というファジーな企画をやっていた。誰が発案したのか分からないが、手相、タロットカード、生年月日(星座)、はたまたスマホの電話番号占い等などメニューだけは豊富だった。

 一番人気はもちろんサイトーの手相見だ。喫茶のドリンク券を買うとオプションとして占い券となる。そして女子生徒は全員サイトーの手相見に殺到する。(奴の手に触れられる特典付きだ)

 サイトーはこの企画が決まった翌日から、購入した手相の本を難しい顔をして読んでいた。僕なんかは、(そんなの女子が好きそうな恋愛運とか結婚線とかを適当に話せばいいじゃん)と思うのだが、奴はその手のいい加減さが嫌いなのだ。もっとも実際はサイトーの手相見に長蛇の列が出来てしまい、ワンドリンク=五分間の時間制限になってしまった。(しかし五分間で手相なんか見れるのだろうか?)そしてその時計係を雑用係の小藪と僕がやるはめになった。

 小藪がタイマーを見ながら「あと三〇秒です」と告げると女子生徒は必ず「えーっ」と不満の声をあげた。そして僕が「あのぅ、スミマセン、時間です」と遠慮がちに言うと、それまで和やかだったお客はクレーマーに豹変し「えーっ、まだあるでしょ!」とか「あなた、ちゃんと計っているの?」とか言って時計係を口撃するのだ。

 そしてドリンク券を一度に四枚五枚と買う知能犯が現れてきた。一人のお客に二〇分以上時間を費やすことになると、限られた時間内では数名しか対応できなくなってしまう。小藪と僕がその事であたふたしているとサイトーがいつもと変わらぬ涼しげな表情で現れた。それから知能犯たちに向かって爽やかな笑顔を見せてこう言った。「どうか、他の占いの方も覗いてくれませんか?」「明日も今日の続きを五分間させてくださいね」等など。

 サイトーにそう話しかけられた知能犯たちはマインドコントロールされた新興宗教の信者のように、彼の言った通りに行動し問題は瞬く間に解決した。僕はサイトーの鮮やかな問題解決の光景をこれまで何度も見てきたが、毎回(どうして、あんなことができる?)と疑問に思う。まあしかし事態が複雑な展開にならなかったことは、良いことではある。

 汐崎はなぜか喫茶店のウエイトレスをやっていた。麻衣から強引に頼まれたわけだが、本人もあまり嫌がってはいなかった。しばらく休んでいた彼女にとって、いつもの退屈な授業よりもこちらの仕事の方がよかったかもしれない。夏休みのバイトの経験も生かされたわけだし。

 ただ学園祭の開放的な空気のためか、男子生徒どもが「涼子ちゃーん」だの「汐崎さーん」だの馴れ馴れしく呼ぶのは僕としては気に食わない。いつもはツンツンと尖って人を寄せ付けない汐崎も、今日は微笑みを浮かべながら接客している。僕としては複雑な気分だ。それとも彼女の中で何か変化があったのだろうか?

「コーイチ、リョーコばっか見て! イヤーねえ」

「見てないよ」

「ちゃんと働いてる?」

「働いてるよ」

 サイトーと汐崎の人気で店は驚くほど繁盛している。いつもは勝手な行動ばかりしている丸尾たちも、嬉しそうに仕事をしている。奴らはこの企画で儲けたお金の使い道を今から考えているのだろう。

 僕らは交代で軽い昼食をとっているのだが、僕と麻衣はたまたま同じ休憩の時間帯になってしまった。

「やっぱ、チョー忙しいのはカオルとリョーコ、それからアタシのおかげね」

「お前は違うだろ」

「アラ、アタシは意外と人気があるのよ。特に年上には」

「ハイハイ、わかりました」

 僕は適当に相槌を打ちながら玉子とツナのサンドイッチを頬張った。それからアイスコーヒーを飲んで一息ついた。

「タカハシ、どうなるのかな」

 麻衣にしては珍しく低い声でボソッと言った。

「わからない」

 僕は高橋が起こした派手な事件が、既に忘れ去られつつあることに気づき驚いた。メディアを通じて衝撃的な事件だったのに、神山の美談ばかり取り上げられ、高橋は世間から掃いて捨てられていた。

「あの人達・・・・・・アイツら。何モノだろう?」

「アイツらって神山と大西秀太のことか」

 麻衣はマグカップを両手に持ちながら頷いた。クリーム色のマグカップにはホットミルクが少し残っている。

「アイツら、ホントに優しいときもあった。アタシが野球部にベントー持っていったときとか、嬉しそうに食べてたモン」

「そうか」

「シュータはチョー優しかったし」

「フーン」

「何よ、コーイチは! アタシの言ったことウソだと思ってるでしょ!」麻衣はつぶらな瞳でジロリと僕を睨んだ。

「いやいや、そんなことはないよ」僕は慌てて幼馴染の言葉を否定した。

「フーム」彼女はそうため息をつくと静かになった。僕はその間に野菜サンドイッチを食べアイスコーヒーを飲んだ。

「アタシ、あの時、死ぬかと思った」麻衣は無表情で言った。

「ん?」僕は麻衣が何を言い出したのか数秒間わからなかった。

「神山たちに階段から突き落とされたことか?」

「フワッと浮いた。アタシのカラダ」

「エッ?」

「だからァ、アタシが階段からシュータに突き落とされたトキにぃ」

「お前を突き落とした奴は神山じゃなかったのか?」

「最初そう思ったけど」

「けど?」

「手の感触、シュータのだった」

(どうしてお前が大西秀太の手の感触、わかるんだよ)僕は胸の中でブツブツ文句を言った。(そういえば、こいつ、大西健一の告別式の時に神山に吹っ飛ばされたっけ。だから違いがわかったのか!)そんなことを考えながら視線を前に戻すと、目の前の幼馴染は少し憂いを帯びた表情で話を続けた。

「トンって腰のあたりを触られたら階段の上の方に浮かんでてェ、それからギューンと落ちていって・・・・・・。あの手のカンショク、シュータのだモン」

 麻衣はそこまで話すとマグカップに残ったミルクを一口飲んた。

 僕は麻衣の話を聞きながら、何か硬い塊が頭の片隅に引っかかっているのを感じた。

「アタシ、落ちていくとき、悲しーような淋しーようなナンカ変な気持ちになった。アッ、ダメッと思ったときカオルが『危ない! と感じたときは体を丸めるのだよ』って教えてくれたこと、思い出した」

「それで、あれだけのケガですんだってわけか」

 僕は独り言のようにそう言ったわけだが、背筋に冷たいものが走った。

「アタシ、落ちてく時、半分死んでる世界にいた気がした。そのことオーニシもわかったんじゃないかな」

「エッ?」こんな理屈っぽいことを言う麻衣を僕は初めて見た。

「オーニシ、あの時、ブルブル震えてたモン」

「それはお前が大ケガしたからだろ」

「違うモン! 絶対違うモン!」

 麻衣の大声に周囲の人間は一瞬僕らの方を見た。

 汐崎も少し驚いたように僕を見た。僕は意味もなくて頷く仕草をして、彼女に(大丈夫)というサインを送った。

「オーニシも死んでる世界、見たんだよ・・・・・・。何もないシンとした静かな世界」

 僕の前の席に座っていた、かってのクラスメートは既に僕らの住んでいる世界から退出していた。彼は時々学校に来て、背を丸めて静かに座っていた。クラスのほとんどの人間が彼と話をしなかった。いや、彼の存在すら意識していなかった。だけど僕は彼を嫌いじゃなかった。何故だろう?

「・・・・・・コーイチ、コーイチ」

 気がつけば頬を膨らませて上目遣いで、またも僕を睨んでいる麻衣の顔があった。

「何、ボーッとしているのよ」

「いや、別に」僕は頭の中から大西健一の姿を振り払った。

「ハァーッ、まあ、いいわ」麻衣は小さくため息をついた。

「アイツら、絶対マトモじゃない」

 世間一般から見れば、大西秀太、神山の方が麻衣よりはるかにマトモだと思われるだろう。いや、そもそも比較の対象にすらならないはずだ。

だけど麻衣の言っていることは正しいと思う。彼らは人間離れした能力はあるけど、人間として明らかに何かが失われている。そしてその失われているものは、優しさだとか暖かさなどという言葉では表現できない複雑なものだと僕は感じていた。

「シュータ、『つまらない』って言ってた」

「ハア?」

「だから、シュータの奴がアタシに言ったの。『毎日つまらない』って」

「どうしてあいつがそんなこと言うんだよ。あいつは凄い野球の才能があってハンサムで頭がよくて、それから人気があって。いったい何が不満なんだ?」

「知らないわよ。あんな奴の考えてるコトなんて!」

 麻衣は例によってプイッと顔を背けた。

「それは神様が凄い才能と引換えに、彼の心の一部を欠落させてしまったのさ」

 僕の背後からサイトーの芝居がかった声が聞こえた。サイトーは占い師定番の妙な着物を着ていたが、やはり似合っていた。こいつに似合わない服は世界中に一着もないような気がする。

 汐崎とサイトーはコーヒーカップとサンドイッチののった白いトレーを持って、僕らのテーブルについた。テーブルといっても机を寄せ集めたものだけど。

「ネーッ、カオルの言った通りアイツはココロを持たないヤキューロボットよ」

 僕は(サイトーの言っていることは、そういう意味じゃないぞ)と思ったが当然黙っていた。それよりも汐崎がこの話題を嫌がるのではと不安になり、隣の彼女に視線を移した。汐崎は僕の無言の問いに応えるように小さく笑った。

 その時、僕の目の前を丸尾の巨体が横切った。その瞬間「カチッ」という音が頭の中で響き、僕の中で何かが繋がった。

(人気者・整った顔立ち・ナイススタイル・優れたファッションセンス・頭脳明晰・突出した能力・そして体がフワッと浮いた!)―僕の脳は高圧電流が流れたように白くスパークした。

(ありえない!)と胸の中で叫んでいた。冷静になれと僕は自分自身に語りかけた。



(「パンッ!」という軽やかな音が響くと同時に、太った丸尾の身体が宙に舞った。百キロを超える丸尾の巨体がフワッと浮いたかと思うと・・・・・・)


(「フワッと浮いた。アタシのカラダ」

「エッ?」

「だからアタシが階段からシュータに突き落とされたトキにぃ」・・・・・・)



 僕は目の前に座っているサイトーと大西秀太が同一人物のように思えてしまった。二人の姿が重なり、また離れ、そしてまた重なり、また離れていく。サイトーが大西秀太で、大西秀太がサイトーで、サイトーが太西秀太で。周囲は急速に色彩を失っていった。暗い闇の中を落ちていく喪失感・・・・・・。僕はまた誰もいない場所にいる。

「コーイチ! コーイチ!」

「中島?」

 気がつけば麻衣と汐崎の心配そうな顔が目の前にあった。

「ドーしたのよ? 急に真っ青な顔してイっちゃったみたいな目をして」

「エッ?」僕はわけが分からなくなっていた。

「中島、お前、突然意識が飛んだみたいで、俺たちが語りかけても何も反応しなかったぞ」サイトーの声は相変わらず静かに低く響いて僕の耳に届いた。しかしその声を聞いても安心することはできなかった。

 僕はまるで虚数世界に放り込まれ、自分の現実感覚を失ってしまったようだった。薄い空気を吸い輪郭が曖昧なモノを眺め、そして意味を持たない言葉を聞いていた。いったい何が現実で何が幻想なのだろう? 地面の小石が急に大きな岩になったり、目の前の風景が白く濁って脈打つように蠢いたりしている・・・・・・。

 今という時が過去になり、次の今も過去になり、その次の今も過去になり、今という時点は無限の連鎖のように過去に繋がっている―そんな思いにも囚われている。

 それでもやはり時間だけはいつもと変わらず前に進み続けて、気がつけば学園祭一日目が終わっていた。

 日が暮れて秋の闇に包まれても、多くの生徒が学校に残っていた。

(アイツらは何をしているのだろう?)グラウンドの片隅にある古ぼけたベンチに座りながら、僕は真っ白になった頭の中でそれだけを思っていた。

(いつからこの現実世界に溶け込めなくなったのだろう? どうしてこの世界は僕を受け入れてくれないのか?)僕はこれまで数限りなく自分に問いかけてきたことを、今も無意識に繰り返し問いかけている。

 グラウンドは照明が点灯し明るくなっている。特設ステージの上で十人くらいの生徒が手に資料を持って話し合っている。明日もこのステージで様々なパフォーマンスが行われる。ステージ上で忙しく動き回っている彼らが、まるでおとぎ話の小人のように見えてきた。必死にお姫様のために働き、そして裏切られて悲嘆にくれる哀れな小人たち。

 僕の左頬に冷たいモノが流れている感触があった。何だろうと指先でそれを確かめてみた。その冷たいモノは涙だった。僕は知らないうちに涙を流していた。僕は拭った涙の指先をしばらく眺めていた。

(この前、涙を流したのはいつだったのだろう?)

 僕は今日より以前に泣いた時のことを思い出そうとした。だけどそれは上手くいかなかった。記憶の蓋は固く閉じられ、今の僕の力では開きそうになかった。ともかく久しぶりに僕は涙を流したのだ。

「クィ」と左腕の学生服を引っ張られる感触があった。僕は引っ張られる方向を向くと、覗き込むような汐崎の瞳があった。彼女の形の良い紅い上唇のほとんどが隠れている。歯を噛み締めているのだ。そして上目遣いで怒った振りをする。

「どうしたの、かな?」

 汐崎らしくない言葉に僕は危うく吹き出しそうになった。

「心配してるのに」彼女は口を尖らせた。

「ごめん」

 しばらく僕も汐崎も口を開かなかった。

 いつの間にかステージ上に人はいなくなった。でもほとんどの教室には灯りが点っていた。

「サイトーと大西秀太は同じ人間じゃないよな?」

 僕は無意識のうちに汐崎に訊いていた。

 汐崎は一瞬僕の目を見た。それから俯き、眉間に皺を寄せるように険しい顔になった。

「多分、別々の人間」

 彼女は俯いたままそう応えると僕の左手を両手で包んでくれた。白くひんやりとした二つの手は小刻みに震えていた。

 そして僕らはまた黙り込んでしまった。少しずつ十一月の寒さが空から降りてきた。地面からも冷気が這い上がってきた。

「私、今も、ときどき自分が、どこにいるか、分からない」

 汐崎の語り口は靜かで丁寧だった。

「なぜ私、ここに居るのだろうと、思う時もある」汐崎の両手はまだ震えていた。 

「中島もそう?」

「あっ、うん」

「でも・・・・・・、中島達といると、そんなこと、考えない」

「そうか」僕は汐崎の言葉を聞くと、自分の頭の中の混乱が少しずつだけど整理されていく感覚を覚えた。

「斎藤もその一人だから・・・・・・。あんな奴とは違う」

「うん」

 僕の目の前にある風景は少しずつ現実感を取りもどし始めた。何よりも汐崎の掌が僕とこの世界を辛うじて繋げていた。

 それでも僕の胸の奥深くには、重くて硬い真っ黒な石があった。この黒い石を砕いて消し去ってしまいたいけど、ずっと体の中にある。いつからこの黒い石があったのか分からない。僕が激しく混乱したり現実感を無くしたときに、この黒い石の存在に気づいてしまう。

「ごめん、こんな話して」

 汐崎の前では大西秀太の名前を出さないようにと思っていたのに、僕は何故か大西秀太絡みの話をしてしまった。

「ああっ、いいよ」

 汐崎も僕にそう言われて大西秀太のことに気づいたみたいだった。

「中島、すごくショックなことあったんだろ。斎藤のことで」

「うん」

「斎藤とあいつ、よく似てる」

 僕は黙って頷いた。

「同じ人間じゃないけど、二人は繋がってるって疑っているの?」

「・・・・・・」

 汐崎には不思議な強さがある。それは孤独に耐えてきた強さであり、罪の重さに耐えてきた強さなのだろう。そして僕は彼女の不思議な強さに憧れている。

「サイトーを信じれない自分が嫌になった」

「信じきるって難しいっていうか・・・・・・」

「難しいっていうか?」

「簡単に信じる奴はバカだ」

「ハハッ」僕は可笑しくて笑ってしまった。すると汐崎は辺りをキョロキョロ見回した。そして僕の首の後ろに両手回した。次の瞬間彼女の冷たい唇が僕の乾いた唇を塞いだ。

 僕が目を白黒させていると、「元気出た?」と汐崎は悪戯っぽい笑顔を見せた。




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