そして、また一人いなくなる・・・・・・
大西健一の葬儀は二日後の午後から行われた。その日は100パーセントの秋晴れだった。もっとも葬儀会場は冠婚葬祭会社の施設だったので、エアコンが効いている。だから外の天気は関係なかった。
僕とサイトーは清潔な白い椅子に座って、平坦なリズムが続いている読経を聞いていた。
僕らの前方には笑っている大西健一の遺影が祭壇の一番上に収まっていた。遺影の中の大西健一はまだ幼さを引きずっていた。
(小学生時代の写真だろうか? まさか・・・・・・)
僕はそんなことを思いながら昨日の出来事を思い出していた。
五時限目の日本史の授業が終わった後、岡本先生が足早に僕の机の前に来た。それから僕の机にメモを置いた。
「このメモに大西君のお葬式の時刻と場所を記しています」
彼女はそれだけ告げると、またもや足早にその場から離れていった。
僕は岡本先生の突然の行為に驚いてしまった。なぜ彼女が僕に大西の葬式のことを知らせてくれるのだろうか?
僕はぼんやりと白いメモ用紙に書かれてある葬儀会場の場所を眺めていると、サイトーの端正な顔がぬっと目の前に現れた。
「大西の葬式、行くか?」
「うん」
「俺も行くよ」
そう言ったサイトーは珍しく少しバツの悪そうな表情を浮かべていた。
そういうわけで僕とサイトーは午後からの授業を抜け出して、ここにいるわけだ。
最前列には大西秀太の姿もあった。高校のグラウンドで見ると細っそりとした印象を受けるが、近くで見ると僕とは明らかにサイズが違う骨格をした身体があった。そしてそのシャープな身体は人を威圧するというよりも、人を惹きつける雰囲気があった。やはり目立つ人間は何もしなくても目立ってしまうのだ。例えそれが葬儀に参列しているだけでも、だ。僕の隣にすわっている奴も大西秀太と同類だけど大西秀太のスター性には及ばないかもしれない。
「オイ、あれ」
サイトーが左後方に尖った顎をしゃくった。僕はその行為につられて左後方に首をねじった。僕の視線の先には窮屈そうに椅子に座っている神山の巨体があった。
「どうして、あいつがいる?」
「さあな」
サイトーは僕の問いかけには答えずに、ずっと神山を見ていた。僕もサイトーに合わせて神山を見つめていた。神山は僕らの視線を何も感じていないかのように、感情がそげ落ちた顔を正面に向けていた。
僕は再び前を向いたとき、「ガチャ」という小さな音が聞こえた。
後ろのドアが開き、右腕をギブスで固定し包帯で吊り下げている少女が入ってきた。その隣にはピンク色の髪をした男が付き添っていた。
(ゲッ! 麻衣と高橋。どうしてここに?)
麻衣は右膝に補装具のようなものを装着していて、右足を少しかばうように歩いていた。彼女は神山に気づくと険しい眼で神山を見ながら最後列の椅子に座った。高橋も麻衣につられるように、神山を睨みながら椅子に腰をおろした。二人とも一応制服を着ていたが、麻衣のスカートは思いっきり短いし、高橋のカッターシャツはだらしく上半身を覆っていた。
僕はうしろに座っている幼馴染を気にしながら何とか前を向いていた。隣に座っている奴は麻衣と高橋の存在に気づいているはずなのに、冷静に大西健一の遺影を見つめていた。
葬儀は淡々と進み何事もなく終わった。
だけど僕は落ち着かなかった。大西秀太、神山、麻衣、高橋、そして僕とサイトーが同じ場所にいるというだけで、僕は変な緊張の仕方をしていた。もちろん僕は大西秀太と神山とは面識はないし、彼らは僕のことなんか無関心だろう。だが僕は田村と大西健一の死、麻衣の大ケガによって彼ら二人と関わらざるを得なくなっている。
参列者が帰り始めて、僕とサイトーも席を立ったとき、麻衣と高橋が神山の座っている座席に移動した。座っていた神山は不思議そうに麻衣と高橋を見た。
「アンタ、オーニシにあたしを突き落とさせたでしょ!」
麻衣はほとんど噛み付きそうな顔でそう叫んだ。神山は不機嫌そうな表情を浮かべて、ゆっくりと立ち上がった。そして「どけ!」と言いながら麻衣の肩を何気なく右手で突いた。神山の右手が軽く麻衣の左肩が触れた瞬間、麻衣は仰向けにひっくり返り白い太腿と薄いブルーの下着が露わになってしまった。
「シャー」と息を吐きながら高橋は右の拳を神山の顔面に放った。バシィ! という音とともに高橋の顔が赤くなり、小さく歪んだ。神山のチャッチャーミットのような左手が高橋の右ストレートを受け止めていた。
「僕の従兄弟の葬儀で騒ぎはやめてもらいたいな」
大西秀太は神山の背後からそう言った。そして彼は神山の左手首をやんわりと握った。神山は妬ましいそうな目つきでゆっくりと高橋の左手を放した。
呆然と突っ立ている僕を尻目にサイトーは麻衣を抱きかかえながら椅子に座らせていた。
「アンタ達、一体何だよ! アンタ達のせいで田村先輩もオーニシも死んじゃったじゃねーか」
麻衣は燃えるような瞳で二人を睨みつけた。その言葉に神山の小さな右目がピクっと動いた。
「渡辺さん、君が健一の死を悼んでくれるのはありがたい。僕も君と同じように彼の死をまだ受け入れられない」
大西秀太はまっすぐ麻衣を見つめながらそう言った。
「アンタ、何考えてんだ!」
麻衣は興奮してハアハアと荒い息を吐きながら叫んだ。
「健一は優し過ぎた・・・・・・」
大西秀太の声は冷ややかに僕の耳に染み込んだ。そしてその声は興奮した麻衣を一気に冷やすには十分だった。
「あいつは傷つきやすかった。それもとてもね」
大西秀太はそこにいる人間一人ひとりに語りかけるように、ゆっくりと語った。
「だから渡辺さん、君のような元気な人に、健一はいつも圧倒されていたのかもしれないよ」
「グッ」麻衣は何か言いたそうだったが、何も言うことができなかった。彼女は再び顔を紅潮させて唇を固く噛み締めている。
「だけで麻衣ちゃんは大西にはいつも対等に接していましたよ。大西は繊細だから、そのことはちゃんとわかっていたはずです」
サイトーの声が二人の間を割って入って来た。
「ほお」
大西秀太は目を細めながら、サイトーを注意深く探るように見つめた。サイトーは大西秀太の前に立ち彼の少し冷ややかな視線を受けてとめていた。
「君が何でもできる超優等生の、あの斎藤君か。なるほど・・・・・・」
大西秀太は妙な笑いを浮かべた。
「僕は優等生ではないし、僕ひとりでは何もできない人間ですよ」
「そうかな、君は僕たちと同じ側の人間じゃないのかな?」
大西秀太はそう言うと、麻衣、高橋、僕を素早く見回した。僕は一瞬、そうほんの一瞬だけ彼と目が合った。その目は僕がこれまでに出会った人間の目と全く違っていた。その目の色は僕に深い洞窟のようなものを想像させた。その目には僕の意識が深い穴に引きずり込まれるような吸引力があった。そして僕の胸には捻くれた高まりがあった。
「確かに僕はあなたと同じ人間です。胸の中に何もない」
僕はサイトーが何を言っているのか理解できなかった。麻衣も高橋も僕と同じように感じていたのだろう。僕は何か言葉を発したかった。だけど喉に何か異物が詰まったような感覚があり、何も言うことができない。
「フーン、そうか」
大西秀太は右の唇を釣り上げて笑った。いや、笑ったような顔の造作だけど、そこには高校生とは違ったモノが現れていた。
プロ野球スカウトが将来性抜群と評価する天才投手は、底がしれなかった。(こいつはいったい何者だ?)と思ったとき、僕の口から勝手に言葉が漏れてしまった。
「健一はあなたのことが、やさしいけど怖いって言ってました!」
僕はどうしてそんなことを言ったのかわからず、混乱してしまった。大西秀太は伏し目がちにポツリと言った。
「君が中島君か・・・・・・。なるほど」
自分の名前を呼ばれた僕は、ゾクッとした悪寒が腰骨から首筋に駆け上がるこの感じた。そのとき僕たちは奇妙な静寂に包まれていた。
「おい、行こうぜ」
つまらなそうに神山が大西秀太を促した。大西秀太は小さく頷くと出口に向かって歩いて行った。まるで僕たちが最初から存在しないかのように、颯爽とその場所から消えてしまった。
「何だあ、あの野郎」
高橋は大西秀太が出て行った扉を見ながら呟いた。
「麻衣、どうしてここがわかったんだ?」
「ハア?」
麻衣は例によって僕の言っている意味がまったく理解できないような表情を浮かべた。
「だから、どうして大西の葬式場所を知っているんだよ?」
「イージャン! べつに、そんなこと」
彼女はいつものように顔をプイと横に向けて僕を挑発した。だけど僕は彼女の挑発に乗る元気もなかった。その時、僕は相当疲れてしまったのだ。たぶん・・・・・・。
大西健一の葬儀があった二日後の朝、高校の掲示板には高橋の退学を知らせる文書が貼ってあった。
僕は登校の途中、小藪に引っ張られてその文書を見た。
(またかぁ・・・・・・)
僕の指先から筋肉が弛緩していき、背中、腰、足と力が徐々に抜けていく感覚があった。
世界はいつも僕と無関係に動き、そして僕は呆然とそれを眺めているだけなのだ。僕と関係のある人間は一人また一人と僕のもとを去っていく。いずれ、サイトーも麻衣もそして汐崎も僕の前からいなくなってしまう。お前はどこにも属していない、いつも宙ぶらりんだ。誰かが僕を指さして嘲り笑っている・・・・・・その冷ややかな笑い声が聞こえてきた気がした。
僕の周りの風景は徐々に色を失っていき、灰色に塗りつぶされた風景しか見えなくなってきた。そして僕の腹の奥底に何か異物が詰まっている。
「オハヨ」
照れくささを隠したぶっきらぼうな声が、僕の右隣から聞こえてきた。僕はぼんやりと右を向くと、僕を睨んでいる汐崎がいた。
「また、そんな顔して」
彼女は怒った表情を浮かべていたが全然怒っていなかった。その瞳には何故か悲しみの色すら浮かべていた。
僕は汐崎の声を聞き、その瞳を見つめていると、少しずつ現実感を取り戻していった。
「ふーん、そうだったのか」
僕の左側からサイトーの思慮深い声が響いた。
「サイトー君、何が『そうだった』の?」
小藪が早速訊いてきた。
「いや、別に」
「ねえねえ、どうして今、こんな処分が出ちゃったの? 高橋君何か変なことしたのかな」
小藪の口調は悔しそうだった。
僕らの周りには登校中の奴らが歩いていたが、誰も高橋の退学処分に関心を示す者はいなかった。いつも通りの乾いた無機質的な風景がそこにあった。
時折、女子生徒たちがサイトーをチラッと見て、その友達と何か話しながら歩き去っていった。また汐崎の美しい顔に粘りつくような視線を送る奴もいた。あいつらにとって高橋が停学だろうが退学だろうが、どうでもいいことなのだ。
始業のチャイムが鳴って、僕は居心地の悪さを感じながら教室に入った。黒板に一時限目は自習と投げやりに書かれてあった。最近僕らのクラスは自習が多い。
僕の隣の席には右腕にギブスをはめた麻衣が座っていた。彼女は不機嫌な顔をして、左手で頬杖をついていた。視線はぼんやりと空中を彷徨っている。
「オハヨ」
僕は少し緊張しながら麻衣に声をかけた。
「・・・・・・」
麻衣は無言で僕をジロリと見た。
「麻衣ちゃん、高橋の退学通知、見た?」
サイトーはいきなり核心をついた。
「うん・・・・・・」
麻衣はサイトーに訊かれてもむすっとしている。
「どうして、今頃、あんな処分が決定されたのでしょうか?」
麻衣の前に座っていた石井圭が僕らの方に体を向き変えながら、いつものようにクールな声で言った。
「高橋が野球部の神山にからんだのさ。神山に殴りかかった」
サイトーが石井圭の隣の椅子―(大西健一が座っていた椅子だ)に座りながらそう答えた。
「へえー、そうですか」
石井圭は体の向きを戻しながら、隣のサイトーに視線を向け続けていた。
「石井さん、石井さんは神山が来ること知っていたでしょ?」
「えっ、何のことですか?」
石井圭が一瞬体をこわばらせたように僕には見えた。
「麻衣ちゃん、大西の葬儀を麻衣ちゃんに知らせたのは石井さんでしょ」
「あっ、ああっ、うん」
麻衣はあっけにとられた表情で小さく頷いた。
「何何? ねえ、どういうこと? 何の話なのさ、サイトゥ・・・・・・」
サイトーの前に立っていた小藪が口をつぐんだ。サイトーは無表情で石井圭を見つめていたからだ。
「どうして、大西の葬儀のことを知っているのかな?」
サイトーの言葉にはいつもはない硬さがあった。
「それは、この前岡本先生が教えてくれたじゃないですか」
「場所とか時刻とかは言ってなかった」
「えっ、そうでしたか?」
「岡本先生は中島にメモを渡しただけだ」
石井圭は瞳を閉じ何も言わなかった。
僕は小藪に目配せすると、あいつは首をひねるだけだった。
「君は大西秀太のガールフレンドか?」
僕はサイトーの言っている言葉の意味を理解するためには、しばらく時間が必要だった。いや、僕だけでなく小藪も汐崎も同類だった。
「じゃあケイチャンはわざとあたしに近づいたわけ!」
麻衣が立ち上がって、いきなり左手で石井圭の細い左肩を掴んだ。
「体にさわりますよ」
石井圭は麻衣の左手をそっと掴むと麻衣は顔を歪めた。僕は慌てて麻衣の腰を支えると、あいつは「イタッ」と言いながら椅子に腰を下ろした。
「斉藤君、あなたにだってわからないことがあるのですね」と石井圭は嬉しそうに言った。サイトーは「当然」とカッコつけて答えた。
「ガールフレンドの件はいずれお話します。ただ私は皆さんの敵ではないということだけ言っておきます」
石井圭はそう言うと立ち上がり、サイトーに向かってニッコリと笑った。そして足早に教室から出て行った。
「フーム」
サイトーは珍しく思案顔をしていたが、なぜか嬉しそうだった。
小藪は二人の会話の意味がまったくわからず「ねえねえ、サイトー君どういうこと? どういうこと?」とギャーギャー言っている。
僕の背中を誰かがつついている感触がした。振り返ると汐崎が難しい表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「石井、あたしと同じ」
「ん? 汐崎と同じ?」
「石井、しっかりしてるけど・・・・・・」
汐崎はそこまで話すと僕をじっと見つめた。
僕は彼女の真剣な眼差しに照れながらも必死で考えた。そして自分の薄い胸を指差して「傷?」と言った。
汐崎はコクンと首を縦に振った。
教室は自習時間中なのに、やけに静かだった。
翌日から石井圭の姿は学校で見ることはなかった。大西健一の席も空いていた。高橋の席も空いていた。




