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僕らの時代  作者: 西野了
15/21

今日と明日

「中島ぁ、サイト―君、大西が学校やめたって」

 翌朝、僕とサイト―が教室に着くと小籔はあまり関心がなさそうに言った。

「そっかあ」

 僕は気乗りのない返事をしながら、大西健一が退学したことに内心激しく動揺した。そしてなぜか納得もしていた。チラッと後ろを振り返るとサイトーがほんの少しだけ口を歪めていた。

「あれだけガッコ休んだら留年確実だよね。あいつ、体弱いし。それに比べて従兄弟は野球部のスターかぁ。えらい違いだ」

 小籔のミーハー的な話に適当な相槌を打ちながら、僕は背筋に悪寒が走るのを感じ、そのために生じた震えを必死で我慢していた。

(田村の死に関わった人間はひとり、またひとりと僕らの目の前から去っていく・・・・・・)

「それとも渡辺さんが誰かに突き落とされたのを見て、このガッコ嫌になったのかなあ?」

 僕は小籔の呑気さが少し羨ましくなった。また後ろを振り向くとサイトーはやれやれといった表情を浮かべていた。

 背中に走る悪寒は徐々に無くなっていたが、僕の身体の芯に嫌な冷たさは残っていた。その冷たさは僕をとても疲れさせた。午前八時の時点で僕の一日分のエネルギーが消費されてしまったみたいだ。

「おはよ」

 椅子に座ってうつむき加減だった僕は、その声に引っ張られるように顔を上げた。僕の目の前には白いシャツの上に紺色のベストを着た汐崎が立っていた。

 僕は汐崎の姿を見て正直ほっとした。何の理由もないのだけど、僕はそのとき汐崎までも僕の目の前からいなくなるのではないかと思っていた。

 僕は十六年間生きてきて、いろんなものを失ってきたような気がした。いや、実際様々な大切なものを既に失ってきたのだ。僕の目に映る世界は全てつくりもので、いつかは消滅するとわかっている・・・。その考えはまったく根拠のない妄想だと思っていても、僕の頭の片隅に常にへばりついている。

「おはよ」

 僕は反射的に応答した。

「あのさ、汐崎」

「ん?」

 汐崎が小さく顔を動かすだけで僕の胸は痛んだ。

「大西健一が退学した」

「ふーん」

 彼女は僕がなぜそんなことを言ったのか、わからないようだった。そして僕はただ、自分の胸の内を汐崎に伝えたかっただけなのだ。そのことがどんな意味を含んでいるのか、僕自身が理解していなくても。

「エッ、大西君、学校を辞められたのですか」

 振り返ると石井圭が真っ直ぐ僕を見つめていた。僕は少し驚いて小籔を見た。

「そうだよ。なんか体の調子が悪いというのが、辞めた理由みたいだけど」

 小籔は首を素早く上下に振りながら答えた。

「でも私、昨夜、大西君に会いましたよ。駅前のアーケード街で」

「フーン、じゃあ大西、やっぱ学校嫌になったのかなあ」

 小籔は自分が入手した情報が否定された気がしたのか、口を尖らせながらブツブツ言った。

「石井さん、そのとき何か話したの?」

 振り向くとサイトーの口元には、あるかないかの微笑みが浮かんでいた。そしてこんな朝でも瞬時に爽やかな表情をつくれるサイトーに対して、僕は少なからず嫉妬してしまう。

「ええ、まあ少しだけですけど」

 石井圭は伏し目がちにそう答えた。

「へぇー、どんなこと?」

 サイトーは右肘を机につけて、右掌に顎をのせた姿勢で問いかけた。

「大西君が言っていたのは彼の従兄弟のことです。彼の従兄弟つまり大西秀太は『とても優しいけど』」

「とても優しいけど?」

「『とても怖い』と言っていました」

「とても怖い」

サイトーは静かにその言葉を繰り返した。

 教室の窓から九月の朝の陽光が差し込んでいる。その光の中を極小の塵が音もなく空間を漂っている。

僕は目の端で汐崎の姿をとらえた。紺色のベストを着たその姿は、僕に秋がすでに始まってしまったことを感じさせた。

「大西はどんな感じだったの。元気そうだったとか?」

 サイトーは黒縁のメガネフレームを小さく動かしながら、悪戯っぽく訊いた。

「そうですね。思ったより大西君は元気でした」

 石井圭は背筋を真っ直ぐ伸ばして立ったまま、そう答えた。彼女の話す言葉は、彼女の姿勢と同じようにいつもスッキリしている。

「彼―大西君は引っ越すと言っていました。この街から出て行くと・・・・・・」

「ふーん、それは親の都合とかじゃないよね?」

「おそらく」

「じゃあ大西本人の希望なのかな?」

「大西君はそのことについては何も話しませんでした。でも多分そうだと思います」

 僕と汐崎と小籔は二人の会話を黙って聞いていた。何の内容もない世間話のようだった。だけどその会話はサイトーと石井圭だけしかわからないものがあるような気がした。だからお喋りな小籔もその会話に口をはさむことができなかった。

「大西秀太について他に何か言わなかったのかな?」

 石井圭はその問いにすぐには答えなかった。そのかわりサイトーの目をじっと見つめていた。サイトーも石井圭の視線を逸らすことなく受け止めていた。その間、僕は変な緊張の仕方をしていた。背中のあたりがむずむずと痒いような、そんな感じだった。

「大西君は秀太さんのことを『悪くない』と言っていました」

「悪くない?」

「悪いのは自分だって」

「どういう意味なのかな?」

「わかりません」

「そうだよね」

「斉藤君はそのことについて何か心当たりはありませんか?」

 石井圭は静かにそしてハッキリと言った。

「心当たりはない・・・・・・けど」

「けど?」

「大西は、大西健一は嘘をついていないだろうと思う」

「なるほど、そうですね」

 石井圭はそう言い終えると小さく笑った。

 それにつられるようにサイトーは爽やかな微笑みを浮かべた。

「えっえっ! 何のこと?」

 小籔は忙しくサイトーと石井圭を交互に見て、それから首を捻りつつ僕を見た。

「中島、どういうこと?」

 僕も訳が分からなかった。そして条件反射的に左後ろの座席を見た。汐崎は小さく首を傾げただけだった。

 アリバイ的に始業のチャイムが鳴った。僕の前の席は昨日と同じように誰も座っていなかった。



 その二日後、大西健一は街の一番大きな川の中で見つかった。新聞には小さな記事で事故死と書かれてあった。

 僕は朝食のトーストを齧りながら、新聞の小さな見出しを呆然と見ていた。トーストには味がなく、インスタントコーヒーをいつ飲み干したのかもわからなかった。

 僕のズボンの左ポケットからリーンリーンというヒステリックな携帯電話の着信音が聞こえてきた。僕は携帯電話を左手に持ち左耳に当てた。

「新聞見たか? 大西のこと」

 サイトーの耳慣れた低い声が聞こえてきた。

「ああ」と僕は曖昧に答えた。

「学校にはちゃんと来いよ」

「ああ」

 僕は同じように答えると「わかった」と友人は言って携帯電話を切った。その直後に再び僕の左手にある携帯電話が鳴りだした。ディスプレイには汐崎の文字が浮かんでいた。

「あっ、中島・・・」

 汐崎はびっくりしたような声でそう言った。

「おはよう」

 僕はとりあえずそれだけ言った。

「えっと・・・・・・あのさ、新聞見た?」

「うん、大西のことだろ」

「うん・・・・・・」

 汐崎はすごく緊張しているみたいだった。

「どうして、みんな僕に電話してくるのだろう?」

「中島、大西のこと、気にしてた」

 僕は汐崎に言われたことに驚いてしまった。僕はしばらく黙っていた。

「・・・・・・中島」

 汐崎の息遣いが聞こえた。

「聞いてる?」

「うん・・・・・・」

 僕は今頃になって大西健一が死んだことが、物凄く僕にショックを与えていることに気付いた。

「中島は他人のことばっか考える」

(他人のこと?)

 僕は自分勝手な人間だと今までずっと思っていた。だから汐崎の言葉がほとんど信じられなかった。

「他人は裏切る・・・・・・」

「うん」

 僕は携帯電話を握りしめている彼女が涙を流しているような気がした。

「バカ」

「うん」

 汐崎は黙ってしまった。静かな沈黙があった。だけどその沈黙は僕を不安にさせることはなかった。

「何か言え」

「汐崎だって他人の心配するじゃないか」

 数秒後「バカ」という声が僕の左耳に届いた。



 その日、僕はサイトーと汐崎の言われる通り、ちゃんと高校に通った。

 サイトーはすでに着席しており、僕の姿を見つけると軽く右手を上げた。汐崎は照れ臭そうにチラッと僕を見た。

 僕が自分の席につくと、早速小籔が走り寄ってきた。

「新聞見た? 大西の記事」

 さすがに小籔の声もいつもの軽さがなかった。

「うん」

「驚いたね」

「うん」

 小籔も僕もそれ以上話すことはなかった。僕らはいったい何を話せばよいのだろう。

「おはようございます」

 石井圭のくっきりした声も幾分緊張気味に聞こえた。いつも冷静な彼女も固い表情をしたまま自分の椅子に座った。

 僕らの周りの空間には妙な違和感があった。大西健一の死という事実が、そんな変な雰囲気をつくったのだろうと僕はそう思った。だけどそうではなかった。

「みんな、クラスメートが死んだのに、変わんないね」

 小籔が不思議そうに呟いた。そうなのだ。このクラスの奴らは、誰がいなくなろうと関係ないのだ。僕ら五人だけが、大西健一の不在を死として受け止めていたが、他のクラスの奴らはそんなことはどうでもいいのだった。みんな、自分と関係なければ誰がいなくなろうが、死んでしまおうが関係ない。

 だけど、それは僕にもいえることだった。僕自身この高校でサイトーや汐崎に出会わなければ、誰が死んでしまっても心はまったく動かなかっただろう。そして今この時点でも汐崎やサイトー、麻衣、小籔たち以外の人間がいなくなったとしても、僕はほとんど動揺しないのではないだろうか・・・・・・。

 僕はそんなことを考えながら、ぼんやりと前を見続けていた。何人かの教師が何か喋っていたけど、僕の耳には何も届かなかった。昼食の時間がきても僕は何も聞こえていなかった。

 僕の左肩を遠慮勝ちに突く感触があった。振り向くと汐崎が口を尖らせて僕を睨むように見つめていた。

「屋上」

 彼女はそう言うとスタスタと歩き出した。僕はわけもわからず彼女について行った。目の端にサイトーと小籔がニヤニヤ笑っているのが映った。

 屋上には僕らのほかに何人かの生徒がいた。彼らは退屈そうにパンを齧ったりベンチに寝転がったりしていた。

 見上げると、空はびっくりするほど高かった。その空の青さは地上から一定の高さにへばり付いているようでもあり、今もなお拡散している宇宙に繋がっているようでもあった。

 涼しげな風が緩やかに西から東に吹いていた。その風は汐崎の細い髪を揺らした。

 九月の陽光はコンクリートの地面に反射していたが、ときおり流れる雲がそれを遮っている。

 屋上の周りには二メートル以上の高さがある金網が張り巡らせてあった。

 汐崎は金網に手をかけながら外の景色を眺めていた。その方向には低い山々が連なっている。

 九月の風がまた彼女の細い黒髪を揺らしている。

「あのことがあってから、何もわからなくなった」

 汐崎は唐突に言った。

「時間が止まったみたいだった」

 彼女の言葉は、いつものぶっきらぼうで投げやりな雰囲気を纏っていなかった。

「少年院にいた」

 僕はそのとき初めて汐崎が語っていること意味を理解した。彼女が起した事件後のことを話しているのだ。

「自分がどこにいるのか、わからなかった」

 汐崎は低い山並みを慈しむかのように眺めていた。僕は彼女の美しい瞳を見ていると、ふいに涙が溢れそうになった。

「自分の今までの記憶がブチッと切れて・・・・・・」

 彼女はゆっくりと瞼を閉じて、大きく息を吸い込んだ。

「頭の中は真っ白になった」

 僕は汐崎の隣に立って、同じ方向を見つめていた。

「あたし、そのとき、もう別の人間になってた」

 僕の頼りない胸は痛んだ。

 僕らが生きていくことは、悲しみや苦しみに出会うことじゃないかと、そのとき改めて思った。そして僕らが一日一日生き延びていることは、実は奇跡的な幸運に恵まれているだけなのかもしれない。だから何かのきっかけで、田村や大西健一のように、あっけなく死という深淵に飲み込まれてしまう。

「おばさんのとこだけだった」

「ん?」

「ちゃんと息できるの・・・・・・」

 僕も金網に手をかけて、ぼんやりと低い山々を見ている振りをした。

「死んでもいいって、マジ思ってた」

 汐崎の抱えている荷物は彼女にとって、重過ぎるかもしれない。そしてそのいくらかでも僕は背負うことができるだろうか。

 午後の予鈴のチャイムが鳴った。

「おばさんが高校行けってうるさいから・・・・・・」

「うん」

 しばらく彼女は何も言わなかった。それからドンと僕の胸を左こぶしで軽く叩いた。

「何か、言え」

 僕は話す準備など何もできてなかった。

「俺、行くとこないから、ここにきた」

 汐崎はプッと吹き出し小さく笑った。

「中島、変わってる」

「そうか」

「斉藤も渡辺も変」

 それから彼女はまた黙った。

 午後の授業はとっくに始まっていたが、屋上にはまだ数人の生徒がいた。彼らは屋上の風景の一部のように見えた。

「大西、死んでしまった」

 僕は自分の言葉に驚いてしまった。

 汐崎は少し目を細めて僕を見ていた。

(僕の前の席に大西健一が座ることは永久にないのだ)

 僕は大西健一が僕の前の席に座っている記憶を辿ろうとした。だけどその画像を上手く脳裏に再現することはできなかった。僕の右手にひんやりとした感触があった。汐崎の白い右手は僕の右手をグッと握った。

「変なこと、考えるな」

 教室で僕の斜め後ろに座っている少女は、怒ったような泣き出しそうな顔をしていた。

「汐崎、面白い顔している」

 その瞬間、彼女の左拳が僕の薄い胸を激しく叩いた。「うっ」と反射的なうめき声とともに僕は少し前のめりになってしまった。

「ごめん」謝りながら顔を上げると、少し顔を赤らめた汐崎がいた。

「バカ!」

 僕らはまた黙ってしまった。

 九月の風は何度も汐崎の黒髪を揺らした。

 白く薄い雲が空を少しずつ覆い始めていた。僕は北の方角にある低い山並みを眺めていた。木々の梢が少しだけ揺れているように見えた。

 僕のカッターシャツの左肘部分が強く引っ張られた。

「中島・・・・・・明日は来るのかな?」

 汐崎の声は身体の中心から搾り出したように僕には聴こえた。僕は彼女の言葉にすぐには答えられなかった。僕の頭の中にいろんなことが浮かんでは消えていった。それは両親の陰険な喧嘩だったり、小学校の頃麻衣が抱きついてきたことだったり、薄暗い部屋で一人天井を見続けたことだったりした。

「今日を生き延びることができたら、明日は来るかもしれない」

 僕はそれだけしか言えなかった。

 汐崎は僕を見つめながら、微かな声で何か呟いていた。



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